あの日の彼等
「絵名様ー?絵名様何処ですかー?」
低く芯のある声が広い屋敷に響く。使用人達はまたかと言う顔で辺りを見渡した。彼らの見渡す限りでは探し人は居らず、男は若しかしてと思い外に出て遊歩道を歩く。其の道には鮮やかな白の水仙が咲き誇っており、花の匂いが鼻腔を刺激する。あぁ、花は矢張り良いなと男は思った。男は元来花を愛でる趣味は無いのだが、此の山は春夏秋冬様々な花が綺麗に咲き誇っているので、素直に綺麗だなと感心をする。此の綺麗な花々を見たら誰でも拍手喝采をするのだろう。
いや、ただ一人そんな欠片も無い男を彼は知っている。きっとどんなに綺麗な花でも其の男の前では雑草と何ら変わりなく踏み潰されるのだろう。其れはあまりにも好ましくはない。
男は其の花を眺めながら、道にある鳥居を抜けて階段を上がると目当ての人物が現れた。其の人物は本殿の出入り口の前で俯いていた。男は近づき話しかける。
「何をされているのです?」
「あ、すぐる君」
男……夏油傑は彼女の前に跪く。彼女を見下ろすなど、無礼に値するからだ。其の彼女、東雲絵名は鉛筆を持ってスケッチブックに絵を描いていた。其れは色鮮やかで、とても綺麗な絵だった。
「見て見て!此処からの木を描いたの!」
「えぇ。とってもお上手ですよ」
夏油がそう言うと、絵名は顔を綻ばせる。絵名は可愛い。其れは子供特有のでは無く、顔が良いのだ。だから夏油は常に誰かに攫われないか心配をしていた。
「コレがあそこの塀でねーコレがあっちのお狐さん!」
「はい。上手ですね」
「コレが猫さん!」
「あれ?猫なんて居ましたっけ?」
「いーの!」
絵名は次々に絵を指して説明をする。そして夏油は其れを笑顔で聞いていたが、段々と絵名の顔から笑みが消えて眉間に皺がよる。夏油は何か気に触る様な事を言ってしまっただろうかと少し焦った。
「すぐる君返事テキトーすぎ!絶対上手いって思ってないでしょ!」
「思ってますよ。ほら此処のゾウさんとか」
「それお花」
「あ」
しまったなと夏油は口を手で抑える。彼女の地雷を思いっきり踏んでしまった。絵名はプイッと顔を逸らして臍を曲げている。夏油がうーんと唸って考えると、ふとある事を思い出す。
「そうだ、絵名様。女中の方がパンケーキを焼いて下さってますよ。食べに行きましょう」
夏油が苦し紛れにそう話を逸らすと、絵名は効果音が付きそうな程に顔を明るくして「ホント!?」と顔を上げた。此の純粋さが偶に夏油は心配になるのだ。悪い人間に騙されないか。
絵名は「すぐ行こ!」と自然に夏油の手に自分の手を絡める。そして其の手を引っ張り走り出した。
「絵名様。そんな走ると危ないですよ」
「はーい」
絵名は夏油に従って足を遅くした。彼女の歩幅は小さく、夏油もそれに合わせて歩幅を揃える。絵名は「パンケーキ!」と謎の歌を歌ってスキップをした。本当に甘い物が好きなんだなと夏油は少し微笑ましく思う。側から見れば兄弟仲睦まじい光景だろうが、彼等は決してそんな血縁関係ではなく、何方かと言えば姫と従者という感じだろう。ただし夏油は絵名に仕えている訳ではなくただの〝お手伝い〟として今此の場にいるのだが。
「この前のパンケーキは少しお砂糖が少なかったんだよね〜。今日は多いかな?」
「そんな事が分かるんですか?」
「分かるよ〜。もう、今日もお砂糖少なかったら私怒っちゃうからね!」
其れは拙いと夏油は背筋が凍る。この人が怒ったら屋敷が物理的に滅茶苦茶になるどころか怪我人も出かねない。夏油達が此処に来た当初は、丁度絵名が癇癪を起こしている時で、其の時は其れはもう大変だった。夏油の呪霊躁術を持ってしても全く歯が立たず、何とか五条の手も借りて治める事ができたが、その五条ですらギリギリだったのだから。触れても駄目。触っても駄目。そんな中で幼児をあやすのがどれ程大変か。因みに癇癪の原因は使用人が弟を虐めた事らしい。
其れもあって夏油や他の人達は極力絵名の逆鱗に触れる事は避けている。あの五条ですらもだ。
「パンケーキ彰人の分もある?」
「えぇありますよ。彰人様も一緒に食べましょう」
「うん!」
彰人というのは絵名の弟にあたる。絵名は弟の事を大層可愛がっており、こうやって度々夏油に彰人の事を聞いて来るのだ。なんなら最近彰人と遊んでいる五条に対して「彰人取られた!」と大泣きしたのは記憶に新しい。
「お、傑じゃーん」
「悟。ポケットから手を出しな。絵名様の前で無礼だよ」
「えー。別にいいじゃん。ねー絵名様」
「うん?」
絵名は難しい言葉が未だ理解が出来ないらしく、此の男、五条悟の言葉に適当な相槌を打っていた。
「彰人様は如何したんだ?」
「さっきまで一緒にサッカーしてたんだけど転けて今硝子ん所で治療中」
「あちゃー。其れは仕方ないね」
「は!?さとる君彰人に怪我させたの!?」
「いやあの人が勝手に怪我しただけですよ」
絵名は五条をキッと睨んだが、五条はすかさず弁明をした。此処で絵名の逆鱗に触れたらいくら五条でも捌ける筈がない。然し夏油にはその言い訳は逆に人の神経を逆撫でしている風にしか聞こえなかった。
けれど幸か不幸か絵名は言葉を深読みする程に育っては無かった為に絵名は「心配だぁ」とただ眉を顰めるだけだった。夏油は其れに少しばかり安堵をする。
「じゃあ彰人呼びにいこ。早くしないとパンケーキ食べれない」
絵名は屋敷の方に走って行った。其れを見ながら夏油と五条はクスリと笑う。彼等を見ていると微笑ましい気持ちになるのだ。此の腐った世界で唯一の癒しだった。
何故彼等が此処に居るのか。如何して彼等の様な一学生がこんな所に居るのか。其れは現東雲家当主のご指名だった。「家の孫の面倒を見て欲しい」と。最初は三人は乗り気では無かったが、その分給料が出ると聞いたので仕方なく面倒を見ている形になる。まぁ最初は嫌々だったが、段々慣れて行くと共に三人(主に五条)は「若しかして自分が産んだのでは?」と幻覚を見る様になった。
そんな事もあり今こうして絵名と彰人の面倒を毎週土曜日に見ているのだが、彼等にとっては其れが密かの楽しみになっていた。
「ったく。ガキは元気だな」
「まるで悟みたいだ」
「あ?喧嘩か?」
五条は睨みを利かせて夏油を見るが、当の夏油はそっぽを向き五条を顔で煽っていた。普通ならば此処で二人の喧嘩が勃発する所だが、仮にも此処は東雲邸。自分達を管理している親玉。呪術師達の給料も此処から出ている。そんな所で問題など起こしたら自分達の担任からの拳骨説教だけでは済まないのは確実だ。あまり立場や場所を選ばない五条も流石に耐えている。
其の儘絵名を見失わない様に一定の距離を保って絵名の後を追う。絵名は着物を着ているにも関わらず足をあげて走っている。もう袴にした方がいいのではないかと夏油は思った。
「おい
とある和室に付き、お目当ての少年……東雲彰人を膝に乗せてペロキャンを咥えている目元のほくろが特徴的な女性、家入硝子が軽蔑の眼差しで五条を見ていた。
「いや彰人が急に走ってったんだよ」
その発言に夏油と家入は目を見開き、間髪入れずに夏油は五条の尻をローキックで蹴った。
「っでぇぇ!何すんだテメェ!」
「お前こそ何を言っているんだ!彰人様に呼び捨てなんて……!気でも狂ったかい!?」
「ちがう!おれが呼び捨てお願いした!」
彰人は二人の間に入り弁明をした。子供に喧嘩の仲裁をされるなど情けないなと家入はぼんやりと考える。
「彰人様は其れで宜しいのですか?」
「うん。なんか〝様〟って付けられるとなんか恥ずかしいし。げとーさんもごじょーさんもしょーこさんも呼び捨てでお願いします」
そう言って彰人は三人に頭を下げた。三人……主に夏油と硝子は目を見合わせる。この人にこんな頭を下げられて、断られる筈も無い。
「分かったよ。彰人」
夏油がそう呼ぶと、彰人は嬉しそうに顔を上げた。
「えー!じゃあ絵名も!絵名も呼び捨て!」
「はいはい。絵名ね」
「うん!」
絵名は彰人に抱きつきながらそう叫び、家入がそう言って頭を撫でると嬉しそうに笑った。此の二人は良くも悪くも庶民的なのだ。飾らない性格は好ましいが、裏を返せばあまり東雲家の孫という自覚は全く無いのが玉に瑕である。五条は其処に好感度を抱いているが、夏油はたびたび頭を抱える事が多かった。
チラリと二人の顔を見ると、絵名と彰人は笑い合っている。其れを見てまぁいいやと思ってしまうあたり、夏油も此の二人にだいぶ絆されているのだろう。
「彰人、絵名。向こうでパンケーキ一緒に食べようか。ほら、匂いがこんな所まで漂ってるよ」
「ホントだ。いい匂い。彰人行こ!」
「うん」
そう言い絵名は彰人の手を握って小走りで廊下を走る。この姉弟は本当に仲が良い。
夏油達も後に続こうと思い腰を上げると、我らが担任の夜蛾正道に呼び止められたのだ。
「悟、傑、硝子。少し良いか」
「は?なんスか。今から美味しい美味しいパンケーキが俺を待ってるっつーのに」
「安心しろ。お前の分は端から無い」
「なんだとぅ?今から作らせるか」
「やめろ馬鹿者」
「其れで?何の用ですか?」
此の儘じゃ本題に入れないと悟った夏油は二人の会話をぶった斬り話を進めた。夜蛾は咳払いをし、「こっちに来い」と手招きをした。あの二人を見ていなくて良いのかと三人は思ったが、どうにかなるだろうと思い夜蛾について行った。
通された部屋はとある大広間だった。この屋敷にこんな広い部屋があるのかと三人は目を疑った。
「安心しろ。此処は絵名様が好奇心で創り上げた部屋だ。他の者は居ない」
「ちょい待ち。今さらりととんでもない事が聞こえた様な気がするけど」
「さて早速本題に入ろうか」
「おい無視すんなし」
夜蛾は五条のツッコミを無視をして話を進める。五条は苦言を呈したが夜蛾の真剣な面持ちに気付いたのかそれ以上は聞いてはこなかった。
「単刀直入にお前達にお願いをする。
彰人様を此処から逃がして欲しい」