「おーい、絵名。そろそろ屋敷に帰るぞ」
日が傾く夕暮れ時、五条の低い声が辺りに反響する。烏が鳴き、足元の影は色濃く伸びていた。絵名は声のした方を振り返って見ると五条が立っていた。此処まで歩いてきたのだろう。
絵名は「はーい」と返事をして立ち上がる。五条は絵名の横に一人の男の子が座っているのが見えた。その人物は五条もよく知っていた。
「あれ?棘じゃん」
「え?悟くん棘くんの事知ってるの?」
「まーね。仲良くなったんだ二人とも」
「うん!」
「しゃけ」
「え?しゃけ?」
「うん。棘くんと一緒に考えたんだ。棘くんが喋れないって言ってたから、じゃあ暗号みたいに別の言葉で喋れば良いじゃんって。しゃけがうんでおかかがいいえなの。ね、棘くん」
「しゃけ!」
絵名は狗巻の手を握り揺らす。狗巻も照れくさそうに笑い絵名の手を握り返した。その姿に五条は少し笑う。絵名は少し強引な所があるが、こんな風に人を元気付けるのだ。彼女は無意識だろうが、それで救われた人間は何人居るだろう。家の使用人達も、ミスで物理的に首を切られそうになった時、絵名は当主に直談判をし何とか不問にしてもらった人間が沢山居る。
だから皆、口を揃えて言うのだ。
東雲家次期当主は絵名様しか居ないと。
然し中には女性が当主になる事を快く思っていない人物も一定数存在する。男尊女卑が蔓延るこの呪術界はそんな奴等が多いのだ。
五条はふと彰人がいない事に気が付いたのだ。さぁっと己の体温が冷たくなっていくのを感じた。
「絵名、彰人は?」
「友達のとこに会いにいくって」
「そっ……か。うん。ありがとう絵名。取り敢えず絵名は屋敷に戻るぞ。棘はかーちゃんが玄関先で待ってるから一緒に来い」
二人は返事をして五条の後をついていく。まるで今流行っている。引っこ抜いてついてくるあのゲームのキャラクターみたいだと五条は思ったが、そんな事を考えている暇は無いと焦り出した。
——まずいぞ。此れは非常にまずい。
「悟くん速いって!」
「すじこぉ」
五条はハッと我にかえり振り向くと、絵名と狗巻は息を切らしていた。無意識に速足になっていたのだろう。その上五条は足が長いのでその分のリーチもある。五条は「わりぃ」と謝り、狗巻と絵名を抱き上げた。こうした方が早いと思ったからだ。二人はいつもより高い目線に興奮していた。
「暴れたら落とすからな」
「そうしたら家の人に聞こえるように泣くもん」
「マジでそれはやめて」
「めんたいこぉ〜」
「棘もマジでやめろ。シャレにならねぇから」
五条の早足で三人は屋敷に着いた。狗巻の両親は玄関先に立ってキョロキョロしており、狗巻の姿を見た途端に走り出した。どうやら我が子の安否を心配しているようだ。それが終わった後は五条と絵名に御礼を言っている。忙しないなと五条は話半分に聞いていた。
「また遊ぼうね、棘くん」
「しゃけ」
「約束だよ」
「たかな」
狗巻は小指を差し出す。絵名は少し驚いた表情を見せ、狗巻の小指に自身の小指を絡める。そして指切りをしたのだ。絵名の歌声が辺りに響き奏でていた。子供ながらに伸びのある歌声だ。
二人は指を解く。それを合図に狗巻は母親に手を引かれてその場を後にした。絵名は名残惜しそうにその背中を見ていた。
「絵名、一人で中に入れるか?」
「そのぐらい出来るけど。どうしたの?」
「彰人迎えに行ってくる。留守番宜しくな」
五条は絵名の頭を乱暴に撫で其の儘フッと消えた。絵名は吃驚して辺りを見渡すが五条はもう何処にも居なかった。
仕方なく中に入り、自室に向かう。段々と寂しさが込み上げてくる。誰か居ないかと周りを見ても今はみんな出腹っているようで気配がない。
「お嬢?如何なされたのですか」
低く、落ち着いた声が絵名の鼓膜に届く。振り返って見ると、金髪のやつれた男と元気潑剌とした男が二人立っていた。絵名が駆け寄ると二人は跪いて絵名を迎える。男達の名前は七海建人、灰原雄。五条達の一学年下の後輩だ。
「建人!雄!良いところに!」
「良いところ?お嬢の言う事は何でも聞きますよ!」
灰原がドヤ顔でそう言うと、絵名はにまーっと笑い七海と灰原の手を片方ずつ掴んだ。即座に七海は面倒臭い気を察知したがもう手遅れだった。
「一緒にあそぼ?」
————
浮遊感に包まれ五条は見下ろす。下では沢山の人間が交差しており車も排気ガスを撒き散らしながら走っていた。此の中でどれ程の人間が呪霊が見えて、呪霊が見える中のどれ程の人間に術式が有るのだろうかと一瞬五条は思った。
然しそんな思考は一瞬にして消え失せ、五条は目当ての人物を探す。
彰人だ。
地上では夏油と家入が捜索している為、五条は空中から探す事になったのだ。五条は携帯を取り出し夏油に掛ける。
「おい傑。見つかったか?」
『いや、未だ見つからないよ。其方は如何だい?』
「こっちも全く気配もしねぇよ。彼奴は絵名みてぇに呪力が特別高い訳じゃねぇから」
『そうか……。悟は其の儘捜索を続けてくれ。私は少し呪霊を使って範囲を広げる』
其れを聞き五条は電話を切った。何やら嫌な予感がした。普段は相手に呪力があればその残穢を辿って見つけるのだが、何故か彰人の残穢は何処にも見当たらなかった。若しかしてと五条は丁度屋敷に居た七海に電話をかけたが帰ってきていないらしい。
「ったく。俺達が見てない間に何処に行ったんだよ」
五条達は夜蛾と話している間、使用人に二人を頼んだのだがこの様だ。
使用人達の話を聞けばこういう事は多々あるらしく、いつの間にか消えていつの間にか戻って来ているのは日常茶飯事らしい。然しそれを聞いた夏油は顔を憤怒の表情に変え、「子供からは目を離さないで下さい」と静かに威圧感を与えていた。
そして今に至る。
五条はいつもより数倍焦っていた。それは夜蛾のある頼みが起因していた。早く見つけなければ取り返しのつかない事になる。そう思い五条は彰人が行きそうな所を想像して探す。
するととあるグラウンドが目に付いた。五条は一瞬にしてそこに降りる。
異様な光景だった。此処はもう使われてはいないグラウンドなのだろう。地面は雑草が生い茂り、もう何処がトラックなのか分からなくてなっていた。否。異様なのはそこでは無い。こんな廃れたグラウンドは他にもわんさかある。
五条は其の儘歩みを進める。
明らかに何かあったであろう此処は人の気配は無く、唯冷たい風が吹くばかりであった。
クレーターと、少しばかりの彰人の呪力の残穢が。
——此処で何があった?
五条は考えを巡らす。彰人の残穢があると言う事は先程まで彰人が居た筈だ。然し此の少しの残穢しか残っていないとなるともうだいぶ前に此処を出て行った可能性が高い。五条でなければ感じ取れないほんの少しの残穢。
それに不審な点はいくつかある。
彰人の残穢しか感じないのだ。
呪霊が見えなくとも呪力は少なからず全人類にもれなく付いてくるのだ。呪力を持たない人間など居るものか。
いや居るな。地球上でたった一人。呪力を待たずこの世に生を受けた男が。
然しその男が何故彰人に?
五条が考えて居ると、携帯に着信が入る。画面には『夏油傑』と書かれていた。
「如何した?傑」
『悟!今すぐ屋敷に戻れ!やられた!』
「あ?やられたって何がだよ」
『彰人が屋敷の何処かに閉じ込められてる!私達は出し抜かれたんだ!』
「は?」
五条の声は広いグラウンドに響き、消えて行った。時が止まった様に思えた此の時間は恐らく一瞬だっただろう。冷たい風が五条の体を刺激する。
気付けば辺りは暗く、街灯が灯っていた。