「ゔ……頭痛い……寒い」
真夜中の午前三時。みんなが寝静まった頃。私は寮の廊下を歩いていた。結局みんなは食堂に雑魚寝している。私はと言うと硝子さんに酒を無理矢理口に捩じ込まれてからの記憶がない。頭も痛い。完全に二日酔いだ。あの奏も一升瓶を抱えながらゴミ箱に頭を突っ込んでいた。恐らく奏も犠牲になってしまったのだろう。まふゆは一人だけちゃっかり布団で寝ていた。何処から持って来たのよその布団。そしていつの間にか建人も居なくなっていたし。家に帰ったのだろうか。
廊下は夜中と言う事もあり、少し寒くて結局部屋に戻り上着を着てから外に出た。一応、頭痛薬を飲んで。人生初めての飲酒がこんな有り様だなんて……もう一生お酒は飲まない。絶対、多分、間違いなく。
玄関でサンダルを履き、外に出る。辺りは薄暗く、けれど月明かりで薄らと辺りは見渡せた。外に出ると冷たい風が頬を刺激する。矢張り外の方が寒い。
「わぁ、綺麗な満月」
空を見上げると、綺麗な満月が雲の間から照らしていた。「月が綺麗ですね」と言う言葉を作ったかの文豪、夏目漱石は天才だ。月は、これ以上にない程に綺麗だもの。この月に例えられたら、どれ程幸福な事だろうか。今を生きる花の女子高生として人生で一度は言われてみたいセリフだ。
私は満月の綺麗さに感動しながらも歩みを進める。そう言えば高専内部をよく見て回った事は無かった気がする。丁度良い機会だ。この際見て回っるのも良いかもしれない。
そう思ったが吉日。私は奥の方へ歩みを進める。矢張り洋服は最高だ。着物とは比べ物にならない。動きやすいしお腹も締め付けられない。何より涼しい。最高の代物だ。もう二度と着物なんて着ない。
坂を登り、階段も登り、石段を歩き。呪術師を始める前だったとしたらここで息が上がっているだろうが、今の私は息が切れるどころかまだ体力が有り余っている程だ。少し自信がつく。まぁ、あんな死と隣り合わせの日々を送っていれば、誰でも体力が付くだろうが。
「あ、──!」
とある開けた場所を見つけた。そこだけ木々が分けられ、空が丸見えだ。
星が、綺麗に見える。それが壮大過ぎて、思わず言葉を失ってしまう程に。
とても、とても綺麗だ。
本当に。
泣きたくなる程に。
まるで降って来そうで。
そして後悔する。
あぁ、スケッチブックを持ってくればよかった。
そうすればこの綺麗な景色を描けるのに。まったく損な事をした。
「そうだ、写真でも撮っとこ」
この気持ちを忘れぬべく、私は写真という形で残した。確かに現実と写真とじゃ感動の差は歴然だろうが、けれどもこの写真を見た時に思い出せるだろう。
この胸の高鳴りを。
東京には長らく住んでいるが、こんな綺麗な夜空を見たのは初めてだた。恐らく、人生で。
こんなにも──綺麗だったのか。
──俯いているばかりだったら、気付かなかっただろうな。
今迄の人生。お世辞にも幸福だとは言えなかったけれど。それでも、こんな美しい情景があるだけで──それだけで少し救われた気分になる。
あぁ、早く描きたい。この感動を。この星空を。今なら綺麗に描けるかもしれない。
「たーかな」
「うわ!」
急に目の前が暗くなり、同時に目元に温かい感覚が伝わる。目隠しをされたのだろう。
そして直ぐに声の主がわかった。
「棘くん」
「しゃけ」
振り返ると、棘くんはにこりと笑って私を見ていた。
「もう、驚かせないでよね。吃驚しちゃうじゃない」
「おかか」
そう言って棘くんは手を合わせる。そして空を見上げ、目を見開いた。
「め、明太子……」
「ね、綺麗だよね。私も感動しちゃった」
私がそう言うと、棘くんは首を縦に何回も振る。その姿に私はついフッと笑ってしまう。
私は、棘くんが好きだ。恐らく、初めて会ったあの日から。
私に恋愛感情があった事が驚きだが、まぁともあれ。東雲絵名は狗巻棘に恋幕を抱いているのだ。会えない一週間は寂しかったし、何度電話をかけようとした事か。まぁそんな暇なんて無かったけれど。
それ程までに、私は棘くんが大好きなのだ。
「棘くん」
「しゃけ?」
「私、全部思い出したよ。家の事も、彰人の事も、五条先生達の事も、
私がそう言うと、棘くんは驚いた様に目を見開いた。
私は、棘くんに謝りたかった。昔の事を。そして今迄──忘れていた事を。これはきちんと、私がケジメをつけなければいけない問題。私が棘くんに出来る精一杯の、贖罪。
昔の友人が自分を忘れていると言う事の悲しみは、どれ程だろうか。いや、私では到底計り知れない悲しみだろう。私が棘くんの立場だったら、もう生きていけなかったかもしれない。
だからこそ、私はきちんと棘くんと話す義務がある。
「棘くん──待たせてごめんなさい」
そう言って私は、棘くんの手を握る。
また会おうと、約束した。
また遊ぼうねと、小指を絡めた。
そして今、その約束が果たされた。
やっと再会出来た。やっと、〝東雲絵名〟として、会う事が出来た。
そして棘くんは──勢い良く私に抱きついた。それが暖かくて、嬉しくて。目頭が熱くなった。
「──絵名」
そう発したのは──棘くんだった。
棘くんは、おにぎりの具でもなく、ちゃんと自分の言葉で、私の名前を呼んだ。私は一瞬戸惑ったが、それでも黙って聞いた。
「好き。大好き」
その言葉が何を意味するのか──分からない筈が無かった。
それを聞いた瞬間、私の顔は熱を帯びていく。胸が高鳴り、言葉が出ない
好き? 棘くんが? 私の事を?
有り得ない──訳ではない。今迄だって、何かヒントはあった筈だ。
それを自覚した瞬間、一気に顔が熱くなり、そして──。
幸せな気分になった。
好きな人に好きになって貰えるのが、こんなにも幸せだなんて、思いもしなかった。嬉しくて、胸がはち切れそうだ。
嬉しくて、嬉しくて。泣きそうな程に幸せで。
「あのね、私わがままだし、朝弱いし、またあの時みたいに暴走してしまうかもしれない。だけど──一緒にいてくれる?」
「うん。ずっと一緒だ」
それを聞いた瞬間、私は棘くんを抱きしめ返す。
頬に、雫が流れる。
あぁ、このまま死んでも良い。
幸せすぎて、頭がおかしくなりそうだ。
目が、合う。
棘くんの顔も赤く、私たちは暫く見つめあっていた。辺りは静かで、ただ私の心音がうるさく鳴り響いていた。
そして私たちの顔が近づき、そのまま──。
「おいパンダ! 押すんじゃねー!」
「仕方ねーだろ! 見えねーんだから」
「見えねー筈ねーだろ! デケェ図体しやがって!」
「ちょ、真希さん聞こえちゃうよ! ……ってうわぁ!」
ドダドダと、まるで雪崩の様に倒れてきた。
真希とパンダくん、憂太がそこには居た。三人だけじゃない。奏とまふゆと瑞希。仕舞いには伏黒くんと日下部先生、五条先生に硝子さん、そして学長までもこちらを覗いていた。
私は恥ずかしさでみるみるうちに顔が赤くなる。
何で!? 何で!? 何で!?
「何で居るのよぉ!!」
私がそう叫ぶと、みんな「いやぁ」とそっぽ向いたり後頭部に手をやったりしていた。
「五条さんが行こうって言ったんだよ」
「ちょ、瑞希。内緒って言ったじゃーん」
「ほんっと最低! 信じらんない! それでも教師なの!? 鬼! 悪魔! 人でなし!」
「うーん、言葉が強い」
「まぁまぁ絵名。落ち着いて。僕は二人が付き合えて……本当に良かった」
そう言って憂太はガチ泣きをした。どこに泣く要素があると言うのだろうか。
「絵名、おめでとう」
「まふゆ、あんた本当に思ってる?」
「うん、これは心からの言葉。……狗巻くん」
真顔だったまふゆは、にっこりと、いつもの優等生の顔になり、棘くんの肩に手を置いた。
「絵名を泣かせたら──分かるよね」
「ひ……しゃけ」
棘くんは怯えた様にそう頷く。こちらからじゃまふゆの表情は見えないが、棘くんの反応を見るに、怖い顔をしているのは明白だった。
「よーし、みんな! 宴再開だよー!」
「おー!!」
五条先生の号令の元、みんなは一斉に校舎へ戻ってゆく。いや、これはみんな騒ぎたいだけだな。
気がつくと辺りは明るくなっており、日は登っていないが、充分明るい。
「……絵名」
「え?」
私もみんなについて行こうと歩き出すと、突然棘くんに呼び止められた。
「……幸せにする」
そう言って棘くんは、にこりと笑った。
「──うん!」
私は、勢い良く頷く。
今でも、充分幸せだ。けれど今以上の幸せは、私たち二人で紡いでゆくものだ。
「帰ろっか」
「しゃけ」
東雲の空に響く聲は、とても美しかった。
◆◆◆◆
様々な人が行き交うストリート街。そこに佇むカフェに、場違いな袈裟を着た男が入店してきた。
男は店員の案内を待たずに、奥の席へと歩き出した。そこの店主──白石謙はその姿に違和感は感じるも、「まぁ世の中、色んな人間がいるしな」と、娘──白石杏に水を持って行くよう促した。
その男は窓際に座っていた少年と同じ席に座る。少年も少年で、それを気にする素振りも見せず、ただずっとスマホを眺めていた。まるで来るのが分かっていた様に。
「お、お水でーす」
その異様な空気を感じ取った杏は、水を置いた後、素早く父の方へ帰っていった。然しその素振りを気にする事もなく、夏油は少年の顔をジッと見る。
「──鬼姫が死んだ。何故だか分かるかい?」
徐に夏油は、少年へ語りかけた。然し少年は携帯から目を離す事なく無視を続ける。その姿に夏油は溜息をつく。
「鬼姫が死ぬ事は有り得ないよ。今現代で頂点に君臨していた鬼姫がね。それこそ、
そう、鬼姫は絵名を殺さずとも、呪霊の中では紛れもなく〝王〟だったのだ。然し鬼姫は強欲にも呪いの王を欲した。鬼姫の敗因は
二兎を追う者は一兎をも得ずという言葉がある。鬼姫の場合、それの典型と言えよう。己の力を見誤るばかりか、到頭存在さえも消えて無くなってしまったのだから。
哀れで、愚か。
「──君が画策したんじゃないのか?」
真っ直ぐと、少年を見た。然し少年は未だ顔を上げない。言葉を発しようともしない。
「君が鬼姫に言ったのだろう。『東雲絵名が記憶を取り戻そうとしている』と。それを聞けば鬼姫は十中八九東雲絵名を襲うからねぇ。そして君は東雲絵名が勝つ事を知っていた。違うかい?」
少年はそう言われて──目を伏せる。
「今のままじゃ計画が破綻する。そう思っただけだ」
漸く少年は言葉を発した。その声はこちらの様子を黙って伺っている杏には聞こえておらず、少年は続けてそう言った。
「俺は俺の計画の為に行動したまでだよ。その際に必ず何処かしらで鬼姫の存在は邪魔になる。だからアイツに頼んだんだよ。何か問題があんのか?」
少年は真っ直ぐに夏油の方を見た。然し夏油は肩を竦めるばかりで怒る様子は見られない。
「別に、悪いとは言っていないよ。私の思い描く世界にも鬼姫は邪魔だからね。お礼を言う事はあっても、叱るなんて事はしない。ただの事実確認さ」
「あっそ」
そう言って少年はカフェオレを飲む。
そして空になったカップを置き、席を立つ。
「もう行くわ。じゃーな」
「あぁ、またね。これからも上手くやってくれよ。私達の計画には君の協力が必要不可欠なのだからね────彰人くん」
そう言われた少年──東雲絵名の弟、東雲彰人は、侮蔑の眼差しで夏油を見下ろす。
呪いは、繰り返される。
絶え間無く。非術師がいる限り。
そして物語は
──終わる事なく、巡り続ける。
さて、これにて第一部は完結です。第二部からは原作沿いになります。
此処迄ご愛読頂き有難う御座いました。