東雲の空に鳴り響く聲は   作:亥露

51 / 68
東雲絵名と三人の後輩たち

「いっただっきまーす!」

「はい。お疲れ様でした」

 

 都内の某ファミレス店に、三人の声が轟く。絵名はそれを見て微笑ましく笑った。あれから三人は呪霊を祓い、それが終わったあと、絵名に連れられてご飯を食べに来ていた。任務でお腹が空いた三人は勢い良く食べ物を胃に入れていた。絵名はそれをコーヒーを飲みながら眺める。後輩というのは、矢張り可愛いものだった。そして目線を左に写し、斜めに座っている虎杖へ移した。

 

 ──あれが、両面宿儺の器の力。

 

 両面宿儺の器である虎杖悠仁は、類稀なる身体能力の持ち主だった。それは恐らく真希以上に。これぞ天賦の才なのだろう。天賦の才。それは絵名が持ち得ないものだった。

 

 呪術師としての才覚は多少なりともあるのだろう。しかしそのどれもは恐らく術式あってこその力なのだ。虎杖の様な才は持ってはいなかった。そう思うと、内心は複雑だった。けれどもそれを差し引いても可愛げのある後輩には変わりなかった。

 

 虎杖は美味しそうに飯を食っていた。こう見れば普通の男子高校生だ。とても内に両面宿儺を飼っているとは思えない。

 

 同情の念がないと言えば、嘘になる。彼はまだ十六歳。これから先楽しい事は沢山あっただろうに。けれども虎杖はそんな陰を見せる事もなく今、笑顔だ。それを見ると、絵名の胸は締め付けられる感覚に襲われる。

 

 けれど、しょうがないのだ。絵名は、日本中の命を背負っている。一時の同情で、日本中の命を脅かす事は、出来なかった。

 

 己の無力さに、絵名は俯く。力を付けたと思ったが、そうではなかったらしい。人一人の命も救えない程に、絵名は弱いのだと、自責の念に駆られる。

 

 御免なさい。

 

 御免なさい。

 

 貴方を救えなくて、御免なさい。

 

 そう、心の中で繰り返し懺悔する。

 

 このやり場のない贖罪を、何処にやれば良いのか、分からなかった。

 

「先輩? どうした?」

「へ? 何が?」

 

 虎杖は絵名の顔を覗き込む。絵名は顔に出ていいないか己の頬に手をやり確認する。しかしそれをやったところでそんな顔をしていたかどうかもわかる筈がなかった。

 

「なんか浮かない顔してたけど」

「え、そうかな? そんな顔してないわよ。そんなことより早く食べなさい。冷めるわよ」

 

 絵名はそう言い、虎杖を促す。

 

 ──ダメね。私。顔に出るなんて。今度まふゆにポーカーフェイスのやり方でも教えてもらおうかしら。なんて、怒られちゃうか。

 

 コーヒーを飲みながら、己を叱咤する。すぐに顔に出るのは絵名の悪い癖だった。自分でもどうにかしなければと思っているのだが、どうも治る気配がない。

 

 顔に感情が出てしまう。それは時には大きな弱点にもなり得るのだ。それは最近、五条にも言われたばかりだった。いつもならそこで食ってかかる絵名だったが、こればかりは図星なので何も言えなかったのだ。

 

「東雲先輩はこの後も仕事ですか?」

 

 隣に座っている伏黒が、そんな事を聞く。絵名はその質問に苦い顔をして答えた。

 

「ううん。今日はこれで終わりなんだけど、サークルの絵がまだ終わっていないのよね。遅れてるのは私一人だけだし、帰ってから作業するつもり」

「大変っすね」

「ま、好きでやってる事だしね」

 

 絵名はそう言って頼んだフライドポテトに手を伸ばし、口に入れる。するとほろりとじゃがいもの食感が口内を包み、塩味が舌を喜ばせる。ケチャップの酸味も言い塩梅だ。

 

 ふと、視線を感じる。二人分の、鋭い目線だ。

 

 顔を上げると、虎杖と釘崎は興味深そうに絵名を凝視していた。

 

「な、何?」

「東雲先輩、絵描いてんの?」

「ま、まあ、少しだけ……」

「すげー!」

 

 そう言って二人は絵名にキラキラした目を向ける。絵名は其れに少し立ちろいでしまった。こんな純粋な目を向けられたのは初めての事だった。絵名は少し目のやり場に困り目線を伏黒とは真逆の方を向かせる。けれども依然として二人の視線は途切れることはなかった。

 

「き、気になるの?」

「はい! 凄く!」

 

 二人同時だった。その迫力に、矢張り絵名は押される。今年の一年は、個性が強い子たちが多いらしい。元々絵名はこの様な押しの強い人間に慣れていない為、当然の如く押される。まるで弟の仲間(チームメイト)と対峙した時の感覚だ。

 

 絵名は少し目を泳がせ、そして上目遣いで二人を見る。

 

「そ、そんなに上手くないけど、それでも良いのなら……」

「マジですか!? やったー!」

 

 二人はそう言って人目も憚らずテンションを上げている。まるで宴だ。絵名はその様子を見て、目線を伏黒へ移す。けれど伏黒は首を横に振るばかりで一向に止めない。これはもう、手遅れということか。

 

 

◆◆◆◆◆

 

「はい。スケッチブック汚さないでよね」

「うす! わあ! めっちゃスケッチブックある!」

 

 夕方。絵名の部屋に三人は来ていた。絵名自体普段部屋に人を招くなんてことはなく、部屋一面紙で散らかっていた。紙だけじゃない、キャンバスも、イーゼルも、部屋の中には散乱している。そのどれも、絵が描かれていた。絵名は少しだけ、恥ずかしい気になった。こんなことなら普段から片付けておけばよかったと、そう思うのだ。

 

 部屋の中は絵の具特有のシンナーの香りが漂っていた。虎杖はその匂いを目一杯吸い込んだ。

 

「俺、美術室の匂いって好きだったんすよ。なんか、特別! って感じがして!」

 

 虎杖の言葉に、絵名は少し微笑んだ。虎杖の気持ちは、絵名にも分かるのだ。

 

「なあに、それ。でも少し分かるかも。なんか落ち着くのよね。うちは家中にシンナーの匂いが漂っていたから、逆に他の教室の匂いが違和感でしょうがなかったわ」

 

 絵名の家は四人中二人が絵を描いていた為、家中何処かしこで絵の具の匂いが充満していたのだ。絵名は昔からそこに住み、匂いを嗅ぎ続けていた為、その匂いに慣れてしまっていたのだ。

 

「家の人も絵を描いてたんですか?」

 

 釘崎はスケッチブックを眺めながら絵名に聞く。すると絵名は眉間に皺を寄せ、明らかに機嫌が悪くなった。しかしそれは釘崎に向けてではない。

 

「そう……。そうね。……描いてたわ。ていうか、私は彼奴の影響で絵を描き始めたから……」

「彼奴?」

 

 三人は揃って首を傾げる。そして絵名は積んでいた雑誌を分けて何かを探す。そのどれも絵に関する雑誌や画集だった。付箋がいっぱい貼ってあることから、何回も読み直しているのは明白だった。

 

「えっと……。どこだっけ。……ああ、あったあった。はいこれ。この記事」

 

 絵名に渡された雑誌のページを、虎杖を真ん中にして左に釘崎、右に伏黒という並びで覗き込む。そのページはとある画家のインタビューが記されてあった。芸術の精通していない虎杖や釘崎でも知っている名前だった。

 

 東雲慎英。今有名な天才画家。数多な会場で個展を開いており、老若男女問わず人気を誇る。本人は口下手らしく、あまり表舞台には立たないが、それでも何故かこの雑誌だけ、インタビューを受けていた。三人はそれを隅々まで読む。

 

「ほー。やっぱ芸術家って凄いわね。私たちには何も解んない世界だわ。感性がまるで違う」

「というかなんでこんな構図が思い浮かぶんだよ。天才か?」

「俺、この前この人の個展に行ったことあるけど、マジで凄かったぞ」

「マジ!?」

 

 そんな会話を、絵名そっちのけで話す三人に、絵名は苦笑いを浮かべる。こうしてみると、本当に高一の学生そのものだった。

 

「それ、私の父親。一応」

 

 絵名の言葉に、三人は勢い良く振り返る。その光景が何処か新鮮で、絵名は小さく吹き出す。

 

 今では父と蟠りが解けたといえ、いまだに確執が残っている。最後にあったのはあの事件が終わって暫くしてからだった。だから絵名はいまだに父親についてどう反応したら良いか分からなかったのだ。

 

「伏黒くんが前買った画集も、其奴のね」

「……父親と、仲が悪かったんですか?」

「あはは、前はね。今は……どうかしら。よくわからないわ」

 

 伏黒の言葉に、絵名は昔の記憶を想起する。確かにあの言葉は自分の為に言ってくれていた言葉だった。しかし、それでも傷ついたというのも、また本当なのだ。傷つき、絶望して、嘆いて、恨んだ。己の才能のなさに呪いもした。

 

 今は父親に対してそんな嫌悪感はないにしろ、矢張りどこか身構えてしまうところがある。

 

 それは、一種の思春期なのだろうか。

 

「さて、私は少し絵を描くけど、あんたらはどうする?」

 

 絵名は椅子に座り、地面でスケッチブックを開いている三人に目をやる。先述の通り、絵名は少し急ぎのイラストがある。別に此処に居てくれても構わないのだが、必要以上に構ってやれることは出来ないだろう。

 

「ここでスケッチブック見ても良いっすか? 俺、先輩の絵、もっと見たいっす!」

 

 そう言った虎杖は、太陽の如く明るく笑う。それは些か絵名には眩しすぎた。

 

「それは構わないけれど、後でちゃんと感想聞かせなさいよね。今後の参考にするから」

 

 「はーい」という返事が返ってくる。絵名は少し庇護欲を唆られながらも、ペンタブに向かった。

 

 パソコンの電源を入れ、ナイトコードを開く。マイクは入れられなくても、其処に居るという証拠にはなるだろう。それにこの時間だ。誰かしらログインしているに違いない。そう思い、絵名はナイトコードにログインした。

 

 案の定、二つのアイコンが目に入る。水色のアイコンと、桃色のアイコンだ。その見慣れた画面に、絵名は思わず顔を綻ばせる。そしてナイトコードのチャットにメッセージを入れた。

 

『来たよ。今後ろに後輩が居るからマイク入れられないけど、ちゃんと居るからね』

 

 そう送ると、十秒も経たない内に、二人分の通知が来る。

 

『分かった。連絡ありがとう』

『了解! 無理しないでね! もしかして後輩って恵くん?』

 

 二人の返信に、絵名はどこか温かい気持ちになる。

 

 ああ、自分はちゃんと此処に居るんだ、と。

 

 絵名は瑞希のメッセージに返信する為に、キーボードを触る。

 

『伏黒くんもいる。後二人、最近入ってきたのよ。その子たち』

『えー! 新しく入ったの!? 会いたい会いたい!』

『何言ってんのよ。相手からしたら呪術師でもないあんたは誰?? ってなるから。やめてあげなさい』

『えー、えななんのケチ。おに! 悪魔! 特級術師!』

『最後のは最早悪口じゃなくて事実だから。はあ、もう私作業に戻るから。なんかあったらチャットして』

『分かった。無理しないでね。でも期待してる』

『りょーかい! 今回も楽しみにしてるねー!』

 

 その返信を見て、絵名はペンタブに向かった。こんだけ期待をされているんだ。頑張るしかない。

 

 ペンタブに、ペンを押し当てる。その瞬間、絵名の意識は全て絵に向かっていった。

 

 

 

◆◆◆◆◆

 

「これをチャットで送って……っと。あー! 終わったー!」

 

 チャットの送信ボタンを押して、絵名は解放されたように伸びをする。長時間画面に向かっていた所為か、目の疲れがダイレクトに来る。時計をみるともう夜中の三時は超えていた。夕方まで居た瑞希も、もうログアウトしている。

 

「あ、そうだみんな……は……。もう返ったか。なんか悪い事しちゃったな」

 

 後ろを振り返ると、其処に居た筈の後輩たちの姿は、もうなかった。当然だろう。夕方の五時から十時間。恐らくもう自分の部屋に戻ってしまったのだ。自分は十時間も後輩を放ったらかしにしたのかと、自責の念に駆られる。いくら忠告したとはいえ、それはあんまりだ。

 

 ふと、中心に置かれているテーブルに目をやる。散乱している紙の他に、何かメモの様なものと、ペットボトルのお茶が置かれていた。

 

『俺たちは先に戻ります! 先輩の絵、凄く素敵てした! また後日感想を言わせてください! これ、俺たちからです!』

 

 それを見て、絵名は笑みを溢す。   

 

 本当に、優しい子たちだ。恐らくこの先の人生で、この後輩たちは絵名にとって忘れられない、大切な後輩になるのだろう。そう思うと、何か込み上げてくるものを感じた。お茶はもう冷えてしまっていたが、それでも、暖かった。

 

「あ、そうだ。久しぶりにセカイに行ってみようかな。最近行けてなかったし」

 

 そう呟き、スマートフォンを取り出す。液晶には『悔やむと書いてミライ』という音楽ファイルが表示されており、それを再生する。すると眩い光と共に、視界が妨げられ、そして目を開けると、鉄骨のようなオブジェが突き刺さった真っ白なセカイが眼前に広がる。

 

 ──セカイだ。

 

 絵名は辺りを見渡す。バーチャルシンガーを探す為だ。誰かしら居るだろうという算段だ。居なくとも探すまでだが。

 

 目線の隅に、二つの黄色い頭が動く。その人物たちは此方へ走って来るようだ。手を繋いでいて、側から見るとまるで双子の様だ。

 

「絵名。何の用? こっちは忙しいんだけど」

「リ、リン……」

 

 絵名の所へ辿り着いたや否や、女の子の方はぶっきらぼうにそう言う。けれども放つ雰囲気には敵意は感じられず、逆に花の様なものを飛ばしている。

 

「あら? それにしては急いで来ていたように見えたんだけど?」

「き、気の所為だし」

 

 金髪の、頭にリボンをした少女──鏡音リンは、照れた様に外方(そっぽ)を向く。それを同じ様な顔立ちをした少年、鏡音レンが先程とは違い穏やかな顔でリンを見る。それをリンはキッと睨んだ。恐らく恥ずかしいのだろう。元々引っ込み思案なレンはそれに怯えてしまったようで、一歩後ろへ下がる。

 

「ま、今回はそういうことにしてあげる」

「何それ、なんかムカつく」

「はいはい」

 

 そう言ってリンの頭を撫でる。リンは口では憎まれ口を叩くが、それでも手を振り払わない様子を見ると、満更ではないのが見て取れた。絵名はそれが尚更可愛く思い、また更に撫でる。

 

「と言うか、絵名今回も任務だったんでしょ? 寝なくて大丈夫なの?」

「帰ったら寝るわよ。そういえば、リンの()()、どう?」

「……疲れる。なんで呪術師ってこんな少ないの? しかもその上五条の人使いの荒さには本当にムカつく」

「あはは。あの人、昔からああだから。そこは耐えて。あれでも先生は色々考えてくれているから」

「本当かな? 私にはとてもじゃないけどそうは見えない」

 

 そう言ってリンは頬を膨らませる。

 

 リンは絵名の仕事を手伝いたいと言い、今は東京都立呪術高等専門学校の情報処理を任されている。絵名はそんな事をしなくても良いと言ったのだが、リンは「絵名ばかりにこんな事は任せられない」と主張した。恐らく絵名を思っての事だったのだろう。五条は面白そうと言う理由で採用したのだった。実際、リンは呪術師の助けになっているのだった。

 

 ふと、視線に気付く。もしやと思い、隣を見てみると、レンが少し寂しそうに絵名とリンを見ていた。けれどそれを口に出す様子はなかった。

 

「レンも、暫く来れなくてごめんね」

「う、ううん! 来てくれただけでも嬉しいよ」

 

 絵名が頭を撫ででやると、嬉しそうに顔を綻ばせる。表情を察するのも、大切だ。特にレンのような自分の気持ちを上手く伝える事が難しい相手だったら、尚の事。確かに自分の気持ちを自分の言葉で言う事は大切だが、それでも今は察することも絵名にとっては吝かではなかった。

 

 まるで、弟と妹が増えたかのようだ。とても可愛くて仕方がない。

 

 レンは、最近来たバーチャルシンガーだ。例の事件より後にこのセカイに訪れており、本当ならば絵名の正体を知らない。けれどもリンが、情報は共有しておいた方が良いと申し出、レンにも呪術師の事を説明したのだ。絵名は呪術師の守秘義務とは、と思ったが、しかし彼らはバーチャルシンガー。そもそも人間ではない。対象外だろう。いざとなれば絵名の鶴の一言でなんとかなる。なんとか、なってしまう。

 

 事の顛末を聞いたレンは、見るからに顔を青くした。当然だろう。自分の側に居る人間が、明日も分からない命なのだから。

 

 けれども絵名は笑った。大丈夫だ、と。屈託のない笑顔で、レンを安心させたのだ。絵名はレンに、そんな顔をして欲しくなかったのだ。

 

「そうだ、みんなにこれを持ってきたんだ」

 

 絵名はそう言って紙袋をリンに手渡す。それを受け取り、リンとレンは同時に首を捻る。

「これは?」

「仙台名物の喜久福。学校の先生のおすすめ。私も食べてみたけど、凄く美味しかったのよね。この前仙台に出張に行った時に買ったのよ。みんなにも食べて欲しくてね」

 

 そう言って絵名は微笑む。これは五条が好きな大福だ。絵名も気になって食べてみたが、甘いものが好きな絵名としては頬が蕩けそうな程に好みだった。そして思ったのだ。この美味しさを誰かに共有したい。誰かに食べてもらいたい。そこで丁度仙台に出張が入っていたので、お土産として買ってきたのだった。

 

 運が良かった。そして任務の間の短い時間、わざわざ店舗に行って買ったのだ。其処迄補助監督の人間が送ってくれたのだが、それを許してくれる人間で良かったなと、心から思うのだ。

 

 それもあったからか、渡した絵名の顔は何処か誇らしげだ。

 

「……奏ちゃんたちには良いの?」

「大丈夫、ニーゴのみんなには別に買ってるから。気にせず食べて」

 

 それを聞いて、レンは漸く安心した様に笑う。相手が喜んでくれるなら、渡した甲斐があると言うものだ。リンも顔には出していないが喜んでいるらしい。いつもより動きが忙しない。

 

 食べる時、よければいいお茶でも持ってこようかなと、絵名は内心で思っていた。静岡県に行った際、美味しそうで作業のお供にと衝動買いした茶葉がまだ残っていたはずだった。それを渡したらなお喜んでくれるのだろうか。そう思うと、絵名は何やら楽しみになってきたのだ。

 

 後ろから足音がする。静かな空間。リンとレンの話し声しか聞こえない空間に響く難い足音。絵名は臆する事なく振り返った。この足音は知っている。重く、しっかりした足音はこのセカイでたった一人しかいない。

 

「あら、カイト。久しぶりね」

「……チッ」

 

 青髪の青年──カイトは、絵名の姿を見た瞬間、吐き捨てるように舌打ちをした。カイトが何に対して腹を立てているのか分からなかったが、こうもそう言う態度を取られ、絵名は内心ムッとした感じになる。確かに最近は寛容になったが、矢張り腹が立つものは腹が立つのだ。

 

「人の顔を見て舌打ちなんて、随分ご挨拶じゃないの。レン、その大福、カイトの分まで食べて良いわよ」

「別に要らん」

「はあ? あんたね、そこは下さいって言うもんじゃないの? ほんっとこいつって……」

 

 絵名はまるで野良猫の様にカイトに突っかかる。

 

 売り言葉に買い言葉である。絵名も本気でカイトが嫌がっているとは思っていないのだが、それでも口に出してしまったらもう止まれない。絵名は、ある種で素直な性格なのだ。

 

 そこで助け舟を出したのが、傍観していたレンだった。

 

「カイト、絵名ちゃんが折角買ってきてくれたんだよ。有り難く食べようよ。ね?」

「……ふん。まあ、貰っておく」

「はいはい。素直じゃないんだから」

 

 そう言って絵名は笑う。本当に、何処かの誰かとよく似ていた。

 

 カイトは喜久福をまじまじと見る。

 

「これ、随分高そうだが」

 

 絵名は目を丸くして首を傾げる。みんなに買わなければと思い、衝動で買ったのでそう言うのは考えてなかったのである。払うのも、結局カードの上、その後の金銭事情は悲鳴を上げていないのでそれは大丈夫だろう。

 

「そうでもないわよ。三十個入りだから、一人五個ずつね」

「一体幾らだ」

「そうね、4018円だったわよ。そんなに高くないわよ。一個123円だし」

 

 その場に沈黙が流れる。絵名はそれが分からなく、三人の顔を見渡す。何か、失言でもしてしまったのだろうか。

 

 絵名はあまりに長い沈黙に、焦り出す。失言をしてしまったのなら謝らなければいけないのだが、いかんせん何が悪かったのか、皆目検討もつかないのだ。

 

 頭を回転させ、思考をしている中、最初に口を開いたのはカイトだった。

 

「……これを、複数買ったのか?」

 

 カイトは眉間に皺を寄せ、絵名に詰め寄る。絵名はそれにつられ後ずさった。しかし背中のオブジェがそれを阻止する。一気にカイトとの距離が近くなり、カイトの怒顔が目の前に迫る。

 

「う、うん。まずニーゴのみんなにでしょ。あとは愛莉たちとか、彰人とその友達に、あとは学校の友達に……。な、何よ! そんなに悪い!? お土産よ!? 感謝されこそすれ、悪く言われる覚えはないわよ!」

 

 訳の分からぬ怒りをぶつけられ、遂に絵名は堪忍袋の尾が切れた。

 

 自分はそんなに悪い事をしただろうか。お土産あげることがそんなに悪い事なのだろうか。そんな事はない筈だ。

 

 絵名の中に、沸々と怒りが湧いてくる。

 

「カイト。絵名が怖がってる。近づかないで」

 

 リンはカイトの服を引っ張り、制す。しかしリンの非力では、大人の男であるカイトを離す事は出来なかった。

 

 一体なんなのだ。なんで自分はこんな責められているのだ。こんなんだったらあげなければよかった。

 

「カイト、ちゃんと言葉にしないと、伝わらないわよ」

 

 カイトの後ろ、つまりは絵名の眼前から、機械音に乗せた凛とした声が聞こえる。

 

 その声を、絵名は知っていた。

 

「メ、メイコ……」

 

 茶髪の大人びた女性。同じくバーチャルシンガーであるメイコだった。

 

 メイコは普段絵名たちに干渉しない。一歩下がり、皆を見守る役割に徹している。しかし今、この瞬間、メイコは絵名とカイトに干渉した。

 

 自ら出向き、言葉をかけたのだ。

 

「絵名の事、心配したんじゃないの? 自分たちの為に、無理をしているんじゃないかって。でもカイトは受信力がないから、そんな言い方しか出来ないのよね」

 

 メイコにそう言われ、カイトは短く舌打ちをしながら絵名から離れる。

 

 自分の為。そう思うと、絵名の中にある憤怒の感情は、まるで泡沫のように消えていくのがわかった。

 

 そして怒りが一切消えた絵名の中には、少しの照れ臭さが残ったのだ。

 

「ほ、本当なの? カイト」

「……勝手に解釈していろ。俺はもう行く」

 

 そう言って、背を向け歩き出す。しかし絵名は、その腕を掴んだ。

 

 伝えたい事が、あるのだ。

 

「し、心配してくれて、その、あ、ありがとうね。でも、無理は一切していないから。自分のやれる範囲で、ちゃんとしてるから。その、だからこれからも受け取ってくれると……嬉しい……です」

 

 段々と声が小さくなり、顔も下がる。けれど依然としてカイトの服を握っている手を、離そうとはしなかった。

 

「……勝手にしろ。それに、その、俺も悪かったと思ってる」

 

 そう言ってカイトは顔を逸らす。それが何を意味するのか、絵名は充分に理解ができた。絵名は思わず顔を綻ばせる。

 

 絵名とカイトの確執は、メイコの助け舟によりなくなったのであった。

 

 そして絵名の手が緩んだのを目敏く感じ、その隙に何処かへ行ってしまった。しかしそれすらも、絵名は可愛く思えてしまうのだ。

 

「まったく、素直じゃないんだから。ま、私も同じか」

 

 そう言ってメイコと向き直る。その顔には屈託のない笑みが浮かんでいた。メイコもその顔を見て、一息つく。

 

「メイコも有り難うね。メイコが来てくれなかったら、あの地獄の空気がずっと続いてしまうところだったわ」

「礼なんていいわ。私は自分がするべき事をしたまでだもの」

「かっこいいわね」

 

 堂々としているメイコを見て、絵名は尊敬の念が生まれる。自分も、こんな大人になりたい。そう思ったのだ。

 

「そろそろ戻るね。ミクやルカにも宜しく伝えておいて」

「うん。絵名ちゃん、また来てね」

「でもしょっちゅうこられても迷惑だから」

「はいはい。あんたも素直じゃないわね」

 

 絵名はリンの捻くれに思わず笑ってしまう。カイトもだが、リンもリンで素直ではなかった。けれどそれはとても愛おしかった。姉気質のある絵名は、こういう庇護欲を醸し出す人間に弱いのだ。

 

 そして絵名は『悔やむと書いてミライ』を一時停止して、セカイから去る。

 

 瞬きをした瞬間、いつもの部屋に戻ってきた。床には画用紙が散らばり、スケッチブックも散乱している。シンナーの匂いが、部屋には染み付いている。

 

「さて、私もそろそろ寝ようかな」

 

 片付けは、明日にしよう。今は取り敢えず眠かった。バーチャルシンガーたちに会って安心したからなのか、十時間ぶっ続けで書いていたツケが回ってきたのだ。絵名の体は今悲鳴を上げていた。

 

 けれども後悔はなかった。新しい後輩にも会えたし、何よりリンたちにずっと渡したかったお土産も渡す事が出来た。疲れてはいるが、今日は本当に恵那にとって充実した一日になったのだ。

 

 ベットに潜り込み、目を閉じる。いつもなら暫くは寝れないのだが、疲れている所為で意識が遠のいて行く。

 

 そして絵名は十秒も経たずして意識を手放した。

 




●じゅじゅさんぽ

リン「それにしても、絵名って最近高いものばかり買うよね。本当にお金大丈夫?」
絵名「ああ、そのことね。大丈夫……と言うより、意識して使ってるって感じかな?」
リン「? どう言うこと?」
絵名「これ見て」
リン「これって……。通帳? 何を……あ。えっと……、え?」
絵名「すごい額でしょ。特級ってだけでこれよ。しかもその上東雲家の財産もあるから。またこれとは別に貯金もあるの」
リン「なんか……此処迄くるとなんか怖い」
絵名「ね。だから私の為にあんたらに使わせて」
リン「……しょうがないな」
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。