長い廊下を只管走る。空気を出し入れしている肺が悲鳴を上げていた。脳ですらも上手く酸素を循環できていない。しかしそんなものは今の絵名にはどうでも良い事だった。
そしてとあるドアの前に立ち、コンマを置く暇もなく、そのドアを乱暴に開けた。廊下が薄暗かった所為もあり、中の電気が目を刺激する。
中から漂ってきたのは薬品の匂いと後は──血の匂い。
「五条、先生。悠仁は……!?」
絵名は流れ込む様にして室内へ入る。そこは手術室を想起させるような、無機質な空間だった。どこそこが錆びついていて、清潔とは言い難い。
五条は無言で指を刺す。その方向に、絵名はゆっくりと顔を向ける。
手術台の上に、布をかけられた
それがなんなのか、理解出来ない程、絵名は愚かではなかった。
「……ぁ」
か細い声が漏れる。そして勢い良く膝から崩れ落ち、地面に手をついた。膝にきた衝撃が激痛となり体を襲った。しかしそれを考えられる程冷静ではいられなかった。
目の前がぐるぐる回り、吐き気が襲う。
どうしてこうなってしまったのだろう。
何を間違えたと言うのであろう。
守ると決めた直後にこれである。
「どうして……。何があったの?」
絵名のか細い呟きは、部屋に響いた。広い手術室の為、嫌に反響する。そしてそれに答えたのは冷や汗を流している伊知地だった。
「実は特級の調査に一年生が派遣され、それで──」
「ちょっと待ちなさい。どれはどう言うこと? 特級相手に一年生の派遣はありえないでしょ」
「は、はい! おっしゃる通りです! 申し訳ございません!」
「あ……いや、伊知地さんを責めてる訳じゃ……。ごめん、強く言い過ぎた」
絵名は少し反省する。自分が悲しいからと言って他人に八つ当たりして良い道理はない。そもそも伊知地は〝上〟からの指示で現場へ送ったのだ。伊知地が責められる言われはない。
「きっと上層部だろうね」
「は?」
五条の言葉に、絵名は言葉を漏らす。その声は地を這う様に低く、伊知地は思わず背筋に冷たいものが走った。それはかつて絵名が友人の怪我がきっかけで暴走した時を想起させたのだ。
けれども絵名は暴走するでもなく、静かに五条を見ている。
「きっと悠仁の処刑延期が気に食わなかったんだろう。だから特級をあてがって殺させた。まったくむかつくよねー」
虎杖の死刑は、いわば無期限の執行猶予だ。勿論上層部はそれに反対をした。けれども絵名は半ば強引に決めたのだ。その結果が
「……ごめん。席を外す。硝子さんの解体が済んだら携帯で連絡して」
「あ、絵名様……」
伊知地の言葉を待たず、絵名は早々に部屋を出る。どうしても一人になりたかったのだ。
廊下を歩く。一歩踏み締める毎に虚しさが襲ってくる。そして壁に寄りかかり、蹲み込んだ。蹲っても罪悪感は消えやしない。
虎杖の顔が思い浮かんでは消えていく。あんなに優しい彼が、何故死ななければいけないのか。どうしてこんなことになってしまったのか。考えれば考える程、気持ちは沈んでいく。
ポケットから携帯が落ちる。慌てて拾い上げる元気もなく、ただゆっくりと体を動かす。幸い画面に罅は入っておらず落ちた拍子に電源が付いたのか、青い光を放っていた。
ふと、音楽のアイコンが目に入る。それは我らがセカイの『悔やむと書いてミライ』だ。
本当に無意識に、絵名はその項目をタップしていた。
眩い光に包まれる。そして目を開けると、見知ったセカイが広がっていた。
此処では、いくら泣いても誰も来ない。そう思ったのだ。
暫く歩く。しかしその足取りは覚束なく、右に行ったり、左に行ったりと。そして鉄骨のオブジェにぶつかり、其の儘蹲る。
『俺、先輩の絵めっちゃ好きっす!』
そう言った彼は笑っていた。
「……あ」
『うっまー! 東京のパンケーキってこんなにおいしーんすね!』
そう言った彼は美味しそうに口に頬張っていた
「……あぁ」
『おれ、先輩と会えてスッゲー嬉しいっす!』
そう言った彼ははにかんでいた。
「……ああぁ」
『だから、多分俺は幸せ者っすね!』
「あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
あああああぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
体を抱き抱えるように、座ったまま額を地面につける。そして喉がはち切れんばかりに叫んだ。喉が痛い。息が苦しい。目の前が霞む。地面に雫が落ち、水滴が床を濡らす。
今更になって、膝が痛くなってきた。しかし絵名は叫び続けた。溢れ出る悲痛を、収める方法を知らない。だからこんな風に決壊してしまうのだ。
涙が止まらない。次から次へ溢れ出て、頬を濡らす。
嗚咽が止まらない。喉が痛いはずなのに、叫ばずにはいられなかった。
本当は助けたかった。死なせたくなかった。出来る事なら両面宿儺と虎杖を切り離す方法を考え、そして其の儘普通の人間として生きて欲しかった。そして人間として抱きしめたかった。骨が折れるくらいに強く抱きしめて、頭を撫でたかった。「今まで辛かったね」と、慰めてやりたかった。だけど、もう全部が遅い。全てが手遅れだ。
「え、絵名!?」
叫び声を聞きつけてなのか、ミクやリン。他のバーチャルシンガー達が急いで絵名の方へ駆け寄る。しかし絵名はそれが見えていないかの様に叫び続けた。もう、声も枯れていた。
「落ち着きなさい! 何があったの!?」
メイコは暴れる絵名の両腕を掴み拘束する。しかしそれで絵名は落ち着けなかった。優しくされればされる程、絵名の中にある罪悪感は肥大化していった。
分かっている。こんな事をしても虎杖は戻って来ないと言うことは。しかし、絵名はもう止まれなかった。その涙を止める術を、持ち得ていなかった。
そして次第に過呼吸を起こし、頭までぼうっとしてきたのだ。他のバーチャルシンガー達も流石にやばいと思ったのか、顔色が悪くなる。
「絵名!」
リンはそう叫び、絵名を強く抱きしめる。絵名より小さい体は絵名の体を包み込み、強く、骨が折れるくらいに抱きしめた。
「大丈夫。大丈夫だから。きっと虎杖悠仁は──幸せだったと思うよ」
幸せ。
幸せ?
本当に幸せだったのか?
絵名はそう思えなかった。自分がいつ死ぬかも分からない状況で、幸せな訳がない。それに虎杖の死刑を決定した張本人だ。目の前に現れて、機嫌が良い筈がない。自分だったら呪っている。
「絵名、絵名の中の虎杖悠仁は、どんな顔をしてる?」
絵名は頭の中で虎杖の顔を思い浮かべる。そのどれもは──。
『俺、先輩と会えてスッゲー嬉しいっす!』
笑っていた。
「う、うわぁ、あああああああああ!」
また、叫んだ。けれどもそれは先程の悲痛な叫びではなく、ただ感情に任せた、悲しみの叫び。
暫く、絵名は泣き続けた。リンにしがみつきながら、包まれながら。子供の様に泣き続けた。
会った時間は然程長くはない。けれども絵名の中に、虎杖はちゃんと存在していた。大切な後輩として、そこに座っていた。だからこそ悲しいのだ。
居なくなって悲しい。この気持ちは絶対に忘れてはならない。何故ならそれは絵名が虎杖を大切にしていた証なのだから。
だから泣く。
虎杖が此処に居たのを証明する為に、泣き続ける。
一時間はたっただろう。絵名は落ち着き、鼻を啜っていた。絵名の背中をミクが摩り、側にはメイコ、ルカ、カイト、レンが座っていた。絵名に寄り添う様に、ただ黙って。それがあまりにも、嬉しかったのだ。
「なんか、みんなありがとうね。あと、ごめん。こんな情けない姿を晒しちゃって」
「ううん。大丈夫。絵名が無事で良かった。それにしても、さっきの話は何? 誰か、亡くなったの?」
絵名とリンは目を見合わせる。そして絵名は頷いた。
此処迄醜態を晒しておいて、今更口を噤む訳にはいかなかった。それに彼女達は絵名の事情を知っている。今更の事だ。
リンは大まかに皆んなへ説明した。両面宿儺の事、それを取り込んだ虎杖の事、そしてその虎杖が先日死んだ事。それを聞いて、皆んなは顔を顰めた。そしてリンが説明している間に、絵名は上層部の事を考える。
恐らく上層部が虎杖に特級呪霊をあてがったのは確定だ。それも保守派の人間。楽巌寺あたりだろう。しかしそれを言及は出来ない。証拠がない。
本来ならば、一年生に割り当てられる呪霊ではない。いくら二級術師である伏黒がいたとしても、それは変わらない。あてがうとしたら精々一級呪霊だろう。
絵名は段々と怒りが込み上げてきた。上層部の陰湿さが、腹が立つのだ。
そして何より腹が立ってならないのが、絵名にヘルプが行かないように、遠くの出張をあてがっていたところだ。そこがあまりにも陰湿で、我慢がならない。今すぐ乗り込んで殴りたかった。
けれどもそれは出来なかった。
絵名は東雲家当主。そんな感情に任せた行動は、信用問題に関わるのだ。以前の絵名なら後先考えずに本能の赴くまま行動していただろう。しかし昔と今とでは立場も状況も違う。
考えて行動せねば、虎杖に合わす顔がない。
「両面宿儺って、何?」
ミクの言葉でハッと我に帰る。その方向を見ると、ミクは首を傾げていた。当然である。急に特級呪霊が、なんて言われても、何も知識もない人からしたら何を言っているかさっぱり分からないだろう。
今度は絵名が前に出て喋る。
「千年前に活躍していた呪術師よ」
「え? 人間だったの?」
「一応ね」
レンの言葉に絵名は頷く。これは絵名も初めて知った時は驚いたのだ。名前からして呪霊を想起させそうだが、なんとその正体は歴とした人間の呪術師だったのだ。
「呪術全盛の時代、呪術師が総力を持ってしても勝てなかったとされる史上最強の呪術師よ。死後も尚世界を脅かす〝呪いの王〟として恐れられているわ」
「絵名みたいな?」
ルカは悪戯っ子の様な笑みで絵名を見る。絵名は頬を膨らませ、拗ねたように吐き捨てる。
「もう、揶揄わないでよルカ。あの時は本当に我を忘れていただけだから。それにいくら私でも五条先生や両面宿儺には勝てないわよ」
そうだ。あの時の絵名は正気ではなかった。だからこそその分のバフがかかり、本来よりももっと強い力が出せたのだ。本来ならばシラフで出せれば良いのだが、いかんせん絵名はまだその領域に達せていなかった。
「話を戻すわよ。そして死後、二十本の指の屍蝋が特級呪物として残されたのだけれど、当時の呪術師はあまりの強力な呪力に当てられて封印する事が出来なかった。其の後散逸して、日本中にばら撒かれてるわ。そしてその内の一本を、私の後輩である悠仁が取り込んで、彼を器にする形で復活した。そして今に至る。どう? 分かったかしら」
絵名の解説に、一同は沈黙した。解り難かっただろうかと、みんなの顔を覗き込むが、その顔はどこか深妙だった。
「……それは、少し──いえ、だいぶまずい状況じゃないのかしら」
「そうね。なんせあの両面宿儺が復活しちゃったからね。文献によると、恐らく三日あれば世界を滅ぼせるんじゃないかしら」
絵名は後学の為に実家の蔵にある書物を全て読み漁ったのだ。その数は優に千を超えており、読むのに苦労をしたのだった。途中で投げ出して帰りたいと何度思ったかしれぬ。
「でも、悠仁はもう亡くなったし、両面宿儺が出て来る事はもうないわよ。そこは安心しても良い。リンも、ありがとうね。後は私でどうにかするから」
そう言って絵名は伸びをする。そうだ。虎杖が死んだからといってそれで終わりではない。絵名にはまだ残された仕事がまだ沢山あるのだ。いつまでも感傷に浸っている訳にはいかない。
けれどまあ、悲しいのは本当なのだが。
「あれれ? みんなお揃いで。やっほー」
明るい、軽快な声が響く。振り返ると、薄桃色の髪が目に入る。
──暁山瑞希だ。
「瑞希。いらっしゃい」
「はい、いらっしゃいました。それにしても絵名、なんか暗くない? お通夜みたーい……いっだ!?」
リンに脇腹を殴られ、瑞希はよろけた。
「不謹慎な事言わないで。本当に人一人亡くなってるんだから」
「え?」
瑞希はリンの言葉に首を傾げる。なんの事だがさっぱりだという顔だ。
「一年の子が、昨日亡くなったの。任務でね」
リンに言われ、瑞希の顔がみるみると青くなっていく。
「ご、ごめん絵名! そんな事とは気づかないで、ほんとごめん!」
「別に気にしてないわよ。大丈夫。あんたが知らなくてもしょうがないでしょ?」
絵名は呆れたようにそう言った。内情を知っているとはいえ、瑞希は部外者だ。知る由もないし、だからこそそんな配慮は不要なのだ。
しかし瑞希はそうでもないようで、ワタワタと焦っているのをメイコに宥められていた。本当に、気にしなくて良いのにと心の中でぼやく。しかしそれは瑞希の優しさの証拠でもあるのだ。
「じゃあ、新宿に新しくできた和食処奢ってもらおうかしら。それでちゃらね」
「え? ちょっと待ってて、それって…………ちょっと! これ一人二万くらいするじゃん! 無理無理! こんなの絶対に払えないって!」
「じゃあ許さない」
「ええ!? ちょ、勘弁してよ!」
「ふふ、嘘よ」
そう言って、絵名は笑う。そして目を伏せ虎杖を思い返す。
そうだ。彼の為にも止まってられない。強くならなければいけない。
もう、彼の様な人間を作らない為にも。
大切な人を、守る為にも。
●じゅじゅさんぽ
瑞希「でも、申し訳ないからなんか奢るよ。てか奢らせて!」
絵名「本当に良いのに……じゃあ分かったわ。お言葉に甘えるとしますか」
瑞希「どこ行きたい? どこでも良いよ」
絵名「叙々苑」
瑞希「……もうちょい学生に優しい所がいいです。あの、この間鉄板焼きのもみじを奢って痛い目見たから。その後の月本当に苦しかったから」
絵名「何よ。何処でも良いって言ったの瑞希じゃない。しょうがないわね。うーん、あ、ナベノイズム」
瑞希「御免なさい」
絵名「きた福」
瑞希「すみません!」
絵名「いし橋」
瑞希「サイゼリヤで勘弁してください!」
結局瑞希の貯金は絵名の胃袋へ全て消えましたとさ。