絵名は校舎を歩いていた。いつもの制服姿ではなく、動きやすそうなジャージ姿である。片手にはスマートフォンが握られている。
窓の外にはグランドが見える。其処には己の同級生と後輩が切磋琢磨して訓練に励んでいる。世の様子を見て、絵名は笑みを溢す。
そうして、絵名は皆がいるグランドへ向かうのだった。
◆◆◆◆◆
物同士のぶつかる音が、空に響く。グランドでは、伏黒と真希が呪具を使った体術訓練をしていたのだ。絵名は外に出て壁にもたれながらそれを暫く眺める。真希は言わずもがな、伏黒も男と言うこともあり、体捌きがものになっている。
絵名は呪具は専門外なので、羨ましい限りだった。
絵名とて小刀という呪具を使っているが、それでも限定特化型のみで、彼らのように複数の武器を扱えるかと言ったらそうではない。体捌きなどはもってのほかである。呪力による
ふと、横に視線をずらす。其処にはジャージ姿で座ってその訓練を眺めている狗巻の姿があった。
絵名と狗巻は仕事の関係で暫く喋っていなかった。どころか、顔すらも合わせていない。だからこうやって顔を見るのは久しぶりなのだ。
遠目でもわかる。狗巻の顔の良さ。人形みたいなその顔は、今は絵名を見ていなかった。
少し、緊張してしまう。
久しぶりに会った狗巻は、何処かいつもとは違う雰囲気があった。いや、それは絵名の目線故かもしれないが、それでも顔を見るだけで、鼓動が速くなる。けれど後輩を前にしている狗巻は、先輩の顔をしている。それをギャプと言うのだろうか。
狗巻も、寂しいと思ってくれているだろうか。会った時、嬉しそうな顔をしてくれるのだろうか。そんな疑問が、絵名の頭の中に浮かんでは消えた。
『絵名行かないの?』
スマートフォンから顔を出し、リンが問いかける。
「まあ、行きたいんだけどね。どうも緊張しちゃってね。だって喋るの久しぶりなんだもの」
絵名はそう言って気不味そうに頬を掻く。
特級になってから、狗巻たちと喋る回数は極端に減ってしまった。今は繁忙期という忙しい時期な上、絵名は西へ東へ北へ南へと飛び回っているため、そもそも高専に居る事自体少ないのだ。
考えてみれば当たり前だった。
一人はアフリカ。一人は任務も受けず世界旅行。そしてもう一人は故人。今日本でまともに機能しているのは五条と絵名の二名のみだった。忙しいのも頷ける。九十九由基あたりも協力してくれないかなと絵名は思うのだが、そもそも九十九は高専の趣旨とは方向性が違う為、あまり仕事を受けたがらない。よって必然的に五条と絵名に皺寄せが来るのだ。これに関しては、仕方がないと割り切っている。
それでも会えないのは寂しいもので。絵名のストレスは極限まで達していたのも事実だ。寝不足も相まり、肌の調子も最近悪い。それもあって絵名の気持ちは落ち込んでいた。
しかし、彼らの顔を見たら、そのストレスが引いていくのがわかった。我ながら単純だと、心の中で失笑する。
まあ、今一人だけ外国に行っている乙骨に比べたらなんてことはないのだが。あれはあれで少々可哀想だった。特に同級生が大好きな乙骨にとって、友達と会えないのは何よりもストレスだろう。しかもその上知らない人との海外旅は、労力を使うだろう。
考えると、絵名は乙骨が哀れに思え、心の中で合掌する。
そんな絵名の気持ちを知ってか知らずか、リンは絵名をジト目で見る。
『でも、こんなところで油打ってていいの? 交流戦まで一月半半だよ』
「う。分かっているわよ」
そう言って、絵名は重い腰を上げる。ここで考えあぐねていてもしょうがない。やっと出来た時間なのだ。かのままでは無駄に時間を消費してしまう。彼らはまだ攻防戦を繰り広げていた。
暫く歩き、グランドに出る。
そして絵名の足音に気が付いたパンダが、体を捻らせ振り返った。
「おう。絵名じゃねーか」
「やってる? 頑張ってるじゃないの」
絵名は出来るだけ平然と答えた。片手を挙げて、挨拶をする。
釘崎も、狗巻も振り返り、菫色の瞳を見開いて驚きの表情を見せる。
「あ! 絵名先輩! お疲れ様です!」
野薔薇は満面な笑みを絵名に見せる。その様子が懐いている子犬みたいで、あまりにも可愛かった。絵名は思わず笑みを溢す。元々姉気質な為、年下のこういう顔には弱いのだ。
「お疲れ様、野薔薇ちゃん。訓練どう?」
「マジで死にそうです。パンダ先輩なんて繰り返し繰り返し私をぶん投げるんすから」
そう言ってジト目でパンダを睨む野薔薇。パンダは「そんな見んなよ。照れるだろぉ」と言いながら体をくねらせていた。野薔薇はそれにムカついたようで、己の呪具である金槌を勢いよく投げてた。しかし、それはパンダに当たる事なく地面を抉ったのである。その姿を見て絵名は慈愛の情と共に苦笑する。
どうやら一年と二年は仲良くやれているらしかった。
まあ、この狭い
彼らは本当にさっぱりしていた。その居心地は、絵名にとって心地良いものだった。
「あ、東雲せんぱ──ぐぇ!」
伏黒は此方に気付いたのか、顔を絵名の方へ向ける。しかしそれが運の尽き。真希が使っている長物の棒が伏黒の頬に当たり、盛大に地面へ転がった。酷い音がしたが、骨は折れていないだろう。真希はそれをムッとした表情で見ていた。
「よそ見してんなよ恵。今ので五回は死んでるからな」
「今の一撃で五回分の攻撃があったというんですか……」
伏黒は頬を摩り、ゆっくり立ちながらか細い声でそう言った。どうやら今の勝負は真希の勝利で終わったらしい。
「──こんぶ」
「あ、棘くん。棘くんもお疲れ様。どっか怪我とかしてなあい?」
絵名がそう言うと、少し明るい口調になりながら「おかか!」と言った。絵名に心配されたのがよほど嬉しかったのだろう。頭とお尻に犬の耳と尻尾が見えた。狗巻だけに犬の様だ──と、絵名は心の中でそんなつまらない親父ギャグを呟き、吹き出した。
思わず頭を撫でる。狗巻のこういう少し子供っぽい所が、絵名は好きなのだ。甘やかしたくなる。そうすると絵名の幻覚である筈の尻尾が、これでもかと言う程振っているのが見えた。
何か分からぬ庇護欲が唆られるのだった。
◆◆◆◆◆
釘崎は頭を撫でられている狗巻と撫でている絵名を交互に見つめていた。あの二人の距離感が、釘崎から見たら少し異常だったのだ。
横に立っている伏黒に、耳打ちをする。
「ねえ伏黒。あの二人って、どう言う関係?」
耳打ちされた伏黒は少し身を寄せて釘崎の言葉を聞く。伏黒は理解したらしく「あぁ」と声を漏らした。
「付き合ってんだよ、あの二人」
「え!?」
伏黒の言葉に、釘崎は思わず目を見開いて二人を見る。確かに距離は近い。恋仲だと言われても納得するだろう。特に狗巻の方は絵名に対してハートを飛ばしている様に見えなくもない。絵名も狗巻に対して満更でもなく受け入れていた。
けれどあの構図は恋仲と言うより──
「……飼い犬と飼い主じゃない?」
「………………」
伏黒は無言で肯定する。
絵名に向かって尻尾を振っている構図は、どこからどう見ても犬だ。絵名も元々姉気質なところもあり、それを快く受け入れているあたり、その認識を助長させていると言っても過言ではない。
けれどそこら辺のカップルとは違うように、彼らの間には言葉には出来ないくらいの強い、強固な絆が見えた。
どちらかと言えば見ていて恥ずかしいカップルではなく、ほのぼのするカップルだ。釘崎は二人を見て、どこか暖かい気持ちになった。それは二年も同じのようで二人を優しい眼差しで見守っている。
「よし。絵名も来た事だし、再開すっぞ。絵名。まず私が相手だ」
「え。真希と? 負けるから嫌なんだけど」
そう言って絵名は渋い顔をした。
絵名は存外、自己肯定感が低い人間らしい。基本的に相手を自分より上に位置させている。その証拠に、真希の申し出を顔を歪ませ、渋っていた。
絵名の術式や戦い方を見たことはないからなんとも言えないが、それでも絵名は特級だ。そこら辺の術師よりは圧倒的に強いだろう。しかし絵名の自信のなさは滲み手でしまっている。釘崎はそんな絵名の事はよく理解できていなかった。
「あ? もしかしてこえーのか?」
「は?」
絵名の雰囲気が一瞬にして変わる。対して真希はしたり顔で絵名を煽った。
「しょーがねーよな。絵名は特級でも呪術師になってまだ日が浅いもんな。悪かったよ、無理難題押し付けちまって」
「……に……って」
「あ? 聞こえねーよ」
絵名は俯きながら、何か呟く。釘崎にもそれは全く聞こえずに、身を乗り出し聞き耳を立てた。
すると絵名は勢い良く顔を上げる。その顔は怒りが現れており、涙目にもなっていた。
「馬鹿にしやがって! 良いわよ! やってやろうじゃないの! 特級の恐ろしさ教えてやる!」
そう言って絵名は前に出る。それを見ているパンダや棘から野次が聞こえた。横に居る伏黒は手を額に当てて呆れていた。
「単純すぎるだろ。東雲先輩。つーかどっかで見たことがある光景だし」
「何? 先輩、あれが通常運転なの?」
「あぁ、東雲先輩は超が付く程負けず嫌いなんだよ」
「へ、へぇ」と釘崎は少し身を引きながら溢した。絵名の新たな一面を垣間見た気がしたのだ。今まで気前の良い、優しいお姉さんという認識があった為、今の様子は新鮮だった。
極端な自己肯定感の低さ。だけれど超の付く程負けず嫌い。その一見矛盾した性格は、きっとどこかしらで辻褄があっているのだろう。
逆に自己肯定感が低いから負けず嫌いと考えれば、納得もいく。どちらにしろ、己に自信はないのだろう。
しかし、自信のなさは逆に言えば謙虚と言うことだ。驕っているより遥にマシだろう。
釘崎は、真っ直ぐと絵名を見つめる。
絵名は真希と対峙している。釘崎はその勝負の行く末を見守るのであった。
◆◆◆◆◆
「うぅー! 悔しいー!」
「たかな」
暫く経ち、絵名は自動販売機が設置されている休憩所で地団駄を踏んでいた。その横で狗巻はコーラを飲みながら嗜めてた。
先程の勝負では、見事に絵名は惨敗をしてしまった。元々体術を得意としない絵名だが、それでも悔しいものは悔しいのだ。特に絵名は元来負けず嫌いな性格だ。後輩の前でコケにされて、そのプライドはズタズタにされた。しかもその上後輩の釘崎と伏黒にフォローをされたのだ。それも相まって、絵名の荒れ具合は相当のものだった。
しかし、それでも絵名は真希を恨むことはしなかった。全て己が弱いのがいけないと思っているのだった。
「私だってもっと本気を出せばもっと出来るんだからね!」
「しゃけしゃけ」
そう言って狗巻は絵名の頭を撫でる。まるで慰める様に、元気付ける様に。絵名は外方を向くが、それでも顔は満更でもなさそうだった。狗巻の大きな手は、絵名の頭を覆う。いつの間にか絵名の中にあったぐちゃぐちゃした感情は綺麗さっぱり無くなっており、代わりとでも言うように一気に気恥ずかしさが込み上げてきた。
久しぶりの二人の時間。そう考えるとなんだか恥ずかしくなったのである。けれど頭に置かれた手はなんだか安心出来るものがある。
ぽすんと、絵名は狗巻の肩に頭を乗っける。狗巻は狼狽えて手をばたつかせているが、絵名は知らぬふりをし、狗巻に体重を乗せる。
「め、明太子……!」
「ごめん棘くん」
狗巻の言葉を、絵名は遮る。その声はどこか、掠れていた。
「もう少し、このままで」
そう言われ、狗巻はばたつかせていた手を大人しく引っ込めた。そうして、椅子に乗せてい手袋をしている絵名の手に、狗巻の手が乗る。感覚はわからないが、それでも己より大きな手が、安心できた。
絵名は其の儘目を伏せる。その目には、少しだけ涙が滲んでいた。
ここ数日は、本当にストレスが溜まっていた。
後輩の死、上層部との意見の食い違い、そして突然出てきた特級呪霊の報告。その他諸々。その上イラストの締切。全てが絵名を襲った。いくら自分で決めた事とは言え、それでも行き過ぎたら負担にもなる。
呪術師の総括という立場は、十七歳というまだ子供の絵名には、潰れそうな程、重たいのだ。
そしてそのストレスは、もう頂点に達していた。
けれども狗巻の傍は、何かと息がしやすかった。息がしやすく、そして一人の人間に戻れる。そんな気がするのだ。
だからこの瞬間は、呪術師の元締めの東雲絵名ではなく、ニーゴのえななんでもなく、たった一人の東雲絵名だった。それだけで、救われた気がした。
狗巻は、ただ黙って絵名に肩を貸していた。その優しさが、今はどうしようもなく嬉しかった。
熱い体に、冷たい風が気持ちいい。
今、この瞬間だけは絵名と棘の二人っきりのセカイだった。
●じゅじゅさんぽ
釘崎「絵名先輩って、なんか五時からパタリと居なくなると思うんですけど、どこに行ってるんですか?」
真希「あぁ、なんか月水金で絵画教室に通ってるって言ってたな」
釘崎「えっ、絵名先輩特級ですよね。そんな暇あったんですか?」
真希「時間を無理矢理にでも作ってるんだとよ」
釘崎「多忙ですね……」
真希「それだけじゃねーぞ。任務もこなして勉強もして、当主の仕事もこなしながらサークルの絵も担当してる。その上絵画教室とくりゃあ……」
釘崎「もはや人間じゃねー!」