母は心配をしていた。けれども俺は仮病を使い、学校を休んだ。
今日母は用事で夜中まで戻らない。父も遠くの地で個展を開いていて戻ることはない。
俺は母が出て行ったのを確認して、パーカーに着替える。その一つ一つの行動が、少し特別に思えた。
学校を休んでもう二日だ。
けれども矢張り、俺はそれのついて何も思えなかった。
「よう。順平」
「あ、彰人くん。おはよう」
東京から電車で三十分かけて、彰人は神奈川へやってきた。順平の家近くに訪れ、見つけたのだ。
その顔は窶れており、先の惨状がどんなに残酷だったか、想像するまでもなかった。
「真人さんから聞いたぜ。大丈夫だったか」
白々しい。そう思った。
順平は俯く。どうやら思ったより心に来ていたようだ。肩は震え、顔は歪んでいる。
「大丈夫……なように見える?」
「……あぁ、そうだな。悪かった」
心にも無い事を口にする。今の彰人には、罪悪感の欠片もなかった。
それから、二人は無言のまま目的地へ向かった。何方とも喋ろうとせず、二人の間には重苦しい空気が流れていた。その間に彰人は考える。自分がこれからどうすれば良いのか。
今の彰人の役割は安全に順平を里桜高校へ送り届ける事だった。
そしてその後はどうするか。それが問題だった。
恐らく虎杖悠仁は絶対に里桜高校に訪れるだろう。真人はその時を狙い、虎杖を襲撃し、宿儺に虎杖へ
そんなに上手くいくものか──と、呆れ雑じりにそう考える。
彰人は順平を送り届けた後、特にする事も無かった。真人とは協定を結んでいるとはいえ、傘下に入っている訳ではない。彰人はあくまでワンマンであり、真人とは対等な立場だ。それこそ、夏油と同じ様に。
だからこそ全て真人の指示通りとはいかないし、今回の件は真人が彰人にお願いした事だった。彰人は特に断る理由もなかった為に引き受けたのだが、後になってアレは貧乏くじだったのではないかと思わずにはいられなかった。
暫く歩き、漸く里桜高校に着く。校舎は至って普通という感じだった。神山高校とはえらい違いだ。
「俺はこの辺りで様子を伺ってる。なんかあったらすぐ呼べ」
彰人の言葉に、順平は力無く頷いた。
「うん。ありがとう。……えっと、その……」
しどろもどろな順平の態度に、彰人は首を傾げる。
「さっきは、ごめんなさい。強く当たったりして。心配してくれたのに……」
あぁ、その事か、と彰人は考える。
彰人は然程気にしておらず、何なら己に無神経な所があったのだと思っていた。
けれども順平には罪悪感と言うものがある様だった。
彰人は己とは真逆だなと、失笑するのだった。
「別に。お互い様だろ。俺も無神経だったな」
素直に彰人は謝った。すると順平は勢い良く顔を上げ、彰人の顔を見た。その顔には、どこか少しだけ明るいものが見て取れたのだ。それを見て、彰人は何とも不思議な気持ちになった。それが何なのか、彰人は知らなかった。
「……僕、今まで友達が居なかったんだ」
「あ? 何だよ急に」
彰人は思わず聞き返す。順平は目線を泳がせながら口を開いた。
「だけど、彰人くんとなら、仲良くなれそう……な気がする」
そう言った順平は、優しく笑った。
彰人はそれを見て、「そうかよ」と呟きながら外方を向く。何故か彰人は、真っ直ぐと順平を見れなかった。けれどそれは決して罪悪感などではない──と、自分では思っているのだ。
しかしこれはどう言う感情か、彰人は分からなかった。
分からないなら、考える事は無い。それは恐らく、どうでも良い問題だ。
そう思った彰人は、順平に別れを告げて其処を後にする。
背中に刺さる順平の視線が、嫌に不快だった。
◆◆◆◆◆
「──闇より出でて闇より黒く、その穢れを禊ぎ祓え」
真人の呪文により、上空から黒い物体が流れ出て、里桜高校を覆う。彰人はそれを黙って見つめていた。
「おー。できたできた」
「悪いね真人。私の残穢を残すわけにはいかないから」
二人の会話を、彰人はぼんやりと聞いていた。
別校舎の屋上。そこで真人、夏油、そして彰人の三人は
夏油はというと、いつもの袈裟姿ではなく、目立たない真っ黒なパーカーを来ていた。全くもって似合わない──と、彰人は思うのだった。
夏油と真人は二人で何やら頭の良さそうな話をしているが、元来頭の弱い彰人は二人が何を言っているのか分からないでいたのだ。それに彰人はこの件に関しては無関係ではないにしろ、ただ頼まれて行動しているだけだった。彰人の目的とはかけ離れている。
終点の、寄り道と思えば悪くはない。
「それより良かったの? あの指。貴重だったんでしょ?」
ふと、彰人が先日から気になっている話題を、真人は夏油に振った。彰人は少しだけ、聞き耳を立てる。
すると夏油はあっけらかんと言うふうに答えた。
「良いんだ。少年院の指はすぐに虎杖悠仁が取り込んでしまったからね。吉野順平の家に仕掛けた方は高専に回収させたい」
「……げ。まさか高専の為に俺をパシッたんスカ? 悪趣味っすね」
彰人は怪訝な顔つきになりながら夏油にぶうたれる。アレは最終的に回収するものだと思っていたから尚の事不平を感じる。
「君は良い仕事をしてくれたよ。お手柄じゃないか」
そう言って撫でようとする夏油の手を、彰人は顔を顰めて振り払う。子供扱いされる謂れはないのだ。それに夏油に褒められても、何も嬉しくなかったのである。
「それで、ちゃんと報酬は弾むんすよね。じゃないと俺、リスク負って吉野順平宅に近づいたりしないんすから。それに予想外の介入もあったし、何よりどっと疲れた。俺まだ疲れが取れてねぇんすから」
「分かってるよ。それなりのものを期待しておいてくれ」
そう言って笑う夏油を、彰人は信用出来ないでいた。前に同じ様にパシリに使われた挙句、報酬として渡された呪具が、使い道のない
今度また我楽多を渡された際は投げ捨てて別を要求しようと固く心に決めたのだった。
「それじゃ、私はお暇させてもらうよ。彰人はどうする? 一緒に帰るかい?」
夏油の誘いを、彰人は首を横に振って断った。
「いや、取り敢えずここで見とくよ。乗りかかった船だ。最後まで見届けたい」
「そうかい。まったく、律儀なものだね」
そう言って夏油は肩を竦める。彰人の律儀さは今に始まった事ではない。
自分が関わったら最後まで見届ける。それが彰人のスタンスで、恐らく夏油や真人。それに他の呪霊たちにだってその内面は理解できていないのだろう。
「夏油も見てけばいいのに。きっと楽しいよ」
真人はそう言って無邪気な笑みを浮かべる。
「愚かな
そう言った真人の顔は悪意も何もなく、本当に無邪気に楽しんでいる。そう思えた。
真人は、自他ともに認める〝呪い〟の象徴だ。
人間の恐怖から産まれ、人間の醜い部分を一身に背負う彼は、どうしようもなく呪いだ。
同情の余地もなく、疑いようの隙もなく、どうしようもない程に、人から外れている。彰人から見た真人は、そう言う奴だった。
だからこそ彰人は真人に対し、一定上の距離を保っているのだ。
夏油が去った後、真人と彰人の間に沈黙が流れる。彰人はメロンパンを食べ終わり、その袋を燃やす。最近は環境問題とかでビニールではなく、紙が増えたのだが、このチョコチップメロンパンを入れていた袋も例外ではなく、だから割とすんなり燃え尽きたのだった。
そうして袋が歯になったのを確認し、真人に向き直る。
「そういや真人さん。真人さんが戦ったって言ってた七三男って、どんな人なんすか?」
「え? 気になるの? 珍しいじゃん」
「まあ、ちょっと」
右手で頸をかきながら彰人は言葉を濁す。しかし真人はその様子を疑うことはせず、淡々と語り出した。
「なんか、クソ真面目って感じだね。俺とは大違い。一級術師らしいけど、やっぱ俺より弱いかな。でもまあ、其処ら辺の術師よりは強そうだ。呪力を時間で縛っていてさ。その時は流石の俺でも焦ったよ。結構面白い奴だった。色々勉強になったしさ」
「……相手の術式はどんな?」
「本当に今日はどうしたの? いつもより積極的じゃん?」
「……いいから話せ。どんな術式だ」
彰人は誤魔化す様に、わざと横柄に威圧感を雑じえながらそう言った。真人は呆れながらも口を開いたのだ。
「確か対象を線分した時、7:3の比率の点を強制的に弱点とするもの……らしい。術式開示にそんな事を言ってた」
「そうか……」
彰人はそう思った。
どこかで聞いた事のある術式だ。十一年前、彰人が
顎を摩りながら彰人は昔の事を想起する。
──七海建人
彼らが高専に通っていた時期に、世話になったのだ。本当に、物理的に。
忙しくて子育てに専念出来なかった両親の代わりに、面倒を見てくれていたのだ。確か七海の他にもう一人同期の男が居た筈だ。その男はどうしたのだろう。死んだのだろうか。
呪術師は死と隣り合わせの職業だ。彰人が会わなくなった期間に死んでいても何ら不思議ではない。
「彰人も戦ってみなよ。結構面白いから」
「……気が向いたらな」
そう言って外方を向く。
彰人としては少なからずその七海建人には恩がある。無駄に無碍にはしたくなかった。
それに面白いと言っても、彰人とその男の術式は相性良いも悪いもないのだ。そしてその間の勝敗を決めるのは、自身の技術と力量。たったそれのみ。彰人は七海の術式を強いと思った事はあれど、特別負けるとは思ったことはなかった。それはきっと、相手も同じだろう。
結局は、技術が優れているものが最後に勝つのだから。
「それはそうと彰人。順平と嫌に仲が良かったじゃないか。友達になったのかい?」
「は? どう言うことだよ」
真人の唐突な言葉に、彰人は顔を歪める。
「朝、此処から見ていたよ。随分と仲良さげだった様だけれど、もしかして彰人は順平に〝情〟とか持っていたりするの?」
「………………」
違う──と、何故か即答が出来なかった。
事実、彰人は順平に対する感情が、よく理解出来ていなかったのだ。
理解できていない事を語言化することは難しい。だからこそ、彰人は口を噤む事しか、出来なかったのだ。
彰人は順平をどう思ってるのか。そして宿儺の器である──虎杖悠仁の事も同じであった。
あの二人は、自分にとってどのような立場なのか。どの様な立ち位置に居るのか。どの様な人間として映っているのか。考えても、考えても分からない。
どうでも良い──と言えたなら、楽だった。
けれどもどうしても、その言葉が出てこなかった。
「──無言……か。ま、どうでも良いか」
真人が、その言葉を口にした。
軽々しく、まるで鼻歌でも口遊むかの様に。
その軽薄さが、今はども不愉快だった。
「お、もうそろそろだよ」
校舎の中から、爆発音が聞こえる。ただの爆弾の音ではない。何かが殴り合う音が、此処迄響いているのだ。
恐らく、虎杖悠仁が来たのだろう。
その予想を確定するかの様に、虎杖悠仁が窓を突き破って自転車小屋の屋根へと転げ落ちる。屋上からはよく見えた。
「順平に施した術式って一体なんだ?」
彰人は横目で真人を見ながらそう聞いた。真人は如何にも愉快そうに笑った。
「
「まあ、確かに面白そうだな。毒は基本的、反転術式は判定外だ」
真人が吉野順平に与えた術式を聞いて、彰人は素直に感心する。毒の術式を持っている術師はそう居ない。これは伸ばせば強力な武器となる。
だからこそ残念だ。
本当に、残念だった。
彼の才を此処で潰すことになるだなんて。
「じゃ、俺もそろそろ舞台上に上がるとするかな」
そう言って意気揚々と準備運動をしている。彰人はそれを見て、少し呆れる。人間には、呪霊の考えは理解できないのだ。
「彰人はどうする? 一緒に来る?」
そうして夏油同様、真人の誘いも首を横に振り断った。
「俺はもう少し此処に居るよ。何か異変があったら報告する」
「そ。じゃあまた後でね」
真人はそう言った直後、風と共に消え失せた。恐らく己の足を馬足にして向かったのだろう。
そしてその直後。新しい呪いの気配を感じたのだ。
下を見ると、スーツをきっちり着た如何にもサラリーマン風な男だった。
彰人はその男を──知っていた。
座っていた腰を、ようやっと上げる。
どうやら早く気が向いたらしい。
東雲彰人の金眼は、真っ直ぐと──七海建人を見据えていた。
●じゅじゅさんぽ
真人「知ってる? 今の状況に一切関係がないんだけれど、コンビニのメロンパンってカロリーがすっごい高いらしいよ」
夏油「そうなのかい? それは初めて知ったよ。でもそう考えるとチョコもカロリー高いよね。いや、この状況はさして関係ないんだけれど。それでも合わせると尚の事凄いカロリーになりそうだね」
彰人「………………」
真人「なんで菓子パンって美味しいのにカロリー高いんだろうね。やっぱ〝菓子〟だからかな。本当に関係ないんだけど」
夏油「お菓子って基本的に高いものだよね。カロリー。まあ今の状況とは全くと言って良い程関係ないけれど」
彰人「…………一口いるか?」
夏油・真人「いるー!」
彰人「こいつら……いつか殺す」