初めて逢った時、素直に可愛い人だなと思った。長い睫毛、白い肌、大きな目、綺麗な瞳。其処ら辺のアイドルや女優より遥かに整った顔立ちに、俺は素直に感心した。確かに呪術師の客観的に見て女性は美人は多いが、此の人はベクトルが違う。あぁ、本物の美少女とはこういうのはこういう人の事を言うんだなと、柄にも無く思ったりもした。東雲絵名。それが其の人の名前だった。
初めて会った時も「初めまして!伏黒君。」と和かに挨拶をしてくれた。無愛想な女性が多い呪術界には珍しく、鮮明に覚えている。
だから其の人の部屋に行くのは少しだけ緊張してしまう。実は真希さんに昼食を持って行くよう頼まれたのだ。ほっといても一人で食べるのではと言ったが、どうやら真希さん曰く、東雲先輩はほっといたら何も食べないらしい。それは面倒臭いのか、拒食なのか分からないが、確かに食べないというのはいただけない。
真希さんが持っていけばいいのではと言ったが、私は嫌だと突っぱねられたのは少々納得いかないが。仲良いんじゃなかったのかよあんたら。
「ん?」
東雲先輩の部屋に着き、ドアをノックしても、何も応答が無い。居ないのかと耳を澄ませてみるも、かちゃかちゃと中から物音がする。聞こえていないのかとノックをするも、これまた無反応。
俺は心配になり部屋の扉を開けた。すると中からツンッと透き通る様な匂いが漂ってきた。これは俺も知っている匂いだ。学校の美術室でよく嗅いでいた。
絵の具の匂い。
それが部屋の中に充満していた。そして前に目を向けてみると、大きなキャンバスに、絵が描かれてあった。雨上がりの空を見上げている少女の絵だった。東雲先輩が描いたのだろうか。
東雲先輩は俺が入ってきたことにも気付かず、黙々と筆を走らせている。いつもの可愛らしい服装とは打って変わって、つなぎを絵の具で汚しながら描いていた。真剣な眼差しで。
「違う。こうじゃない。私が描きたいのはこれじゃない。」
そうぶつぶつ言いながら東雲先輩は筆を走らせる。其の色は黒く、然し限りなく灰色に近い色だった。俺は其の姿を見てゾッとするのがわかった。芸術家は描いている時独特な雰囲気を出すと聞くが此れは……。
明らかに殺気だ。
己の絵で全員殺す。そんな気概が伺える。初めて描いているところを見たがこんなにも殺伐としているとは。
俺が狼狽えて後ろに下がると、何かに引っ掛けたらしく物音がした。拙いと思ったがもう遅く、東雲先輩は此方を振り向く。その表情は逆光で良く見えないが、いや、見えないからこそ怖かった。今の先輩に俺はどう見えているのだろうか。
「………。っわぁ‼︎伏黒君⁉︎いつの間に⁉︎」
東雲先輩はさっきの表情とは打って変わって、元々大きな目を見開きながら飛び跳ねていた。今のはなんだったのだろうか。疑問をもつが、其れを聞けるほど俺は肝は座ってない。
「あ、昼飯持ってきました。ノックしたんですけど、反応がなかったんで。」
俺は持っていたお盆を差し出す。すると東雲先輩は「ごめんねー。」と言いながら此方にやってきた。顔を見ると、肌にも絵の具が付いており、おしゃれに気を使う東雲先輩が珍しいなと頭の片隅で考える。まぁいうて二週間前に会ったばかりなのだが。
「……この絵、先輩が描いたんですか?」
「他に誰がいるのよ。」
俺はキャンバスを見上げながらそう聞いた。正直に言って圧巻だった。キャンバスのデカさもあるが、何よりその画力の高さに圧倒される。絵の事はよく分からないが、凄いという事は俺にも分かる。今まで絵をこんな間近で見た事は無かった。
「ねぇ、この絵如何思う?」
東雲先輩は俺が持ってきた昼飯を頬張りながら横目でキャンバスを見た。
雨上がりの空を見上げる少女。
其の絵は繊細で、何処か寂しげで。此方を見ていないのにまるで訴えかけて来る様な。俺は其の絵から目を逸らさず答える。
「孤独に感じました。」
「え?」
「なんだろう、上手く言えないんですけど、光があるのに其処に行こうとはせず、暗い所で独りで戦っている。」
眩しく輝いているのに、其処には行けない悲しさ、もどかしさ、寂しさ。光が降り注いでいるにも関わらず、手を伸ばそうとすると如何にも何かに邪魔される。其れは言葉には出来ない何か。何にも形容出来ない感情。
俺にも分からないわけじゃない。眩しくて、眩しすぎて其処には居られない。そんな気持ち。
「そっか。伏黒君にはそう見えるんだね。」
東雲先輩はそう言うと、またキャンバスの方に目を向ける。其の姿はとても儚げで、目を奪われる。
「一回ね、前に同じのを描いた事があるの。其の時父親に見られちゃったんだけど、あの時初めて褒められた気がする。でも伏黒君の言っている事とは真逆だった。」
「真逆?」
「〝此の少女の悩みは晴れそうだ〟だって。アイツには如何見えてたんだろうね。此の絵。」
悩みは晴れそう。
其の言葉を聞き、改めてもう一度絵を見る。然し如何見ても、いつ見ても、そんなプラスな絵には見えなかった。其れは俺の先入観なのかもしれないが。
人が変われば見方も変わる。そういうことなのだろうか。
「よし、ご飯も食べ終わった事だし、続き描こうかな。」
俺が絵を観ている間にペロリと平らげた様で、先輩は勢いよく立ち上がり、キャンバスに向かった。そういえば真希さんが用意した昼飯は栗鼠の餌かと思うぐらい少なかったが、其れで足りるのだろうか。然もあまり腹に溜まりそうに無いコーンフレーク。此れはもう朝食のメニューではないか。女性の食生活は謎だ。いや、女性以前に先輩が可笑しいだけなのかもしれないが。
「………げ。」
「如何しました?先輩。」
先輩は怪訝な顔で絵の具入れを覗き込んでいた。如何したんだ?絵の具が固まっていたとかか?
「青の絵の具、切れてる。」
————
「……まだ買うんスか。」
「そーよ。折角来たんだもの。色々見ないと損じゃない。」
絵の具が切れた先輩に連れられ画材店に来た俺だったが、何を間違えたか、荷物持ちに任命されてしまった。クソ。こうなるんだったら着いてこなければよかった。最初に会った時に気さくな良い人かと思ったが其れは俺の思い違いだったらしい。
因みに今来ている店は文房具店ではなく画材店らしい。俺が間違えたら「画材店よ。」と訂正が入ったので、絵を描く人の間では其処は重要なのだろうか。確かに筆やらキャンバスやらが沢山あって、よく見ると普通の文房具店とは違う事が分かる。よく見ないと分からないが。
先輩は初めて来た店舗らしく、色んな物に目移りをしていた。そして偶にある画材を手に取り得意げに俺に解説をする図は宛らテーマパークに来た子供の様だ。はしゃいでる。
其の様子に俺は少し微笑ましい気分になった。此の人は本当に絵が好きなのだろう。
「あ!みてみて!此の人の画集。すっごい綺麗!見た事無い名前ね……。帰ったら調べてみよう。」
俺は手渡された画集に目を通す。確かに綺麗だ。元来俺は絵を嗜む趣味は無いが、そんな俺でも綺麗と言える程には上手い。然し、先程の先輩の絵を観た時の迫力は感じられなかった。なんだろう。何かが違う。
東雲先輩は「向こうのスケッチブック見てくる!」と走り出し俺は手元にある画集と共にポツンと取り残される。本当に自由な人だな。まぁ初めて来た店舗だからテンションが上がっているのだろう。
俺はその画集を棚に戻し、偶には小説の他にも画集もいいんじゃないかと思い別の画集を調べる。良い物があったらかっていこうと、日本画、油絵、抽象画、風刺画等々、色んな画集を見ていると、ある画家の名前が目についた。
『東雲慎英』
先輩と同じ苗字に目が止まった。そんな偶然あるんだなぁと思い興味本意で手に取る。
表紙からでもわかる画力の高さ。其れは先輩の絵を観た感覚と酷似していた。上手い。心を揺さぶるというか、表現が凄いとか、そういうのは抜きにして、只々技術が上手い。例えるのなら有名な画家の『レオナルド・ダ・ヴィンチ』の様だ。
こういうのを天才と言うのだろうか。俺には到底理解する事は叶わないが。
パラパラとページを捲っていくと、ある絵のページで手が止まった。其処には四人の家族が仲良く絵を描いている絵だった。題名は『あの日の幸福』。着物を着た女性と小さい男の子と女の子。二、三才くらいだろうか。そして作業服に身を包んだ男性が和室で絵を描いている。きっと此の四人は家族なのだろう。微笑ましい絵だ。これこそが家族なのだろう。誰がなんと言おうと、自分たちは仲が良い家族なのだと。そう伝えている様な。いや、閲覧者の俺たちに気づいていない風な。其れこそ日常を写真で切り取った様な。なんとも好ましい絵だ。
然しそう思うと同時にある違和感に気付く。なんだろうか。何か分からないが、此の絵には何か見覚えがある。今日見たはずなのに、今知った画家なのに。
「伏黒君?」
俺がその絵に夢中になっていると、いつの間にか後ろに居た東雲先輩が声をかけた。買い物が終わった様で、大きめの袋を肩に掛けていた。とても重そうだ。
「其れ、買うの?」
東雲先輩は顎でクイっと画集を指す。なんか機嫌が悪い?
「はい、気になったので買ってみようかと。」
「あっそ。じゃあ会計してくれば?あっちにレジあるから。私は外で待ってるね。」
先輩はそう言うと外へ歩き出した。なんなんだ?急に不機嫌になって。情緒不安定か?
然し先輩を待たせる訳にはいかず、俺は会計を済ませる。有名画家なだけあって値段は相当したが、予算内だ。ギリギリだったが。
外に出て先輩を探すと、大声で聞き馴染みのある声が聞こえた。「離してよ!」とか、「興味無いって!」などの声だ。目を向けて見ると、東雲先輩が若い男五人に囲まれているのが見えた。周りの人間は巻き込まれたく無いのか、怪訝な顔をしながらも見ているだけだった。此の数分の間に絡まれるのには衝撃を受けた。マジか。数分って言っても二、三分だぞ。
「あの、俺の連れになんか用ですか?」
其の男達の間に入り、出来るだけの圧をかける。そういえば五条先生に「恵は目つきが悪いから圧が凄いねぇ。」と言われた事がある。クソ、今思い出さなくてもいいじゃないか。
其の圧の故もあってからか、男達は蜘蛛の子を散らす様に逃げていった。あまりの間抜けな様に逆に唖然とする。なんだあの男達は。そんな覚悟でナンパをしていたのか。いや、ナンパに覚悟もないか?
「大丈夫ですか?」
「う、うん。有難う。」
不幸中の幸いか、東雲先輩には怪我は無く、「服が伸びた。」と眉間に皺を寄せていた。こんな数分のうちにナンパに遭うとは。恐るべしだな。
「こんな事しょっちゅうなんですか?」
「残念ながらね。きっと断らない弱そうな女だと思ったんでしょ。」
先輩は不貞腐れた様に腕を組む。イラついているのか、プクっと頬っぺたを膨らませるその姿に圧は感じられなかった。まぁ、少なくとも強そうには見えない。
「あ、そうだ。伏黒君、甘い物平気?」
「嫌いじゃないですけど。」
「駅前のカフェに新メニューができたの。奢ってあげる。」
先程の顔から一変、パァッっと効果音が付きそうな程の笑みを浮かべて顔を上げた。
カフェか。確かに最近は行ってないな。
「分かりました。ではお言葉に甘えて。」
そう言うとよし来たと言わんばかりに俺の手を引いて歩き出す。創作途中の絵は良いのかと思ったが、まぁいいやともう頭の隅に追いやってしまった。
休憩も必要だろう。今は化粧してるから分からないが、俺が昼食を持ってきた時の先輩は目に隈を作り、少し窶れていた。きっと徹夜で描いていたのだろう。
心配すると同時にある疑問が出た。
それなのに何故呪術師に?
然しそれを聞くのは今じゃなくてもいい。今聞いたら駄目な気がした。
きっとこのままじゃ居られない。
それなら其の時まで待つ事にしよう。
俺は画集が入った袋を握りしめる。
往来を行き来する人々がやけに騒がしく思えた。