プロローグ
オレの記憶にあるのは、初舞台のレースの時の事だ。
人間達のやりたい事はよく分からんし、別に深く知りたいわけでもないが。周囲のヤツと「ヨーイ、ドン」の追いかけっこをして、一番速く走ればいいというのは分かっていた。
オレだって周囲のヤツに負けるのは癪だし、走りで良い調子を出せば周囲の人間が喜んでくれるってのも悪くない気分だ。
オレは最後のラストスパートにかけては誰にも負けない自信はあった。同じ牧場で育ったヤツとの追いかけっこでは、最後の根競べで負けた記憶がない。
そう。負けない自信が、あった。
「勝ったのはキングヘイロー。快活で良い走りでした」
人間達がゴールと定めているその板まで、『キングヘイロー』とか呼ばれてるヤツがオレのラストスパートから"逃げ切った"。
たった半馬身(0.1秒)の壁。このまま走り続ければ、もっと距離が長ければ、その壁をぶち破ってキングヘイローとかいうヤツを負かしてやれていたんだという想いこそはあったが、背中に乗った人間がそれ以上無駄に走るのを制止して、キングヘイローも含めて周囲の奴らも闘る気を無くしていた。
オレは、負けたのだ。キングヘイローというヤツに。
そこからは、前々のようにうまくいかなかった。
『オレはそこまで、速くないんだ。オレより速いやつが、いるんだ』
そんなつまらない考えが、本番において闘志を痩せ細らせていく。
人間にとっちゃ、くだらん悩みなのかもしれん。
だが走りが本能といってもいいオレ達にとっちゃ、その格付けは一生モンの"トラウマ"になりかねない事なんだ。
へし折られたプライドは怯え、竦み上がり、足が震えて、結局は頭を下げちまう。そうすりゃ後は負け癖さ。
『キングヘイローッ! キングヘイローが纏めて撫で切ったッ!! 恐ろしい末脚! 遂にGIに手が届いたッ! 後ろは来ません! 勝ったのはキングヘイロー!』
何頭も一緒に走る追いかけっこから当の昔に退いたオレの耳に聞こえてきたのは、懐かしい名前だった。
キングヘイロー。キングヘイロー。人間達が讃えるようにその名を輪唱するのがラジオとかいう機械から聞こえてくる。
オレを世話してくれてたオッチャンはそのラジオを感慨深げに聞いて、少し悔しそうな、少し嬉しそうな顔をこちらに向ける。
「お前を倒したヤツは、とんでもないやつだって事が証明されたわけだ。高松宮を勝っちまうんだから」
何、笑ってやがる。そんなのはどうでもいいから、"キングヘイローと勝負する機会をもう一度オレにくれ"よ。
じゃないと、格付けされちまったままで終わっちまうんだぜ? そんな機会が一生で一回こっきりだなんて、不公平とは思わねぇか?
別にレースの舞台じゃなくたって、いいんだぜ。
せめて、牧場の隅っこでもいいからあいつと駆けっこする機会をくれよ。
もう一度だけでいいからさ、時間をくれよ。神様よ。
なぁ。