「お菓子作りは砂糖、小麦粉、全ての材料はレシピ通り。キチンと計量して入れることが鉄則よ」
「……片栗粉で代用しちゃだめ?」
「ダメに決まってるでしょ?!」
オレの代替案は即座に却下された。
オレ達は今、一旦弟を家に帰らせてキングヘイローの家に『料理のお勉強』という体で集まっている。もっぱら四人で集まる時は"トレセン学園へ入学する為の特訓"を優先する為、わざわざキングヘイローのお家に遊びに来る事は少ないが、必要とあらばこうやってお邪魔する事だってある。
当然の如く、母親は不在。代わりに使用人の方が刃物や火の扱いを見守っていてくれる。
「家政婦さん雇えるなんて、余裕があるなぁ……」
「そうだねぇ。やっぱりキングちゃんのお家はお金持ちだから!」
オレやボブヘアが感心したように呟くと、キングヘイローは複雑そうな顔をした。
「……母親がやるようなものだと思うけどね。こういうのは」
何か思うところあるのか。キングヘイローは珍しく苦言をこぼすように言う。それと同時に、彼女がてきぱきとクッキーの準備をしている。
結局のところ、弟にクッキーを食べさせる事もかねて四人で手作りお菓子の特訓と相成っている。元々三人で料理の勉強をする予定だったらしいが、オレが料理が壊滅的だったのをキングヘイロー達が心配して混ぜてくれたご様子だ。
「……ありがと」
不甲斐なさと申し訳なさに小さく礼を言うと、キングヘイローはフッと鼻で笑う。
「別に気にしなくてもいいわ。私は、家庭科が壊滅的だからトレセン学園に貴女が入学出来ない……なんて事態を避けたいだけ」
なんでもなさそうな態度でそんな事を言っておきながら、オレの手元を注意深く覗き込んでくる。
取り巻きの奴らも含めて、オレが「キングヘイローと一緒に走りたい」と幼稚園児の時に言ったのを、未だ気にかけてくれているようだ。
それを知って、なおさら申し訳なくなった。家庭科の授業を頑張り始めた理由が、『好きになった男の子に手作りクッキーをプレゼントしたいから』なんて口が裂けても言えない。恥ずかしくて死にそうになる。
頭の中を一旦空っぽにして彼女の言う通り、そしてレシピ通りに材料を計り、ボウルに入れてタネとなる生地をかき混ぜる。
「そうそう。しっかり丁寧にね。ダマが出来ないように」
キングヘイローはそう言いながらも、オレの隣に立って別の作業を始めた。猫目やボブヘアはオーブンの使い方を使用人に教わっている。
「……で、ホントは誰にあげるつもりなの?」
二人っきりになった途端そう訊かれて、オレは思わずギョッとした。勢いよく頭を振りかぶってキングヘイローの方を見ると、オレのあまりの慌てぶりにクスクスと笑っている。
「……カマをかけたの?」
思わず抗議するように睨むと、彼女は一層おかしそうに笑い声を上げた。
「ごめんなさい。ちょっと意地悪しちゃった。だって、最近妙にやる気を出してるんだもの。そういうのって、気になるじゃない?」
彼女はそう言って、オレの真っ赤になっているであろう頬っぺたを指先で軽く突っついてくる。
そして、ついさっきまで考えていたことをポツリポツリと話す。
「……車轢かれそうになった時に、助けてくれた男の子に、お礼としてお菓子を渡したくて……」
そう話しながら、自分でもわかるほど耳も尻尾もしおれてしまう。元々牡だったオレが、そういった事で思い悩むなどとは馬鹿馬鹿しい事だとは思う。だが、10年も"この体"で生きてきた以上はどうしても割り切れないらしい。
あの時、彼がいなかったら。きっと私は車に轢かれて死んでいた。
そして彼はそれを阻止してくれた。私の命の恩人だ。だからこそ、その彼にお礼の品を贈りたい。
感謝の気持ちを伝えたい。そう思って始めた料理の練習だったが、まさかそれがキングヘイローにまでバレたというのは、何とも面映ゆい。
キングヘイローは一通りオレの心情を聞き終えると、他人のコイバナを暴けた事について「ふーん」と妙に嬉しそうなしたり顔で、しかし同時にほんのわずかに不満げな顔をする。
「そう。でも、私はてっきり……」
何かを言いかけて、口を噤んでしまった。
「なんでもないわ」
てっきり、なんだというのだろう。
彼女が言いかけた事について少し興味が湧いたが、その事について訊ねてみても「料理に集中する事」とたしなめるようにいって、彼女はそれ以上は何も答えてくれなかった。
「オーブンは時間通り。確かめたくても途中で開けない事」
オレと取り巻きの二人は、オーブンの前に興味津々で張り付いている。
「可愛くできたね~」
「うん、すっごく良い出来!」
焼き上がる前段階のクッキーを眺めながら、猫目とボブヘアの二人が満足そうに言う。
「私が指導してあげているのだから、当然よ」
キングヘイローは、どこか誇らしげな表情だ。
ただ単にレシピ本通りに作っているだけ。使用人さんが見守ってくれているから出来る事。なんて言い返すのは容易いが、このお菓子作りがつまらない経験だったとは微塵も思わない。
オレ達が作ったのはシンプルなバタークッキーだ。生地を型でくり抜いて、オーブンで焼くだけの比較的簡単な工程である。
それでも、オレにとっては初めて自分で作るお菓子。猫目とボブヘアにとっても、反応から見ておそらくそうだろう。
「もうそろそろいいかな? いいかな?」
「そうね。それじゃあ開けてみて」
焼き上がったクッキーを見て、三人揃って満面の笑みを浮かべる。香ばしい匂いが鼻腔を刺激してくる。良い出来だと確信する。
「うん、良い出来ね」
隣にいるキングヘイローも、クッキーの出来に頷いている。ボブヘアも、猫目もキングヘイローから太鼓判をもらって喜んでいた。
「あとはラッピングするだけ! 可愛く出来るように頑張る!」
そう言って猫目が意気込む。「え、ここで食べないの?」と訊ねると、それぞれ誰かにあげるつもりで作ってたらしい。
「私はお母さんにあげるの! すっごく喜んでくれると思う!」
「私はお父さんに~……」
猫目とボブヘアが顔を見合わせてニコニコしながら答える。
「貴女達は親孝行ね」
キングヘイローはそう言って、優しく微笑む。
「キングちゃんは?」
オレがそう聞くと、二人の視線に彼女へ集まる。一瞬、キングヘイローは口ごもった。それから数秒後、ゆっくりと口を開く。
「そうね、私も予定通りお母様に差し上げようかしら」
微妙な違和感。おそらく付き合いの長い他二人ともそれを感じたが、敢えて口に出さないでいた。
「うん、キングちゃんのお母さんもきっと喜ぶと思う」
ボブヘアと猫目はにっこりと笑ってそう言った。それを聞いて、キングヘイローはわずかに頬を赤らめて、小さく息をついた。そんな彼女へ声をかける使用人。
「――キングさん。ちょっとお話が」
「? はーい」
後片付けを終えて猫目とボブヘアが家に帰った後、キングヘイローは自分の詰めた手作りクッキーの袋を見つめていた。
「お母様、全く家事が出来ないの。使用人にやらせてばかりで」
……驚いた。何でも出来る人と思っていたが、家庭的な事はまるっきりダメらしい。特に料理は。
「そういう親を持つ子供は大変よ。貴女にはそういう母親にはなってほしくないわ」
そんな事を言う彼女の瞳の奥に、母親に対する複雑な感情が見え隠れしているのが窺えた。
軽蔑とも憧憬ともつかぬ。なんとも表現し難い代物だ。本人でさえ断定出来ていないだろうその感情について、オレが安易に判断すべきではない。
「こういう手作りのお菓子も、お母様から一度も貰った事がないし」
そう呟いて、彼女は自嘲気味に笑う。その寂しげな笑顔が、ひどく印象的だった。
今更ながら、彼女が普段見せている表情はどれが本物なのか。オレは未だに掴めていない。
あれだけ色んな一面を見せるのだから、きっとどれかが本当の姿なのだろうとは思う。
「さっきね、三人で話し合ったんだけど……」
オレはキングヘイローに、クッキーの入った袋を差し出す。
「なにこれ」
「キングちゃんの分。キッチン使わせてもらっておいて、変な話かもしれないけど……」
三人で自分が持ち帰る分から、こっそりキングヘイローに贈る分を見繕っていた。サプライズを手伝ってくれた使用人さんにも感謝だ。
クッキーを受け取ったキングヘイローは、しばらく無言でそれを見つめる。
「……えっと、やっぱり変な話だった?」
機嫌を損ねたのかと思い慌てて謝ろうとする。しかし彼女は罵声を投げつけてくる様子はなく、代わりにお母様にあげると言っていたクッキーの包みを押し付けてきた。
「あげる」
「え? お母さんにあげるんじゃ。それに、これじゃあただ同じ物の交換……」
「いいから。二人にも他の日にクッキーあげるって伝えといて」
彼女はそう言って、クッキーをオレに押し付けてきた。怒らせたのかもしれないとも思ったが、先刻から浮かべていたほんのわずかな不満は、すでに晴れているような気がする。
「そっちもあげたい相手にあげられるよう、頑張ってね」
そういって、余裕をもった態度で彼女は微笑む。
……とりあえず、怒ってはいないようだ。
やっぱりこの子の感情について、オレはよく分からん。神様、お前さんならこういうのが分かるのかい? なぁ。
持ち帰ったクッキーが弟に大好評だった事を受けて、後日、オレは図書館で珍しく恋愛小説なるものを借りた。
「……星降る石畳を踏んで君はゆく。1歩半だけ先を、怒ったように忙しなく……」
これも予行演習になればいいのだが。なんて思いつつ、この前の練習通り再び作ったクッキーの状態を何度も確かめてから……彼がいるであろう池の方へと向かう。
彼は、いつものようにのんびりと釣り竿を垂らしていた。
初めて出会った時と相も変わらぬ姿で、その姿は青空の中に揺蕩う美しい白い雲のようである。
私は意を決して彼に近づくと、あちらの方から先に声を掛けられた。
「やや、この前の」
そう言いながら、こちらを振り向く。相変わらず優しい眼差しをしている。
彼は柔らかい微笑みを浮かべながら、私に対して手を軽く振った。
こうして改めて彼の姿を目にするだけで、少しだけ鼓動が早まる。緊張から来るものだというのは、自分でもよく分かっていた。
だが、今日こそは勇気を出して彼に話しかけたい。私は気合いを入れて、彼との距離を縮めていく。
「この前はありがとう。えっと、御礼にクッキー作ってて……」
私と彼の距離は、手を伸ばせば掴めそうな距離となった。距離が縮まれば縮まるほど、心臓はバクバクと高鳴っている。
それでも、何とか震えずにクッキーの袋を差し出せた事は幸いである。
「おぉ、ありがと~。大事に食べるね」
そう言いながら、彼は私の手の中にあるクッキーの包みを受け取ってくれた。
受け取る際に、また手指がほんの少し触れあう。それだけで、不思議な事にとても幸せな気分になれた。
思わず、口元が緩む。やはり、私は彼が異性として好きなのだ。牡の記憶がありながら男を好きになる事は馬鹿馬鹿しいとも思っていたが、女として生まれたからにはその感情に従うのも悪くないのかもしれない。
「じゃあ、釣りは中断してお味を拝見しようかな~」
彼は、一旦釣り竿を引き上げて、大きめの麦わら帽子を脱ぐ。やはり彼の少し長めの銀髪は綺麗だった。そして、その頭頂部には可愛らしい馬耳が……………………"ウマ"?
「ん、どうしたの。そんな驚いた顔して?」
見間違いではない。彼の頭にはウマ耳が生えている。えぇっと、つまり……ウマ娘? え、"女の子"?
「セイウンスカイちゃーん! あっちですっごくデカい魚が釣れたってー!」
そんな混乱の最中、不意に彼女を呼ぶ声が響いた。彼女の友達であろう子が手招きしているのが見える。
「はーい! ……えぇっと、ごめんね、呼ばれたから行くね。また今度会ってゆっくり話したいな。……クッキーありがとうね~」
そう言って、彼女は声の主へと向かって駆け出していく。残されたのは、『生まれて初めての失恋』に呆然とする私だけだった……。
……神様よ。こんな展開にするならオレを"ウマ息子"とかに生んでくれてもよかったんじゃねぇの。なんだって、女が女に初恋するなんて運命のイタズラが起こるんだい……なぁ。なぁってば……。
かけ算
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キングヘイロー×ディオス
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セイウンスカイ×ディオス