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幼年時代のキングヘイローにとって、母親に放っておかれるというのは辛いものであった。
送迎の時間にはクラスメイトのほとんどは母が迎えに来るというのに、彼女は使用人に連れて帰ってもらった事の方が多い。
母は多忙な人だった。それこそ幼い彼女に構う暇などない程に。
小学生になった今でこそ、その辺りは一種の諦めがついてきたものだが。当時はその事を不満に思いながらも寂しい気持ちは拭えなかった。
年少の時には「何故自分の母親が迎えに来てくれないのか」と、先生に相談した事がある。
「しょうがないよ。キングヘイローのお母さんは、いつも頑張っているんだから」
まるで、母親が正しくて自分が我慢するべきだというような物言いをされた事は今でも頭から離れない。
心の中で憤りを覚えたものの、それを表に出すのは恥ずかしい気がしたので堪えて、静かに教室から出た。
「お母さんは今日も掲示板入りして、すごいよね。キングちゃんも嬉しいでしょ」
「キングのお母様のライブはとても素晴らしいものだったわ。また聞きたいくらいね」
クラスメイトの保護者達が、送迎の時間で彼女に出会う度に褒めそやすようにそんなことを言っていた。
「だから、キングちゃんは将来きっとお母さんみたいに運動も歌も得意になるわよ」
保護者達の大概は、屈託のない笑顔を向けてそう述べてくる。
それが悪意のある皮肉や嫌味だったら、どれだけよかっただろう。純粋な善意でそう褒めてくれているのだと、幼心ながらに理解しているから余計に辛かった。
キングヘイローは、ただ誰も自分を見てくれていないような感覚に陥っていた。
皆が自分を見ているようで、見ていないような気がした。その事に苛立ちを覚え、『自分こそが一流のウマ娘である』と大袈裟に振る舞い、そして孤独感を覚える。
ただ、誰かに"自分自身"を見てほしかった。認めてほしかった。
それが叶わないと感じて、いつしか顔を俯けて独りで泣くようになった。泣いている姿を誰にも見せたくなかった。泣き顔なんてみっともないから。
「"キングヘイローがとても凄い一流の馬だという事を、オレは知ってる"」
出会って間もないウマ娘に、そう断言された。
その言葉を聞いた時の胸の中に渦巻く感情が何なのかは、よく分からなかったが。
根拠のないその言葉が、何故かたまらなく嬉しくて、誇らしくて……再び顔をあげて、周囲を見回してみる気が起きた。
「キングー!」
「しょうしゃー!」
何も心配は要らなかった。少なくとも、誰一人彼女を見ていないという事はないのだから。
「…………」
キングヘイローは、友人らと料理の勉強を終えて自室に戻るとクッキーの空袋を宝石箱を眺めるように見つめていた。
大事な友人と、二人の後輩。
彼女達と共に過ごした時間を思い出し、ふっと頬を緩ませる。
幼稚園時代の出来事が夢のような気分になって、なんだか不思議な感じがした。
母親に自分を認めさせてやりたいという気持ちは相変わらず変わらないけれど、あの時よりも前向きになれたと思う。
たぶんトレセン学園に入っても、たぶん大人になってからも、彼女達との友人付き合いは続くだろう。
いちいち感謝する事が恥ずかしいと思ってしまうから、それを口に出すことはしないけど。
「……また明日」
彼女は手元の袋へ小さく呟いて、穏やかに目を閉じて幼年期の想い出に耽った。
ディオスが言ったあの言葉が"自分自身"に向けられたものでなかった事を、キングヘイローはまだ知らない。