家に着いて。
弟のおかえりなさいのハグを受けて、お母さんから「えらいわね。今日もありがとう」とお礼を言われながら、買ってきたものを冷蔵庫に直すと、私は自室へ入って。そのままベッドに倒れ込むように、うつ伏せに寝転んだ。
枕に顔を埋める。息を吸うと、曇り空の匂いがした。雨が降る前独特の、湿った匂いだ。今度洗った方がいいかもしれないと考えてみたけれど、今はこれが落ち着く。
そして、枕の上に、頭を乗せたまま。キングちゃんの事を思い出す。
『……前世の記憶があったって言ったら、信じる?』
『実はね、私には生まれた時から前の人生の記憶があるんだ! その時にも、キングちゃんと出会ってて――』
『その時に走った時に、負けちゃっててさ! 幼稚園の時に再会出来た時は『よし、リベンジしてやる機会だー!』って実は思ってて――』
それを語っていた時、私はどんな顔をしていたのだろう。きっと、憧憬や熱意に満ち溢れた顔だったろうと思う。だけど、それとは対照的に、彼女の瞳がどんどん色褪せている光景が、記憶という名の網膜に焼き付いて離れない。
『…………なに、それ』
私の前世の話を聞いた時の、彼女の瞳を思い出す。困惑、驚愕、動揺、衝撃、恐怖、悲壮、諦観、後悔……。
あの瞳に浮かんだ全ての感情を表せる言葉は、きっとこの世には存在しないだろうと思う。
あんな顔をさせるつもりはなかった。
そんなつもりはなかったのに。
だからだろうか、咄嗟に嘘をついてしまった私がいたのは。
何を言えばいいのか、どう説明すれば理解してもらえるのか分からなくて。
そもそも説明したところで信じてもらえるとも思ってなくて、でも彼女に打ち明けたい気持ちもあって。結局、あんな事を言ってしまった自分にすごく腹が立って、顔に枕を押し付けるようにしてそいつが声を出せないようにしている私がいる。そのまま窒息してしまえばいい。
もっと上手い方法もあったんじゃないかとも思うけど、あの時はあれが精一杯だった気がする。
思い返せば、10年も生きてきて自分の本心を実際にいるかもわからない神様以外の誰かに見せようとしてこなかった。
自分を見てくれようとする相手がいなかったわけじゃない。むしろ多かった方だと思うけど、本当の自分をさらけ出す相手なんて一人もいなくて。みんなとは表面だけをなぞった関係で満足していたような気がする。
そういう意味では、私とあの時の
……それはきっと言い訳に過ぎない。
彼女は、頭を上げて孤独という名の殻を打ち破った。
俯き続ける私とは違って。
とても優しいこの世界では、誰も彼もが前向きで、輝いていて見えて。そんな世界の片隅で俯くだけの、私はまるで日陰に生える苔のようで。
私には、そういうのは肌に合わなかったのかもしれない。今は居心地の悪さを感じ続けていた。
今になっては『転生して記憶を持っている自分』が、まるで"異物"のように思えて仕方がなかった。
だからかもしれない。私はその事を知られないように振る舞い続けた。
そうすれば、少なくともこの優しい世界の中では居場所を得られるのだから。
しかしそれがかえって仇となったのだろうか。
暖かさに慣れたせいか、冷たさが余計に染みたような気がしてならない。
なぜ最初から記憶があるように振る舞わなかったのかと自問する。たぶん答えは簡単で。
真実を伝える事によって『誰かに嫌われたくなかったから』なのだと思う。
つまりは保身。ただ怖かった。
それだけの事なのだ。
そうして嘘を吐き続けていけばいくほど、罪悪感が積もっていって。いつしか取り返しがつかないくらいに積み上がってしまって。
それで、とうとうパンク寸前になっていたのだろう。
親友の信頼に応えるなどと、体の良い事を私に言い聞かせて。
罪悪感というガスを抜いた。それが話し相手の彼女にとっては、猛毒のガスだった。
その結果として、胸の中にはぽっかりと一人分の席が合いたような空虚さがある。
ああ、やっぱり。
こんな事になるくらいなら、最初から正直に言っておけばよかった。
そうしたら少しは違っていたかもしれないのに。
ポケットの中の携帯電話の着信音。設定しているメロディは《この大舞台でもきっと》。それで誰からかかってきたのかすぐ分かった。
動く気力がなくて、電話に出るのが怖くて、キングちゃんと話したくなくて、私はずっと放置し続けている。
携帯の画面に表示される、特定の相手からの不在通知の数だけが一日毎に増えていくだけの時間。
「……この音楽、うるさいなぁ……」
自然と口から漏れた言葉を聞いた途端、私は自分の言った事が信じられなくて涙がこぼれ始めた。
携帯からこのメロディが鳴るのを、毎日楽しみにしていたはずなのに。
涙の粒が溢れ出し、視界がぼやけて前が見えなくなってくる。
私は目元を拭う。それでも溢れるものは止まらなくて、今度は袖を使って涙を拭いた。
でも拭けば拭くほど、溢れてきて止まらない。どうしてこうなってしまったんだろう。
もう何も分からなくなってきた私の耳に、玄関の扉が開く音と誰かが歩いてくる足音が聞こえた。たぶん、お父さんかお母さん。そう思った途端に、枕をぐっと自分の顔に押し付け、声を殺して泣き続けた。
私の部屋がノックされたのは、それからしばらくしてからだった。
コンコン。と控えめなノックが部屋に響き渡る。
返事はできないままベッドの上でうつ伏せになって泣いていると、ガチャリと扉を開く音が後ろから聞こえてきたので慌てて上半身を起こして目を擦った。両親のどちらかが心配してきたのだろうかと思ったけれど――キングちゃんが部屋の中に入ってきた。
彼女は後ろ手で扉を閉めると部屋の電気を点けて、ベッドにいる私の方へと向き直る。
そして私の顔を見た瞬間に驚きで目を見開いたかと思うと、すぐに怒ったような顔になった後、ずかずかと歩いて私の隣に腰をかけた。
反射的に逃げようと立ち上がろうとしたら、彼女が私の腕を摑んでベッドの方に押し倒してきたので身動きが取れなくなる
「なんで電話に出ないの?」
押し倒されたまま、私は答えられない。
私が何も答えられずに黙っている事に、ついぞ我慢できなくなったのか声を張り上げ始める。
「『電話一本掛けてきなさい』って言ったじゃない!」
そう言いながら私の腕を握る手に力が入り始めていて痛い。だけど、それ以上に私の心が痛くて苦しい。
――ごめんなさい。本当にごめんなさい。
そう言いたいけど、嗚咽しか出てこない口は動いてくれない。それがもどかしくて、自分自身が惨めになる。
そんな私を、彼女の目が睨んでいるのが、涙で霞んだ視界でもなんとなく分かる。もう目を合わせたくないのに、顔を逸らせない。
顔を背ける事すらも許されない気がした。いや、きっとその通りなんだろう。
「けんかだめよー」
キングちゃんの怒鳴り声が聞こえたのか、心配してくれた弟が部屋の扉を開いて中を覗き込いてきた。それを見て、キングちゃんも、私も、一旦は我に返った。二人とも、ベッドの上に行儀よく座る。しかし押し黙ってしまう。
弟の顔が悲しそうに歪み、ゆっくりと扉が閉じられた事で気まずい空気が部屋を包み込んだのが分かった。
私は何を言うべきなのかを考えて……結局言えずに口を閉じてしまう。
「……病気になったのかとお見舞いに来てみれば、毎日セイウンスカイさんと遊んでるってどういう事なの」
そんな事してないよ、と言おうとしたが。声が出なかった。
「貴方のお母さんに聞いた」
そう言われて、私は何も言えなくなった。
「あの話、本当?」
そんな事を訊ねられる。
私は何か言おうと口を開いて、閉じて、また開くを繰り返して……ようやく出てきた言葉は、誤魔化しとしても冴えないものだった。
「何の話?」
声色だけは明朗だったから、なおさら血の気が引いていく感覚がした。
分かっているからこそ出た言葉だったと思う。だって私は毎日それを悔いているのだから。
「前世の記憶があるかどうかのお話」
きっと、弟に諌められてなければ私が泣いて逃げ出すかキングちゃんが腕を掴みかかるかの押し問答が始まっていたのは間違い無かったと思う。
「そんな、荒唐無稽な話を信じるっていうの?」
自分が言い出した癖に、相手の正気を疑うような発言をしてしまったと反省したが時すでに遅し。
前世の記憶のせいにしたくとも、責任転嫁をしようとする自分の情けなさで涙が出そうになる。
だが目の前の相手は私に怒りを向けるでもなく――どこか、悲しげに顔を俯けていた。
「……親友との単なる思いつき話に一度滑ったくらいで、その日を境に全く遊ばなくなったり、電話に出なくなったりするの?」
私はついにその顔を見ていられなくなってしまい目を逸らそうとするが、それすらも許さないと言わんばかりに、両手で頬を掴まれて強制的に目を合わせられる。
彼女の瞳には涙こそ浮かんでいないものの――悲しみと、寂しさが混ざり合っている。
この目を見ていると、心がざわつき始める。落ち着かない。
怖いわけではないのだけれど、居心地が悪い。
だから目を逸らしたくなるのだろうか。
『……まわりのヒトタチがおかあさまのことばかりほめて、わたしじしんのことをほめてくれないことよ。まるでまったくみていないようにね!』
その瞳を見ていると、幼稚園児の時にキングちゃんが泣き喚いている光景がフラッシュバックして、頭が痛くなるのを感じた。
――自分は、目の前にいる『彼女』の事をちゃんと見ていると優しさに見せかけた耳心地の良い嘘を吐き続け、彼女の後ろにちらつく『キングヘイロー』の事をずっと見つめていた。
……今更になってその事を確信した私も、結局、彼女の事を、見つめてあげられてなかったと気づいた。
「……今日は、帰って」
そんな言葉を絞り出すのが精一杯だった。
これ以上喋ると、泣き出してしまいそうで。感情が抑えきれなくなりそうで。
私の頬から、白くて綺麗なお手々から力が抜けたようにしてするすると離れていく。
キングちゃんは、そのままベッドから立ち上がって部屋の扉の方へと向かうと扉を開く前に一度だけ振り向いた。
「嘘でも本当でも……結局、『"私"の事をちゃんと見てくれてなかった』じゃない……」
扉が開いて閉まる音が聞こえて、部屋の中は私だけとなる。静寂だけが支配した後に残るのは、孤独感。
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