私が果たし状に困惑しながら、指定場所の公園まで向かった。
この時間帯から日が落ちるまではいつも近所の子供達が集まって遊んでいる場所。例によって、知り合いの何人かも意図せずこの中に混じっていたりする。
入り口付近に立って辺りを見回す。すると、公園中央にあるトーチカ状の大型遊具の腕を組んで立つ、見覚えのある女の子が見えた。
「来たわね」
私を見つけてそう言った彼女は組んでいた腕を解くと、3mくらいある高さから飛び降りて、スーパーヒーローのように地面に片手と片膝をつくポーズで着地する。
キングちゃんのパフォーマンスを遠巻きに見ていた男の子達や、幼稚園児くらいの子達やその保護者さんが拍手をするが、彼女の目線はその全てを意に介さない。ただ真っ直ぐに、私の瞳を見つめていた。
そして私の前に降り立つと、改めて仁王立ちして私に向かい合う。
……本当に来てよかったのかなんて疑問が浮かぶけど、無視するのも何か違う気がする。
ちゃんと面と向かって、話をしようと思う。
もう、キングちゃんと関わる事もやめにするし、トレセン学園で走る事を目指す事もやめるって事を。
「……手紙を読んだよ。果たし状だなんて、どういうつもり?」
まずは単刀直入に相手の要件から入る。はっきり言って、それも受けるつもりはない。何の決闘かは知らないが、疲れるだけだ。
私が投げ槍な気分になっているのを感じ取っているのかいないのか、キングちゃんは腕組みをしたまま堂々と答えた。
「一流の私に打ち負かされる"権利"をあげる」
……答えてくれているようで、私の質問への答えになってない。
「何が目的かは知らないけれど、追いかけっこの競走ならやるつもりはないよ。別に、もう競い合う理由もないでしょう」
マトモに話し合ってくれなさそうなのでその場から去ろうとするが、背後から怜悧な声色でこう言われる。
「逃げるの?」
その言葉に、私はピタリと足を止めた。そんな私の背に彼女は続ける。
「370戦中、私が180勝、内40戦は後輩の子二人の勝ち。ディオスさんが勝ったのは150戦」
振り返らずに聞いている私に対して、彼女は言い放った。
「つまり貴女の負け越し。いいの? 負けたままで終わってしまっても」
私がキッと振り返って視界に入った彼女の表情は自信に満ち溢れていて、冗談や嫌味といった類の物ではない事がわかる。
何故か久々に悔しい想いが沸き上がり、私は強い言葉で言い返してしまう。
「そもそもの話……私はもうレースとかそういうのに興味ない! トレセン学園に行くつもりもない!! 勝負したいんだったら、他の人に頼みなよ!!」
胸の内に抱いていた事を、ハッキリと伝えた。だがキングちゃんはそれでひるむ様子もない。むしろ余裕綽々と言った様子で答える。
「この私が貴女と、ディオスと勝負したいといっているの。他に誰がいるというの? 同年代で、私相手に終盤で四馬身も距離を詰めてくる子。もう走らないと拒否するなら、同じような事が出来る子を私の練習相手として連れて来なさい」
そう言われると、反論できなかった。子供向けのジュニア競技大会などに赴けば一人か二人くらいはいるにはいるだろうが、私の知り合いで同学年に限定ともなればキングちゃん相手にそれができる人は思い当たらない。
「……私にそんな事をする義理は――」
「あるわよ。五年も前から練習に付き合ってあげたんだから。それもこれも、貴女が私と一緒に走りたいと言ってきたからよ。その投資を無駄にさせるつもり?」
幼稚園時代の台詞を未だハッキリと覚えているかのように、彼女はピシャリと言う。
昔から、理詰めで話し合うと彼女には勝てない。申し訳なさが胸にこみ上げると同時に、大事な約束を反故にした罪悪感ものしかかってくる。
「……分かった。でも、この勝負限りで走るのはやめさせてもらおうと思う」
だから、私はこの決闘については素直に従う事を選ぶ。すると彼女は、私に見逃している点を教え込むように人差し指を立てて告げる。
「何を言っているの? 『決闘』と書いていたでしょう。これはいつものお遊びじゃないわ」
そう宣言すると、彼女はまた腕を組み直して言葉を続けた。今度は、私の逃げ道を潰すように。
「私が勝ったら、なんで私から距離を置こうとしてるのかちゃんと説明して。あと、以前のように私との練習に付き合いなさい」
その言葉を聞いて、胸がズキリとした。
「なんだって、そんな無理強いを……」
「無理強い? いいえ、正当な要求よ。私をその気にさせておいて、貴女の要求を一方的に通してあげるわけにはいかないわ」
まるで当然の権利だと言わんばかりの彼女の傲慢な態度を見て、思わずカッとなる。
「じゃあ私が勝ったら二度と関わらないで!」
売り言葉に買い言葉。感情のままに言葉をぶつけるが、彼女の瞳は揺るがない。
「……じゃあ決まりね」
それだけ言うと、踵を返して公園を後にするキングちゃん。
私もその後を追って公園内から出るが、彼女が足を止める事はなかった。
そのまま無言で歩き続けて、いつも競争で使っている道路に辿り着いてからようやく口を開く。
「1200m先の、お寺前のところに先に辿り着いた方が勝ち」
ルールを説明している彼女に、私は訝しい気持ちになる。
「……いつもみたいに1000mじゃないの?」
「あら、不満かしら? 200m増えたくらいで」
それが小馬鹿にしたような態度に感じて、私はムッとする。
「別に」
短くそう言って、スタート位置となる白線につく。いつも通りの所作で、携帯のストップウォッチアプリを立ち上げる。
「準備はいいわね?」
そう言いながらも既に構えている彼女に対して、私もいつでも走れるように体勢を整える。
そして数秒後、携帯が鳴らした合図と共に同時に駆け出した。
私達のレースにおいて、理論的な話をすれば最強の脚質は《逃げ》だ。
最短最善の位置で走り抜け、他者に道を阻まれる事もない。唯我独尊。なにものに邪魔される事もなく、自分の好きな通りに走れる走り方。
キングちゃんは、その最強に近い走り方をおおよそに好む。
ただそれは、あくまで理論上の話であって実際はそうではない。
複数人が我先に先頭を狙うと、必ずといっていいほど誰かが後続になる。王者の如く走れるなど、その場において最速の者にだけ許される特権だ。
だからこその先行、差し、追い込みという概念が生まれる。悠々と走る先頭のウマ娘を打倒せんと、それぞれの形で虎視眈々と勝機を伺う。
序盤200m。私は、自身が想定していたよりも少し早いペースで走っているのではないかと感じた。
キングちゃんの背中がいつもより近くに感じる。
レースにおいて毎回相手の走り方がどうだこうだと小煩い器官が冴えていれば、冷静に状況を分析してくれるのだけれど。あいにく今の私はそこまで頭が回らない。
――ペース配分間違えたかも。
普段ならこんな事はないのだけれど、逆に考えれば極端な差がつけられてないとも言える。初速で差をつけられなければ、最後のラストスパートで追い抜く事は容易だ。
私達との距離は同じように一馬身前後のまま400m、600mと過ぎていく。キングちゃんの顔色は分からないけれど、いつもなら呼吸に多少の乱れが出てくる頃合いだ。
相変わらず、頭を上げて走る特徴的な姿勢は確固たるままだから、後ろ観察するだけではどの程度の疲れが出ているのかは把握できない。
仕掛け時を測りかねるので、キングちゃんの走り方は戦う相手としては苦手だ。前世もこれが一つの要因で敗北したのでは、と今更に思う。
残り400mを切った辺りで、わずかに彼女の呼吸が荒くなった気がした。
ここだ。ここで、一気に加速して前に出る。私が勝つ時の仕掛け方。200m伸びたとしても、そこに大した変わりはない。
――私の勝ち。
私は意を決してスパートをかけた。ぐんっと前に出る感覚が足裏から伝わってくる。
速度はグングンと増していき、瞬く間に彼女との差を詰める。
しかし、そこで違和感に気づく。彼女もまた同様にスパートをかけているのだ。
疑問に思った次の瞬間、彼女の顔が見えないのに、ニヤリと笑っているような気がした。
瞬間的に背筋に寒気が走る。私が序盤にペースを出しすぎたのかと思っていたが、そうではない。
キングちゃんが、最初にローペースで走っていた。それに気づかないほど、彼女に対する観察眼は錆びついていたのだ。
私と練習している時に見せたことがないほどのスピードをひねり出す彼女を見て、私は戦慄した。
今までの走り方とは真逆に近い、ラストに脚を溜める走法。
私と同じ走り方。
アニメの一シーンのような光景だった。
でもこれは現実だ。夢じゃないし、妄想でもない。
まったく同じ走法で、キングちゃんと私はスパートをかけている。
まるで鏡写しのように、私達二人は同じような速度で走る。いや、むしろキングちゃんの方がいくらか速い。
不思議な事に、私の中には既視感が無い。前世の私でも、こんな走り方をするキングヘイローを見ていない。
――『キングヘイローが纏めて撫で切ったッ!! 恐ろしい末脚!』
頭の中でワッと、人々の大歓声が想起された。実況の声すら、耳元で聞こえたようだった。
目の前にある光景を見れば、何があったのか理解出来る。
キングヘイローという存在が、周囲の景色を置き去りに……まるで、電撃が瞬くように……煌めき……。
――そうして彼女は、私よりも一足飛びに、『ゴール』へと辿り着いた。
私達は公園に戻って、ベンチに座っていた。
勝負は自分の負け。結局追いつけず、最後は背中を見るだけだった。
悔しかったけど、不思議とスッキリとした気持ちもある。
「……それで、距離置いてた理由話してくれる?」
キングちゃんは、自信満々な笑顔でそう言った。汗が夕日に照らされてキラキラと光っている。相変わらず、とても綺麗だと感じた。
負けたら話す約束だったから、意固地になって話さないのも卑怯だと思う。
「……前世の記憶があるっていったよね」
「えぇ」
私の言葉に、彼女は静かに頷いた。
「別に、私の単なる妄想だと受け止めてくれても構わない」
そう前置いてから、ゆっくりと話し始めた。
前世のメイクデビューでキングヘイローという馬に痛烈な負け方をした事。それ以降、最後のラストスパートの競り合いで勝てなくなったという事。
そして、キングヘイローとの再戦を生涯望んで止まなかった事。
「……私が見ていたのは前世の『キングヘイロー』であって、貴女じゃない。それを自覚した時、急に怖くなったんだ。だってさ……」
一度言葉を切る。自分の中で燻っていた感情を言葉にするのは、中々難しいものだと知った。それでも、言わなければならないと思った。
「それはキングちゃんを傷つけるかもしれないし、なにより『前世から続く自分自身』という存在がこの世界の誰にも見てもらえてなかった事に気がついて、怖かった」
――だから、私は逃げた。前世の自分自身を押し殺した。
じゃないと、自分が自分でないような気がして。自分の存在理由が分からなくて。
ただ、ひたすらに怖くて、逃げ出した。
それを聞いたキングちゃんは、私の頬っぺたを両手でぐにーっと引っ張ってきた。
「い、いたひっ」
ビックリして変な声が出る。結構、加減無しに引っ張られている気がする。
「で?」
「……え?」
「たった、それだけの理由で三か月近くも距離置かれてたわけ?」
私は、呆然とした表情で固まってしまった。まさかそんな返答が来るとは思わなかったからだ。
「くっだらない」
「く、くだらないって……」
彼女の一言にショックを受けてしまう。無礼な距離の置き方をしていたから罵倒されるのは覚悟していたものの、さすがにこうもバッサリ切り捨てられると辛いものがあった。
頬が痛いのもあってちょっと泣きそうになる。
「悩んでたんだよ! 生まれた時からずっと!!」
「だったら遠回しにでもいいから誰かに相談しなさいよ!! あんな親身に接してくれるお母様がいるくせに!!」
涙目になりながら叫ぶと、それ以上に大きな声で彼女が叫んだ。あまりの剣幕に驚いてしまう。
「わ、
咄嗟に出た反論は、自分でも驚くほど卑怯な言い回し方だった。
だが、彼女は表情を変える事なく、押し黙ったままムニムニと頬を揉んでくる。
ひとしきり揉むと満足したのか、彼女の手は離れていった。
「前世の私がディオスさんの事をどう思っていたかまでは知らないけど……」
そこで言葉を切って、一呼吸入れる彼女。真剣な眼差しでこちらの瞳を見つめてくる。
「
この五年の付き合いで感じた事は、それが全てよ。そう言って彼女は、私の体を抱きしめた。
「他の人だって、同じようなもんでしょう。いちいちそんなくだらない心配する事ないのよ。このへっぽこ」
――……やはり、この子の成長具合にオレは敵わん。
その確信を持った時、鈍っていた器官が恥ずかしさに音をあげて声を漏らしたような気がした。
耳や尻尾がピンと立ってしまっていて、きっと隠せていないだろう。顔が赤くなっているかもしれない。
自分の心臓の音がうるさくて仕方ないし、嬉しさのあまり、全身が熱くて堪らないのだ。
「憧れを持つのは前世のキングヘイローだけではなく、私の事もちゃんと見なさい。それとも、今日の走りはそれに値しないとでもいうの?」
ほぼゼロ距離で顔向き合わせて語る彼女の顔から、目を逸らせない。
言葉が上手く纏まらない。頭が真っ白になって、口がパクパクと開閉するだけだ。
夕日に照らされたその顔は年齢不相応にとても凛々しいもので、見惚れてしまった。
――……まずい。
妙なカリスマ性があると昔から思っていたが、自分が、あるいは相手が男でない事を恨む感情が場違いにも再び沸き上がってくる辺り、重症なのかもしれない。
いや、そんな感情を1ミクロンでも抱いてる事を知られれば今度こそ修復不可能なくらい嫌われる。そして【人生一番の後悔】を記録更新する。間違いなく。
「……まさか、まだ何か私に隠してるんじゃないでしょうね!?」
――ごめんなさい。本当にごめんなさい。……いや、許して、マジで。
そう心の中で謝罪を繰り返しながら、疑うような熱視線から逃れようと必死に顔を背ける。しかし、それを許してくれるほど彼女も甘くない。
それどころか、逃すまいと頬っぺたを両手で挟まれた。彼女の手がひんやりと冷たい。自分の頬は焼けた鉄の如く赤熱しているのだろう。
「……なんでそんなに赤くなってるの?」
心臓がバクバクいっているのが分かる。体が火照っているのも分かる。恥ずかしさのあまり涙が浮かんで視界が滲む。
それでもなお、こちらを問い詰めようとする彼女に、キャラに似合わず大泣きしかけた。その時だった。
「仲直り済んだ~?」
いつの間にか近くまで来ていた……セイウンスカイが、ニヤニヤとした表情で私の肩に顎を乗せてきた。
どうやら一部始終を見ていたらしい。
「おかげさまで」
セイウンスカイの登場で、ようやく解放されて安堵の息を吐く。同時に、涙腺が崩壊する。
「お、おかげさまってどういう……!!」
私は二人の顔へ交互に視線を移して、涙声で問い詰めた。
「いやぁ、実は最近このキングちゃんにディオスちゃんと仲直りしたいと相談されて……『レースで負かしたら律儀に男言葉使ってくれたよー』って教えてあげたんだ~」
……そういえば、そういう事、あったね。うん。
「それでー、猫目の子やボブヘアの子とも話し合って、一計を案じてねー。キミの性格から、どういうやり方なら、素直になってくれるかな~、って……」
やっぱり青空みたいに純粋な子じゃなくて策士だわこの子。
「それで、なんで二人はそんなに仲良さげなのかなー?」
からかうように笑うセイウンスカイ。それでようやく、キングヘイローの方も抱きしめすぎなのだと自覚して抱擁をといてくれた。
……助かった。
涙を食い止め内心で胸を撫で下ろすが、何故か後ろからセイウンスカイが両手を回して抱きしめてくる。
「……何してんの?」
「……んー? マーキング」
そう言ってグリグリと肩に顎を押し付けてくるセイウンスカイ。意味が分からん。地味に痛いのでやめて欲しい。本当に猫じゃあるまいし。
そんなやり取りをしている私達の様子を、呆れた様子で眺めているキングヘイロー。彼女はため息を一つ吐いてから口を開いた。
「ともかく、ディオスさんは約束通りこれから私の練習に付き合う事ね。嫌なら、負け越しの数取り返してからにする事」
なかなか厳しい数だと思うが……まあ、構わないだろう。どうせ断る理由もないのだし。
「……分かった」
頷く私を見て、満足そうに笑みを浮かべるキングヘイロー。
「私の前世とやらがどれだけ一流であろうが、今の貴方の視線を釘付けにするのはこの私よ。覚悟なさい」
たぶん、この自信が揺らがない限り、前世の事で彼女を傷つける事はないだろう。
そう確信できる程には信頼している。だから、安心して再び頷いた。
「キングちゃーん。ディオスちゃーん!」
遠くの方から猫目とボブヘアが駆けよってきながら呼び掛けてくる声がする。
その声を聞いた私達は顔を見合わせて笑った後、彼女達の方へ歩いて行ったのだった。