「ディオス。あなたに大事な質問をするわ」
大晦日のこと。いつも優しい笑顔な母ちゃんは、今日は真剣な顔でテーブルを挟んでオレと向かい合っていた。
「前々からいっていた通り、貴女はトレセン学園に入学したいのよね?」
迷わず頷く。入学する為に体力が足りんというなら今の倍以上頑張るつもりだし、学力が足らんというのなら死ぬ気で詰め込んでもいい。
オレがそういう想いを込めた表情を示すと、母ちゃんは静かに息を吐いて目を伏せた。何か言い淀むような様子を見せる。
「ディオス。では、なぜトレセン学園に入りたいの?」
オレは迷う事なく即答した。
「レースで勝ちたい。ただそれ一つ」
……勝たなきゃ、『ウマ娘』に生まれ変わった意味が無い。
大晦日。オレは母ちゃんに「気分を晴らしてきた方がいいわ」と促されて商店街に繰り出した。
一足早いお年玉を貰えど目的はなく、ブラブラ歩いている。
「……やっぱセイちゃん相手だけっつーのもアレだし、キングのヤツに髪飾りでも買うかー? んー、いやどうせなら猫目やボブヘアと一緒に行って似合うの選んだ方がアイツも喜ぶだろうし……」
独り言を漏らしながら歩く道すがら、派手な髪色のウマ娘が目に入った。桜色の髪の毛。おそらく同年代だろう。それ以上に幼い印象を抱かせるのは、キョロキョロと楽し気に周囲を見回していて、好奇心旺盛というか落ち着きがないというか。
「…………」
よくよく観察していれば、保護者が近くにいるわけ風でもなく、迷子なんじゃないかという疑惑が持ち上がってくる。
10歳児の自分がそう思うのもなんだが、その子は傍から見ていて危なっかしくて心配になる。
そんな事を考えつつ、つい目が追ってしまうその子は、不意に足を止めたかと思えばオレの方を見た。バッチリ目が合った。それからすぐに自分の方へと駆け寄ってくる。
「こんにちはっ!」
屈託のない笑顔で、元気いっぱいに挨拶された。
「こ、こんにちは」
いきなり話しかけられた事に内心驚く。
子供特有の、距離感の近さみたいなものを感じる。これはアレだ。幼稚園時代によく味わった、幼さゆえの怖いもの知らずの人懐っこさだ。
邪険に扱うのも大人げない気がするので、無難に対応する事にした。
女の子としてはヤケに背が高い自分は、とても小柄な彼女に目線を合わせるように屈む。
相手が迷子である可能性も踏まえて、なるべく優しく声をかけるよう心がけた。
「えっと。あなた、お買い物中?」
そう訊ねると、ハッと気づいた様子でポシェットから地図らしき紙一枚を取り出す。
「ううん、神社にお参りに行きたいの! それでねっ、道をたずねたくて……」
周囲のたくさんいる大人達ではなく、子供の自分に?
そう思いつつも、商店街の店員達や往来を行く人々は忙しなく動き続けている。師走、この日は特に忙しい。大人達の仕事を邪魔しちゃ悪いと判断したのだろう。
周囲の中でも忙しい用事があるわけでもない自分は、一歩前に歩み出て申し出る。
「よければ、私が直接神社まで案内しましょうか?」
彼女はしばしきょとんとした顔をしていたが、こちらの申し出を理解すると春が芽吹いたような明るい笑顔を見せてくれた。
「えへへー、助かっちゃった! 持ってきた地図から道を割り出すのが難しくって」
「この地図じゃ、家から神社までの道を理解するのは縮図が大きすぎて厳しいんじゃないかな~……」
彼女から受け取った紙一枚は、47都道府県を記した日本地図。道案内を申し出たのは正解だったかもしれない。
「年が明けてから初詣って人は多いけど、一人で年末詣なんて行儀が良いんだね」
そう褒めてあげると、首を傾げられる。
「ネンマツモウデ……?」
どうやら言葉の意味が解らなかったようだ。自分だって前世で世話してくれた人が話しかけてくれたのを覚えてなければ、知らずに生きてるであろう言葉だ。
「うん、ともかく。えらいってこと」
「そっか! ほめられちゃった♪ うっらら~♪」
無邪気に喜ぶ彼女の笑顔を見て、私はつられて笑顔になる。
神社に向かう最中、隣を歩く少女は、楽しそうに歌を口ずさんでいた。
「おひさまぽかぽか。そんな日でした~♪ 風もなく絶好の日向ぼっこ日和だったので~、私は芝の上でごろんと横になっていたのです~♪」
……歌詞の意味はよく分からないけれど、呑気で明るい声色と相まってか聞き心地がいい。
「上手だね」
「えへへ、ありがとう! 将来はね、ライブでみんなに元気を届けるような曲を歌うのが夢なんだぁ~♪」
「ウイニングライブ?」
「そう! 学校のクラスメイトが『きっと一番のアイドルになれるよ』って褒めてくれて、だからトレセン学園に入学する為に走るのも歌うのも一生懸命練習してるの!」
好きな事について語る時、大概の子は一番生き生きとする。それは彼女も例外ではないようで、身振り手振りを交えながら興奮気味に話している様子に頬が緩む。
「本当? 私もトレセン学園目指してるんだ。神社まで専用道路が一直線に走ってるし、試しに駆けっこする?」
その一言を聞いた途端、彼女は嬉しそうに笑顔を弾けさせる。
「やろうやろう~!!」
それから腕をぶんぶんと上下に振っていた。
セイちゃんやキングちゃんはもちろん、猫目ちゃんやボブヘアちゃん達も油断はできないくらい速いから、トレセン学園を目指してるっていうこの子もきっと速いんだろうなぁ、想像してスタートが楽しみになった。
「ぜぇ、ぜぇ。ぜぇ、ぜぇ……」
「…………」
先ほどまでの元気はどこへやら、競争相手であるはずの彼女は神社への道半ばで両肩をだらりと下げて歩いている。
うん、なんというか、こう、言っちゃ悪いんだが、今まで競い合ってきた相手の中で一番遅いくらいの印象しか持てなかった。
そもそも勝負にならなかったので一緒に歩く事にシフトチェンジしている始末だ。
「……今日は調子悪い?」
「ううん。むしろ調子が良いと思ってたんだけど、でへへ……」
ぐったりしたまま答える彼女。表情からも明らかに疲弊してるのが分かる。
とりあえず神社の石段を登る前に、自販機で買った飲み物を渡してひとまず一緒に休憩する。
「あ、ありがとう……」
「どういたしまして」
冷たい清涼飲料水を飲んで。火照った体を冷やしながら呼吸を整えていく。ようやく喋れる元気を取り戻せた彼女は、休憩がてらに彼女自身の事を話してくれた。
「わたしね、この前商店街主催の小学生ウマ娘部門のレースに出てみたんだよっ! 四年生になったから、初めて試合に出場したんだ!!」
商店街では、ウマ娘の子供たちによる走り比べ大会がたまに開催されている。優勝すると商店街で使える商品券だとか、あるいは運動靴だとか。ジュニア大会ほどちゃんとした試合ではないが、それでも一つの競争の場だと思う。そういう場で初試合を積むというのもバカにならない経験だ。
「へぇ、何着だったの?」
「なんと4着!」
「わぁ、がんば……」
……商店街のレースって1ラウンド定員4人だった記憶がある。
「えぇっと……頑張ったんだね」
まさかそれしか感想が出てこないとは自分でも思っていなかった。だけど当の本人はご満悦の様子。
なんというか、あまりにも目の前の存在が純粋すぎて胸が痛くなった。いや、比較対象のキングやセイちゃんが他より大人びてるだけなのか……。
「……よし、階段登らなきゃ!」
休憩も短めに、まだ調子を取り戻してないであろうに高い石段を歩き始めた彼女を見て驚かされる。
登り始めた階段は長く、そして急で、一歩一歩進む度に太ももに負荷がかかる。
「暗くなるまでまだまだ時間はあるんだから、そんなに急がなくても」
自分の言葉が届いているのだろうが、それでも彼女はダッシュ気味に石段を登っていく。
致し方なく、頂上までついていった。
「う、うぅ、げ、げんかい……」
神社に到着すればさすがに息が切れてしまったのか、それとも体力的に限界だったのか、彼女はその場に座り込んでしまう。
私は彼女に手を貸す形で、本殿前まで一緒に連れ添った。
彼女の額には汗が滲んでおり、息も絶え絶えといった様子だ。無理もない。
境内を見渡す。小さな神社ではあるが、きちんと掃除されており、神職の人も定期的に管理してくれているようで落ち葉なども見かけない。大晦日という事で、昼の時間帯でも参拝客がちらほらいる。
まずは手水舎で身を清める事にした。お互いこの行為はあまり理解できていなかったが、そこは見様見真似。
「尺から直接のんじゃだめだよー」
二人揃って参拝客の大人に注意されたが。
次に賽銭箱に硬貨を投げ入れる。二礼二拍手一礼をして神様への挨拶。
――将来、オレがレースで勝てますように。
自分は自分で願い事をしていると、隣の彼女もお祈りの姿勢を取りながら目を瞑っていた。
「無事に産まれますよーに……!」
「……妹さんの出産中?」
呟きに反応して目を開ける彼女。彼女は首を横に振る。
「ううん、お向かいさんの人がね。病院に運ばれていったの。今日、出産だって」
どうやら近所の妊婦が、産気づいたらしい。
心配なのだろう、表情に不安の色と真剣さが見える。
「……お向かいさんが無事であるように、神様に御祈りしに一人で飛び出してきた?」
彼女はコクリと頷く。そんな彼女の頭をポンポンと軽く叩くように撫でると、くすぐったそうに笑った。
「……じゃ、自分もそのお向かいさんが無事に出産出来るようにお願い事取り換えで」
再び手を合わせて、頭の中で願い事を思い浮かべる。
――無事にその赤ん坊が生まれますように。
それから本殿を離れ、石段をくだっていく。
「帰りも案内しようか?」
「え、いいの!?」
不思議とこの子ともっと話がしたいと思い、余計なお世話だと思いつつもそんな提案をしてしまう。
その後の帰り道はゆっくり歩いた。お互いの身の上話だったり、好きな食べ物の話だったり、とにかく他愛もない話で盛り上がる。
「あなたは、トレセン学園に入ったらひとまず何を目指したい?」
個人個人で芝・ダート、それ以外にもクラシック路線だとかティアラ路線だとか、あるいは特定の重賞レースで勝ちたいとか適当な目標がある。適性判断などもあるので時期早々かもしれないが、それでも聞いてみたかった。
「わたしの目指したいもの……?」
腕を組んでうーん、と考え込む。しばし考えて、答えがまとまったようだ。
「わたしは、みんなにいっぱい喜んで、楽しんでもらいたいっ!!」
……純粋な言葉だ。いや、だが、自分が聞きたいのはそういう事では……。
「そうじゃなくて。どのレースで勝ちたいか、とか……何回勝ちを狙うか、とか」
「へ?」
きょとんとした表情で、目を点にする彼女。
「……あ、そっか。距離とかレース場とか、規模とかもぜんぜん違うもんね! ……今の時期からそういう事も見据えてるなんて、キミってすごいねぇ~っ!!」
感心する彼女をよそに、自分も目が点になりかけた。
「……どれだけの数勝ちたい、とかも考えた事ない?」
「うん! でも、たくさん勝った方がみんな喜んでくれるかな? だったら、わたし、いっぱい走って、いっぱい勝っちゃうよ! 具体的には、そうだなー……100回、ううん、それよりもっと多く!!」
「…………」
オレは将来勝てるかどうか、強い不安を抱いている。大概のウマ娘はそうだろう。
キングヘイローやセイウンスカイでさえ「母親に認められたい」だの「大切な人の期待に応えられるかどうか」だの、将来勝てるかどうかの不安を少なからず抱えているというのに。
この目の前のウマ娘は、まったく違った価値観を持っていた。
「……もしもさ」
彼女は首をかしげる。
自分達の世代にとって、この言葉は
けれど、あえてそれを口に出すことにした。
きっと、この子はその答えを出してくれるかもしれないと少しでも感じてしまったから。
「……100回レースに出て、その100回全部勝てなかったら、どうする?」
これは自虐ではない。自分にとっても命題であり、本心だ。
その言葉を聞いた途端、当然のように彼女は答える。
「101回目のレースに出場する! 101回目のレースがダメなら、102回、103回! それを続けていけばいつかきっと勝てるよ!」
彼女の答えを聞いて、オレは無意識に下唇を噛んだ。
「……どうしたの? おなか痛いの?」
オレの表情を心配し、腹痛を疑う彼女に首を横に振る。そして、まだ訊ねていなかったことを訊ねる。
「……私はディオス。あなたの名前は?」
その言葉に一瞬呆けた顔をしてから、にっこりと笑って彼女は言った。
「ウララ。ハルウララ!!」
まるでサクラの花びらが咲いたような無垢の瞳をキラキラと輝かせて、元気いっぱいに答えてくれた。
「ウララちゃーん! 奥さん、無事に産まれたってよ!」
「え、ホント!? よかった~ぁっ!!」
「落ち着いたらウララちゃんもお見舞いにきてほしいって、旦那さんがいっとったよー」
商店街を通る帰り道、店主のおじさんや主婦らしきおばさんが、ハルウララにそんな世間話を投げかけている。
ずいぶんと、愛されているらしい。もしかしたらこの商店街で一番顔が広いウマ娘はこの子じゃないかと思えてくるほどだ。
……ネガティブ成分ゼロで頑張ってる姿は、自然と応援したくなるから気持ちはわかる。
「こっからなら道案内の必要はなさそうね?」
「うん、道案内どうもありがとうディオスちゃん!!」
商店街でウララと別れる。
また会えるだろうか、と思ったが。彼女も自分と同じくトレセン入学するのだからいずれ会えるだろうと思い直す。
しかし彼女の実力で、それが敵おうものかとも考える。
『うん! ディオスも、あのお姉ちゃん達みたいに、お歌が上手くなりたい!』
……幼稚園児の頃、母親の「ウイニングライブで踊りたいのか」という質問に対してそう嘯いた事がある。
『でもね、このお姉ちゃん達はお歌や踊り、もちろん走るのが上手いだけじゃないの』
『えー?』
「…………母ちゃんは、たぶんあの子みたいな存在もいるってことを言ってたんだろうな……」
何気ない昔のやり取りだと思い込んでいて。
そして数年経って、ようやくそれが重要な事なのだと理解した。
「お母さん」
家に帰って。リビングの椅子に腰掛けていた母親へ、自分は向き合った。
母ちゃんは、こちらを見つめて何かを言いたげに目を細める。
「私がトレセン学園に行くには『レースで勝ちたい』、だけじゃ。ダメなんだよね?」
その動機だけで入学したり、高みに到達出来るウマ娘がいる事は否定しない。
ただ自分の母親が求めている事はそうじゃない。それだけじゃ、安心して学園に送り出せない。
それを判断するために、母ちゃんはこうして自分が戻ってくるまで待っていた。
その真意を汲み取るため、自分も腹を割って話すことにする。
「ねぇ、お母さん。私はキングちゃんに、その他の強いウマ娘にも勝ちたい。それは今も変わらない。でも、大事なのはそれ一つじゃない」
私の言葉に、母ちゃんが眉を寄せた。何かを察してくれたのかもしれない。
続きを言葉にするのに手間取る。地頭が足りないのが口惜しい。
どれだけ手間取っても、母ちゃんは待ってくれていた。
……そもそもを思い出せよ。前世であんな必死に走ってた理由の一つは、「世話してくれてる人間が喜んでくれるのは、悪い気分じゃない」ってことだったろ?
じゃあ、後は単純だろ。この場合は小恥ずかしい台詞を言う為の度胸か。
「勝って、お母さんやお父さん、弟も、それに応援してくれるみんなを喜ばせたい」
それを口にすると、母ちゃんは微笑んだ。
「うん、大正解」
母ちゃんは立ち上がり、オレの頭をそっと撫でてくれた。
「……このままトレセン学園を目指しちゃうと、ディオスが潰れちゃうんじゃないかって。実は内心、反対だったの」
そしてそのまま、ぎゅっと抱きしめられる。
そのぬくもりに、オレは何も言い返せず黙り込んだ。
抱きしめられている最中に、ハルウララが商店街の人々に愛されていた姿を思い返す。
「…………とある方面じゃあ、キングヘイローやセイウンスカイよりずっとずっと強敵じゃねぇのかね、アレは……」
……なんとなく、実力のない彼女でも――無心*1な彼女だからこそ、トレセン学園に入学してくるんじゃないかという確証があった。