……年が明けて、新しい太陽が昇った気持ちの良い新春。私は友人達それぞれに『あけましておめでとう』といったメールを送っていた。
それぞれからの返答は『あけましておめでとう』といった挨拶から始まり、『お年玉いくらもらったー?』や『おばあちゃんちにきてるんだー!』と言った他愛もない内容が続く。
そうして猫目やセイちゃんからも返信が届く。内容は実にシンプル。
『あけおめ! ことよろ!』
『ことよろ~』
畏まって送ってこない間柄だから、逆に気楽でいい。ボブヘアの方は……。
『今年もよろしくおねがいします~。昨年はお世話に――』
……うーん、猫目やセイちゃんと違って若干畏まった感じになってるが。これはこれで感心。
さて、肝心のキングヘイローは……。
『あけましておめでとう。ところで今日、空いてるかしら?』
……いきなりお誘いらしき文面が来ている。まぁ、正月早々練習というのならば望むところだけど。
『空いてるよ。何かお誘い事?』
携帯の画面をニコニコとしながら眺めつつ、そう返事をする。
2分も経たずすぐに返事が来る。内容は簡潔で、とても端的なものだった。
『家出するから付き合って。一緒に来なさい』
えええええええええええ……。
「考え直した方がいいよ!」
ひとまず指定された駅前へ向かい、リュックを背負ったキングヘイローを目の前にしてそう説得する。
「もう決めたのよ」
こちらの心配をよそに、彼女は腕組みをしてふいっと顔を背けてしまう。
こんな突拍子も無い事をするような子じゃないのに、いったいどうしてしまったんだろう。
そう思いながら彼女のリュックに目を向ける。パンパンに膨れ上がり、かなり詰め込んでいるように見える。
「で、でも家出に付き合うっていっても、私は家出するつもりは、その……」
しどろもどろになりながら言葉を濁す。そんな私を前に、キングちゃんは腕を組んだまま受け応える。
「……降車駅までついてきてくれるだけでいいわ。もちろん、往復の電車代も出す」
あてもなく彷徨うわけじゃないらしい。放っておくとどうなるか分からないとも思い、私はまず行先を訊ねる事にした……。
「……なんで温泉旅館に行こうと思ったの?」
二人となり同士の席に座って電車に揺られる中、キングちゃんに訊ねる。
今日は正月という事もあってか人も多く、車内はかなり混雑していた。おかげで肩を寄せ合って座らないと窮屈だった。
窓から差し込む日光が、キングちゃんの綺麗な茶髪を照らしている。その髪は、光を浴びてキラキラと輝いていた。
……髪、綺麗だなぁ。
ぼんやり見惚れながら、彼女が口を開くのを待つ。しばらく眺めていると、ようやく言葉が返ってきた。
「泊まれるでしょう」
それだけ言って、そっぽを向いてしまった。
自分の両親や、あるいはキングちゃんの御両親に電話で伝えた方がいいのかもしれないとは思った。
けれど、何故か電話を手に取る気になれなかった。理由は自分でも分からない。
「じゃあ、一緒にお泊りしよっか! なーんて……」
冗談交じりで笑ってみると、キングちゃんは何も言わずに私の袖を掴んできた。
そしてそのまま、静かに身を寄せてくる。元々肩を寄せ合っていたから、体重を預けてきた形に近い。
……いつもなら私の下手な冗談を鼻で笑ってくれるような子なのに。本当にどうしたのだろう。
そうして私達は電車に乗って、揺られること数十分。駅に降りたらいくらか歩いて、温泉街へとたどり着いた。
到着した旅館は、まさに絵に描いたような老舗の旅館といった感じだった。入浴のみも受け付けており、中には家族連れや老夫婦など、多くの人が訪れているようだった。
「……ここまでついてこなくてもいいのに」
受付の順番待ちを前にして、キングちゃんが不満げに呟く。
だけど、彼女一人を放り出して帰るわけにもいかない。
「だいじょうぶだよ! キングちゃんと一緒なら何日だって!」
「ばかね。小学生だけで泊まれるわけないでしょう」
緊迫したシリアスを崩そうと恥ずかしい宣言を出すが常識であっさりかわされてしまい、恥ずかしさで顔が爆発しそうになる。
「え、じゃあなんで……」
困惑しながら受付の順番が来ると、キングちゃんは「入浴で。お願いします」と受付さんに告げてから、さっさと会計を済ませてしまった。
料金表を見る。支払ったのは子供二人分。
「……私も入るの?」
「あら、せっかく来たのに入らないの?」
さも当然のような口調で言うものだから、私はそれ以上何も言えなくなった。
真っすぐ脱衣所までついていって、周囲を見回す。当然だが女湯だから女性しかいない。
漫画やアニメの転生モノに倣ってここは動揺するべき場面なのかもしれないけど、全くそうはならなかった。
人間の女性ならばむしろ気兼ねが無いくらいだ。人間の男性相手の方が裸を見せたり見たりする事に抵抗がある。
……そもそもここに牝馬がひしめき合ってたとしても、奴らは全裸だ。そういう事情もあって、なんというか、転生モノとして絶好のシチュエーションだろうに感慨がない。
「そうあまりじろじろ見ないの」
キングヘイローに注意されて「はい」と返事をする。確かに同性であってもまじまじと眺めるというのは失礼だ。素直に従っておく。
上着、スカート、シャツと順番に脱いでいき、下着姿になる。
ブラのホックを外して乳房を解放すると、小さくため息を漏らしてしまう。
最近また胸が大きくなってきたので、そろそろ新しいブラジャーを買いなおさないといけないかもしれない。
「……こんな大きくならなくてもいいのに」
「自慢?」
思わず愚痴をこぼすと、横にいるキングちゃんにそんな事を言われてしまった。
彼女はパンパンになっているリュックからバスタオルやら着替えやらを取り出してロッカーに入れている。……何が入ってるのかと思ったら、衣類一式だったか。
「そうはいってもさ、気に入った服は着られなくなるし走る時に痛いし……」
大人になった時に人並みはあった方がいいとは思いつつも、大きすぎても邪魔だと思う……。
そうへこみながら隣で同じように服を脱いでいるキングちゃんに目を向ける。
均整の取れた美しい肢体。シミ一つない真っ白な肌。スレンダーな身体つき。彼女の胸の大きさは……。
「何か言いたそうね?」
……じろじろ見るのは失礼なので下馬評をくだすのはやめておいた。
浴場に入って、まずは体を洗う為にシャワーの前に並んで座る。
「そういえば、キングちゃんとこうやって一緒にお風呂入るのって初めてだねー」
シャワーでお湯を浴びながら、ふと思い浮かんだ事を口にする。
横で髪を洗っていたキングちゃんは、長い髪を撫でるようにしながら私に答えた。
「……六年生になったら修学旅行で一緒に入る機会もあるだろうし、トレセン学園に入れれば合宿でも一緒に入る機会があるんじゃないかしら」
どこか投げ槍に言うキングちゃん。表情は見えないけれど、少し声が暗い気がする。
……何かあったのだろうか。つい先日までは元気だったのに。
「髪洗ってあげようかっ!」
悪ふざけ気味にそういえば、いつものように叱りつけてくれると思って。しかし、彼女は無言で自分の髪を洗っていた手を降ろした。その反応に少し驚く。
「洗ってくれないの?」
戸惑っているとそんな風に言われたので、シャンプーを手に取ってキングちゃんの髪に触れる。
指を通してみれば思ったより細くて柔らかい感触があった。ゆっくりとマッサージするように洗っていると、次第に頭が傾いでいく。
……気持ちいいのかな?
鏡越しに彼女の顔を見ると、なんだか思いつめているような顔だった。
「……お母さまに『トレセン学園を目指すのはやめなさい』と言われたわ」
キングちゃんがぽつりと呟いた。
「『才能がない』って」
そのまま沈黙が流れる。私はなんと答えていいか分からず、とりあえず洗うのを続けた。
どういった返答が正しいのかが分からない。ただ今は黙って話を聞いてあげるべきだと思った。
「……お母さまが凄いウマ娘だって事は、私も分かってる。海外のG1をいくつも取って、今はウマ娘の勝負服を主に請け負ってるデザイナー。それと比べたら、私の走りなんてオママゴトなのかもしれないけれど……」
キングちゃんはぽつり、ぽつりと言葉を連ねる。家出だなんて唐突に言い出したのは、母親との確執が原因なのだろう。
「……キングちゃんのお母さん、キングちゃんの事を大切に想ってるからこそそんな言葉が出たんだと思うよ」
前々から母親がそう酷い人物ではないと思っていたせいか、擁護の言葉が口に出してしまう。そうすると、鏡越しの彼女の顔が少し歪んだ。
「大切に想ってる? なら『頑張りなさい』の一言くらいくれたっていいじゃない。反対するにしたって、『才能がない』なんて言い方しなくてもいいじゃない」
段々と口調が強くなる。
自分の努力を認めて貰えなかった事が悲しいのだろう。
私は彼女の努力を知っている。母親がキングを愛していないわけではないのも知っている。
そのどちらもがすれ違っているような。もどかしい気持ちだ。
「だけど…………」
喉元まで母親の擁護が出かかって、そうしたらますます彼女を不機嫌にさせるだろうと思って口を噤む。
たとえどんなに優れた擁護が出来たとしても、今はそれを言うべきでない。そう思った。
彼女の髪を丁寧に洗い終えると、ボタン式の蛇口を押してお湯をかけてあげた。泡が流れ落ちていくと、綺麗な茶色の髪が現れる。
俯いている彼女の表情は伺えない。笑ってはいないだろうけれど。
「はい、交代」
キングちゃんはそう言うと、今度は私の後ろに回ってくる。家族以外に髪を触らせるのは気恥ずかしいけれど、自分が洗っておいてそれを理由に断るのも悪い気がした。
大人しく座っていると、優しい手つきで髪に触れられる。誰かに頭を洗ってもらうのは心地よかった。
頭皮を揉むように撫でられると力が抜けてしまう。美容室では目を閉じてリラックスしてしまうのだが、同じような感じだろうか。それとも相手が友人だからかな。
そんな事を考えつつされるがままになっていると、不意に声を掛けられた。
「あなたはお母さんからどういう風にいわれた?」
「トレセン学園を目指す事について?」
「えぇ」
大晦日に、母親とちょうどその手の話題をしていた事を思い返す。
「……私が潰れるだろうから、実は反対しようかと思ってたって。あまりにも勝ちにこだわりすぎていたから」
母親に言われた事を思い返しながら答える。
キングちゃんは手が止まった。何か思う所があったのかもしれない。
「でも、走る事で誰かを喜ばせたいっていう気持ちがある事も伝えたら、応援してくれるって言ってた」
反対はされてない事を伝えると、再び手が動き出す。
それからしばらくの間、二人とも無言だった。
髪を洗ってもらい終わり、シャワーで泡を流してもらう。
シャンプーの香りがほのかに漂う中、髪は洗い終わった。
「体も洗いっこしよっかっ!!」
「いや、それはさすがに……」
お互い自分で体を洗い終えると、露天風呂に向かう。二人並んで座り、肩まで浸かる。「ふぅ」という声が自然と出た。
空を見上げれば湯気が立ち上っているのが見えた。今日は天気が良いので、夜になれば星空がよく見えるかもしれない。
「……私の誕生日にね。お母さまは手作りケーキを作っていた事があるの」
……はて、前は母親から手作りのお菓子を貰った事が一度もないという話を聞いたが。
そう思いながら話を聞いていると、すぐに事情を理解した。
「でもね、料理が出来ないくせにケーキなんて作るから真っ黒こげになって。結局は見栄えのいい、お店のケーキを私にくれたのよ。すごくおいしかったわ」
彼女は懐かしそうにそう言った。なかなか笑える話だから、自分も聞いてて笑みが浮かんだ。
「……私は、黒焦げでもいいからお母さまの手作りの方を貰いたかったけど……」
表情は笑みを浮かべているのに、そう語る声はどこか寂しげだ。
つまるところ、どれだけ愛情からの心配であろうが、どれだけ思いやりのある行いだろうが、当人にとって本当に欲しいものでなければ意味はない。
言葉だって、彼女にとってはそうなのだろう。
「トレセン学園目指すの、諦める?」
「まさか。諦めるわけがない」
少し不安になって質問を投げかけてみたが、間髪入れずに強気な言葉が返ってきた。
「才能がない? だったら将来大きなレースに勝って『私が間違いでした』って、ぎゃふんと言わせてやるわ!」
むしろ反骨精神を滾らせている彼女に、思わず苦笑すると共に安堵した。
目指すのをやめるだなんて言われたら、自分は目標を失ってしまう。数か月前くらいに自暴自棄になってた自分を思い返すと、頼もしいやら恥ずかしいやら。
「……何時くらいまでいる?」
ここまでのやり取りから、日帰りの"家出計画"なのは理解してきた。だけど、午後七時や八時なんて時間にもなれば親御さんが心配するのは間違いないだろう。
「そうね、お母さまから帰ってくるように連絡がきたら。それくらい、心配させたってバチは当たらないでしょう」
「……じゃあ門限少し過ぎたくらいかなぁ」
それまでまだまだ時間があるし、ゆっくり正月風呂につかる事にしよう……。
『一人でどこに行っているの。帰って来なさい』
風呂上りの午後三時頃。休憩室で涼んでいると、キングヘイローの携帯にそんな電話がかかってきた。
「……別にいいでしょう。まだ三時なんだから」
キングヘイローは母親の言葉を突っぱねるように言い返す。さすがのキングも、こんな早い時間帯から心配されるとは思っていなかったようで、少し困惑している。
『いい加減にしなさい。他人に心配をかけないで』
だが、母親は頑として譲らない。その声はいつもよりも強く聞こえる。
自分は口出しすべきではないだろうと成り行きを見守った。
「嫌よ。お母さまがトレセン学園に入学させないっていうなら、私は家に帰るつもりはない」
キングちゃんがそう言い捨てると、しばしの沈黙が流れる。
『……私は「入学はさせない」とは一言も言っていないわ」
キングヘイローの母親が言う。その言葉にキングは目を丸くする。私はそれを聞いて、やはり介入しない事に決めた。
「え、でも……」
『才能がないからやめなさい、とは言ったわ。でも決めるのは"あくまであなた自身"』
キングヘイローが母親に反論しようとしたところに、かぶせるようにして言う。
キングヘイローは一瞬固まった後、口を閉ざした。
『行きたい道があるなら行けばいい。やりたい事があればやってみればいい。それがどんな結果になっても、それは全てあなたの自己責任』
そして、まるで言い聞かせるかのようにゆっくりと語り掛ける。
その言葉はどこか突き放したような言い方であり、厳しさを感じる。
しかし、不思議と冷たい印象はない。その発言の根底にあるものがなんとなく理解出来ているから。
……もっとも、キングちゃんにとってはどうかは分からない。
『その上で、私は「あなたには向いていない」と思っている。きっと、私と比べられて苦しむ事になる。普通の子なら上々な成果であるG2やG3を勝ってさえ、親の七光だと笑われる事になる。今のうちに諦めた方がいい。絶対に後悔する事になるわ。分かった?』
キングヘイローは何も答えない。
『……ともかく、早く帰ってくるのよ』
しばらくしてから、母親の方から電話を切った。
「…………」
キングちゃんは無言だ。だけどその表情を眺めていても、特に不安は沸いてこない。
「もう一回お風呂入る?」
「えぇ、そうね。門限を過ぎない程度にゆっくりしてから帰りましょうか。そのくらい心配させたっていいくらいだわ」
母親の言葉で、どうやら逆に意志を固めてくれたらしい。
彼女も、彼女の母親もやはり似た者同士だとは思いつつも、それを口にするのは彼女を不機嫌にさせるだけだと判断して、口にしなかった。
神様、案外私がどうだこうだ言わなくても。二人はいずれ和解してくれるんじゃあないかなって、そう思う。