昼になって、学食体験の時間帯。オレは「キングちゃんと二人で食べてくるね!」と仲睦まじい体を装って親達から離れ、二人でひそやかに話をしあった。
「……確か、おばあさんの名前が『ミス・マルゼンスキー』だったわよね?」
確認を取るかのように、キングが訊ねてきた。
「あぁ……」
それを確認すると、キングヘイローは携帯を寄越してきた。画面にはマルゼンスキーというウマ娘の戦績が表示されている。
「メイクデビュー……大差勝ち……朝日杯……レコード勝ち……今のところ逃げ脚質で全戦全勝?!」
その成績は怪物としか言いようがない才能の持ち主だ。なんで今までこのウマ娘の名前が耳に聞こえて来なかった。
「ディオスさん。もしかして規模の小さいレースはあんまり見ない主義?」
そんな事を指摘された。確かにオープン以下のレースはほとんど見ないが。
改めて戦績表を見る事を促され……戦績に対して出場しているレースの規模が見合わない事に気がつく。
「……なんでこの戦績で皐月やダービー出ないんだ」
「まぁ、そこはやむにやまれぬ事情でもおありなのでしょう」
今の情報では確定出来る事はないといった様子でキングヘイローは特に言及しなかった。
「いや、しかし、前世のひいじいちゃんか……偉大なる曾祖父マルゼンスキー! 直接会ってみてぇっ!」
「でも、相手はあなたの事覚えていないと思うわよ?」
「いいんだよ。前世だって対面した事ないんだからそりゃ同じさ。でもよぅ――」
「あの、お隣いいかな?」
そんな事を言い合っていると、同じテーブルに先程の少女が腰掛けてきた。
黒毛の髪色に紫色の瞳、育ちの良さそうな品のある佇まい。そして何よりも目を引く大きなウマ耳。
オレは咄嗟に口調を変える。
「おほほ、よろしいです事よ……」
キングヘイローから変な目で見られた。ともかくとして、共に学食を食べる事を受け入れる。
「あなたも、マルゼンさんのファン?」
黒髪の少女がそう訊いてくるので、オレは頷いた。
「う、うん。すごく速いなー、って……以前から、そう、朝日杯のが、特に……レコードがすごくて……」
直前に知った事を古参気取りで語ると、相手は少しばかり目を輝かせて嬉しそうにしていた。
「私と一緒だ。私も、そのレースのマルゼンさんに感動して……」
彼女はにこりと微笑んで言葉を続ける。
「将来は、マルゼンさんみたいに『みんなを幸せに、笑顔に出来るようなウマ娘』になりたいなって……」
それは夢を語る少女の笑みだった。心から楽しそうに笑っていて、話を聞いている側も微笑ましくなるものだ。キングヘイローもそれは同じだったらしく、小さく笑みを浮かべている。
「へぇ、良い目標じゃない。小さい頃からそんな風に頑張れるなんて、お姉さん感心しちゃうなぁ」
オレは年上ぶってそんな事を返す。すると、少女は申し訳なさそうな笑みを浮かべた。
「……ごめんね、私、体が小さいけど六年生なの。つまりあなたから見たら一歳年上のお姉さん、かな?」
「ぶぇっ!?」
いきなりそんな衝撃的事実をぶつけられたせいでおかしな声が出てしまった。年上ぶった発言の直後に聞かされるのは、相当恥ずかしいぞ。
「……人の事言えないじゃない……」
先ほどハルウララを年下だのどうのこうののやり取りを覚えてるのか、キングヘイローはそんな事を呟いていた。
オレが苦い顔して申し訳無さそうにすると、相手もまた申し訳無さそうにくすくすと笑っていた。
「私、ライス。ライスシャワーっていうの」
…………。……。
「私はディオス。ステキな名前だね、ライスお姉ちゃん」
「お、お姉ちゃん……? あはは……」
お姉ちゃん呼びをされる事が慣れていないのか、気恥ずかしそうにしていた。
ライスシャワー。偉大なる曾祖父の血族サマ。
親戚の名馬として、前世で話題にあがる事は何度もあった。
その名を初めて聞いたのは、たぶん赤子の頃、微かに記憶に残るラジオ放送。遠巻きに聞こえたその放送がなんなのかよく分かってなかったが、その直後に世話してくれている人達が、異様に落ち込んでいた事は妙に覚えている。
「ライスシャワーねぇ……」
学食を片付けている途中、そんな声が漏れ出た。
「なんだか心ここにあらず、って感じね」
キングが心配そうにこちらを見てきた。
「いや、前世のご親戚と立て続けに出会えるなんて、と思って」
そういう風に誤魔化した。セイちゃんの出来事があった手前、深く踏み入った事は他人に言いふらす気も起きない。
「そう? てっきり、また隠し事でもしてるのかと」
キングヘイローは何かを察したようにそう言った。相変わらず鋭い子だ。
だが、さすがにキングヘイロー相手でも語るような話ではない。
午後、普段どういった勉強をするのか体験する模擬授業が始まる。
周囲の子達は真面目に聞いている中、オレはあくびを噛み殺しながら聞いていた。やはり座学というものは退屈なものだ。
「…………」
窓の方を見て、マルゼンスキーが居た場所の位置を確認する。
「……ちょっとトイレいってきてもいいですか」
職員にそう訊ねる。幸いにも許可は降りたので教室を出ていく。
「あの、職員の付き添いが――」
「だいじょうぶです! 位置はわかってますから!」
母ちゃんや職員が案内しようとしてくるが、それを振り切って廊下をダッシュで駆ける。
校舎の窓から飛び出して、人目を掻い潜るようにして目的の練習場へ。そうして、コーストラックまでたどり着いたところで、周囲を見回す。
「……何をしているのですか?」
気びやかな声、振り向くとそこにはグレーのパンツスーツを着た、性格のキツそうな眼鏡の女性が立っていた。
「え。いや、あの……」
無謀にも見つかる事は想定していなかったので、言葉に詰まる。職員らしき彼女は眉をひそめて訝しげにオレを見ていた。
「見学生の子ですね? 今は校内で模擬授業中では?」
彼女は厳しい口調でそう言う。少し怖い人だ。だが、叱られて当然だと思う。
「えっと……道に、迷って……」
マルゼンスキーに会いにきた、などと正直に言えない。答えに窮していると、不意に背後から肩を叩かれた。
「もうっ、東条トレーナー。また訪ねに来た子泣かせちゃった? 新しい後輩が訪ねてくるのは、アタシは問題ナッシングなのに」
「侵入してくる部外者を水際で止めるのも、私の務め。……それにこういう手合いは甘くするとつけあがるのよ」
……東条トレーナーと呼ばれた人は、溜息をつきながらこちらを見下ろしていた。そして、オレはゆっくりと顔を上げて後ろへ振り返る。
「はぁい♪ マルゼンスキーよ」
そう言って微笑む女性は、たっぷりとした鹿毛のロングヘアーで、後頭部には黒いリボンをなびかせている。
――このウマ娘が、前世のひいじいちゃん?
そう思いながら、オレはぽかんとした顔で見つめていた。
「そんな風に泣かなくてもだいじょーブイ! マルゼンお姉さんは、新しい後輩からの突撃はなんでもござれよ!」
……えぇっと、どうにもこうにも……ライスシャワーやオレとはあまり性格が似ていないというか、何というか。何、その言語……なに?
とりあえず、フレンドリーだし、良い人っぽいのは分かる。東条トレーナーは深く深く溜息をついていた。この人もこの人で苦労していそうな気配がする。
「……ともかく、この子は私の方で他の職員に引き渡すから、あなたはトレーニングを続け――」
東条トレーナーはそう言いかけたが、言い終える前にマルゼンスキーが提案を投げてきた。
「ねぇ、東条トレーナー♪ 今すぐから走るから、それだけその子に見せてあげられないかしら?」
東条トレーナーは「それはだめだ」と言いたげな顔をするが、マルゼンスキーが意味ありげに微笑んでいるのをみて、また溜息をついていた。
マルゼンスキーはコースのスタート地点に移動して、軽くストレッチをして体をほぐす。
そうして、準備万端になった状態で、彼女は東条トレーナーに合図を送る。
「……終わったらすぐ模擬授業の方に帰りますよ。いいですね?」
「は、はい……」
東条トレーナーが言いつける事に、オレは素直に頷いた。今すぐ叩き出されないだけ、寛大だと思う。
そんな事を考えていると、ゲート入りを済ませたマルゼンスキーはこちらに微笑みかけてくる。
その姿に、思わず見惚れてしまった。
そして、ゲートが開か――。
「は、や……」
ゲートが開いた瞬間、"そこに居なかった"。
いや、目で追いきれなかったという方が正しいだろうか。
普段見ているテレビの、ウマ娘を捉える実況カメラがどれだけの手腕かというのも思い知らされたが、遠巻きに見れないレースにおいて、その凄まじさは段違いだった。
瞬きすら許されない。一瞬で視界から消えた彼女の姿を、なんとか捉えようと目を凝らす。
だが、既にコーナーに入っていた。
コーナーリング中に加速していたのだろう。そこから再び立ち上がりまでの時間があまりにも短すぎる。まるで走り慣れた道を行くような余裕さえ感じられた。
1000mを走る事さえ四苦八苦している小学生のウマ娘と、現役のウマ娘こうも違うか……!!!
そのまま、最終直線に入ったところで、ようやくその姿を捉えた。だが、その瞬間、彼女は更に速度を上げていく。
フォームが崩れるどころか、逆に洗練された形に変化していく様は圧巻としか言えなかった。
ラスト1ハロン。
その直線で、彼女は完全にトップスピードに乗る。さらにギアを上げる。
――『逃げ脚質』? 嘘だろ? あれで? オレの追い込みより速い形で、一気に駆け抜けていく彼女にそんな感想を抱いた。
たった数年如きで、果たして彼女のような域に追いつけるのだろうか?
そう思ってしまうほどの圧倒的な実力差を見せつけられた。
やがて、マルゼンスキーは――なんだあれ、ジャージを着た褐色肌のウマ娘の立て看板……マジでなんだアレ……――ゴール板の前を駆け抜けてゴールインする。
しばらく呆然としていたが、東条という人に「さぁ、もういいでしょう」と呼びかけられて我に返る。
「あ、ありがとうござ、いました……」
東条トレーナーとマルゼンスキーに深々と頭を下げてお礼を言う。
「マルゼン。今のは少し熱が入りすぎよ。ラジオたんぱが控えてるというのに」
「めんごめんご。後輩ちゃんの手前だから、つい張り切っちゃったわ♪」
東条トレーナーが窘めるが、マルゼンスキーは軽い返し方だった。
「ともかく、見学生を引き渡してくるから、その間に休んでいて」
そうして、オレは東条トレーナーに引き連れられていく形になる。
「……またね、"後輩"ちゃん♪」
ひらひらと手を振って微笑むマルゼンスキーの表情が、やけに親しいものに思えて印象的だった……。
それから、オレは「道に迷って偶然練習場へたどり着いてしまった」という体で他の職員に引き渡される事になる。
「以後はちゃんと職員か親御さんの付き添いをしてもらうように」
「はい……すみませんでした……」
前世のひいじいちゃんにひとめ会う為とはいえ、さすがにここは反省するしかない。
オレがしおらしくしていると、東条というトレーナーは厳しい顔を緩めて告げてくる。
「模擬授業はトレセン学園を志望するかどうかの判断において、貴重な機会です。だから、見学生として来た以上はそれを優先するようにしてください」
……それはそうだ。オレみたいな子供が将来の進路について考えるきっかけを得るためにも、座学を面倒臭いなどとは言ってられない。
「……ありがとうございます」
他の子と同じように真面目に、座学を受けよう。東条さんの言う通り、貴重な機会を失うわけには――。
――むにゅ。
なんか、唐突に太ももが揉まれた感触がした。
「トモのつくりはよし。だが――」
見知らぬ成人男性に揉まれていると把握した瞬間――反射的に、後ろを蹴り上げてしまっていた。
「ぶゃぁあー!!?」
人間相手に暴力をふるってしまった事と人生初めてのセクハラを受けた衝撃で、豚のような鳴き声をあげてしまう。
「あ、あ、の……ごめ、ごめな……」
謝っていいのか罵倒した方がいいのか言い淀みながら成人男性の様子を窺う。すると、彼は蹴飛ばされた箇所をさすりながら、怒るでもなく笑って済ませていた。
「あぁ、いいよいいよ。慣れてるから! ところでキミ、見かけない顔だけど在校生?」
「……自業自得よ。この人はこちらで叱っておくから、あなたは模擬授業の方へ」
「あー、見学生の子か! おハナさん、その子とちょっとだけおはなし――」
東条さんが、その男性を強く睨みつける。「時と場所を選べ」という言外のメッセージを受け取った彼は、乾いた笑いを浮かべて東条さんと向き合っていた。
オレは、他の職員さんに引き連れられてそそくさとその場を立ち去っていく。
……立ち去る間際、なんとなく、成人男性が何を言いたかったのか気になって聞き耳を立てる。
「……まったく、見学生に手を出して『トレセン学園はモラルがない』なんて失望させたらどうするつもり!?」
「いや、おハナさんの言う事はごもっとも! しかし――」
そこで一呼吸おいて、真剣な声色でこう続けていた。
「……あの子、もしトレセン学園に来るっていうのならよく注意しといた方がいいよ。リギルやウチのチームに入部するしないに関わらず」
東条さんが「それどういう意味?」と聞き返した辺りで、会話が聞こえない距離になった。
……そして、そのまま模擬授業を受けるために移動していくのだった。