「本当にトゥインクルシリーズから退くのか?」
沖野トレーナー……もとい、西崎リョウは、マルゼンスキーにそんな事を訊ねる。
彼女は、その問いに対して、静かに頷いた。
「練習中に、ちょっと脚を打っちゃって~。しょんぼり。……だけど、ドリームトロフィーリーグに向けての調整には、良いタイミングだと思って」
その言葉を聞き、沖野は頭をガシガシ掻く。
マルゼンスキーはリョウの担当ではなく、彼の同期である東条の担当だ。しかし、それだけでも心中複雑なことは見て取れた。
「比較的軽症だから、まだ早いんじゃないかって言いたいわけじゃない……ただ……」
リョウが言い淀むと、彼女はフッと笑う。
「レッツミーゲス♪(言い当ててみせましょうか♪)……『来年の宝塚記念と有馬記念には出場してもいいんじゃないか』って言おうとしてるでしょ?」
その問いかけに対し、リョウは気まずそうに頷いた。
宝塚記念と有馬記念。一握りの、どちらも選ばれたモノしか出場出来ない大舞台。どちらもマルゼンスキーの実力と人気があるならば、出場は夢でないかもしれない。期間が空いてるから、脚を治す休養期間だって取れる。
「うふふ、リョウさんもあたしが宝塚や有馬で走る姿を見たいって事よね。ありがとう、そういう気持ちはとっても嬉しいわ♪」
マルゼンスキーは上機嫌そうに、ニコニコと笑っている。
――逆にいえば、マルゼンスキーにとって目標となりうるレースがその二つしか残っていない。
そして、あくまで明るく楽しそうにしながらだ。まるで彼の内心を慮っているかのように、朗々と語っていく。
「あ~あ、テン先輩やトーショー先輩とも一回くらい走ってみたかったなぁ、そしたらこの世代で誰が一番強いか格付け出来たかも……なんてね♪」
冗談っぽく言うが、その碧色の目は本気だった。リョウも……正直にいえばそれらが決定づけられる場面が見たかった。いや、リョウだけでなく。この世代の最強の格付けは、誰もが見たい夢の勝負だった。
それぞれに天馬。流星。そして『スーパーカー』と称される彼女達の対決。
「今年の有馬、出られなかったの。本当に残念」
マルゼンスキーは、そんなふうに明るい声色を変えずに呟く。
今年、マルゼンスキーが出場するはずだった有馬記念。運悪く、脚の怪我が重なった。そこには先に挙げた両雄も出場する予定である。
片方は、その有馬を最後に引退の予定だ。もはやトゥインクルで戦う事は叶わない。
『万が一レースで故障したら元も子もない』
東条はそういって、マルゼンスキーの有馬記念への出場を回避させた。
「……東条トレーナーの判断は正しいと思う。でもあたしはね、あの二人とはちゃんと決着をつけたいの」
リョウへ向けて、マルゼンスキーは続けた。
マルゼンスキーは、彼女らの走る姿を思い浮かべて。自身の心を再確認した。
「二人とも、きっと年度代表ウマ娘――うぅん、そうじゃなくても、何かしらの賞状はもらえると見込んでる。だから」
マルゼンスキーは、自身の胸に手を当てて。かつてその胸が躍った瞬間を思い返しながら。今なお熱の籠る瞳を向けた。
「ドリームトロフィーリーグで、あの二人に――もっと贅沢をいえば、グリ先輩も含めて三人。その三人相手に、あたしがどこまで通じるのか。試したい」
彼女は楽しそうに笑っているが、冗談で言っているわけではないことは分かった。本気でそうなりたいと願っているのが理解できた。
同時に、それを止める言葉など……リョウは持ち合わせてはいなかった。
「あの三人がドリームトロフィーリーグに来るかどうか分からんだろう。三人とも美人さんだから、芸能活動一直線ってのもあり得る!」
マルゼンの明るさに合わせて、リョウの方も冗談っぽく言いのける。実際、その三人の人気は彼女達に有馬出場の切符を授けるほどに凄まじい。
「うふふ、だったらその三人に比肩できるぐらい、あたしもマブい女だってところを見せてあげなきゃね♪」
「まぶ……?」
聞き慣れない単語に、リョウはきょとんとしたが。ともかく、マルゼンが前向きな理由でトゥインクルシリーズから退くのは理解出来た。
ならば、これ以上は止めまい。口惜しい感覚を若干覚えつつも、リョウはマルゼンスキーを応援する事に決めた。
「それに、新しく入ってくる後輩ちゃんの事も見守っていてあげたいから……ね?」
マルゼンは、色っぽくウインクをしてみせる。
「オープンキャンパスで、気になる子でも見つけたかい?」
リョウはトレーナーだから、そこについてはなんとなく理解出来る部分がある。マルゼンスキーは、彼の問いに対して。また同じように艶やかな表情で頷いた。
「みんな可愛い後輩達だけど……そうねぇ、特に記憶に残ったのは。青い薔薇をつけた黒い帽子を大切そうに着けていた子」
リョウの脳裏に、一人のウマ娘の顔が浮かぶ。確かライスシャワーとか呼ばれていた子だったか。
「長距離向きに思えるな、あの体躯なら」
トレーナーとしての経験則からそう答えた。小柄なウマ娘は、ステイヤーとして花開く事も多い。
「マルゼンのお墨付きならウチに誘ってみるか。ゴールドシップに勧誘任せたらいけるかも」
「ノン、ノン。気弱そうな子だからって、あんまり無理強いしちゃダメよ?」
軽い調子で言ってくるマルゼンスキーに、リョウは「たはは」と乾いた笑いを浮かべながら頭を掻く。
「……別の意味で気になる子、っていうなら。そうね。六年生の子よりも、一際背の高かった茶髪の子」
マルゼンスキーが、少し声に含みを持たせて答える。ディオスと呼ばれていた子の事だろう。確かに彼女だけ群を抜いて身長が高かった。
「短距離向き……と言いたいところだがな」
リョウは、少し口ごもる。マルゼンスキーは、そんなトレーナーの考えを見透かすかのようにして笑う。
「女の子の体重について何か言うのは、トレーナーとしてはともかく男の子としてはチョベリバよ?」
そう茶化すようにして言った。リョウはバツの悪そうに、また頭の後ろをぽりぽりと掻く。それから気を取り直して、話を続けた。
「……恵まれた体躯に対して足の成長が釣り合ってない、って感じだったな」
それがディオスに対するリョウの見立てだった。彼女は在校生に負けないくらい背丈が大きいが、その立派な体躯を支える脚の筋肉や骨といった本質的な部分が、まだ未成熟だ。
「オレの担当なら、足が成長しきるまでメイクデビューは待たせる」
真摯にウマ娘と向き合うトレーナー然として彼は続けたが……マルゼンスキーは、くすりと笑う。
「それだけ?」
そう訊ねられると、リョウは頬を掻きながら答えた。
「そんだけだ。中央に入学しようとやけっぱちみたいなオーバーワークやらかすウマ娘なんてのは、それなりに居る。オープンキャンパスでそこを見抜けちゃったら、それとなーく心配するのはトレーナーとして当然のことだろ」
「ふふ、それじゃあ。あたしがあの子に直接それとなく伝えた事も、先輩として当然のことよね♪」
マルゼンスキーは、それを聞いてまた笑った。東条といい、西崎といい、二人とも主義主張は違うのにその手の事に関しては当人へ素直に言わないのだから。
――二人とも素直じゃないのね。
マルゼンスキーは西崎の態度を見て、東条が有馬への出場回避を選択したのもそういう事なのだろうと。自分に言い聞かせた。