「キングちゃん。足裏見せて」
小学校の日直当番の作業中。備品用具を二人で手入れをしている時に、私がふとそう言うと彼女は怪訝そうな顔をした。
「ヘンタイ」
ぶっきらぼうに言ってくる。軽い言い方だから、心底から軽蔑しているわけではないのは理解した。ゆえ、私は落ち着いて理由を述べる。
「なんかね。テレビでドリームトロフィーリーグで活躍してる選手の特集があったの」
「昨日のヤツね、私も見たわよ」
「で、その選手さんの足裏にさ。慢性的にマメが出来てすごく悩んだ体験談あったじゃん」
私がそう言うと、彼女は小さく頷く。数秒の沈黙を経て、用具の手入れを止めてから、言葉を返してきた。
「フットケアはちゃんとしているわよ。一流ですもの」
彼女は当然のように応える。私は、その反応を見てからニヤリと笑みを浮かべた。
「ホントに~?」
私が少しおちゃらけた口調で聞くと、彼女はムッとした表情を見せつけてきた。
しばらくしてから用具に向き直り、不貞腐れた様子で作業を再開するキングヘイロー。
「キングちゃんさ。たまに練習とか無茶するから」
私は、そんな彼女にそう言葉をかけた。
キングちゃんは、その言葉に反応して作業の手を止めるが、すぐに再開した。
そして、彼女は少しの沈黙の後に口を開く。
「あら、私の事は心配するのね」
オープンキャンパスの後、彼女の心配を撥ね除けた事を未だ根に持たれている気配はする。私が困った表情でいると、彼女はため息をついて。丁寧な所作で床に座り込んだ。
「見るだけよ? くすぐったりするのは無しね」
そう言って、座った姿勢で上履きと靴下を脱ぎ始める。私は、彼女と同じようにゆっくりと腰を下ろすと。体育座りをする。
幼稚園の頃から思ってたけど「キングちゃん体型綺麗だなぁ」とは改めて思う。私の太股は無駄に太いが、彼女のは無駄なく引き締まっていて……。
「――そういう視線、他の子に向けないようにね」
そんな事を考えながら彼女を見つめていると、彼女がジトっとした目を浮かべるので、私は慌てて視線を逸らした。
「ち、ちがっ」
咄嗟にそう言葉が出るが、その後に続く言葉が見つからない。
片足を素足にし終わってから、キングちゃんは呆れたような表情を浮かべながら口を開いた。
「わかってるわよ。競争者として、ウマ娘の模範たるこの一流のキングに見取れた。そうでしょう? お~っほっほっほっ!!」
彼女はそう言って、高笑いをしながらお嬢様ポーズをキメた。その笑い声に呆気にとられ、正気に戻ってから笑いが噴き出した。
「なによ」
と、キングちゃんは「違うのか?」というような無表情で見返してくる。私は、少しの沈黙の後に応える。
「うん。走る姿も知ってるから競走者として『綺麗な脚だなぁ』って感心するのもそうだけど……女の子として羨ましいなぁ、って……こう、太ってなくて……」
私が言葉尻を濁しながらそう伝えると、彼女は大きなため息をついて呆れ顔をした。
「あなたも別に体格に不釣り合いな太さというわけではないのよ? 身長に対する腹や脚の太さの平均値や目安とか、本で調べればちゃんと出てくるし」
……それでも、ジュニアモデルさながらの子が隣に居たら、やっぱり気後れしてしまうものだと私は思う。
私のそんな思いを知ってか知らずが、彼女は言葉を続けた。
「それで、どう? キングの足の裏は、貴女の御期待に添えるかしら?」
彼女は、そう言ってから片足を少しあげて足裏を私に向けてきた。
本人が言っていた通り、フットケアは欠かしていないのだろう。マメになっているらしいところは特に無く、むしろ想像していたよりずっと綺麗なものだった。
私は……なんとなくからかいたくなって、冗談っぽく指で土踏まずの部分を指で突いてみた。叱られて、このやり取りは終了。そして用具の清掃に戻るシチュエーションまで折り込み済み。単なるじゃれ合いのつもりだった。
そのはずだった。
「ん……」
キングちゃんが、くすぐったそうに声を漏らした。思わず足から指が離してから、おそるおそる彼女の顔色をうかがう。説教か、あるいは怒鳴られるか。……しかし、予想に反して彼女はくすぐったそうな笑みを浮かべたままだった。
私が予想外の事に固まっていると、キングちゃんは呆れ半分、優しさ半分の微笑みを向けてくる。
「どうしたのかしら? マッサージしてくれるのではなくて?」
彼女は、慎ましやかな声色でそう言ってのけた。
――なんでコイツいやがらないんだ。
前世の獣が「ここは謝って退け」と警鐘を鳴らしている気がした。
何度だって言うが。私は、別に同性に対して"そういうシュミ"はない。半生以上のお友達付き合いしているキングちゃん相手なら尚更だ。そういう目で見るのは、他の女の子相手以上に御法度な事だと思う。
ここで引いたら、逆に変な視点から彼女を意識しているようで。そう感じてしまったからには、もう進むしかなかった。
私は、おそるおそる彼女の親指や母指球の辺りを指の腹で撫でる。この辺りは陸上競技をやっているとどうしても角質化しやすいらしいが、まだ小学生なのも相まってかキングちゃんのは、すべすべしてて綺麗なものだ。触ってて気持ちが良い。フットケアを欠かさずやっているというのは本当なのだと思う。
「ほら、くすぐったりしない約束」
彼女がそう呟くと、私は慌てて指に圧を掛け始めた。地面に当たる部位を順番に圧迫していく。
「ん、上手上手」
キングちゃんが、そう言って褒めてくれる。……なんだか気恥ずかしくなってきた。私は、少しムキになったように今度は足裏のアーチ状の凹みがある箇所を指の腹で押していく。
「ふ、ふふふ。やっぱりくすぐったいわね」
「こういうのって痛いってよく聞くけど、健康体だと逆にくすぐったいらしいね」
私がそう言うと、お互いにんまりした。キングヘイローは、至って健康体らしい。
彼女の足裏全体を確かめるように、親指からかかとにかけて順繰りに指で圧迫していく。「くふ、くふふ……」と堪えるように声をあげているキングちゃん。
なんだか、普段見ない彼女の様子がやけに可愛く思えて、「たまにならこういうじゃれ合いもいいかも」と、そんな事を思った。
「そういえば。他の人とは上手くいってる?」
気が和らいだ頃合いを見計らってか、彼女は私にそう問う。一旦沈黙して、彼女の言わんとする事を考えた。
「ボブヘアちゃんと猫目ちゃんとは、次のポニークラブの集まりで話してみようと思う……あ、でもセイちゃんとは、少しだけ。挽回の機会をもう一度だけ与えてもらえた……と思う」
まだ明確に仲直り出来た、とは言わない。実際出来てないと思う。大会決勝戦の、大失言の穴埋めは出来てない。
何かしらの機会を経て――本当に次こそは――彼女を真摯に見つめないといけない――たとえ、前のような仲に戻る事が不可能だとしても――。
私の答えは、そんな意味で口に出されたものだった。しかし、彼女はそれをどう解釈したのか。少し間を置いて口を開いた。
「セイウンスカイさんが求めているものは、あなたがそんな風に自罰する事じゃないのよ」
キングちゃんは、少し寂しげな声色でそう呟く。言わんとする事は分かる。
「私は――私自身が彼女を凄いウマ娘だと思ってる。将来はG1をいくつも勝つくらいのすごいウマ娘に成長するって、確信もあるんだ。仲が良かった頃は、態度にだって何度かそれを示した事だってある!」
だから、彼女の事が決して眼中にないというわけではなかったと反論したつもりだった。
「それらの大半は、"前世のセイウンスカイが凄い成績を残していた"という記憶に基づいたものでなくて?」
――ぎょっとした。心臓が強く跳ねたのを感じた。
彼女に、キングヘイローにセイウンスカイの前世の成績の事を話したかと咄嗟に頭を廻らせる。いや、無い、はず……。
「な、にを……」
私が混乱しきった頭でそう呟く、と。彼女は、私の両頬に手を添えて視線を合わせてきた。 ……彼女の瞳に映る私の顔は、酷く動揺したものだった。
「その態度で確信を持てたから、改めて言うわね」
その眼差しは真剣そのもので。あの日、キングヘイローと決闘して、モノの見事に負けた日のように真剣な顔つきで。思わず息を飲む。
「私は、貴女が未だ憧れを"前世のキングヘイロー"に抱き続けているのは構わないと思ってる。いずれはその憧れの対象を"この私自身"に塗り替えるという、一流のキングとしての自負があるから」
久々に、前世の彼が引き合いに出された。「でも」と。キングちゃんは続ける。彼女は私の頬に手を添えたまま、言葉を紡いだ。
「それでもね。貴女が知る英傑達の記録は、私達当事者にとっては会った事もない祖母や祖父か、もっと祖先の功績と比べられてるような感覚なのよ」
ガン、と頭を叩きつけられたような気分だった。つい直近で『エルコンドルパサーに対して、そのような気持ちをもって再会したいと望んでいた』からだ。
「『親が天才なのだから、きっとその子供も天才のはずだ』……なんて期待が、子供にとってどれだけ重荷か。お母様の事で悩んでいる私とずっと向き合ってくれた貴女なら、ここまで言えば理解してくれるわよね?」
キングちゃんは、念を押すようにそう言って言葉を区切って。私の頬から手を離した。
「………………私は」
セイウンスカイが、喧嘩別れする前日に言った言葉の真意を考え込む。
『目の前に立ちはだかってる壁がやけに高く感じる理由が、ようやく腑に落ちた』
彼女のあの時の言葉は――キングヘイローに対してだけでなく、前世のセイウンスカイや、あるいは、他のウマ娘達の前世の功績を憧憬の眼差しで見ていた事を、あの時から悟っていたのだろうか。
だとすれば、セイちゃんがあそこまで「自分を認めろ」と求めている理由を理解出来る事がまた一つ増えて、決勝戦で彼女自身が考え披露した事を『卑怯者』と否定した事がどれだけ重大だったかもますます分からされて、自分の振るまいに怖気がする。
「……私は……」
むに、と頬を摘ままれる。ハッと我に返ると、目の前にはキングヘイローの顔があって。私は一瞬呆けた後に心臓が跳ねるのを感じた。
「自罰に駆られるより、挽回する手段を考えなさい」
キングちゃんは、そう言って。私の頬から指を離した。
私は……自分の頬を自分で軽く撫でながら、頷いた。確かに。ウジウジしても過去は変わらない。
「ありがとう」
私が礼を言うと、彼女は微笑みながら応じた。
「どういたしまして」
彼女はそう答えて、また素足をあげる。私は首を傾げた。
「マッサージ。貴女が前世のキングヘイローさんとはやらなかったやり取りを求めたって、今日くらいいいでしょう?」
そう言って、彼女は足裏をこちらに向ける。私は、その行動の意味を理解してから、少し間を置いて頷いた。
「うん、毎日だってしていいよ! だってキングちゃんの足裏、触っててとっても気持ちが良いもん!!」
私が笑顔でそう言うと、彼女は微笑みとは打って変わって、鳩が豆鉄砲を食ったような表情を浮かべてから。
数秒の後、彼女は足をひっこめるように隠して、顔を真赤にしながら怒り出した。
「……ヘンタイ!!」
そういって、彼女は目に止まらぬ速さで靴下と上履きを履くと。用具の手入れに向き直って、声をかけても無視され続けた。
……別に私は何もおかしな事言ってないはず……あれ? 言ってなくない……?