その少女が目を覚ましたのは、ベッドが置かれた一室だった。
「……んん……」
うっすらと目を開いても、そこは見知らぬ天井。いや、少女には天井というもの自体がわからない。自分がどういう状況に置かれているのかがわからない。
ただ、身体の据わりが悪いのか、自分の身体の横に手をつき、上体を起こすという行為を、無意識に行った。
「……んん?」
何故こういう行為を行なったのかが自分でもわかっていなかった。身体が痛いような感覚があったから、それから逃げるために身体を動かしただけ。だが、次に出てきた疑問は、
少女は今の自分が
「あたしは……」
口が当たり前のように動いた。言葉を発するという行為が無意識に出来た。本来なら、自分はそういう存在では無かったはず。それが何かはわからずとも、そこだけは確信していた。
「……んん?」
もう一度疑問がこもった声を上げた後、じっと手を見る。そして、グーパーと手を握ったり広げたりと不思議そうに動かした。動かすという行為が自然に行なえている。
わからないことばかりである。今の自分はなんなのか。この身体はなんなのか。さっぱりわからない。
そうやって疑問に思った時点で、次の行動がもうわからない。疑問が疑問を呼び、ループし始め、頭がおかしくなりそうだった。
自分はなんなのか。この身体はなんなのか。どうしてこんなことになっているのか。ここは何処、私は誰、目が回りそうなくらいに混乱してくる。
「あら、目が覚めたのね」
そんな少女の前に、1人の女性が現れる。少々小柄だが、黒い女性用のスーツの上に白衣を着ている色白な女性。少女には全く理解は出来なかったが、本とタブレットを抱えてベッドの横に座る。
「貴女、自分が何者かわからないのよね」
肯定したいが、何をすればいいかわからない。その女性をじっと見つめることしか出来ない。見るという行為は無意識に出来た。耳から入ってくる言葉を理解することは出来た。
「こちらで全部調べてあるから安心してちょうだい」
薄く微笑みを向ける女性。
「私の言葉は理解出来るはずだから、聞いていけば最終的にはちゃんと貴女が貴女として出来上がるわ。だから、まずは私の話を聞いてもらうわね」
本をパラパラとめくりつつ、タブレットを操作していく。そんな女性の行動を、ただ眺めることしか出来ない。眺めているのも無意識であり、どうしてそうしているのかは理解出来ていない。
まるで本能のまま生きている野生の動物のようなもの。警戒しているわけでもなく、心を開いているわけでもない。ただ疑問しか頭の中にないため、このような行為を実行しているだけ。
「貴女の名前は、深雪。特型駆逐艦の四番艦、吹雪型四番艦の、深雪」
深雪。その名前が耳から入ってきたことで、疑問の奥から記憶が紐解かれていく。
少女──深雪の本来の姿は、艦艇。海上を駆ける、戦うための兵器。人間を乗せ、戦場へと運び、勝利を掴み取るために戦う存在。
ならば、今の自分は何なのだとまた疑問が浮かぶ。この身体は艦ではない。自分の中に乗っていた人間そのものだ。何故こんな姿になっているのだ。
「そして、今の貴女は艦娘。艦が娘になった存在。かなり単純なネーミングだけれど、一番わかりやすい呼称だと思うわ」
艦娘。戦乱に巻き込まれたこの世界を救うために、艦の身体を捨て、ヒトの身体となって生まれ変わった艦艇。深雪もそれである。
謎ばかりなのに、その事実はすっと頭に入ってきた。自分の当事者だからか、そういう存在だからか、理解しなければ頭が余計におかしくなるからか。受け入れなくては自分を否定するようなモノだから、防衛本能的に理解する。
「その身体を得たことで、貴女は人間と同じように行動できるようになっているわ。無意識でも当たり前のように、ね」
身体を起こす。言葉を発する。手を動かす。これらの動きは、全て人間の行動。それが無意識に出来た時点で、疑問はあれど、深雪は自分が人間と同様の行動が出来ると身体に刻まれていることに他ならない。
元来、艦娘というものはそういうモノなのだと女性は続ける。ヒトの身体を得たことでヒトとして活動が出来るように成立しており、活動に支障をきたさないように、その辺りは
「まぁまだ人間の身体には慣れないと思うから、順々に行きましょ。でも、ある程度は出来ると思うわ。私の言葉が聞こえているし、私の言ってることが理解出来ているみたいだもの。例えば……そうね、この手に貴女の手を合わせてみて」
そう言いながら手のひらを深雪に向けた。対する深雪は、言われた通りにおずおずと自分の手のひらを合わせる。
女性の手のひらは温かかった。その温もりが感じられるのは、ヒトの身体になったからであるとわかる。
「うん、ちゃんと出来ているわね。それじゃあ、次に行きましょうか。言葉は話せるわよね。名乗ってみてちょうだい。さっきも言った通り、貴女は深雪よ」
言われるがまま、深雪は思いつく限りの言葉を発する。
「あたしは、深雪」
「そう、貴女は深雪。艦娘の深雪」
「特型駆逐艦、深雪」
口に出せば出すほど、それがしっくり来る。まるで自分で自分をメンテナンスしているかのようだった。疑問を取り払って、身体が動くようになったら、次は言葉と、段階を踏んで深雪が深雪になっていくかのようだった。
頭の中では情報の嵐が吹き荒れているようだったが、艦娘の始まりはそれが当たり前のこと。深雪にとってはそれが混乱を招いたものの、ここまで来たら整理が終わるのも時間の問題。
「ん、なんか噛み合ってきた。あたしは深雪、特型駆逐艦、深雪だ」
辿々しい口調もすぐに直り、ヒトとして成立していく。こうなれば、頭の中にある疑問は綺麗さっぱりと失われていった。
自分が何者か──艦娘となった駆逐艦、深雪。
この身体は何なのか──世界を救うために生まれ変わった姿。
こうなるともう、人間と同じように考え、行動出来るくらいにまでになっていた。メンテナンスはほぼ終了したと言っても過言では無い。
「その、よくわかんないんだけど、あたしはつまり、アンタに拾われたってことかな。座礁とかしてた? それとも沈んでたところを引き揚げてくれた?」
次の疑問は、何故自分がここにいるのか。艦艇だった自分が艦娘となったまではいいのだが、そこから今ここにいる理由がわからない。目が覚めたらこうなっていたということは、艦娘となってからここに運ばれたということになるだろう。
生まれた直後のことはまるで思い出せないため、どういう経緯でここにいるのかは知っておきたいと、深雪は女性に問いただす。
「端的に言えば、貴女が海に浮かんでいるところを見つけたから保護したの。後から紹介するけど、見つけた娘達に感謝しなさいね」
「浮かんでた……って、あたし今の身体になってから漂ってたってことか」
「そういうこと。まぁドロップ艦というのは基本的にそういうものではあるのだけれど」
ドロップ艦。深雪は艦娘の中でも、突如として海の上に現れる存在として、この世界に生を受けたということになる。
そういう艦娘は、自分の生まれた瞬間というのはわかっていないことの方が多いという。記憶の混濁や、先程の深雪のように自分が人間の身体を得たことに疑問を持っており、メンテナンスをすることで艦娘として自覚する流れが一般的であると。
「それじゃあさ、あたし、アンタに礼を言わなくちゃいけないんだよね。拾ってくれてありがとうって」
ニカッと笑って礼を言う深雪。それを見た女性は少しだけ驚いたような表情をするものの、すぐに表情を戻し、深雪の思いに応えるように微笑み返す。
「礼には及ばないわ。実際に救ったのは私ではないんだもの。私はここから動かないから。指示を出しただけ」
「でも、助けてくれるって決めたのはアンタなんだろ? そりゃあ、ここのみんなにありがとうって言わなくちゃだけど、まずはさ。だから、ありがとう。あたしを救ってくれて」
笑みはより強く。屈託のない笑みで深雪は本心から礼を言った。
「あたしはこの世界を救うためにこの身体になったんだよね。それだけは何となくわかってる。で、ここに来たってことは、ここで
女性は勿論と頷く。だが、少しだけ違うとも付け加える。
「ここは艦娘達が集まり、世界を侵略者の手から守るために活動する鎮守府であることには間違いないわ。でも、貴女の思っている戦い方とは少し違うかもしれないわね」
「そうなのか?」
「ええ、まずはそこから説明しなくちゃいけないわね」
手を差し出され、立てるかと問われる。艦娘として成立した深雪は、もう人間と同じ動きを意識せずとも行なえるようになっているため、当たり前のようにベッドから降りる。
しかし、2本の脚でその場に立つときに少しだけふらついた。女性が手を差し出した理由がそれでわかった。すぐにその手に掴み、転けるのを回避した。
人間の動きを理解しても、人間の動きが出来るわけではない。それを身を以て理解することになった。身体を起こすことくらいは出来ても、立つという行為はそれだけでもなかなか難しいことだと嫌でもわからされる。
「おっとと」
「やり方はわかっていても、すぐには出来ないものよ。ゆっくりと慣れていけばいいわ。時間が無いわけでは無いもの。それに、私達が全力でサポートするから安心なさい。一応うちの鎮守府はアットホームな職場として有名なの」
「その辺はよくわからないけど、助けてくれるってならお言葉に甘えるぜ」
深雪はいわば、生まれたての赤ん坊に近い。慣れるのは早くとも、最初はこんなもの。
女性の手を借りてヨタヨタと歩きつつ、導かれるように部屋の窓側までやってきた。ここから外を見れば、今の状況がわかると言われるが、今はカーテンが閉まっているため外は見えない。
だが、音だけは聞こえた。簡単に言えば、
深雪の持つ知識では、この部屋は工廠の隣なのかもしれないと考える。だが、その考えはすぐに改められた。
「これが私達の鎮守府の仕事よ」
閉じていたカーテンを開く。窓の向こうに見える景色は、想定していなかったものであった。
海のど真ん中。そこで、艦娘達が、
とある者は、海に散らばった兵装を一箇所に掻き集めて、纏めて荷台に載せている。それはもう、ゴミ拾いをしているようにしか見えない。
とある者は、ホースのような物を海に突っ込み、垂れ流れていた燃料を回収していた。ドロドロになった海を綺麗にするために。
とある者は、放置された
「な、なんだぁこりゃ」
深雪の感想はそれしか無かった。自分は戦うためにこの世界に生まれ落ちたのではと考えていたが、ここで行なわれている作業は戦いでは無い。むしろ、その段階は
「私達は『後始末屋』。戦場の後始末を受け持つ、特殊な鎮守府なの」
「後始末屋……?」
「ええ、それに、この鎮守府は移動鎮守府。海上清掃
にこやかに話す女性に、深雪は驚きを隠せなかった。
今回の舞台は移動鎮守府。海上清掃船というのはありますが、それと近しい存在。鎮守府そのものが海上を駆ける巨大な海上清掃艦となります。艦名に元ネタはありません。