深雪が目を覚ましたのは、本日2回目の風呂の中だった。那珂と酒匂による
それだけの疲労があっても、風呂に使われている修復材のおかげで、眠っている間に回復していた。アイドル活動の疲れは、もう微塵も感じられない。
「んぁれ? あたし寝ちまってたのか……」
いつの間にか風呂だったことに驚きつつも、周囲を見回す。流石に風呂で眠っていたら溺れてしまいかねないため、両サイドに
「起きた」
「グッスリだったね。大体30分くらいだったかな」
右に伊203、左に伊26。沈まないようにしっかり腕を支えている。時間までハッキリと言ったくらいなので、それだけの間をずっとここにいてくれたということ。
ちなみにここまで深雪を運んだ酒匂は、2人の潜水艦に深雪を引き渡してから長門の説教を受けに向かった。
「ねえねえねえ、やっぱり那珂ちゃんのトレーニング、大変だったんだよね」
興味津々に聞いてくる伊26に、深雪は苦笑しながら頷き、ギリギリまで頑張ったのだが、かなり速めの曲を踊り切ったところで意識が途切れたと説明する。
負けず嫌いであり、かつ、那珂と酒匂に褒められながらになったことで気が大きくなったのもあり、自分の体力の限界を大きく超えてしまっていた。そのせいで、やり切ったと思った瞬間に糸が切れたようである。
「でも、割と楽しんでやってたんだよな……上手く出来ると嬉しいし」
「それわかるかも! でもでも、倒れるまでやっちゃうのは良くないんだよ」
「マジで懲りた。スタミナトレーニングでスタミナ切れ起こしてぶっ倒れるとか、流石にダメダメだ」
もう大丈夫だと支えをやめてもらい、大きく息を吐きながら立ち上がる。フラつくこともなく、しっかりと回復していることを実感し、風呂から上がった。
「見ててくれてありがとな。2人はまだ入ってるのか?」
「ううん、ニムも出るよ。フーミィは?」
「暑くなってきたから出る」
深雪と同じように、この潜水艦2人もずっと風呂に入っていたため、かなり身体が熱くなってきてしまっている様子。逆上せるわけでは無いにしても、あまり長風呂が過ぎると体調が悪くなる可能性がある。
「深雪、この後時間ある?」
身体を拭きながら、不意に伊203が深雪に訪ねた。
今の時間は大体夕暮れ時。夕食まではまだ少し時間があるため、時間があるといえばある。ここからトレーニングをするにしても時間は少なく、部屋に戻っても何かすることがあるわけでも無い。
むしろ、ここでなるべく交流を深める方がいいと判断した。話さないわけではないのだが、戦術が違い過ぎるために訓練などで一緒に並ぶこともそうそうないだろう。故に、こうやって面と向かって話すことすら少なくなりかねない。
「ああ、大丈夫だぜ」
「なら、涼みに行く。お風呂で火照っちゃったし」
「あー……だな。大分長風呂しちまったもんな」
汗を流すはずの風呂に入っていて、逆に汗ばんでいるような状態。涼みに行くというのもいいと思い、深雪は伊203の提案に賛成した。
「じゃあ」
ならば善は急げとすぐに服を着ていく。潜水艦は普段着も水着になっているため、着替えもあっという間。寝るときには寝間着に着替えるようだが、割とギリギリまでこの姿であるらしい。それは伊26も同じであり、パーカーを羽織ってはいるもののやはり水着姿。
嫌な予感がしたため、深雪もすぐさま制服を着込んだ。これは全部着る前に手を引かれる。そう思って。
「すぐに行く」
深雪の手を掴んだとき、ギリギリ着替え終わっていた。それでも髪はまだ濡れているし、身体も拭き切れたわけでもない。潜水艦は身体が濡れていてもいつものことだからほとんど気にしていないが、海上艦は少しの濡れでも気になる。その差が如実に出ていた。
「急ぐな急ぐな。まだ時間はあるだろ」
「今がちょうどいい時間だから、急ぐ」
「わかった、わかったから。ニムもなんか言ってくれよ!」
「んー? フーミィちゃんはいつもこんな感じだから、慣れてくれると嬉しいなぁ」
なんでも、潜水艦の中では最速であるというのが自慢のようで、うみどりの中でも妙に素早く行動しているらしい。走ったりすることもよくある。今の深雪のことを考えずに急ごうとするのもその一環。
逆に伊26はその相方ではあるもののスピードなどには興味がないが、テンションが高め。スピードは伊203に追いつかなくとも、じっとしていられない性格からか当たり前のように隣に並んでいる逸材。
「深雪、行くから」
「わかってるっつーの!」
結局、少し小走りになりつつ伊203についていくことになった。風呂上がりだというのに、汗ばむ結果になってしまったのはもう諦めるしかなかった。
伊203が涼みに来たところというのは、うみどりのデッキ部分。神風に案内してもらったときにも軽く足を運んでいるものの、ゆっくりと見て回ることは無かったため、深雪としても少しワクワクしていた。
今はうみどりは航行中。明日の後始末の現場に向かっている最中だ。そのため、デッキでは風を感じることが出来た。外にいるようなものなので風を感じることが出来て非常に気持ち良い。火照った身体には尚更である。
「うお……すごいな」
そこから見える景色は、まさに絶景。たまたま今回は現場が西にあったおかげか、沈む夕陽が真正面に見えた。
まだまだ現場に到着しているわけではないので、海には廃棄物もなく、煌びやかに光を反射していた。
「お風呂上がり、時間があったらここに来るといい。私は、ここが好きだから」
そう言いながら、デッキの先端にまで歩いていく。このうみどりで最も風を感じられる場所であり、自分がうみどりと同じ速度で海上を駆けているような感覚になれる場所。
艦娘の航行速度は、うみどりの速度よりも速い。潜水艦も海上艦よりは遅いものの、この大きな海上清掃艦よりは速く泳げる。
だが、自分で駆けるのと、ここで風を感じるのとでは、感覚がまるで違うと伊203は語る。そもそも伊203は仕事中に風を感じることが出来ないのだから、この場所にも思い入れがあるのだろう。
「涼しいし、景色もいいし、気持ちいいよね。ニムもここは好きだなぁ。いっつも海の中だから、こういうときに海の上を見ていたいんだよね。あ、カモメが飛んでる! あっちに魚がいるのかな?」
話している間にも別のことに興味が向かった途端に、そちらの方へと駆け出した。ハイテンションで元気いっぱい。伊203とは正反対。
このデッキは、潜水艦の癒しの場となっている。仕事の領域とは違う場所で風を感じることが、伊203のみならず伊26にも心の支えになっているのだ。
「なんつーか……この世界って戦いだけじゃあ無いんだなって実感してるぜ」
夕陽を眺めながら、ボソリと呟く。戦うために生まれたと思っていたら、そうで無いことばかりを知っていく。それが全く苦では無かった。
「平和ってのは、こういうのを言うんだろうな。あたしは幸せモンかもしれないなこりゃ」
グッと身体を伸ばしながら、風を全身に受けた。今も戦いに身を投じている仲間達のことを思うと、戦場に立つことなくのんびりしている自分は恵まれているのではないかと感じる。
それが艦娘として正しいことかどうかはわからない。しかし、うみどりは
自分だけでなく、この世にいる全ての艦娘が同じように平和に過ごすことが出来ればいいのにと願った。そのためにはまず、今の仕事が無くなるくらいにまで戦争が終息しなくてはならないのだが。
「あら、深雪さん。ごきげんよう」
平和を享受しているところに、後ろから声。振り向くと、そこには夕暮れの哨戒をしようとデッキまでやってきた三隈が微笑みながら立っていた。
「フーミィさんとニムさんに連れてこられたのね。随分と長いお風呂になってしまったみたいで。お身体は大丈夫でして?」
「ああ、おかげさまで全快だよ。あの風呂すごいね」
「ええ、艦娘の自然治癒能力を活性化させる性能があるのだそうです。小さな怪我くらいなら、あのお風呂で完治するのです」
ふふふと笑いながら、仕事のためにデッキの中心へ。そして、携えた飛行甲板を夕陽に向けると、そこから水上機が数機飛び立った。
徐々に戦場に近付いているということもあり、夜でなければしっかり警戒はしておく。うみどりが動いている状態で発艦させているため、その水上機の着艦の難易度は上がっているものの、勿論こちらの練度も非常に高いため、さも当然のように繰り出している。
「今日一日、いろいろあったかもしれませんが、どうでしたか? うみどりの生活は」
そんな三隈の質問に、深雪は殆どノータイムで返す。
「楽しいよ。みんな優しくしてくれるしさ。まぁ訓練に関してはめちゃくちゃ厳しいけど、やっていくためにはこれくらい乗り越えなくちゃいけないわけだし。それを差し引いても、ここはいいところだなって思える」
何も隠していない、本心からの言葉である。
午前は初心者だというのに鬼のような手段で海上歩行が出来るようにさせられ、午後は気を失うまで踊ることでスタミナを強化させられるという、他の鎮守府でもこんなことしているのかと感じてしまうくらいにハードなトレーニングをさせられたが、それでも楽しかったと思えるくらいに深雪はタフだ。
身体以上に心が強い。まだ生まれたばかりで、逆境と言える出来事を体験していないというのもあるが、だとしても打たれ強さは見てわかるほどだった。
「それならよかったですわ。あんなトレーニングを受けてもう嫌だって言われたらどうしようかと」
「言う奴はいそうだな……いや、やってる最中はマジでキツかったし。でも、あたしは大丈夫。海の平和のためには必要なことってわかってるつもり。今から追いつくためには、ちょっとくらいキツくても乗り越えなくちゃいけないんだよな。明日の後始末もちゃんとやれるようにしなくちゃ」
やる気は充分に伝わってくる。明日の初めての後始末に対しても、楽しみにしているような口振り。
深雪のような艦娘は、どちらかといえば後始末なんて仕事は敬遠するタイプだと思われる。戦うことに楽しみを見出だして後片付けなんて知ったことでは無いと考えるか、後片付けなんて面倒くさいことしたくないと考えるかのどちらか。
なのに、この深雪は後始末に対しても真摯に取り組もうとしている。予想していた性格と少々違う。訓練中は口が悪いところが出たりするものの、しっかりとやらねばならないことをこなしている。負けず嫌いという性質から、ただでは転ばないという気持ちが強いようだが。
「深雪さんは真面目ですのね。そういう方が仲間になってくれるのは、三隈にとっても嬉しいですわ」
言葉にされると恥ずかしいようで、深雪は少しだけ頰を赤らめた。
「深雪さんはまだまだ生まれたばかり。明日の後始末では学ぶことが多いでしょう。もしかしたら、そこでもうこの仕事が嫌だと思ってしまうかもしれない。それでも、ここに居続けてくれることを三隈は望みますわ」
「やってみなきゃわからないってことだよな。うん、そういうのは明日考えるさ。まだ見ただけだし」
「ええ、それがいいでしょう。これは深雪さんの物語ですから、深雪さん自身が選び取ることに意味があります。三隈達の言葉が絶対に正しいとは限りませんもの」
話しているうちに水上機が戻ってきたようで、三隈の飛行甲板に着艦。中から出てきた妖精さんが、グッとサムズアップした。
「敵影も廃棄物も無し。まだ現場は先ですものね」
「じゃあ、予定通りに明日は後始末するんだ」
「ええ、おそらく。深夜に襲われることがなければ」
無いとは言えないのが今の海である。廃棄物からの穢れだけでなく、
「何事もなく現場に着きたいね」
「ええ、まったく。荒波は好きではありませんもの」
夕陽に照らされる海を見つめながら、これからの平和を願う。むしろ、平和を作るのは自分達だ。
うみどりは止まらず現場へ向かう。明日には、深雪の初仕事となるだろう。
うみどりの速力は20ノット強と考えています。天候次第ですが、風呂で火照った身体を冷やすために使うなら、ちょっと風が強いくらいかも。島風のように速さに拘るフーミィには、これくらいがちょうどいいくらいですかね。