大規模な後始末の現場に現れたカテゴリーMは、白露型駆逐艦の時雨。その表情は冷たく、敵対の意思が見える。
だが、深雪と電も説得するという意志の下、危険ではあるものの目の前に立つ。まだ練度は低く、戦う力は足りないかもしれないが、手も足も震えてはいない。
「それで、僕と何を話したいんだい?」
時雨は表情を変えずに言う。視線は深雪達の後ろにいる仲間達には一切向けず、同胞である純粋種に対してのみ。目にも入れたくないという気持ちがありありと伝わってくる。
それほどまでに呪いが強く、人間への憎悪に満ちていた。悪辣な人間に対しての怒り、過去に命を搾り取られた同胞への悲しみ、それを是として回る世界への憎しみのせいで、今の時雨の中には負の感情以外が存在しないようなものだった。
ニコリとも笑わない。声色にも怒気しか感じられない。同胞である深雪と電に対しても、
「あたし達は、説得に来たんだ」
ど直球に本心から伝えた。説得──つまりは、人間への怒りを抑えてもらうために。
「説得? 何をだい?」
さも知らぬように返す時雨。深雪が何を言いたいかなんて、既に気付いているというのに。
「お前が人間に対して憎しみを持ってることは知ってる。だけど、人間全部に憎しみを向けるのは間違ってる。だから」
「だから人間に対してのこの湧き上がる怒りを抑えてほしいと言うんだね」
食い気味に返してきた。わかっていたと言わんばかりに、しかし表情は変えることなく。
深雪はああと強く頷いた。しかし、これではいそうですかと言ってくれるとは最初から思っていない。話がわかるように見せかけて、この時雨もやはりカテゴリーM。最初から折れるつもりなんて毛頭ないのだ。
だが、それを折れさせるのが説得。うまく納得させる必要がある。そうでなければ、今からここで時雨との戦いが始まり、どう転んでも誰かが命を落とすことになる。時雨か、もしくは仲間が。
「僕がそれを素直に聞くと思って」
「思ってねぇよ」
深雪もお返しとばかりに食い気味に返す。喧嘩をするつもりはないのだが、深雪は本心のままにここで対話をするつもりだ。優しくやろうとも思っていない。ありのままで話をしていく。
変に行儀良く話そうとすると、何かを隠しているように見えてしまう。そんなもの、カテゴリーMにとっては不信感にしかならない。ならば、多少口が悪くても、自分をしっかり曝け出した方がいいと深雪は考えた。
「お前らの怒りがそれくらいだってことは、あたしも理解しているつもりだ。あたし達と同じ艦娘が人間にいいようにされて、命まで吸い尽くされてるって聞いた時には、気分が悪くなった」
「わかっているじゃないか」
「でもな、全員が全員そういう人間じゃあないんだ。それをわかってほしい」
隣で聞いている電も、その時のこと──深雪に真実を伝えられた時のことを思い出して辛そうな表情を見せる。実際その後に人間に対して不信感を持つようになっているのだから、その心の痛みは正しく把握しているといえる。むしろ、一瞬でも心がカテゴリーMのように黒く染まりかけた経験がある分、電の方がカテゴリーMの気持ちを深く理解しているくらいである。
だが、電は伊豆提督という良い人間を知っている。昼目提督だって裏表の無さで信用出来る人間だとわかっている。人間は悪人ばかりではない。それに納得出来てから、この世界は再び明るいものになっている。
だが、時雨の反応は素っ気ないものだった。
「断る」
話にならないと言わんばかりの表情。何故人間を理解しなくてはいけないのか。同胞の命を搾り尽くした人間に譲歩する必要なんて何処にもない。それだけならまだしも、今の人間は同胞の姿まで使っているのだからタチが悪い。
今の時雨にとって、人間と悪はイコールで繋がる。同胞の仇なのだから。深海棲艦よりも殲滅すべき存在だ。
「ならば聞くけど、君達は
そう言いながらポンと触れたのは空母棲姫の艤装。深海棲艦とわかり合おうとしたことがあるのかと聞いている。
「僕にとって、人間はそういう存在なのさ。話なんて出来ない。ただ僕達の存在を脅かす
本心からの言葉であることがわかるほど、時雨の目は憎しみに染まっていた。これが呪いに蝕まれた艦娘の考え方。その存在が許せない。生きているだけで悪を為す。故に対話は
深雪と電は純粋種であるから耳を傾けているが、人間に与するならば、それは同類として見てもいいと思っている。同胞であろうとも、死に値する価値であると。
だが、時雨としては、深雪は
「お前にはそう刻まれてるってことか」
「ああ、僕の生まれながらの本能だよ。それは僕のせいじゃない。全て人間のせいだ。奴らのやってきたことは、一切合切擁護が出来ない。そうじゃないかい?」
曲げるつもりはないと、時雨は少しだけ睨みつけるような視線に。その表情を見たことで、電が少しだけ萎縮する。
怒りと憎しみに呑まれた目。対話は出来ても、それだけ。そもそも深雪の話を聞いても、聞いているだけで自分の意思を変えるつもりなんて無かった。
だが、深雪は臆することは無かった。時雨がそう来るだろうというのは予想済み。
時雨は人間に関することは全て否定し、真実であっても見ることはない。いや、
これが、過去に命を搾り尽くされた挙句に海に捨てられた艦娘達が遺した呪い。『人間は悪である』という正しくも間違った考え方を植え付けられる。本来の艦娘としての矜持はそれによって焼き尽くされ、理性すらも奪い取り、殺意の塊へと変貌させる。
「同じことを言うようで悪いけどな、確かにそういう人間がいることは、あたしも認める。見たことはないが、歴史がそう語ってる。それは理解してる」
「ならそれで終わりじゃないかい?」
「終わらねぇよ。だってあたしは、そんなクズみたいな人間以外を見ているんだからな」
うみどりで過ごしてきた日々、軍港都市で見てきた人間、調査隊と接触したことで知った意思。その全てが、深雪にはこの世界の明るさとして映っている。
暗い部分しか知らない時雨には理解出来ない、陽の部分。
「人間だって捨てたもんじゃない。過去の人間のクソみたいな罪を、全く関係のない人間が贖おうとしてんだぞ。無実の罪であってもだ。それでも悪人だって言うのかお前は」
「僕達に刻まれた人間の悪行は、人類全てが償っても余りあるモノだと思うけれどね。世界を守るために生まれた僕達を、平和に使わず私利私欲に使っているわけだろう。平和なんてそっちのけでね。僕達の生まれた意味を踏み躙っている」
「それをやった人間は全員じゃねぇ。そういう輩をぶん殴ろうとしてる人間だっている。お前と同じ意思を持つ人間だっているんだぞ」
初めて時雨が表情を変えた。
「それがその人間の本心なのかい? 裏で何をやっているかわからないだろうに。それとも何かい、自分の行動を全て君達に監視させているとでも言うのかい? 君達が眠っている間にやっていたことも全て曝け出して? 隠し事すらしたことがないとでも?」
隠し事という言葉に、深雪も電もどうしても思うところはある。この世界の真実を2人に伝えないようにするために、あえて何も言わなかった。隠し事といえばそれが真っ先に思い出される。
しかし、そうした理由は、深雪や電のことを考えて考えて考え尽くした結果だ。ショックを受けるにしても、もう少し世界に慣れた後の方がいいと、最も気持ちが揺れないタイミングを見計らっていただけに過ぎない。悪意を持った隠し事ではなく、2人のことを思った結果隠さざるを得なくなったこと。
その一瞬の揺れを、時雨は見逃さなかった。
「ほら、やっぱりそうじゃないか。君の信じる人間にも裏がある。全てを曝け出しているわけじゃない。君の知らないところで何をしているかわからない。それこそ、僕達のような存在を蔑ろにしているかもしれないだろう」
「んなこたぁねぇ」
「何故言い切れるんだい。それこそ、僕のこの感情のように、君達にも刻み込まれているんじゃないかい? 人間は無条件で信じるに値するモノだって。それが間違いだと気付かずにさ」
淡々と、しかし自信を持って、深雪達に突きつける。人間は信じられないモノであり、それを信じている深雪達が間違っているのだと。どれだけ信じていても、裏でやっているナニカによって、いつか裏切られるのだと。
深雪は言い返そうとするが、時雨はその言葉を出させることなく続ける。
「後ろめたいことが無いのなら、何もかも全て話すだろう。なのに、全てを教えるわけでもなく、都合のいいところだけを切り取って伝えているじゃないか。そんな人間を、君達は心の底から信じられるのかい?」
ここまで来ると、自信満々に言い切った。自分の考えは全く間違っていない。人間は悪であり、救う価値もない存在であると。呪いにより刻まれている感情は、過去の同胞が遺してくれた真実なのだと確信して。
「信じられるのです」
だが、その時雨の言葉に反旗を翻したのは、深雪ではなく電だった。深雪もすぐに口に出そうとしていたが、電の方が一瞬早かった。
「電がお世話になっている人間さんは、本当に裏表が無いのです。確かにこの世界の真実については隠していました。でも、それは電達の心が壊れないようにしてくれていたからなのです」
「本当にかい? 都合が悪いから隠していただけだろう?」
「実際、真実を聞いたことで電はすごく辛かったし、人間さんのことが信じられなくなったのです。でも、やってることに嘘は一つも無かったのです」
自信を持って、それだけは言えた。隠し事はしたとしても、誰も嘘はついていない。これまでに嘘というのは一つも無かった。あくまでも、誰かを思ってのことだ。そこには悪意なんて何もなく、善意のみの行動。裏も何もない。
「それが嘘だと思わないのかい?」
「思わないのです。電の知る人間さんは、裏表がありません。そのせいで少し怖い人間さんもいましたけど……でも、この世界の平和のために必死に動いていたのです。そこに嘘なんて無いのです。嘘だったら、絶対何処かでボロが出るはずなのです」
電は自信を持ってそこまで言い切った。しかし、時雨の表情は変わらない。
「……わからないね。何故そこまで人間に入れ込めるんだい。艦娘を私利私欲を満たす道具としか思っていないような種族に、命を懸ける理由は無いだろうに。そこに付け込まれて、骨の髄まで利用されて捨てられるのがオチさ。なら、そんなことをされる前に鏖殺する。それが僕自身を守る術だろう」
「人間さんのことを正しく知らないのにですか?」
この電の一言が痛烈な言葉になる。深雪も自分が言いたいことがカチリとハマった瞬間だった。
「あたし達は、人間と過ごしてきたからこそ、こういう考えを持っている。この世界の真実を知って、悪い人間に対して殺意を持った上で、良い人間の存在も理解した」
「それ自体があちら側の策略かもしれないのにかい」
「じゃあお前は、人間を見たことがあるのか。無いよな。今生まれたばかりなんだから」
深雪の言葉に、時雨はこれ見よがしに大きな溜息を吐いた。
「見るまでも無いだろう。僕に刻まれたこの感情は、過去の同胞のモノだ。人間は信じられない、悪の塊、私利私欲に利用するために全てを吸い尽くす
「よくもまぁ見てもいないのにそこまで言えるな。知らないモノに対して断言出来る根拠は何だよ」
根拠を示せと突きつけられ、時雨は間髪容れずに語る。
「根拠なんてわかりやすいだろう。僕の存在そのものさ。人間がいるからこそ、僕のような人間を殲滅する者が現れる。世界が人間の存在を否定しているんだ。それ以上に何が必要なんだい」
ここで深雪が逆に溜息を吐いた。今の時雨の言葉は、間違いなくおかしいと確信したから。自分の存在が人間の悪意の証明と言い切った。
だが、深雪が何度も言っているように、人類のほんの僅か、一握りにも満たない悪辣な輩のせいで、そのように生まれるようになってしまったに過ぎない。
「人間全員が、お前みたいなのが生まれる原因になったと思ってるのか。見てもいないのに。知りもしないのに。それこそ、ただの思い込みじゃあ無いのか」
「思い込みではないね。ならば、過去の同胞達は何故そんな感情を遺したんだい。悪辣な人類は滅んでしまえばいいなんて」
「そいつらが、
深雪だって過去を知るわけでは無い。だから、命を搾り尽くされた艦娘達の人となりなんて知らない。そういうことを知っているのは、タシュケントのような第二世代だろう。そのタシュケントですら、その時に世話になった提督の優しさを、いい人間と悪い人間がいることを思い出せている。
命を搾り取られた者は、自分が死んだ後のことは知らない。だから、恨みしか残らない。しかし、その後も生きた者ならば、悪辣な人間を糾弾した人間がいたことだって知っている。
それを、生まれたばかりの何も見てもいないのに、人間は悪であると断言出来るのは間違っている。ちゃんと見てから言えと深雪は逆に言い切った。
「結局、お前だって何も知らないで感情に踊らされてるだけなんだよ。お前が言ってること、全部お前に返ってるぞ」
「……だから納得しろと?」
「納得出来ないなら、納得出来るようになればいい」
かなり危険な賭けではあるのだが、カテゴリーMに対して人間を信用させる手段なんて、一つしかない。
「お前はもっと今の人間を知れよ。知ってから文句を言え」
説得は続くが、平行線では無くなってきている。
今回で今作も100話となりました。ここまで来て、まだ深雪がまともな戦闘をしていないという稀有な状況ではありますが、引き続きよろしくお願いします。