「お前はもっと今の人間を知れよ。知ってから文句を言え」
深雪が吐き捨てるように言った言葉は、時雨に対して最も効くであろう言葉。
時雨の言い分は、深雪だってある程度は理解出来る。呪いのせいで、過去の人間の行ないに対しての怒りと憎しみに囚われており、どんな人間に対しても不信感を持ち、始末するべき相手と考えてしまうのは仕方ない。
深雪だって真実を知った時には元凶をこの手で始末してやると思ったくらいだし、電だって人間への不信感は尾を引いていた。
だが、この時雨は今生まれたばかり。人間をその目で見たわけでもなく、ただ心に刻まれている感情のみで話している。人間を憎む理由も、知っていることだけで全て語っているのみ。
「何故僕がそんなことをしなくちゃいけないんだい。人間のことを知る必要なんて無いだろう」
「……知らないモノに向かって文句ばっかり言ってるのは、良いこととは思えないのです」
深雪のみならず、電からも時雨を否定するような言葉。深雪の凛とした目に対して、電はどうしても怯えた目ではあるが、それでも時雨のことをじっと見つめて言い放った。
「僕は知っている。身体と心に刻まれている。人間がどれほど悪辣で、救いようがない存在か」
「だから、実際に見て人間が救いようがないのかって判断したのかっつー話なんだよ。それは知ってるって言わねぇ」
自分自身が証拠だと言っているうちは、井の中の蛙みたいなものだ。大海を知らないから狭い世界での価値観に囚われ続けているに過ぎない。
だから、深雪は訴え続ける。少し口が悪くなってしまっているが、ここまで折れるつもりのない時雨を相手にするのならば、臆してもいけないし弱気を見せてはいけない。そして苛立ちも見せず、冷静に突き進む。
「ちゃんと、人間さんとも話してほしいのです。話せばきっと、時雨ちゃんもわかってくれるはずなのです」
電もその方面で攻める。人間を知らないからこんな考えしか浮かばない。正しく知ることが出来れば、考え方が変わる。
すぐに紹介出来る人間といえば、やはり深雪と電の中で聖人君子という共通認識がある伊豆提督である。それに、ここにいる艦娘達だって信用出来る人間達だ。うみどりの者達を知ることが出来れば、きっと人間にも善い者と悪い者がいるということに気付けるはず。
「どうして僕がそこまでしなくちゃいけないんだい。もしかして君は、そうしろと人間に言われて従っているのかな」
だが、まだ届かない。時雨にはそれが人間の策略だとしか思えない。そうやって誘き寄せて、いざ自分達の領域に入ってさえしまえばこちらのものと、好き勝手されるのではないかと。
それは流石に行き過ぎだと、電も少々焦る。怒りと憎しみ以外にも、多種多様な負の感情が渦巻いているのだから、あらゆる感情を使って人間を否定するような思考回路となっているようだった。
「そんなこと何も考えていないのです。電達は、時雨ちゃんが考えているようなことは何もされていません。一緒に生活して、一緒に世界を平和にしていこうって、同じ方向を向いているだけなのですよ」
「向きが同じでも、心が通じ合っているとは思えないね。君達を先に行かせて、利用するだけ利用したら後ろから刺される。そう思っておいた方がいい」
何をどれだけ言おうと、時雨の心は変わらない。非常に手強い相手だった。信念を負の感情で固定するだけの力を持つ呪いが、あまりにも強すぎる。それを生み出すこととなった過去の悪辣な人間に怒りを覚えつつも、電もあくまでも冷静でいることに努めた。
話しながらも次の手を考える。何を言えば時雨が納得してくれるか。どうすれば時雨は
今の時雨は、対話が出来ているようで出来ていない。キャッチボールをしようとボールを投げても、キャッチされてから突然ドッジボールに変化する。
敵対心を剥き出しにしているせいで、時雨は深雪と電を逆に屈させようとしてきているかのようだった。こちらは折れるつもりはないから、そちらが折れろとでも言わんばかりに。
「もしかしてお前、この世界のこと全部知ってるって思ってんのか」
ここで深雪が問いかける。時雨の今までの物言いは、何もかもを知っているような口振りだ。
「全てではないよ。少なくとも、人間はいてはいけないということだけは確信を持っているだけさ。この世界で最下層の存在だからね」
これをハッキリと断言した。それを聞いた深雪は、明確に怒りを目に宿した。それは、この時雨の最後の一言、『最下層の存在』というところに反応したから。人間のことを明確に下に見ている傲慢な発言。
呪いにより人間に手をかけることに抵抗がないということは、自分と同等ではない、下位の存在だと考えることが出来るからである。そうやって自分の中の正当性を保っているのだろう。
その考え方に、深雪は一つの考えに辿り着く。
「そういうの、お前が一番嫌ってる過去の人間と同じなんじゃねぇか」
この言葉は、流石に時雨も聞き捨てならなかった。
「それは……どういうことだい」
少しだけ、時雨の声色に怒気が含まれた。だが深雪は止まらない。
「お前、人間のことを見下してるってことだよな。対等な命じゃあなく」
「ああ、無価値な存在だ。だから、鏖殺にも抵抗がない」
「命を軽く見ているということだよな」
「……」
否定は出来ない。人間の命を無価値と言い放ったのだから、それは人間の命を軽視していることに他ならない。
「お前の考えている人間ってのは、艦娘の命を道具としてしか見ていない、軽く見ているっていう奴らのことだよな」
「……ああ、奴らは僕達の命を軽く見ている。だから使い潰そうだなんて考えられるんだ」
「人間も、お前も、他人の命を軽く見ているってことだ。同じだよな?」
最後の言葉は、空気がピリッと震えるほどにドスの利いた声だった。目に宿った怒りが、言葉にも宿ったかのような、そんな感覚。
電も、そんな深雪の声色にビクッと震えた。こんな深雪は見たことがない。心の底から怒り、しかし冷静に事に当たる姿に、少しの恐怖と強い信頼を覚える。
「僕と奴らを同じにしないでもらいたいね。奴らは私利私欲で僕達の命を使い潰した」
「でもお前は、恨みって言葉を笠に着て、無実の人間の命を奪うんだろう。それは、
ザクリと音が聞こえそうなくらいに鋭利な言葉。時雨はそこで明確に怒りを露わにした。しかし、深雪と同じように冷静さを捨てないように振る舞っている。
「僕と人間では質が違う」
「何が違うってんだ。下に見てる奴の命を奪うことには変わりないだろ」
「奴らは僕達の命を冒涜している。それは罪だ。だから、僕はそんな輩に裁きを下すだけさ」
深雪はカテゴリーMの思考回路の方向性がわかったような気がした。本来人間を守るために生まれるドロップ艦の思考形成に呪いが加わることで、怒りと憎しみが捻じ曲げ、鏖殺に躊躇が無いくらいに傲慢にする。
その結果、理性も失われて対話そのものが難しくなっている。相手が人間ならば対話をする必要が無いため、その傲慢さでも罷り通るが、深雪と電相手には通用しない。
「確かに昔の艦娘は、何の罪もないのに命を搾り尽くされて死んだ。それに関しては、それをやらかした人間の罪だ。死んで償うべきだろうよ」
「当然だね」
「ならお前、今生まれたばかりの人間にも同じことをするのか。何も知らない、何の罪もない
時雨は押し黙る。捻じ曲げられた思考回路であっても、その言葉に返す言葉がすぐに出てこなかった。
故に、深雪はここで畳み掛ける。
「人間を下に見てるってことはそういうことだぞ。元凶の人間は、艦娘を道具に……下に見てるから、罪がなくても命を奪えるんだ。お前はそれと同じことをしようとしてるんだ。正当性を自分の中で勝手に作って、下の奴らを好き勝手に扱う。元凶の人間は罪のない艦娘の命を何かに使おうとしてるけど、お前は罪のない人間の命を自分の
時雨は何も言えなかった。歪んだ思考回路でも、ここのおかしさに微かに気付いた。
「結果がどうであれ、元凶の人間もお前も、やろうとしてることは何も変わらねぇよ。罪もない相手の命を自分のモノのように扱うだけのバカだ。相手のことなんて何も考えてない、知ろうともしない。それは同類じゃあねぇのかよ」
深雪は時雨に突きつける。最終的なところは違ったとしても、時雨がやろうとしていることは元凶と同じ。相手の尊厳を踏み躙り、その命を掌で転がすだけの行為。
「……先に手を出してきたのはあちらだ。僕達には正当性がある」
ついにここまで堕ちた言葉を出してきた。呪いによる思考回路の歪みが顕著となり、駄々を捏ねる子供のような理論を繰り出している。こうなったら、もう深雪達に負けはない。
「ああ、それはわかってる。だから、元凶だけを憎め。人間全員を憎むのは筋違いだってこと、お前もそろそろわかってきてるんだろ。そんなことしたら、元凶と同じだってこともな」
憎しみの方向を固定化させることで、せめて間違いは犯さないように正したい。これが今の深雪のスタンスだ。
元凶の人間が許されざることをしていることは間違いないし、死んで償うべきという考え方も同じ。深雪もそこは時雨の考え方には賛同する。しかし、人間全てを対象にするのは違う。
そして、その元凶がまだ生き残っていることがわかっているのだから、憎しみを晴らす口は与えられる。深雪だって、全ての人間を守りたいとはもう思っていない。元凶は自ら守られる理由がない人間へと格を落としているのだから。
「あたし達は、元凶を始末するために動いている。今はまだ何処にいるかもわかっていないけど、必ず突き止める。だから、お前はそいつら
憎しみの正当性も定めている。誰も彼もを生かせとは言わない。死んで然るべきは死ねばいい。艦娘ではあるものの、そこは柔軟に考えている。
それ自体は悪かもしれないが、時雨がいう通り、先に手を出したのは元凶だ。命を使ったのならば、自分の命も奪われる覚悟を持ってもらわねば困る。
「電も、深雪ちゃんと同じ意見なのです。時雨ちゃんは、見誤らないでほしいのです」
賛同するように電も言葉を足す。
「初めて元凶のことを聞いた時、人間さんのことは信じられなくなったのです。でも、前を向いているたった1人の仲間である深雪ちゃんを信じて、みんなのことを見続けたら、その元凶が悪いだけで人間さん全員が悪いわけじゃないって気付けたのです。時雨ちゃんだって、電と同じように気付くことが出来ると思うのです」
だから、まずは殺すのではなく人間のことを知ってくれと訴えた。深雪が言ったように。
「……あり得るのかい。人間が、そこまで信じられるだなんて」
時雨の目から、憎しみが薄らいだ。それは人間を信じて始めているのではなく、深雪と電に対しての感情が変わったから。
人間に従っている同胞なんて、人間と同様に無価値だと考えていたのが今までの時雨だ。しかし、人間どころか、艦娘まで下位の存在だと決めつけるということは、元凶と同じ考え方を持つということになってしまう。深雪の言葉で、そこに気付けた。
元凶と同じになるくらいならば、2人の考えに乗って他の人間を見てみた方がいいのではないかという思想が生まれる。明らかにカテゴリーMの在り方──呪いの方向性から脱却する感情が生まれている。
「ああ、勿論だ。まずはあたし達を信用してくれ。嘘はついていない」
「なのです。絶対大丈夫なのです」
自信を持って話す2人に、時雨は少しだけ柔らかい表情を浮かべる。
「……わかった。じゃあ、見せてもらおう。本当に信用出来る人間がいるということを。僕に証明してみせてくれ。この憎しみを向けるべきではない人間が本当に存在するかを」
「ああ、きっと驚くぜ。人間ってこんなにすげぇんだってな」
敵意は残れど、戦意は鳴りを潜めた。これは説得が成功したと言っても差し支えはないだろう。
この頃には、しとしとと降り続けていた雨が止んでいた。
捻くれたカテゴリーM、時雨が一時的に仲間となりました。人間に対しての感情を変えることが出来るのでしょうか。