深雪と電によるカテゴリーM時雨の説得は、ひとまずの決着を迎えた。人間を知らないのに敵意を向けるのは間違っているという言葉に納得したかのように、まずは人間を知ることとしたのだ。
信用出来る人間がいることを証明する。それが時雨に対してうみどりがしなくてはならないこと。それさえ出来れば、少なくとも時雨は呪いによる人間への憎しみを薄れさせることは出来るだろう。
「まずはこの人達からだ。わかってると思うけど、あたしと電以外の艦娘は、全員人間だ」
「ああ、理解している。僕達の同胞の皮を被った人間だ」
神風達を前にしてもこの憎まれ口。その瞬間、深雪が容赦なく時雨の頭を叩いた。
「痛っ!? 何をするんだい!?」
「一つちゃんと教えておいてやる。自分から敵対心を煽っておいて、反撃してきたから人間は悪だって言うなら、それは全部お前が悪いんだからな。人間は何も悪くねぇ」
喧嘩を売っておいて、買われたら鬼の首でもとったかのように悪だ悪だと宣うのならば、それは時雨の性格の問題だ。いくら呪いによって性格が歪まされているとしても、ある程度理性があるのならばそこは考えてから発言しろとしっかりと教え込んだ。
時雨はバツが悪そうな表情を浮かべたが、信用出来る人間がいることを証明することに支障をきたす行為を自分がやっているのだと理解したため、素直に聞き入れた。
一度それをやると決めたなら、最後までやり通すというのが時雨の考え方のようである。呪いで性格が歪んでしまっていても、根の真面目さがそういうところに表れていた。
「艦娘の皮を被っているというのは、あながち間違ってはいないさ。純粋な艦娘に指摘されると、少々耳が痛いが」
長門は苦笑しながら時雨に返す。
「この海の、世界の平和のために、我々は君達艦娘の力を借りている。過去の悪辣な人間どもの仕業で、君達には詫びても詫び足りないくらいだろう。こんな行ないをせねば、この世界を守ることすら出来ない人間は、君の言う通り下層の種族だと私も思う」
上辺だけでなく、本当にそう思っているからこそ、この言葉がスラスラ出てくる。
「だが、今だけは許してほしい。下層は下層なりに、世界を守ることに必死だ。誰も傷付くことのない世界を目指すためには、君達艦娘の力を借りざるを得ない。愛想を尽かされているのも理解している。この力だけを借りている状態が癇に障るというのも重々承知の上だ。しかし、取り上げられてしまったら、誰も何も出来なくなってしまう。君はそれを良しとするかもしれないが、我々には看過出来ない事態なんだ」
時雨に対して、申し訳なさと、それでも前に進むために力を使わせてほしいという願いを伝える。
この艦娘の力が使えるようになった理由も、本を正せば過去の悪辣な人間の研究成果に繋がってしまうのだ。ドロップ艦を解析したために、この艤装が完成しているのだから。艤装の複製や適性の有無なども、この解析によって判明したもの。
それ故に、カテゴリーMにはどうしても申し訳なさが出てしまう。それを隠すことなく伝え、しかしそれがなければ平和を維持することが出来ないことも伝えた。
「……一つ、聞いておきたい」
深雪と出会う前ならば、そんなことを
だが、今の時雨は話を聞くくらいの余裕はある。相手が人間であっても、敵意なく、むしろ申し訳なさまで感じてくれているのなら、話くらいは聞いてやろうという考えには向かえる。
「君達は艦娘の力を借りていると言ったけれど、それについてどう思っているんだい?」
またこいつはと深雪は思ったが、長門が構わないと言うように深雪に手のひらを出す。
「私はこの戦艦長門の力を借りることが出来て、誇りに思っているよ。人間である私にも、平和を守る力を託してくれた。純粋な艦娘である長門も、さぞ素晴らしい存在だったのだろう。私がその存在になることなんて烏滸がましいことだとは思うが、近付けていると思っている」
考えることもなく、即座にこの言葉を出してきた。最初からそう思っていたように、言葉を選ぶことすらなく、本心から出た言葉である。
疑いの目しか向けていない時雨でも、流石にそれはすぐに理解出来た。この艦娘──長門は、本気で艦娘に敬意を示し、その名に恥じないために艦娘としての活動に命を懸けている。
「……わかった。ひとまずは、納得した。ここにいる人間達は、みんな同じ考え方なのかな」
「私はそうだと確信している。無論、艦娘となった理由は人それぞれではあるが、今ここで平和を守っているのは、自分の意志だ」
時雨には、
だがそれ以上に、同胞の力を使っているのに、それを仕方なく使っているだとか言われたら、時雨はおそらくまた拗らせていただろう。最初に問うたのが長門だったのは幸運だと言える。
部隊に連れてこられた時雨を待っていたのは、そこにいた全員が息を呑む声。説得が上手く行くことを願っていたとしても、実際に成功してここに来たとなれば話は別。
これまでカテゴリーMは和解すら出来ずに泣く泣く沈めることとなってしまっていた存在。それが目の前にいるのだから、こんなことになるのも当然といえば当然である。
「歓迎されているようには見えないけど?」
時雨の言葉に、深雪も電も仕方ないことだと返すしかない。
「時雨ちゃんみたいに、海で生まれたヒト達は……ここの人達を襲ってきていたのです。だから、どうしても警戒してしまうのです」
「条件反射みたいなヤツだから、気にすんなよ。お前だって、目の前に人間が来たら身構えるだろ。同じ事だ」
「ああ、そう。なら仕方ない」
これに関しては比較的物分かりが良かった。自分のことにすぐ置換出来ることだったからだろう。悪意があろうとなかろうと、警戒することは普通だと理解はしている。
時雨にとって人間が敵であるのと同じで、人間にとってドロップ艦は今までは敵だった。それだけわかれば早いものである。
「僕は白露型の時雨。同胞である深雪と電に、人間にも信用出来る者がいると聞いた。でも、こう言われても僕には信じられない。僕の中では、人間は悪だ。だから、この目で見るためにここに来た」
未だに敵意は剥き出しである。しかし、戦うつもりは無いと、一応口先だけかもしれないが工廠にいる者──うみどりに所属する者──全員に伝わるように話した。
仲間達はそれだけでなるほどと納得。深雪と電がそのように説得したのだと理解し、すぐに警戒を解いた。
時雨にはむしろそちらの方が驚きだった。ついさっきまではドロップ艦を敵対する存在だと考えていたのに、それである自分がこの場に現れて、簡単に自己紹介をしただけで敵対の意思を一切感じなくなったのだから。
誰も時雨のことを敵だと思っていない。それが格好だけではないことも見ればわかる。逆に時雨がキョトンとしてしまった。
「もうわかったろ。ここにいる人間は、お前が思っているような人間じゃあ無いんだ」
「一緒に過ごせるのなら、みんな時雨ちゃんのことをすぐ受け入れてくれるのですよ」
深雪はドヤ顔、電は満面の笑み。まずこの時点で人間は時雨が思っているほど酷い存在ではないことの証明となっているのだから、そんな顔にもなる。
「よく来てくれたわ」
その筆頭たる人間、伊豆提督が時雨の前へ。この時には制服も正しており、キチンと提督としての風貌で待っていた。
伊豆提督としては、深雪と電による説得が成功する方に賭けていた。戦場に出すことには危険性を考えて抵抗があったものの、カテゴリーWの力を期待していたのは間違いない。
「君が……提督かい?」
「ええ、この海上清掃艦うみどりの艦長、後始末屋を管理する提督、伊豆遥よ。気軽にハルカちゃんと呼んでちょうだいね」
自らを隠すことなく、むしろそのキャラを全面に押し出すような自己紹介。時雨はそれでまたキョトンとしてしまった。
「あら、あまりいい反応ではないわねぇ。大丈夫よ、警戒しないで。アタシはアナタのことを歓迎しているんだから」
伊豆提督は時雨の緊張を解きほぐすように語りかけるのだが、時雨は少しだけ混乱していた。
艤装を装備している純粋種──これまで敵性艦娘として扱わざるを得なかったカテゴリーMを目の前にして無警戒で近付いてくる。それだけでも、時雨からしてみれば異様とすら思えた。自分の背負う主砲が、太腿に括り付けられた魚雷が怖くないのか。艦娘と違って抵抗するための術を何一つ持っていないのに、何故ここまで自分を曝け出せる。
「何で……そこまで僕を信用出来るんだい。少し前までは、僕のような存在は敵だったんだろう」
その疑問が素直に口から出た。今ここで提督を殺すことだって出来るんだぞと、脅すようなことまで言ってのけた。
だが、伊豆提督はスタンスを変えず、柔らかな笑みは浮かべたまま答える。
「アナタは人間が何たるかを見るために、一時的にでも矛を収めてくれたんでしょう? なら、こちらが攻撃的になる必要なんて何処にもないじゃない」
「そうかもしれないけど……」
「それに、アナタはありのままの人間が知りたいでしょう? これがありのままのアタシなの。戦わなくてもいい相手に、喧嘩を売るなんてナンセンスよ。世界の平和って、そういうものよね。お互いに手を取り合って、仲良しこよしが一番健康的よ」
ふふふと笑みをこぼしながら語る伊豆提督に、時雨はある意味圧倒されていた。
呪いにより拗らせ、捻くれていた時雨は、深雪と電がああ言っていたものの、自分の姿を見れば人間達は慌てふためいたり敵対心を見せたり、利用するために悪意を覗かせたりするものだと内心で決めつけていた。
そして、それを見せた瞬間にそれ見たことかと批判するつもりでいた。これが人間の本性だよと、説得しに来た深雪と電に突きつけて、背負う主砲をぶちかましてやろうとも考えていた。文句を言えない状況を作り出して、正当性を獲得するため。
だが、そんな時雨の思惑は、見事に外れた。うみどりには、
勿論、最初は警戒こそするが、敵対の意思が見えないとわかるや否や、すぐさま警戒を解く。そしてコレだ。
「アナタの思惑が外れたようでごめんなさいね。でもね、コレがアタシ達なのよ」
そんな時雨の思考を読み取ったかのような鋭い一言が突き刺さり、時雨は目を見開いた。
「ここで人間のことを知ると決めてくれたこと、心の底から感謝するわ。好きなだけ見ていってちょうだい」
時雨は何も言えず、小さく首を縦に振ることしか出来なかった。
「でもまずはお風呂に入った方がいいわ。さっきまで雨に打たれていたわけだし、残骸の浮かぶ海の上で話をしていたんだもの。一度洗浄するべきだと思うのよね。他のみんなもそうしてもらうから、警戒しなくても大丈夫よ」
「あー、そうだよな。さっきまであのでっかい艤装の側で話してたもんな。後始末するにしても、一度洗浄はいるか」
「ええ。もしかしたら悪影響があるかもしれないもの。インナーも着ていないからね。だから、まずはお風呂をお願いね」
もう時雨は、素直にそれに従うしかなかった。
人間を知る事は、こんな始まり方。時雨はここからうみどりを通して、呪いに歪められた人間像を変えていく。
しかし、うみどりはこれまで説得出来ずに攻撃を受けてきたカテゴリーMを沈めることで対処してきている事実があります。時雨はそれを聞いて何を思うか。