メッセンジャー2人、別個体の深雪と、相方の雷は、一度死んでおり、カテゴリーKとして今蘇って行動している。その2人の行動観点は、自分達のような被害者が増えないこと。故に、特異点の深雪が目指しているような、ただ戦争を終わらせることで得られる平和が納得出来ない。管理社会となるであろう出洲の目指す平和の方が被害者は出ないと考えて、今、完全な敵対をしている。
深雪は言葉も無かった。既に死んでいるという事実もそうだが、自分の知らない世界が広すぎることで、今も何処かで見知らぬ誰かが何かしらの被害を受け、深海棲艦とは関係のない死が訪れているということに。
「君は何をそんな単純なことでショックを受けているんだい」
そんな深雪の後ろから、軽く頭を引っ叩く者がいた。止まっていた口が動き出すような感覚。
「いってぇ! 何すんだ時雨!」
「敵の方便に惑わされてるんじゃないよ。まさか、アレが一度死んでるから、今の言い分に正当性があるとでも思ってるんじゃないだろうね」
溜息を吐きながら、これだから深雪はとおちょくるような視線で見つめている時雨。鼻で笑いながらも、引っ叩いた頭を掴むようにして、その視線を別個体の深雪に向けさせる。
「いいかい深雪。アレは自分から敵と名乗った連中だよ。本人の言うことが本当なら、確かに気の毒かもしれない。人間に殺される人間なんて、あまりにも人間の愚かしさを表していると思うよ」
時雨は特異点の深雪に言い聞かせるように、そして別個体の深雪を
「でもね、平和になるとして肯定している行動が、次の自分を生み出していることに何も気付いていない。つまり、アレはただのバカだ。一度命を失って、頭のネジが何本か抜けてしまっているんだよ。だから、君が惑わされるのは間違ってる」
真正面から2人を馬鹿であると罵った。そんなことを言われて黙っていられる別個体の深雪ではない。
「んだと……テメェ、今なんつった」
「馬鹿だと言ったんだ。これだから人間は。都合の悪いことは聞こえないフリかい?」
鼻で笑って時雨は続ける。
「君達の言っていることが本当のことだとしよう。僕はそれもまともに信じていない。何せ、あの出洲のやるようなことだ。その記憶自体が作られたモノである可能性も捨てていないからね。だから、あくまでも、君達が人間に殺されたということを仮定として続ける。アレだけのご高説を垂れたんだ。僕の言葉も聞いてくれるよね、別個体」
時雨の口が回り始めたら、深雪とて止めようとは思わない。別個体の深雪は自分だけ話したいだけ話して、時雨の言葉は聞こうともしない、なんてことはしない。自分の求めている平和は間違っていないと、悩み、苦しみ、そして割り切ったのだから。
「君達はあくまでも、次の自分を生み出したくない、そう言ったね。人間が人間に殺されるような、野蛮で薄暗い世界が、深雪の求めている平和だと。出洲が管理する世界の方が、人の死が無い平和だと」
「ああ、あたしのような奴は生まれない」
「なら、出洲の研究のせいで人間としての人生が壊された者達については、どう考えているのかな。このうみどりには、雷が感謝してると嫌味のように言った軍港都市の地下施設から脱走してきた人工の深海棲艦が何人か保護されているんだけれど、その人達に対してはどんな言葉をかけてあげるんだい。まさか、平和の礎になったんだからと出洲や阿手みたいなことは言わないよね。未来の被害者のことばかり言っているんだ、現在と過去の被害者のこともしっかり考えていると思うけれど」
うみどりで保護されている平瀬や手小野、黒井親子などなど、出洲の実験、阿手の暴挙によって、人間としての生を奪われた者達が何人もいる。
「ああ、先に伝えておくよ。彼女らは、自分の意思で深海棲艦の身体を得たわけじゃあない。騙されて実験台にされているんだ。おそらく阿手の策謀だと思うけれど、少なくとも軍港都市で匿ったのは、出洲の手で改造されたんじゃないかな。1人は30年近く、地下施設で働くことにもなってる。騙されて、人前に姿を現すことが出来なくなってだ。この責任は、平和になったら取れるとでも?」
平瀬はかなり早い段階から、手小野もそれなりの時間を深海棲艦の身体で過ごす羽目になっている。黒井親子などはまだ短期間かもしれないが、それでも現状不可逆の深海棲艦化によって、人としての生活は不可能になっている。
「ああ、ここにいない子でも、深海棲艦に改造された子がいるんだ。その子は、君達が大好きな出洲の施設から姉妹で脱走して、お姉さんが命を落としてる。妹は未だに失語症で言葉を話すことが出来ないくらいに精神的に辛い目に遭った。君達は、それを肯定するというわけだ。子供が、被害に遭っているというのに。知らないとは言わせないよ。何せ君達は自分で、深海戦争が起きる前に殺されたと言っていた。10年以上前だ。あの子は、2年前にそんな目に遭ったらしいよ。君達の組織に拉致されて、強制的に改造されてね」
時雨が一歩前に踏み出す。
「いいかい、君達は深雪に世界を知らないと言った。まぁ、僕も生まれたばかりといえばその通りだから、似たり寄ったり、五十歩百歩だ。だがね、君達も世界が相当狭いと見た。自分の見たい現実しか見えていない。君達が平和平和と言っている時に、どれだけが被害に遭ったと思っているんだい。軍港都市では、阿手の配下によって何人も何十人も洗脳されて、世界の敵となっているけれど、阿手がやったことだからと知らぬ存ぜぬかい?」
フレッチャーが吐きそうな顔をしていたが、事実として受け入れて、呑み込む。愚かな記憶を持つ
だが、これはこれで、
これで何も感じないとは言わせない。時雨はさらに一歩踏み出した。見下す視線、小さく微笑む表情。完全に、馬鹿にしている態度。
「質問に答えてもらおうか。この被害者達に対して、どう思っているのかな」
「……最悪な気分だよ。そんなことが起きていたなんてな」
「まさか、軍港都市のあの大惨事を知らないと言うのかい? いやいや、阿手の独断先行だったとしても、君は出洲の仲間なんだろう。いくらでも止められるタイミングがあったんじゃないかな。でも、止めなかった。君達も、出洲も、あの事件を。責任すら取らず、全てうみどりに、軍に任せっきりだ」
はぁ、と改めて溜息を吐く。
「それで、えぇと、君達は出洲の望む平和を実現されることで、そんなことが起きなくなるから、出洲に敵対する特異点は敵だと断言したね。
別個体の深雪に、明確な苛立ちが見えた。雷はその手を握って落ち着かせようとしているようだが、時雨はそれを見て逆に苛立った。
「まさか、君達だけが被害者のつもりかい? まったく、視野が狭い。深雪のことをどうこう言う資格なんて何処にもないね。本当に自分達のようなモノを作りたくないなら、そもそも今を止めなよ。阿手に好き勝手させている時点で同罪だ。その狭い視野なら、阿手のことも見えていなかったようだけれど。自分のことで精一杯かい? なら、尚更深雪に何か言えるのかな。未来を見ている深雪より、未来
さらに一歩。もう、別個体がやろうと思えば攻撃も出来るような距離。だが、時雨は恐れない。怯まない。後ろを向かない。
何故なら、ここで攻撃されるだなんて思っていないから。ここで攻撃しようものなら、これまでの自分のやり方を、ただのワガママですと証明するようなものだから。
「君達は、未来のために現実を見ていないんだ。そして、責任を取るつもりもさらさら無い。さっきも言ったけれど、君達は新たに君達のような被害者を出したくないから、管理社会を肯定しているんだよね。なら、今の被害者はどうなんだと聞いているんだ。さぁ、教えてくれ。君が手をこまねいている間に、君の信じる出洲のせいで、また被害が出るかもしれないね。どうするんだい?」
もう、目と鼻の先。手が届く範囲。砲撃どころか、殴ることも可能な距離。
「答えなよ。答えられないなら、君はまともな意思もなく深雪を否定して自分のワガママを押し通そうとしているクズだ。ごめんなさいと言えても、これまでそれも気付くことが出来なかったクズだ。開き直ったならば、自分のことしか考えていないクズだ。さぁ、君はどのタイプのクズなんだい」
息がかかるほどの距離で鼻で笑う。どう足掻いても、今やっていることはクズの所業だと、時雨は断言した。
「ああ、そうだった。自分達の高尚な目的は、愚か者にはわからない、なんて逃げは許さないよ。ねぇ、雷?」
口が開きそうだった雷に前以て釘を刺した。
「高次の存在ならば、低俗な僕達にもわかるように説明出来るはずさ。何せ、高次なんだからね。説明出来ないなら、君達も僕達と同じ低俗ということになる。さぁ、説明をお願いしよう。低俗な僕達でもわかるように。さっきみたいにご高説を願おう。さぞかしわかりやすい説明をしてくれるはずだ。僕達が納得して、君達の行いを肯定出来るくらいのね。みんなも待ってる。後始末があるんだから時間もあまりない。さぁ、早く。早く。早く」
もう時雨は愉悦の笑みを隠すことも無くなった。
別個体の深雪は、口が開けなかった。時雨の言葉で、自分達の行いの愚かさを少しだけでも知ってしまったのだから。
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