吹雪と黒深雪が舌戦──吹雪が一方的だが──を繰り広げる中、グレカーレのみが気付いた、襟帆鎮守府の艦娘であろうカテゴリーC達のリーダー格、伊勢からのハンドサイン。
『私達は、敵じゃない』
それを信じていいのかどうかはわからない。そう伝えておきながら、気を許したところで裏切るなんてことも考えられる。
黒深雪と雷には気付かれないように送ってきている辺り、真に迫っているようにも見えるが、ここに来るまでに打ち合わせしていることだってあり得るのだ。
それを唯一知ったグレカーレは眉を顰めた。あちらは怪しい雰囲気はしていない。必死感が伝わってこないが、あえて伝えてこないようにも見える。バレないように、慎重に。
『証拠は』
グレカーレは同じようにハンドサインを使い、伊勢に返答する。小柄な体型を活かして深雪や吹雪の陰に隠れ、手の部分が黒深雪と雷に見えないように。
その返答が見えたことで、伊勢がハッとしたような表情をした。敵ではないと伝え続けていたが、誰も気付いていなかったため、ようやく気付いてもらえたと隠し切れない喜びが少しだけ見えた。
『従っている、ふりをしている』
それこそ信じられない言葉である。これまで大本営を謀ってきたのは襟帆鎮守府だ。出洲の思想に賛同しているカテゴリーKの黒深雪と雷を内包しているのだから、そんなことを言われても信じる方が難しい。
襟帆提督は二重スパイだとでもいうのか。出洲に従っている、自らついているスパイのように振る舞いながらも、後ろから刺すタイミングを窺っているとでも。
それこそ、そのナイフがうみどりの方に向く可能性があるため、事を慎重に進めなければいけない。
しかし、グレカーレには少しだけ信用出来る要素があった。それが、今交わしているハンドサインである。
この割と細かく言いたいことが言えているハンドサイン、
あちらは第三世代の艦娘なのだから、このハンドサインを使えるわけがない。それもあってか、神風や三隈ですら気付いていなかった。この中で唯一の、第二世代の純粋種であるグレカーレだけが気付くことが出来た。手が動いていることから、神風も三隈も何が違和感を覚えているかもしれないが、詳細が理解出来ているのはグレカーレだけ。
『このやり方、何処で知った』
グレカーレはさりげなくそう送る。すると
『提督』
襟帆提督にそれを教わったと、伊勢は伝えてきた。ここでまた謎が深まる。
襟帆提督は、以前伊豆提督が話していた通りなら、年齢は五十路に近いくらいのおばさん。歳だけで考えるならベテランに近いが、経歴に謎が多く、腕が立つわけでもなければ、何も出来ないわけでもない、本当に目立たない提督である。
軍港都市の際にそれを知り、昼目提督が素性を調べていたようだが、何も言ってこないということは、その時点ではシロだったと考えられる。蓋を開けてみれば出洲と内通している裏切り者だったわけだが、伊勢のハンドサインを信じるのならば、それすらも覆ろうとしている。
身を隠すのが異常に巧く、昼目提督でもそれを調査しきれないというのだから、これは相当な話だ。それなのに、出洲すらも欺いているとなれば、目立たないなんて嘘っぱちな、とんでもない古狸である可能性が出てきた。
そして、さらにグレカーレにしかわからない言葉を増やす。
『
グレカーレの目が見開いた。それを見て、伊勢は小さく頷いた。そして、
『信用する』
グレカーレは伊勢のことを信用することにする。その名前を出されたら、信じざるを得なかった。
吹雪と黒深雪の舌戦──一方的だが──は、まだ続いている。周囲の艦娘達に目をやりながらも、意識は黒深雪へ。
「その一般人達の目の前で? 私達が悪辣な特異点だと証明しようとしているのかな。やり方が狡いねぇ。流石は特異点の力を盗んだ連中なだけあるよ。なーにが毒を以て毒を制するだよ。そうしなくちゃ対抗出来ないから、ズルでもなんでもしようって考えただけでしょ。それで平和だの正義だの考えてるなんて、ちゃんちゃらおかしくないかな」
「……好きなだけ言え。何を言われたところで、何も変わらない」
「ああ、ただ我儘なだけだもんね。自分の意見が通らないから嫌だーって癇癪起こしてるだけのお子ちゃまだからね、君の上司は。で、君は君で反論も出来なくなって、そんな態度を取り始めた。それは何? 怠けてる? それとも考え無し? 矛盾してるとわかっているから、こちらの言い分に返す言葉もないってこと? 事実上の敗北宣言だけど、君はそれでいいんだね? 対話の拒否だし」
吹雪はこれ見よがしに溜息を吐く。黒深雪に対して、完全に失望の目を向ける。
「深雪ちゃん、何か言ってやりたいことある?」
「……あたし達は何もしてないのに罪があるって言われ続けた。アイツらの詭弁であることはわかってるけどさ、マジで初対面のヤツですら、特異点だからって理由だけで、あたしをボロクソに言ってきた。コイツとは一度、軍港都市で丸一日使って遊び歩いてる。それがあっても、あたしは罪があるように見えたか? 初対面のくせに人のこと知った気で話すなっつってるけど、お前はもう初対面じゃあない。その上で、あたしはまだまだ罪があるのか?」
黒深雪に問う深雪。何も知らずに指を差す連中と違い、黒深雪も雷も、深雪のことを知った。仕事をしている姿も、プライベートな姿も。それだけ見てきても、まだ深雪は、特異点は悪かと問うた。
黒深雪は答えない。答えられない。どちらの答えを出しても、今の自分がやっていることがおかしいということがわかっているからだ。矛盾に気付いている時点で、今はもう成り行きに身を任せているようなモノ。深雪がなんであれ、特異点がなんであれ、もう乗ってしまった道に従うしかなくなっている。
生き返らせてくれたことへの恩もあるだろう。ここまで戦えるようにしてくれた恩もあるだろう。だが、出洲は間違いなくおかしい。狂っている。それでも、従わなければならない。拠り所が、ここにしかない。
「……あたしは、道を違えない。一度こうすると決めたんだ。あたしが正しいだなんて言わねぇよ。でも、最後は管理された社会の方が苦しむ奴は減る。そう信じてる」
「管理されてる側は、堕落したことにならねぇのかよ。出洲に頼り切ることになるんだよな」
「っ……」
特異点に頼り切ることを堕落というのならば、管理社会となった後、出洲に頼り切ることは全人類を堕落させることには繋がらないのか。深雪の疑問に、黒深雪は余計に反論が出来ない。
全員を高次に押し上げることで争いを無くす。それだけでは足りないから、出洲がそこから管理する。そうすることで、高次に上がった一般人は、自分で何かを考えることを失っていくだろう。それは、出洲が嫌う堕落ではないのか。
やはりここでもダブスタが見えている。自分が扱うのだから問題ない。他人はダメでも自分はイイ。最も信じられないやり方である。
「全部おかしいじゃねぇかよ。アイツ、言ってることとやってることが。バカなあたしでも理解出来たぞ。そもそもあたしを狙ってきてることがおかしいのに、思想がブレブレじゃねぇか」
深雪すら、吹雪のように敵意以上に失望感を顔に出した。阿手よりはまだ納得出来る考え方かと思っていたものの、この場で整理していくと次から次へと出てくる矛盾。
結局のところ、出洲も自分勝手な思想を他者に押し付けた挙句、自分を頂点にした社会構造を作りたいだけ。本人は戦いのない真の平和だと思い込んでいるようだが、第三者から見ればそれはディストピアという言葉では言い表せないくらいの堕落した世界ではないだろうか。
「もう、話も出来ねぇよ。つーか、お前が話し合おうとしてねぇ。こっちの言葉に何も返せてねぇじゃねぇか。好きなだけ言えじゃねぇよ。お前の意思と意見を待ってんだよこっちは。対話拒否は自分が間違ってますって言ってるようなもんだ。自分達が正しいと思うのなら、それ相応に口を使えよ」
黒深雪は、それだけ言われても何も返せなかった。
こんな一方的な舌戦の裏側でも、伊勢とグレカーレのハンドサインによる会話は続いている。バレないように、不審な動きを見せないように。
伊勢はあっち側の艦娘の中では一番先頭を陣取っている。そのため、他の艦娘達には、伊勢が何かをやっていることが丸わかり。しかし、それに対して何も言わないということは、黒深雪と雷以外は
『こちらは、何をすればいい』
グレカーレからの問いに、伊勢は返す。
『こちらからは、連絡が出来ない』
通信などをしたところで傍受されており、出洲に付き従っているふりをしているということを誰かに伝えることが出来なかった。やれそうなのは、今のような直接顔を合わせることが出来るタイミングのみ。しかも、第二世代のハンドサインを知っているという、極めて限定的な状況のみ。
あちらからしても、かなりの賭けだったに違いない。グレカーレがいなければ詰みだったというのもある。
『どうにかする』
グレカーレからは、そう返すことしか出来なかった。
カテゴリーKとカテゴリーC、襟帆鎮守府では既に内部分裂していると考えられる。
しかし、あちらはかなり危険な状態であろう。張り詰めた糸は、いつ切れるかわからない。
突如出てきた名前、温品。元ネタは、ニュクス。