翌日、後始末は22日目に入ったはずだ。だが、その仕事には島で起きていることは一旦関係ない。
薄暗い箱の中、じっと静かに息を潜めている。ただひたすらに、その時が来るのを待っている。
決して快適とは言えない。だが、幸いにも今は天気も悪くなく、保管されてある場所も不快ではない。
それは、これから行われる諜報妖精である彼の、孤独ではあるが誇りある戦い。願いを一身に背負い、必ず成功を収めなくてはならないというプレッシャーも受け、しかし冷静に落ち着いて事を成す。
午前8時。段ボールの中で一眠りした後、外の作業が始まったことで目を覚ます。何者かの声が聞こえる。人数はわからないが、数人。おそらく、この業者のスタッフ。
話している内容は、昨日の夜に持ち込まれた荷物──つまり、彼──のことだった。たった1つの段ボール、しかし、そこには襟帆鎮守府に勤めている艦娘に向けられた、家族の想いが入っているのだと、納得してくれているような会話が、彼の耳に入る。
彼は内心、騙して申し訳ないと思いながらも、じっとし続ける。当然だ、少しでも動いたら、予想外の音がなりかねない。せめて、段ボールを輸送する車両くらいに運んでもらうまでは、静かにし続けねばならない。
本当なら、軽く腹ごしらえくらいしたいものだが、生憎音を立てずに食事というのは難しい。そのため、小さなサイズで作られた水筒を慎重に開け、口を濡らす態度で水分補給。
今はこれでも、もう少ししたら移動となるだろう。そうなれば、多少は音を立てても大丈夫になるはずだ。
スタッフ達の話も終わり、始業のチャイムが鳴り響いたところで、箱が持ち上げられる。彼は姿勢を崩さないように、内側に備え付けられている手すりのようなモノで身体を支えた。
箱には天地無用のシールを貼っているため、手が滑って落とされない限りは、ひっくり返るようなことはない。
持ち運ばれているということは、これからこの荷物は、鎮守府に直接出入りしている業者の方へと移動させられる。思っていた通りに事が運んでいる。しかし、油断はしない。急に何が起きるかわからないのが今回のミッション。今この段階では不安要素は限りなく少ないが、彼は決して外の様子を見るなどということはしない。音と感覚のみで外の様子を理解する。
運ばれている先はやはり車両。積み込まれたとわかり、彼は少しだけ腰を落ち着ける。人の気配はまだしているが、静かにしていれば何事もなく潜り抜けられるだろう。
そう思った彼は、再び水分補給。この段ボールの中でなければ、噛みタバコでも嗜もうと考えていたが、口内のモノが吐き出せないので、今は我慢。葉巻なども煙が出てしまうし、匂いが残るのでよろしくない。
長期の任務、しかも潜入となるとその辺りが出来ないことだけが不満である。我ながら依存症じゃないかと苦笑しつつ、この車両が動き出すのをじっと待ち続けた。
午前10時。全て積み込み終わったのか、車両の扉が閉められる音が響いた。鎮守府にいる家族のため、絶対に傷付けずに持って行ってあげようという配慮を受けて、少し奥の方に置いてくれているようだ。
この業者は信頼出来る。やり方がとてもいい。彼はクスリと笑みを浮かべ、そして動き出す車両の揺れに身を任せた。ここからどれだけの時間を乗っていることになるかはわからない。だが、これは本番に向けての前哨戦。変に物音を立てたら、荷物から異音がと思われてしまうかもしれない。それは避けたいところだ。
とはいえ、腹ごしらえは大切。なるべく音が立たないモノで、かつ腹に溜まるモノが欲しいと、彼が取り出したのは、小さなチーズのカケラ。人間で言えばキャンディーチーズ。それを8分の1ほどに分けたモノ。妖精さんの身体にしてみれば、それでもそこそこのサイズになる。
それを少しだけ削って頬張ると、より身体が落ち着くような感覚を得た。
時折ガタンと揺れることはあっても、運転は丁寧であり、荷物のことを大切に扱っているのがよくわかる。彼の入っている段ボール以外には、日用雑貨が多く積み込まれているのだろうが、やはりどれもが壊れないように慎重に作業されている。
襟帆鎮守府も、このような業者だからこそ重用しているのだろう。裏側のことは何も知らなくても、巻き込もうとは考えていない。全ての業者に息をかけておくことは難しいだろうから、信用出来る業者と契約するのは間違い無い。
よく耳を覚ますと、運転手の鼻歌のようなモノも聞こえる。業者の環境も悪くない証拠だ。ストレスが無いというわけではないだろうが、少なくとも対人関係や業務内容に悪い部分があるわけではないということだろう。朝の話を聞いている時も、和やかな雰囲気だった。
いい会社勤めで結構結構と、チーズをもう一欠片齧りながら笑う。そして、おおわしも似たようなモノだと誇らしく思っていた。
癖が強い、特徴的な者ばかりの組織だが、提督の人相が悪いだけで、内側は非常にアットホーム。昔ワルだったというのが嘘のようだと、彼も感じていた。
だからこそ、この業者を巻き込んでしまったことに少しだけ罪悪感を持つ。割り切ってはいるが、今後の平和を必ず守ってやりたいと思う。
その小さな四肢で出来ることは少ないかもしれないが、可能ならばいくらでもその身を投げ打とうと。
午後1時。それなりに走ったなというところで車両が停まり、荷台から次々と荷物が降ろされていく。彼の入っている段ボールも例に漏れず、降ろされては何かに載せられ、何処かに運ばれていくのがわかった。
モーター音の中、彼は周囲に神経を張り巡らせる。すると、荷物の受け取りの会話が聞こえた。ここからは、出洲の息がかかった者もいるであろう現場だ。より一層、気を引き締めなくてはならない。
予定では、この荷物達は明日の午前中に襟帆鎮守府に到着する見込みである。雑貨などは早めに置かれていても問題なく、おそらくここから少し時間が経過したところで食糧などが運び込まれてくるのだろう。
次の業者からしてみれば、ここからがスピード勝負。食糧が傷んでいてはいけないし、事故なんて起こそうものなら、鎮守府に迷惑がかかってしまう。いくら出洲の息がかかっているところに代わったとしても、やること自体はこれまでの業者と何も変わらない。
荷物を乱雑に扱うこともなく、しかし少しだけ甘い部分もあった。業者から業者へと引き渡しの際に、明らかに注文したものより増えている荷物──彼が潜む段ボールを見たところで、おやとは感じたようだが、細かく確認することは無かった。
ここで彼は1つ確信した部分がある。この業者、というか襟帆鎮守府は、
それこそ、出洲が鎮守府名義で何かを手に入れようとしている可能性もあり、それは明確な受領証が作れないモノだってあるだろう。出洲の息がかかっているのならば、その辺りをスルーするようにされている可能性は非常に高い。
さらに言えば、今回は彼が潜入するタイミングとちょうど同じタイミングで、普通ではないモノを搬入しようとしているということも考えられた。外部からどうしても手に入れなくてはならない、しかし鎮守府には似つかわしくない物資。そのようなモノがあったならば、このスルーは普通にあり得ること。
そういう意味では、これまで運んできてくれたあの優良な業者は、知らず知らずのうちに出洲の片棒を担ぐことになっているのかもしれない。鎮守府の内情を詳細に知るわけが無いのだから、何を購入しようとしていても、そうなのかと感じるくらいだ。それに違和感がないモノならば尚更。
彼はさらに息を潜めると、段ボールは運ばれるであろう荷物と同じ場所に置かれ、そして人の気配は無くなった。
ここからは少し休憩だと、彼は少しだけ睡眠を取ることにする。本番は、ここから。
午後7時。鎮守府に運ばれるであろう物資が全て揃ったのだろう。それらは大型のトラックの荷台に載せられる。彼の潜む段ボールも同様。
その時には仮眠も終わり、スッキリした状態で事に当たれた。何度目がわからない水分の補給、そしてチーズを一欠片。頭に栄養を回して、次の段階へ。
段ボール越しにもわかる、果物の甘い匂い。今回の食糧は、そういったモノもあるようだ。そういうところは他の鎮守府と変わらない。おおわしだってそういうモノを購入する。
内部がどうであれ、やることが変わらないということは、いくらカテゴリーKであっても、生き方は何も変わらないのだ。見た目通りの艦娘、元の通りの人間。食べなければ生きていけないし、嗜好としても食事をする。
ここから長い時間揺られる事になるのだと思い、彼は少しだけ探りを入れる。先程の業者とは違い、運転手の声までは聞こえない。そのため、出来そうなことは、今この段ボールから少しだけ身を乗り出して、他の物資を見ることくらい。
ただし、急に車両が停まるようなことがあった場合に取り返しがつかなくなるため、あくまでも少しだけ。段ボールをほんの少しだけ開け、周囲を見回すのみとする。
物資自体は何も違和感がない。だが、段ボールの記載から業者は割れる。鎮守府に到着する前から、この辺りは情報として送れる。
諜報妖精さんの仕事は、この時から本格的に開始した。
妖精さん視点の話であり、人の会話すらない話となります。次回はついに潜入するところまで。