時雨からのたっての希望により、深雪と電の午後の訓練はVRによる仮想空間での訓練となった。時雨はそこに便乗し、仮想空間とは何かを知ることになる。
呪いのせいで人間に対しての怒りや憎しみ、不信感は今でもずっとある。だが、人間のことを知ることが必要と知った今、この人間がどれくらいの技術を持っているかには興味があった。
うみどりが使えるのなら、元凶である憎しみを向けるべき人間達も同じことをやっているに決まっているのだから、ここでやれることを知っておいて損はない。時雨としても、その憎しみを晴らすためには、知識が必要だった。
VR訓練の許可はすぐに下りたため、そのままトレーニングルームの奥へ。知っている深雪と電は悠々と入っていくが、時雨は先程までいた部屋の奥にこんなところがあるなんてとキョロキョロと周りを見回していた。
「悪いな神風、何か予定あったか?」
「急な予定を持ってる子なんて、うみどりにはいないわよ。それに、今は貴女達の練度上げが最重要事項よ。それなら私が手伝うわ」
流石に純粋種3人のみでVR訓練は不安要素が大きい。設備の制御は相変わらずイリスが手伝ってくれるのだが、一緒にダイブする熟練者もいた方がいいと伊豆提督が提案。それに最も適していると考えられたのが、やはり筆頭駆逐艦である神風である。
時雨も駆逐艦であるため、神風としては気にかける存在。昨晩はまだ実施していないものの、駆逐艦の会もやるつもり満々である。ここで時雨と交流しておくことで、そこをスムーズに出来るようにしようという算段もあった。
「時雨は初めてだから、今日は少し慣らす程度の方がいいわ。まず間違いなく確実に酷い頭痛に苛まれると思うから」
「深雪と電にも聞いてるよ。頭の使いすぎで痛みを感じるとね」
「ええ、その通りよ。これは誰でも起きることだから、何も貴女を苦しめようとかそういうつもりは無いから安心してちょうだい」
深雪に言われたことを、神風は先んじて封じてきた。それには時雨も苦笑せざるを得ない。
「そういうことが起こるってことを理解して、ここに来ているのよね?」
「うん、そのつもりで参加させてもらおうと考えたよ。人間の技術を知っておきたいからね」
「なるほどね。なら、ここで知っておいてちょうだい」
話しているうちに到着。イリスが機材を稼働させている間に、専用のインナーを身につけていく。時雨もそれには文句なく従った。そろそろ呪いより技術への興味の方が強まっているようにも感じる。
たった1日でも、理性を取り戻してうみどりで生活したことで、かなり落ち着いていると言えるだろう。それでも今は経過観察の段階であり、何かの弾みで突如暴れ出す可能性もあるため、艤装を与えることは難しいのだが。
仮想空間。何もない海の上に立たされたことで、時雨は今までで一番の驚きをみせた。深雪も電も、最初は自分もこうだったとしみじみ思う。
『訓練を始める前に、今の貴女達の練度を測らせてもらうわ。それに合わせた内容にするべきだと思うから』
この場にいないイリスの声が、海の上であるにもかかわらず響き渡る。時雨はそれでまた驚いた。カテゴリーMであっても、自分の持っている常識とは違うことが起きれば、怒りと憎しみを忘れてコロコロと表情を変えることになるようである。
「練度なぁ、あたし達少しは上がってんのかな」
「そうだと嬉しいのです」
前回に測ったときは、深雪が3で電が2。その後にやったことと言えば、この仮想空間での演習と、数度の後始末、そして格闘技とスタミナのトレーニング。肉体的にも技術的にも、強くなろうとする意志はあり、それを身につけてはいるが、それが数値に現れるか否かはまだわからない。
『神風は測る必要がないから飛ばすわ。時雨はまだ生まれたばかりというのもあるけれど、練度は1』
「それは仕方ないことだね。でもそれは伸び代があるということだ。むしろ1であってくれてよかったよ」
だとしても、生まれたばかりのカテゴリーMは熟練者と渡り合えるほどの戦闘技術を持っているのは確かなので、実際真に恐ろしい存在なのは時雨である可能性が高い。
今この場で深雪が時雨と実戦を交えた演習をしたとしたら、勝利するのは時雨である可能性は高め。
これがカテゴリーMの特性。イリス的にいえば、
深海棲艦には練度が無いと言われており、発生した時点から強い個体はとんでもなく強い。姫級はそれが顕著。今その場で生まれたとわかっていても、素人の艦娘では太刀打ち出来ない。そもそもの基本スペックがあまりにも違う。
時雨にもその要素があると言ってもいい。生まれた時点で素人では太刀打ちが出来ない。
『次、電だけれど……もう20まで来ているわ』
「そうなのですか? 良かったのです!」
精神鍛錬などでメンタルの部分が鍛えられた電は、それだけでも練度が上がっている。元々戦いの技術はカテゴリーCよりもあるのは確定しており、その物差しで測っているのならば、精神的なリミッター、
電の場合は、睦月との演習を介してその辺りの躊躇いが少しだけ薄れた──トラウマを少しでも払拭出来たことが、練度上昇に繋がったようである。
電でこれなら、深雪も練度上昇が期待出来た。そう思った電は、次のイリスの声をワクワクしながら待つ、
『最後、深雪だけど……ええと』
珍しくイリスが戸惑いを含んだ声色で言葉を濁した。
「え、まさかあたし、全然成長していないとか?」
『そんなことはないわ、無いんだけれど……35、ね。思った以上に上がっていて驚いただけよ』
電と比べると上がり幅は似たようなもの。メンタルトレーニングをメインにしていた電と比べて、深雪は実技もやっている分、練度は上がりやすいのは当然のこと。そして、電と同じようにメンタルの面でも仮想タシュケントとの演習でトラウマを乗り越えることが出来たことが、さらに練度上昇に繋がっている。
だとしても、電と僅差くらいだと思っていたら、倍近く差が開くことになっていたので、イリスは動揺してしまったわけだ。
カテゴリーWは成長しやすいという憶測があったが、ここでハッキリとわかったと言える。
「っし、大分上がったな!」
「すごいのです深雪ちゃん!」
2人は喜んでいるが、この場にいる神風もここまで一気に練度が上がっているのは内心驚いている。
自分の時でも、毎日みっちり海上での訓練が出来たときでさえ数日で20くらいが限界だった。仮想空間でも訓練はあくまでも技術の学習であり、練度が上がらないという前提があるのにもかかわらず、メンタル面のリミッターが緩和されたことにより練度が上がるなんて、
そういう意味でも、
『練度が上がった分、技術的にも出来ることが増えているはずよ。艤装も改装出来る段階に入っているわ』
「改装?」
『ええ。ある程度練度が上がると、艤装が貴女の体に追いつかなくなってしまうの。だから、どれだけ練度が上がってもどうしても限界が来てしまうのよ。それを適切な数値に合わせるのが改装ね』
これに関してはカテゴリーCのやり方を話している。元人間の艦娘は、ある程度練度が上がらないと、艤装の真の力を発揮出来ないようにされているのだ。最初から十全の力が発揮出来る状態で稼働していた場合、練度が足りなければそれに振り回されて危険。
うみどりの中でもそれがわかりやすい例として、梅が挙がる。梅は改装されることで大発動艇が扱えるようになるという少々特殊な艦娘なのだが、それが扱えるようになる練度は数値としていうならば52。今の深雪でもまだ届いていない練度である。
だが、練度が届いていなくても一応艤装の限界を超えさせることは可能なのだ。ならばそうした場合どうなるか。それは、梅自身の身体に影響が出てきてしまう。本来ならば扱える練度では無い状態で扱ってしまうと、うまくコントロール出来なかったり、それにより身体への負担が酷いことになったり、最悪な場合倒れてしまってしばらく何も出来なくなったりする。
そうならないようにするために、しっかり練度を上げて準備をして、改装した後にも少し訓練をすることで完璧とする。時間はどうしてもかかるが、艦娘本人の安全性のためには、この辺りは必要経費。
「それじゃあ、あたし達は改装してもらえるってことだな」
『ええ。練度がわかったから、主任に伝えておくわ。とはいえ、貴女達は純粋種だから、カテゴリーCとは勝手が違うかもしれないけれど』
そこはイリスも危惧していることである。カテゴリーCは元人間であるため、何かにつけて人間が手を加えなければ次の段階に行けない。だが、海に生まれ海に生きる純粋種は、艤装だってカテゴリーCとは勝手が違う。主任達妖精さんはそれを表に見せることなく分別していそうではあるが、人間にはその辺りはわからない。
『そうそう、ちなみに電も改装練度に達しているわ。深雪と一緒に改装してもらっておくわね』
「ありがとうなのです!」
後れを取ることなく改装されることに喜ぶ電。これによって、深雪と電は確実に強化されることが約束された。
『この演習で使う艤装も、貴女達の練度に合わせてあるわ。見た目は変わっていないと思うけれど、もう改装済みってことになるわ』
「そうだったのか。……確かに何か変わったかって言われたら何にもわからねぇ」
「使い心地も変わらなそうなのです」
仮想空間なら改装段階も自由自在。本来の艤装がまだ未改装でも、ここではそれは終わっている。全てがデータ上で管理されている場所であることの利点である。
「それで、ここでは何をやらせてくれるんだい?」
ここでようやく時雨が口を開いた。仮想空間の在り方はよくわかったと、次の段階を求めた。知ることが楽しくなってきているのか、表情もかなり明るい。
今の時雨だけを見ているならば、誰もこれがカテゴリーMだとは思わない。人間の技術に一喜一憂するなんて、呪いの内容から考えればあり得ない。
「ここでは自由に海戦を設定してテストが出来るのよ。あくまでも私達が持っているデータの中でだけになってしまうけど、やってみたい状況や敵の数、練度も思いのまま。相手は艦娘でも深海棲艦でもいいわ。そして、どれだけやられても傷付くことはないの」
時雨には神風が説明する。何かあった時に時雨を止められるのは、深雪でも電でもなく神風だからだ。
「へぇ、ならここでは何をやっても死ぬことはないんだね。痛みは?」
「それも無いわ。もし腕を捥がれたとしても、痛くないしすぐに元に戻るわ。今の私達はデータで出来ているから」
「なるほどね。じゃあ、好き勝手出来るわけだ」
徐に背中に背負った主砲を前方に持ってきて神風に狙いをつけた時雨。撃っても死なないと言うのなら、どうなるかを見てみようという興味。そこに呪いによる人間への憎しみが交じり、神風を相手にして試そうと考えていた。
人間相手ならば、撃つことに全く躊躇がない。それも呪いの一種の効果であろう。
「痛くないでしょ?」
しかし、神風がそれに気付かないわけがなかった。主砲を持つ時雨の両腕が、既に神風の手に持つ主砲によって撃ち抜かれていたのである。主砲ごと持っていかれて、時雨の両腕は今、
確かに痛くはない。痛くはないのだが、自分の腕がいきなり無くなっている状況を見たら、時雨は驚愕に顔を染めるしかなくなる。そして、すぐさまその腕が再構築されて、何も無かったことになった。その間、痛みなど一切無く、血すら流れない。ただ失われ、ただ現れた。それだけ。
やろうとしたことは到底許されるようなものではない。カテゴリーMだから予測出来たのと、仮想空間だから大惨事にならなかっただけ。
「な、なるほど、身を以て知ることが出来たよ」
強がりを言っているものの、時雨の声は少々震えていた。理性が無かったらこの程度では憎しみが増えるのみとなっていただろうが、今の時雨はしっかりと理性もあれば感情もある。
ただこれだけで、時雨は神風には敵わないということが心に刻まれた。
あまりに急な展開であるため、深雪も電も何も出来ず言葉も無かった。時雨がそういうことをやるかもしれないというのは頭の片隅にあったかもしれないが、だとしてもこの流れは凄まじいものである。
神風の練度は測る必要が無いらしいです。つまり、そういうこと。