一度仮想空間での訓練から離れた時雨は、その足で伊豆提督に会いに行く。これまであったことを素直に話すためだ。
時雨にその辺りに対しての抵抗は今のところない。深雪に対しての外付けの感情について自覚した今、それを治療するための術を探すために、まずは最も頼れそうな者を頼った。
「あら、どうしたの時雨ちゃん。訓練中だったと思うけれど」
予想通り執務室にいた伊豆提督は、イリスと共に小休憩中。お茶を飲んで落ち着いていた。だが、時雨の少々深刻そうな表情を見て、気持ちを切り替える。
そもそも時雨が1人で執務室に来るということが珍しい。むしろ初めてではなかろうかということ。伊豆提督も何があったのかと内心心配になる。
「少し、話を聞いてもらえるかい」
「どうぞ。今なら時間があるわ。アタシ達も今は少し余裕が出来ているのよ」
余裕とはいうものの、出洲との最終決戦に向けて、出来ることを準備している状況。これまでほど切羽詰まっているわけではないが、仕事はまだまだある。
そういう時こそ落ち着きを取り戻そうと、小休憩を挟むことで息をついていた。焦っていては進められるものも進められない。時間は限られていても、その限られた中でも有意義に時を過ごす。
「島で別個体の深雪が来ただろう。雷をつれて」
「ええ、あの時は時雨ちゃんが思い切り突っかかっていったから、少し心配だったわ」
「ああ……うん、その代償というか、僕も少し近付きすぎたかもしれない。最後に、黒い煙幕を撒き散らしたの、覚えているかい?」
「勿論。うちの深雪ちゃんと同じようなことを出来るんじゃないかって。アナタもその後、深雪ちゃんの煙幕で燻してもらってたわよね」
「……深雪の煙幕でも取り除けない影響が、僕に残っていそうなんだ」
伊豆提督は目を見開く。このタイミングでそれがわかったのはまだ良かったことかもしれないが、だが時雨の深刻そうな表情からして、その影響というのが決戦に支障が出るということ。どれほどのモノかは今から伝えられるわけだが、だとしても時雨がこうして迅速に行動をするくらいなのだから、それはかなり拙い状況なのではと感じる。
「座ってちょうだい。腰を据えて話を聞くわ。イリス、時雨ちゃんの分のお茶を入れてもらえる?」
「ええ、そこまで深刻なら、しっかりと聞かないといけないわね」
ただのお悩み相談というわけにはいかない。真剣に、正面から話を聞こうと、どっしりと構えて時雨から話を聞き出した。
仮想空間での訓練中に起こした、時雨の奇行。深雪をライバル視するのはこれまでもそうだったが、負けたくないという感情から、演習とはいえ自爆を選んだという事実。どちらも爆発して仮想上の命を失い、負けてないと断言出来るような考え方。いくらなんでも自分がおかしいと、顧みれば顧みる程に頭を抱える。
それを全て素直に話していく時雨。深雪に対して嫉妬をしたことや、羨望の眼差しを向けたことを、詳らかに語っていく。
カテゴリーMである時雨が、その呪いを腹に持ったままでも、これを悩みとして人間に話せるようになっていることは喜ばしいことではある。人間嫌いは未だ根深いところに刻まれているだろうが、伊豆提督には赤裸々に話せるくらいには心を開いているのだ。
しかし、話を聞けば聞くほど、今の時雨の状態が危険であることはわかった。1対1の演習で、勝てそうにないから負けないように命を散らすなんてことを最善の選択肢として躊躇なく実行に移したのだから。
「なるほどね……それが、あの黒深雪ちゃんからの煙幕の影響だと」
「それくらいしか思い当たる節がないんだ。あとは強いて言えば出洲と直接話をしたことくらいだけど」
「通信から何かされてるなら、今頃もっと酷いことになってるわね……。あの煙幕を直接被ることになった時雨ちゃんにしかそれが無いというのも頷けるわ」
黒い煙幕は、特異点の煙幕でも取り除けないような心への影響を与える。今の所の仮定はそれくらいだ。精神に影響を与えるという点では、特異点の煙幕でも起きていることではあるが、その願いが優しい願いであることもあり、深刻な状態にはなっていない。
「今はどうなの? 深雪ちゃんに対して」
「僕としては何も変わっていないように思えるんだ。深雪は僕からしたら切磋琢磨するライバルみたいなモノだよ。抜きつ抜かれつが基本……なはずさ。でも……あの時は、それがどうしても嫌になったんだ。ぶっちゃけてしまうと、
「……確かに、そう聞くと、あの黒深雪ちゃんが思ってそうなことを、時雨ちゃんも思ってしまったように思えるわね」
時雨も長く深雪を見てきた者だ。負けたくないとは思えど、深雪のこれまでの道を思い返してみれば、これだけ成長してもおかしくないくらいの苦行を強いられ続けてきたのは理解している。
それだけ知っているのに、『こんな奴』呼ばわりなんて出来ない。それは深雪のことを何も知らない者が言う言葉だ。いくらその才能に嫉妬したところで、時雨は少なからず深雪のことを認めている。だというのに、そんな卑屈な考えが浮かんだことが気に入らない。
「で、それをどうすればいいか、よね」
「ああ。今のままだと、決戦の最中に僕は深雪を後ろから刺しかねない。今はそんなことしないと思っていても、いざ深雪と一緒に戦っていたら、僕が何を思って何をするかがわからないんだ」
「確かに……演習ですら自爆を選択してしまうくらいなんだものね……。仮想でよかったわよ。実際の演習でそんなことをしたら、怪我じゃ済んでなかったかもしれないんだから」
仮想空間だから躊躇なく出来たというのもあるかもしれないが、仮想でやれるなら現実でもやれそうという危うさもある。
「アタシがすっと出てくる解決策は、深雪ちゃんの煙幕を念入りに使ってもらうことになるわね。でもその前に、工廠でしっかり確認してもらうというのも必要かしら」
「そう、だね。工廠での検査は必要かな。でも、心のことまで看ることが出来るものかい?」
「外傷みたいなモノでしょう。なら、本来の心の病よりは原因が特定しやすいんじゃないかしら。何処かで煙幕が燻っているのが見えるかもしれないし、何か普通とは違うモノが確認出来るかもしれない」
心に影響を与えていると言っても、やられたことは煙幕だ。深雪の煙幕は解析出来なかったが、何か違うモノというのは見えてくる可能性はある。やらないよりはやるべき。
「わかった。一度工廠に行ってみるよ。あっちはあっちで忙しいかな」
「平常運転かもしれないけれど、どうかしらね……」
「行ってみないとわからないか。それじゃあ……って、イリス、どうしたんだい。さっきから、というかほぼ最初から黙って僕のことを見つめて」
ずっと時雨と伊豆提督が話していたが、その間、イリスはじっと時雨を見続けていた。
「……貴女の彩、確かに変わっているかもしれないわ」
「えっ」
イリスがやれることといえば、妖精さんの目による他者のオーラを見分けること。カテゴリー分けをすることの出来る唯一の人間であり、その彩から他にもいろいろと判別が可能となっている。
時雨の彩は、カテゴリーMのマゼンタである。純粋な艦娘である彩の青に、呪い要素の深海棲艦の彩の赤が絶妙に混じり合った彩。青が強いか赤が強いかで、カテゴリーMの精神性が見えてくる。
そして、今の時雨の彩だが、イリスが見るに、変化させられているという。その彩というのが、
「ここ最近、ここまでしっかり見たわけではなかったけれど、あの島での後始末の時から比べると、かなり……
黒ずんでいると言われれば、それはすぐに察するというもの。余計なモノが混ぜ合わされた時にどうなるかは、これまでの敵でさんざん見せられている。現在進行形で、うみどりには高波という擬似カテゴリーKもいるのだ。外付けの彩のせいで、本来の色が燻む。それこそ、穢れに侵蝕されているかのように。
「それに……これまで見たことのないカタチの彩をしてる」
「見たことがない?」
「ええ。今の貴女の彩、
彩はその者のオーラ。イリスが見ていたそれは、全身の彩が統一されてるのが常であった。忌雷が寄生している者を見ても、全身隈なく黒ずむ。
だが、時雨のそれは今、明らかに2つに分かれているという。カテゴリーMでなく、カテゴリーKの要素をほんのりと一部だけ外付けされているような、そんなイメージ。
「胸なのは、煙幕を吸い込んだからかしら。頭は貴女の思考を蝕んでいると考えれば納得が行くわよね。それ以外には何もない、本当にそれだけ」
「そのそれだけが致命傷すぎるけれど」
「まったくよ。斑らな彩がどんな悪影響を齎すか見当がつかないし」
イリスもこれには困ったような、しかし興味深そうな表情を見せた。
「ただ、貴女のそれは黒い煙幕の影響かもしれないけれど、どちらかと言えば局所的の穢れみたいにも見えるわ」
「後始末の時に何度も洗浄しているけれどね」
「それでも落ちないくらいのこびりつき方をしているんじゃないかしら。深雪の煙幕でも剥がれなかったんでしょ?」
それはそうだが、と時雨は溜息を吐く。そもそもそれが穢れとは限らない。特異点の煙幕は、それそのものが何かわからないモノなのだから。
「穢れに近い何かだと、私は考えるわね。だとしたら、工廠でも取り除けるかもしれない。幸い、今は穢れを取ることに特化したアイテムが、工廠にあるんだもの」
「……まさか、彼岸花?」
イリスは頷く。もし時雨に悪影響を齎しているそれが穢れの一種ならば、あの彼岸花の効果によって解決出来るかもしれない。
「わかった、行ってくるよ。僕が人体実験の被験者になることも考えておくよ。死なないなら、何をしてくれても構わないから」
「それ明石に絶対に言っちゃダメよ」
時雨は今後のためにも、身体を張ることを決意した。
黒い特異点の煙幕には、カテゴリーK成分として穢れが混じっていそうではあります。