自分の状況を伊豆提督に説明した時雨だったが、そこでイリスに彩が斑らになっているという予想外のことを伝えられることになった。
黒深雪の煙幕を吸い込んだことによる影響が胸──肺の辺りに見えていることと、思考操作が入れられているところから頭──脳の辺りに見えている影響。本来のカテゴリーMである証のマゼンタの彩が、その部分だけ黒ずんでいるという。
その黒ずみが局所的な穢れのようにも見えるということで、次に頼るのは工廠。現在進行形で穢れを吸収する特異点の彼岸花を調査解析中であるところから、それを使うことでこの状況を打破出来るかもしれないと考えた。
「いらっしゃいませ。来ると思ってましたよ」
工廠で出迎えたのは丹陽。神出鬼没なところは鳴りを潜めているが、時雨の今を何も知らないはずなのに、今ここに来ると思っていたと当たり前のように言ってのける辺り、本当にほんの少し先が見えているのだろうと実感させられる。
時雨はなるべく驚きを表情に出さないようにしながら、案内されるがままに工廠の奥へと案内される。今はこちらで彼岸花を解析しているのだと。
「時雨さん、あの時に黒い煙幕をモロに受けてましたよね。そのことじゃないですか?」
「……君は何も説明していないのに、何でそこまでわかるかな」
「実は直感的に少しだけVR訓練の場所にいたんですよ。そこでグレカーレさんと白雲さんにちょっと」
「流石はボスと言ったところかな……そうだよ、それだよ」
深雪達は気付くわけが無いのだが、どうやらあの場に丹陽がいたらしい。やはり、相変わらずの神出鬼没。知らない間に忍び寄り、知らない間に出ていったようである。
グレカーレも白雲もそのことを話してこなかった辺り、確信犯とも言える。もしかしたら訓練が終わったら何か話すかもしれないが。
「あの煙幕、私も少し気にはなっていました。深雪さんの煙幕で燻されていたので、心配は無かったはずなんですが、やはりあちらも特異点に近いモノ、というか特異点の力をそのまま流用しているんでしょう。何があってもおかしくはありません」
「まさにそれだよ。イリスにも、彩が斑らになっていると言われたんだ」
「突然ですね。今日発症したんでしょうか」
だろうねと時雨は肩をすくめる。おそらくトリガーは深雪との演習。負けたくないという気持ちが、時雨の中で燻っていた黒い煙幕に作用して、その効果を発揮してしまった。
そうでなくても蝕み続けていつかは爆発しそうではあったのだから、わざとトリガーを引いて発症させたのは、運が良かったとも言える。
時雨も艦娘の中では屈指の幸運艦。こういうところで、その運が発揮されたとも考えられる。
「ともかく、その黒い煙幕の影響が穢れの可能性があるのなら、今やっていることがダイレクトに効くかもしれません」
「助かるよ。僕だって決戦には向かいたいからね。こんなことでお留守番とか考えたくもない」
その彼岸花の調査解析がどこまで進んでいるのかは、時雨には理解出来ていない。しかし、治療に繋がるというのならば、それに頼るしかなかった。
工廠の奥、そこでは明石と主任がありとあらゆる手段を使って彼岸花を解析し、わかったことを利用して各種アイテムを作り上げていた。これならば穢れが吸い出せるのでは、これならば完全に無くすことが出来るのではと、試行錯誤を繰り返している。
本来ならばカテゴリーYの治療のための実験なのだが、時雨の今は似たような蝕まれ方だと考えることが出来るため、試作品を使って治療可能かを確認出来そうである。
「一度検査してみましょうか。時雨さん、服を脱いでそこに寝てください」
「ああ……脱ぐ必要あるのかい?」
「より精度の高い結果を出すためです」
言われるがまま、明石が用意したベッドに横になる。ベッドなので入渠ドックではないのだが、全身を隈なく確認するために用意された機器が小さな音を立てながら時雨の全身を舐めるように確認していく。
主導は主任。艦娘の明日のためにありとあらゆる工廠の設備を整備し、操作し、製作もしているのだから、これも今後のために準備されたもの。
「ふむ……確かに、穢れ
「……嫌なことを思い出したよ」
「ああ、時雨さんは真っ先に処置をされてましたね。今回はアレをしても意味がないということです」
時雨が思い出したのは『量産』を受けた後の治療方法。洗浄剤を強引に飲まされ、吐くほどの目に遭わされたアレ。拷問とも言える処置だったが、アレしか治療する方法が無かったのだから、今は仕方がなかったと受け入れつつ、今は亡き米駆逐棲姫に恨みを持つに至る。
「体内の穢れを取るには、それ相応に薬剤なり何なりを体内に入れないといけないんですけど、異物を入れることになるので、当然苦しいことになります。ですが、肺ともなると、そう易々とやれるものではありません」
「そうなると、治療は難しいのかい?」
「そこで、試作ですが使えそうなモノがあります。特異点の彼岸花から作り出した、穢れ抽出、無害化のアイテムです」
そう言いながら明石が用意したのは、少々大きめな機材、ぱっと見でそれが何かはわからなかったが、ここに彼岸花の何かが使われているというのだから、信用するしかない。
「調査の結果、彼岸花の茎によって穢れを吸収し、花弁によって無害化して綺麗なモノにして吐き出します。茎だけでも、花弁だけでもダメ。どちらも揃って、かつどちらも接していなければいけません。しかし、ここでいいことがわかりました。茎と花弁も、ある程度加工したところで効果が薄れないということです」
特異点の彼岸花は、その形状が変化したところで、茎と花弁が接しているのならば、その性能を失わないということが確認された。そこから、明石と主任は彼岸花を使いつつも、その効果を拡張出来ないかと考え、そして作り上げた試作品を出している。
「これは?」
「ここにチューブがありますよね。これを咥えることで、体内から穢れを吸い出して、基部がその吸い出した穢れを無害化するという寸法です。当然、試験はしていません。まだその段階になっていないので」
明石が言うには、チューブの部分に彼岸花の茎が、基部の部分に彼岸花の花弁が使われているという。
島を出る時にお土産、そして実験に使ってくれと、テミスから相当な量を提供されているため、これだけの装置が作れたらしい。
なお、それだけ提供されても、たった数時間でその場所の彼岸花は生え揃ったとのこと。
彼岸花自体も、そういうことに使われるなら本望だと言わんばかりにその身体を揺らしたらしい。意思を持つ植物は少々怖い。
「彼岸花1輪を丸ごと使って作ることになりましたからね……失敗はあまり許されませんが、実験もなかなか難しいところでした。時雨さんが手伝ってくれるのは、願ってもないことです。上手くいけば、カテゴリーYの皆さんの治療にも繋がるかもしれませんから」
「わかった。それじゃあ、このチューブを咥えればいいんだね?」
「はい、息もしやすいようにはしているつもりです。人間の社会には、この基部から出てくる煙を吸って落ち着く水タバコとかいうのがあるらしいんですが、これはその逆ですね。呼吸によって穢れを体内から吸い出す。チューブが茎で、本人を土に見立てて、少々無理矢理ですが穢れを体内から引っ張り出そうという目論見です」
時雨は若干躊躇いながらも、これをしないと先に進めないとチューブを咥える。独特な味がしたような気がしたが、それは彼岸花の茎の味なのかと思うと、少し気分が良くなかった。
「彼岸花の毒性は完全に取り除いてあります。そのチューブの先端は特に多めに茎を使っていますが、当然、毒性はありません」
そのまま呼吸をすると、そこまで苦しいようなことはなく、基部が少しだけ音を立てながら、その内側で何かしているということを表した。
「鼻で息を吸って、口で息を吐いてください。時雨さんの場合は、肺に煙幕の名残があるみたいですから、息がそのまま穢れを抽出することに使えそうですので」
時雨としては、これで治療が出来ているのかは全くわからない。身体が変化しているわけでもなく、思想に無意識に食い込んできた事象を失わせるための行動なので、ただチューブを咥えて息をしているだけ。
「……ふむ、やっぱり」
「どうかしました?」
「時雨さんの息から、極々微量ですが穢れが検出されています。肺に穢れが滞留しているというのは、あながち間違いでは無かったみたいですよ」
基部のところでそれがわかるように数値化している。その値が0ではないという時点で、彼岸花を通して体内の穢れを抽出することが出来ているということ。逆に言えば、時雨の中に穢れが入っているという証左でもある。
イリスの目にも、洗浄中でも、穢れを見る眼鏡を通しても検出出来なかった、ほんの僅かの穢れ。時雨を蝕むには充分すぎるそれは、今この時、完全に理解出来る場所に引き摺り出されたのだ。
「このまましばらくやっていきましょう。時雨さん、苦しくないですか?」
明石に聞かれ、時雨は小さく頷く。ただ息をしているだけなので、それが苦痛になることはない。ゆっくり落ち着いて、ただそこにある土の如く、設備に向けて穢れを送り込むのみであった。
これで治るかはまだわからない。ただ、微量とはいえ体内に穢れを持っていたことは間違いないのだ。それを無くすことは、確実にいい方向に進むはずである。
形状はシーシャ。なので、この治療方法も決して見た目がいいとは限らない。