黒い煙幕に侵蝕されている時雨を治療するため、専用の特機の作製を進める明石。まず特機を作るために欠かせないのは、特異点の煙幕である。そのために、演習中に割り込むようなカタチで説明をした。
時雨がおかしかったのは察していたため、それをどうにか出来るというのならと、深雪はそれを快諾。演習はどうしてもそこからは続行出来ない状態になるが、仲間のため、延いてはカテゴリーYの治療にも貢献出来るのならば、それくらいは当然手を貸す。
演習を一時的にやめた面々は、深雪と電以外は仮想空間から抜けることもしていない。特機を使った治療方法を施すということで、結末までの出来事が見たくないわけではないが、少し今の時雨と顔を合わせるのはやめた方が良さそうということで、必要最低限の人員だけが向かうこととなった。
時雨の脳に蔓延っている穢れみたいなモノだ。何が刺激になるかわからない。深雪も、特機さえ出来てしまえば、工廠に行くつもりもないのだ。
「高波から忌雷を貰うんだよな。何処にいるのか知ってんのか」
「食堂にいるそうです。セレスさんのお手伝いをしているのではとハルカちゃんが」
「あー、ムーサの付き人として、か。まぁ、仕方ないわな」
明石がズンズンと進んでいく、食堂に辿り着く。今はちょうど昼食の仕込み中であり、セレスを筆頭に手伝いをしている者達がテキパキと動いていた。
高波の姿もそこで確認出来ている。ムーサと副官ル級と共に、食事の用意を手伝っているのではなく、食堂の掃除などをメインに動いていたようである。島では工廠食堂ばかりだったこともあり、昨日から使っているとはいえ、まだまだ掃除がし足りないとのこと。
キッチンの方には、黒井母や杏の母紫苑が手伝いをしており、これもそろそろ終わりになるからとやる気十分。うみどりへの最後の貢献ということで、深雪達の来訪も快く受け入れている。
「高波さん、少しいいですか」
「えっ、た、高波に用かも、ですか?」
「はい、ムーサさんにも話を聞いてもらわないとですけど」
自分に話を振られると思っていなかった高波は動揺しつつも、明石の真剣な表情を見ると掃除中の手を止め、正面から説明を受ける。
時雨に起きた精神的な不調、その原因が手の届かないところに蔓延る煙幕、そしてそれを治すために必要となった特機のことまで事細かく。
「高波ナライクラデモ忌雷ガ出セルシ都合ガイインダネ。私モチョクチョク貰ッテルケド、最初カラ味ハ変ワッテナイヨ」
「つまり、前も今も性能は変わっていないということですね。なら、安心して使わせてもらえます。すみませんが、1機……いや、念のため2機、忌雷を分けてもらえませんか」
「高波はそれで、大丈夫かも、です。その、もしかして、それをすれば他にも使えることがあるかも?」
「はい。時雨さんの治療が上手く行った場合、他のカテゴリーYの方々の治療にも転用出来る可能性があります」
それを聞いて黙っていられないのは黒井母である。今の身体から人間の身体に戻れる可能性が見えてきたのだから、是非とも成功させてもらいたい。
「なんだいなんだい、ついに治せるかもしれないってのかい」
「はい、可能性はあります。ただ、治すために特機を体内に入れることになりますから、不快な感覚があるかもしれませんが」
「ンなモン、病気ってのは大概不快だろうし痛かったりもするんだから問題ないさね。出産だって腹痛めてやってんだ。痛かろうが気持ち悪かろうが気にならないね」
「いや貴女はそうかもしれませんけど、幼い子供にも同じ処置をすることを考えましょう」
「ああ、島に置いてきた子供達もいたね。確かに子供にそんな思いをさせるのは良くない。スルッと治せるように頼むよ」
治療に関して一喜一憂。このテンションが黒井母の長所でもあり短所でもある。前向きに考えれば、相手がどんな者であろうとも尻込みせずに自分のテンポを保ったまま突撃出来るのは素晴らしいことである。
「そ、それじゃあ、忌雷を増やすかも、です。艤装のところに、行きましょう」
「ソダネ、少シ行カナイト。セレス様、少シ席ヲ外シマスネー」
「エエ、掃除モ大分出来テイルカラ大丈夫ヨ。時雨ガオ昼ヲ美味シク食ベラレルヨウニ、チャント治シテアゲテキナサイネ」
セレスとしても、今の心境で食事をするより、ちゃんと治して食事をしてもらった方が美味しく食べられるからと、その治療を率先してやってもらう。食の探究者は、メンタルで味が変わることも理解しており、美味しくない食事を嫌うのだ。
工廠、高波に艤装を装備してもらい、ムーサがそこから忌雷を取り出す。副官ル級はそのサポート。万が一ムーサが手を滑らせたりした場合に、忌雷をどうにかしなくてはならないため。
ちなみに、ムーサは忌雷に対して誰よりも強い特攻性能を持っているため、一度掴んだ時点で、本人に何かない限り手から離すこともなければ、そもそも忌雷が絶対的捕食者を前に萎縮することもあるため、副官ル級の出番は大体無い。あくまでも念のため。フェールセーフというヤツである。
「はい、装備しました。ムーサさん、いくつか出すかも、です」
「ハーイ。明石、ヒトマズ2機ネ」
「お願いします」
ムーサが高波の艤装の中に手を突っ込むと、まず1つと忌雷を取り出す。
「なんかコイツ見るのもすげぇ久しぶりな気がするな。島にはまともな忌雷もいたけど」
「なのです。これ、まだ電達に敵意を持っているのですよね」
「はい……高波はグレカーレさんの『羅針盤』のおかげで正気でいられてますけど、忌雷には影響がありませんから」
ムーサが握り締めているために抵抗はないが、それを離せば、誰かに寄生しようと行動を始めるだろう。今は亡き阿手の配下に変え、今ならば
「ハイ、燻シチャッテ」
「あいよ」
ムーサに渡された忌雷を、深雪が特異点の煙幕で燻し始める。そしてその間にもう1機を取り出していた。深雪のもう片方の手に握らせて、2機目の特機の生成を始めるように動いていた。
そしてそっと3機目を取り出して自分の口に放り込むところは、実にムーサらしい。副官ル級も呆れたように顔を伏せ、高波も苦笑するしかなかった。
「特機を作ってもらっている間に話しておきます。この特機に何をしてもらうかということなんですが」
「あ、確かに。それ聞いておきてぇや」
「あ、主任、ありがとうございます。持ってきてくれたんですね」
その処置自体は時雨には見せない方がいいということで、工廠の表側で作業を進めるため、主任が例のスライムをここまで運んできていた。
「彼岸花の茎の成分を入れたスライムです。これについては時雨さんも認識済み。このスライムに花弁を浮かせることで、スライムが接している場所の穢れを吸い出すことが出来ます」
「え、普通にすげぇ」
「ですが、これを頭の中の穢れを吸い出そうとするとですね、鼻とか耳とかからこのスライムを注入して、無理矢理接するようにしてから花弁を置く必要があります」
「……見た目が最悪なのです」
彼岸花が脳天に突き刺さっている光景以上にとんでもない見た目になっているので、この場に夕立がいなくて良かったと深雪は内心思っていた。爆笑では済まないことになっているだろう。
「なので、特機にこのスライムの性能を持ってもらいます。スライムを飲み込んでもらうなり何なりして、その状態で寄生をしてもらう感じですね。例えば、彼岸花の性能を持ったまま、片方の触手を脳に触れて、もう片方の触手を外に出して花弁に触れてもらうとか、そもそも花弁の性能も持ってもらって、自己循環させて穢れを取ってもらうとか、いろいろ考えています」
2機では実験が終わらないかもしれないが、とにかくやってみないとわからないために、迅速に動いていかなければならない。
「時雨さんの今の状況を鑑みて、深雪さん達の前で処置をすることはありません。刺激して穢れが増えても困りますし」
「全然構わないぜ。時雨が元に戻るなら、別にあたしがいようがいまいが関係ないからさ。でも、みんな元に戻ってくれって願いで煙幕出してっから」
「ありがとうございます。その優しい願いが、より成功率を上げると思います。それもあって、一から作った方がいいと思ったので」
そうこうしている内に、1機目が完成。燻されて白く染まった忌雷──特機が、ビシッと敬礼するように深雪の手のひらで蠢いた。
「頼むぜ。お前の力で、みんなを治すんだ」
そして、その特機をスライムへと導くと、いいのかと言わんばかりに深雪や明石の方へと身体を向ける。いいぞと頷くと、了解とスライムの中に身を投げ出した。そして、ガブガブとスライムを飲み込み始める。
「えぇと、これでいいのか?」
「はい、おそらく。これで一度実験させてください」
煙幕により白く染まった特機は、茎成分のスライムを飲み込んだことにより、うっすらと緑色に染まっているように見える。普通の特機とは見た目から違うことから、特殊感が出ている。
「よし、一度見てみましょう」
穢れのある土を用意して、特機に触れてもらいつつ、花弁に触れてもらう。その瞬間──
「……! 来た! 穢れを吸収して浄化しています!」
想定通り、土の穢れが失われていくことが確認出来た。彼岸花の性能を持つ特機の完成である。
これで準備はほぼ出来たようなモノ。これにより、時雨の治療は本格化していくことになる。
ついに誕生した彼岸花特機。これにより、体内の穢れを確実に取れるようになります。