彼岸花の性能を有した特機による治療は無事に終了。脳内に侵蝕していた穢れは失われたことが確認された。
だが、まだ安心は出来ない。データ上では無くなったかもしれないが、実際はどうかはわからないのだ。
「ここから精密検査ですね。特機の影響も無いとは言えません。見れるところは全て見ましょう」
「ああ、わかったよ」
時雨もここまでされたら流石に素直。そもそもが無意識に酷い選択をしていたことが気に入らないので、こうなれば徹底的に調査をしてもらいたい。
今は治療の後で身体に力が入らない。完全に脱力してしまっていることもあり、ベッドに突っ伏してしまっている。立ちあがろうと思っても、身体が言うことを聞いてくれなかった。
「そのままで構いません。調べられるところを見ていきますね」
「頼んだよ。疲れているわけでは無いんだけれど、どうも身体が動いてくれなくてね」
「脳を触られているからでしょうか。傷がついているわけではなくても、多少はどうしても影響が出てしまうモノなのでは」
「かもしれない。カテゴリーYにやるなら、意識を飛ばしてやった方がいいんじゃないかな」
「参考にさせてもらいます」
この処置を元人間達にやる場合、艦娘相手にやるのとはまた違った負荷がかかる可能性がある。心地良いという感覚もそうだが、中に入られているという感覚もそのままあったくらいだ。その感覚は、知らなければ知らない方がいい。麻酔なり何なりで一度眠らせておき、その間に全てを終わらせてやるという方が、おそらく患者のためにもなる。特に子供。
「身体能力に影響はありませんね。動かないのも一時的なモノ。ぱっと見の穢れも見当たりません」
「イリスさんを連れてきましたよ」
「流石ボス、先回りがお上手」
調べている間に丹陽が動いており、イリスに時雨の彩を見てもらうように運んでいく。時雨の変調に気付いたのはイリスの眼だ。それに見てもらうことが、治療の成功を一番わかりやすい。
「驚いたわ、ちゃんと黒ずみが無くなってる」
そのイリスからも太鼓判が押される。時雨の頭と胸の辺りにあった彩の黒ずみが、今回の治療を受けたことで綺麗さっぱり失われていると言うのだ。斑ら模様な彩ではなく、上から下まで統一された彩。何かに侵蝕されていることは、イリスの眼を以てして確認出来なかった。
「それなら良かったです。この特機は、黒い煙幕にも対応出来るということですね」
時雨を治療した特機、そして予備として準備された特機は、2体並んでビシッと敬礼するように蠢く。
普通の特機では出来ない、彼岸花の性能を有した治療専用の個体は、ここにその力を完璧に示すことが出来たのだった。
時雨の復調に有した時間は、おおよそ30分。身体も動くようになり、軽くストレッチをすると、以前と変わらないことが確認出来た。
「うん、これで完全に回復だ」
「少なくとも、調べられるところ全てに異常は見当たりませんでした。見えないところにあると言われたら困りますが」
「それはこちらでちゃんと調べるよ。やりたいことがあるからね」
時間はお昼時を少し過ぎたくらい。まずは治療によって消耗した体力を回復するために食堂へと向かう。
そこにはうみどりの艦娘達、保護されているカテゴリーY達が殆ど揃っており、明石や丹陽と共に入ってきた時雨の姿を見て、わっと声が上がる。
流石に時雨のコレは一大事として認識されており、治療についても全員に共有されていた。黒い煙幕の脅威について再認識させられることとなり、アレへの対策についても話がされていた程である。
「時雨、大丈夫だったか?」
真っ先に声をかけたのは深雪だった。治療のために力を貸していること、そして優しい願いを込めていることもあり、時雨のことは割と心配していた。
「ああ、大丈夫さ。割と酷い目に遭った気がするけれどね。身体の中に残ってた黒い煙幕も全部取り除けてる」
「そうか、そうか、よかったな。あたしの煙幕でも退かせなかったとか、どんだけしつこい穢れだったんだよ」
「本当にね。さ、まずは腹拵えをさせてくれないかい」
そりゃそうかと深雪も数歩引き、時雨に食事を摂らせる。キッチンにいるのはセレス……と、ある意味因縁の相手となりつつある黒井母。セレスが奥におり、黒井母が配膳している。
「無事なようで良かったじゃないか。ほら、そういう時こそいっぱい食べな」
「まぁね、でもあまり多過ぎても困るんだけど」
「何言ってんだい、艦娘っつっても、アンタは育ち盛りのガキさね。いっぱい食べて、いっぱい栄養をつけて、身体を強くすんだよ」
頼んでもいないのに大盛りご飯。オカズも他よりいくつか多い。それが容認されているくらいに、誰もが時雨の状況を心配していた。
それは黒井母も例外では無い。この治療は自分にも関係がある話だ。治療を受けた結果、時雨が不調続きだったとしたら、カテゴリーYの治療にも暗雲が立ち込めることになってしまう。
「で、どうなのさ、身体の具合は」
「何も問題ないさ。見ての通りね。僕はおばさんと違って若いから」
「それだけの減らず口が叩けるなら問題ないね。ほら、ガツッと食いな」
ニカッと笑って送り出す。黒井母なりの激励である。セレスが何も言わない辺り、この大盛りも許容されているモノのようである。
時雨は苦笑して昼食を貰い、わざわざ空けられている席に座る。そこで待ち構えていたのは、その変調を目の前で見ることになった夕立達。
「時雨、もう大丈夫っぽい?」
「多分ね。この後、またいろいろ確認はしないといけないけど、おおよそ大丈夫さ」
「なら良かったっぽい。これでダメだったら、お笑い要員じゃすまないっぽい」
明るく話す夕立ではあるが、やはり貴重な純粋種の姉妹、ここで時雨が倒れたら、夕立は大きくショックを受けていたことだろう。だが、そうはならなかったのだから、目に見えてわかるくらいに安心していた。
「ああ、そうだ。深雪」
「ん?」
「午後に時間を貰えるかい。やりたいことがある」
「……ああ、いいぜ。何言いたいのか、何となくわかるからな」
昼食後にやりたいことは、深雪にも手に取るようにわかった。仮想空間による演習、先程は黒い煙幕の影響で最悪な終わりを見せた、1対1の戦いのリベンジマッチ。
「でも、午後は予約取ってないぞ」
「そこは大丈夫。人数埋まってなかったから、2人が入りなさいな」
午後の予約を取っていたのは神風のようで、まだ余裕があるとのことで、そこに深雪と時雨が入れる隙間を作ってくれるとのこと。
ちなみに、神風とともにVR訓練をするのは、伊203と、軍港鎮守府からの援軍である綾波と暁である。何がしたいのかは大概わかった。おそらくふっかけたのは綾波。
「じゃあ、ありがたくやらせてもらうよ。時雨、良かったか」
「ああ。僕達の戦いの結末を見てもらうには良い人選だしね」
この演習でまた時雨が負けたくないから自爆みたいな選択をしたならば、治療は終わっていないということになる。時雨とて、あの時の選択は無意識だ。もう一度同じことをしてみない限り、本当に治ったかどうかなんてわかりやしない。
深雪の今の実力は、自爆を選択してしまうくらいには上がっていることは時雨も承知の上である。その戦い方の傾向も、あの時に把握した。次は負けないと力強く宣言出来るくらいには意気込みがある。
それは深雪も同じである、あの時は自爆なんていう終わりを見せられたが、次も同じように、いや、それ以上に追い詰められると信じて、今度こそ余計な横槍が入らない戦いで決着をつける。
「あの時は黒い煙幕……あの別個体のせいで、勝ち負けが有耶無耶になってしまったからね。どちらが強いか、ちゃんと証明するさ」
「ああ、次は相討ちにもならないようにしてやるぜ。それに、あの時は殆どあたしが勝ってたんだ。次も同じように勝ってやるよ」
「どうだか。確かにあの時は後れを取りかけたさ。でも、僕もあの黒い煙幕のせいで本調子じゃあなかったかもしれないんだ。甘く見てもらっちゃ困る」
既に2人ともやる気充分。お互いに、次はどうなるかわからないとは思っていた。時雨への影響のせいで動きが鈍っていた可能性も否定は出来ないのだから。
そもそも最後だって、自爆という最悪の選択肢を選ばれていなかったら何をされていたかわからない。時雨のことだから、あそこから機転を利かせて、とんでもない大逆転だって狙っていた可能性がある。
次はああはいかないと、深雪も時雨もより慎重に、そして大胆に戦うことを心の中で誓っていた。
「はいはい、それじゃあまずは食べなさいな。腹が減っては戦はできぬ。演習だって万全にしておきなさいね。お互い、言い訳なんてしたくないでしょ」
「そりゃあそうだ。しっかり食べて、万全にしておかないとな」
「お腹が空いていたから実力が発揮出来なかったなんて冗談通用しないからね。深雪、しっかり食べて、全力でかかってきてくれ」
「ああ、お前もな。……言うまでもないくらい大盛りにされてっけど」
「あのおばさんに言ってよ。頼んでもいないのにてんこ盛りだよ」
口が良いとは言えないが、これが深雪と時雨の関係性。つい最近と同じに聞こえつつも、その本質が少し違っていた。
時雨も、深雪のことは信頼しているのだから。
深雪vs時雨、第二戦。第一戦は途中までは良かったのに最後でおかしくなったからね。だから次は、お互い納得行く戦いになるはず。そしてそれを綾波も見ているということは……。