伊36からの援護が来ない漣は、流石に焦りが見えていた。全回復し、かつ、これまでの救うという気持ちも捨て去ったことにより、伊203の攻撃は鋭くなり続ける。狙いは全て急所狙い。躊躇なく突き出すために速度も異常。漣も燃費度外視で出力最大でやっているから追いつけているだけであり、このまま行けばジリ貧だろう。
「アンタ滅茶苦茶するな!?」
「どの口が言ってるの?」
拳が頬を掠めれば、それだけで傷となり、鋭く脚が振るわれれば、当たるわけにはいかないと離れる。漣が主砲を撃てば、伊203は紙一重で回避して、その隙を突いて距離を詰め、さらに攻撃を激しくしていく。
打ち払うことは出来ても、その一撃の重さは、先程と雲泥の差。血を失いながら、消耗しながらでもかなりの力だったのに、それが無くなったらこれである。
漣は考えてしまった。
この伊203、フィジカルは考えるまでもなく、メンタルを攻めることも出来ない。淡々と殺すための攻撃をひたすら繰り出してくる。時には目を、時には首を、時には腹を、心臓を、確実に一撃で仕留めようとする。
だが、ここで気圧されてはならないと、漣は口角を上げた。自分のペースを保つ。自分の手のひらに乗せる。そのために、この超人、いや、
「何を考えているか知らないけど」
「なんですかね」
「命を天秤にかけ始めたのは、そちら」
伊203の瞳が、ギラリと輝いたかのように見えた。殺すと、心から思ったことによる、猟犬のような瞳。そして、蹴り上げた脚を瞬時に下ろし、踵落としの要領で攻撃の方向を変えていく。
漣はそれを見てから追いついて避けた。相変わらず鋭すぎる一撃。ガードをしていたら腕が折れていたのではないかと考えてしまうほど。だが、避けたことで無傷である。
「ちゃんと聞いておきたい。貴女は、こんな戦いに、命を懸けられるの?」
そんなことを言いながらも、伊203の攻撃は何も衰えない。命懸けであるからこそ、力強く、鋭く、何より速い。
漣はパンと手のひらで叩き落とすようにそれを回避し、お返しに主砲を放つ。もう狙いをつけて撃つなんてことはしない。多少雑でも、これだけ近ければ、そんなことしなくても当てられる。
「当たり前でしょうに。こちとら、平和を求めて戦ってるんですぜ」
「戦場の後始末をしている私達に喧嘩を売ることが平和?」
「特異点がいるからねぇ、仕方ねぇですわ」
主砲を構えた時点で、伊203の拳が主砲に叩き込まれていた。放った時には手がその衝撃で真上に打ち上げられる。そうなると、ボディがガラ空きになる。
伊203はすかさずそこに蹴りを入れようとしたが、漣はその勢いを殺さず、むしろ自らバク転をするかのように身体を回し、強烈な蹴りをお見合いした。それを受けるのは良くないと思った伊203は、身体をスウェーして避けた。
漣はすぐに体勢を戻し、隙を作らずにさらに砲撃。伊203に攻撃を仕掛けつつ、あえてその反動を使って間合いを取った。足を地に着けていない状態での砲撃は、そういう利点もあった。力を抜けば、その分遠ざかることは出来る。
「その特異点は、海を綺麗にすることを楽しんでくれてる。それの何が悪いの」
「ああ、アンタは漣ちゃんに、特異点を見てもいないのに何評論してんだって言いたいのか」
反動で遠退きつつ、魚雷も放った。それもまた反動があるため、攻撃しながら間合いを拡げていく。近付いていたらどうにもならない。
自分の今やれることで、伊203とは違う、圧倒的に優位に持っていけるところは、この攻撃のリーチであると、漣はは自覚している。魚雷を使えるのは伊203も同じだが、砲撃を織り交ぜることが出来るのは大きな強み。
「わかってるなら、答えて」
「そんな筋合いは無ぇんですわ。ただ」
攻撃をしっかり避けながら、ジリジリと確実に前に進む伊203。その場で爆発するわけでもないため、視界も遮られることはない。再び掴むことが出来る間合いを取るために、海中でやるようなことではないステップで、華麗に避ける。
ここで伊203も漣と同じように主砲などが使えたら、すかさずやり返していただろうが、それは無いモノねだりというモノ。魚雷を放ってもよかったが、命中率が限りなく低い、さらに反動で自分も下がってしまいかねない、魚雷同士がぶつかり合ってしまった時の爆発規模もリスキー、そして何より、
「これが、私達の目指すところなんだよ。アンタにゃ関係ねぇ」
漣の力が増したように思えた。伊203は、この期に及んで出力が上がったことに、ほんの少しだけ目を細めた。この時だけは、漣の
「そう、盲目的に従ってるだけなんだ」
「勝手にそう思っててくだせぇ」
伊203の明確な煽り。受ける漣の冷ややかな対応。そう言われるとことを予想していたかのような、早い対応。漣自身、このやり方に矛盾があることを理解しつつも、伊203の言う通り、盲目的に出洲に付き従っている。そう思わせるモノが多すぎる。
「……なら、もういい」
「こっちのセリフですわ。よくもまぁペラペラと喋ってられますなぁ」
「自己紹介?」
拳を払い除けた漣は、ここで勝負に出た。ぐっと前に出て、伊203に対して艤装を捩じ込むような体当たりを敢行した。
伊203に近付くことは自殺行為に等しい。だが、ジリ貧で進み続けるのは、一石を投じることなく敗北に向かうことにもなる。
だから、前に出た。この時だけは、漣は伊203を凌駕した。
「っ……」
「アンタはここで絶対に退場させっからなぁ!」
漣の艤装がゴリッと伊203の胸を抉るように入った。伊203の判断力を以てしても、この時の漣の動きは止められなかった。速さを追求しても、どれだけ速くても、どうしても出来てしまうほんの一瞬の隙。瞬き一回分の隙間に、その攻撃が入ってしまっていた。
伊203であっても、この一撃は痛恨の一撃となる。漣の命を懸けた渾身の体当たり、後先考えず、なりふり構わず突撃してきた無謀な勇気が、伊203のスピードという牙城をその時だけ崩してしまった。
「アンタが特異点の仲間とかそういうのは関係ねぇのよ! 私が、漣がっ、アンタに勝ちてぇのさ!」
「……っ……そう、でもね」
痛みで顔を顰めたのも束の間、漣は完全なゼロ距離で主砲を伊203の脇腹に押し付けることに成功した。撃てば確実に
いや、
「思いは、こっちの方が強い」
メシャ……と、これまでに聞いたことのないような音が、海中だというのに聞こえた。そんな気がした。漣はすぐに気付いた。今の自分がどうなっているのか。
伊203に押し付けた主砲。トリガーを引けば終わり。本当にそれだけ。時間も僅か、コンマ数秒の世界。それなのに、それなのに、伊203は、その時が止まっているとすら感じられる速さを、その場で実現してしまった。
肘と膝、その2つで、漣の主砲を持つ腕を挟むようにして叩き折っていた。それ故に、トリガーを引く指が、動かなかった。
本来撃ちたいタイミングから数瞬遅れて放たれる。折られた腕では、まともな照準は定められない。いくらゼロ距離であったとしても、渾身の一撃、殺意を実現させるための攻撃にはならない。
「っぐ……っ!?」
それでも、ゼロ距離というのは強かった。直撃でなくても、掠める以上の成果は出てしまっていた。伊203の脇腹を砲撃が削ぎ、穴は空かずとも深い傷を刻みつけることに成功した。してしまった。
「へ、へへっ、やってやったぜコンチクショウ!」
漣はそれでも止まらない。折れて使い物にならなくなった腕を、痛みなど関係ないように振り、もう一度撃ってやると構える。まともな照準にはならないだろうし、撃てば反動で余計に腕がおかしくなるだろう。だが、諦めていなかった。
伊203も、慢心などしない。腕の時以上に激しい出血に顔を顰めながらも、漣の次の行動を見据えて、出たのは足だった。漣の主砲を蹴り飛ばすために、少し無理な体勢でも強烈な蹴りを放った。
主砲を握る手に力など入っていない。軽く小突かれるだけでも、主砲を手放してしまうくらいに。
「んならぁっ!」
だが、漣もまだ諦めていない。主砲は失っても、まだ片腕が残っている。伊203に掴み掛かろうと、手を伸ばした。
伊203も脇腹の出血が酷く、対応力が薄くなっている。その手を払うことが難しくなっており、腕を翳して漣の腕を掴ませないように避けた。
すると、そのまま漣の懐に入り込むことになる。先程とは逆。
「もう、終わりにする」
そして、拳を漣の鳩尾に捩じ込んだ。万全の状態ならば、そのまま腕が腹を貫いていただろう。しかし、腕の時よりも激しい失血により、そこまでの力を発揮することが出来ず、気を失わせることは出来たが、命を奪うまでは行かなかった。
結果として、殺意を持っていたとしても、不殺を達成するに至った。しかし、その代償は、伊203の退場となりそうであった。