速吸は既に霧島がやられてしまったことに気付いている。うみどりへの砲撃が止まっていることも、抑止力が失われていることもわかっている。そうなれば、うみどりを必死に護っている者達の一部がフリーになることだって理解している。
それでも、隻腕となった足柄とならば、この事態を潜り抜けることが出来ると思っていた。鎮守府に戻るより、前進した方が勝ち目があると考えた。うみどりの者達は捕虜を殺すようなことはしない。大きく傷付けても、それによって死に至らせることはしない。ならば、奪還して補給し、今の足柄のように回復させればまだ立ち向かえる。そう考えていた。
実際、今の段階で速吸と足柄に負ける要素は殆ど無かった。どれだけやってたら撃ち墜とされない艦載機を振り回せば、4人を相手にしても圧倒出来た。一瞬背後を取られてヒヤッとしたが、足柄という心強い仲間のおかげで危機は脱している。そこからは速吸とて慎重にもなる。それが勝ちをさらに盤石にしていた。
はずだった。
「ぽーい!」
間の抜けたような叫び、いや、咆哮。この戦場にようやく出られたことを喜ぶような、これまでのストレスを発散するような、腹の底から出てきた鬱憤。
うみどりの狂犬、夕立の登場は、この戦いを変える。
「夕立っ、手が空いたのね!?」
「ぽい! あとは基地航空隊だけだから、トラに任せてこっち来た! それ、ぶっ倒せばいいっぽい?」
「ええ、お願い! 私達じゃあ手がかかる!」
叢雲にも声が届くようになり、夕立はまるで休日に友達に会ったかのような笑顔で手を振った。呑気な奴だと思いつつも、どう考えてもここにいる者の中でも最も力を持つ者であるのは確か。叢雲はほんの少しだけ安心した。これなら行ける、この足柄を突破することが出来ると。
「なになに? 新しい子? いいわよ、来なさい! 何人来ようが関係ないわ!」
新たな敵戦力を見たことで、昂揚を隠さない足柄は、最早狂気とも思える笑みを浮かべ、夕立の方を見据えた。
それが叢雲にとっては隙にしかならないのに、興味を持った方に意識を向けることに抵抗がない。しかし、足柄と速吸の艦載機が叢雲と第三十号海防艦の攻撃をひたすら防ぎ続けているため、前に進むことすら出来やしない。
自分の力の無さを呪いながらも、叢雲は今の状態を留めることに精一杯。それでも足柄が他に向かえないように出来ていることを良しとして、やれることを全力でやり続ける。
「ふぅん、重巡洋艦が相手っぽい? でも片腕ないよね。そんなんで大丈夫?」
「あら、心配してくれるのね。でも大丈夫よ、私はまだまだ戦えるわ!」
夕立は心配しているわけではない。ただ、非常に簡単な疑問である。本当にそれで、自分を楽しませてくれるのかと。
「なら、夕立を楽しませてほしいっぽい! さっきまで延々と飛んでから砲撃を跳ね返すばっかりで、ストレスMAXっぽい!」
ギラつく瞳で足柄を見据え、さらに速度を上げる。砲撃の構えすらしない、真正面からの突撃。取っ組み合いを所望する、拳と拳のぶつかり合いを狙った。
こんな夕立でも、まだ殺すという選択肢はない。うみどりの教えを、
「あっはは、砲撃すらせずに突っ込んでくるわけ!? いいじゃない、漲ってきたわ! それでも私は使わせてもらうわよ!」
対する足柄は関係なしに向かってくる夕立に主砲を構える。片腕がなくても安定した構え、精度はむしろ、乱雑では無くなっていることにより上がっているまであった。バランスが取れないはずなのに、手負いとなる前よりも強くなっているまである。
「止まりなさいな!」
砲を向けられても止まる様子がない夕立に、足柄は容赦なく砲撃を放つ。避けられたなら避けられた方にまた撃てばいい。興奮しながらも、ひたすら冷静に、夕立を始末するために攻撃を繰り出す。
だが、夕立の行動は、足柄を以てしても常軌を逸していた。避けようともしない。恐れすら感じていない。砲撃にぶつかり合おうとしている。足柄の主砲だって、改造を受けたことでそれ相応に威力が上がっている。そうでなくても、砲撃なんて生身で受けたら良くても致命傷、悪いとミンチだ。なのに、夕立は避けない。
「ぽい! さっきまでどんだけ受けてきたと思ってんの! 今の夕立に、砲撃なんてただの邪魔な障害物っぽーい!」
夕立はその砲撃を、まるで邪魔なモノをただ退かすかのように払い除けた。『ダメコン』により傷はつかず、衝撃は完璧に受け流し、進む速度は微塵も落ちない。
流石にこれは足柄とて目を見開くほど驚いた。砲撃を受けてもダメージがないどころか止まらないというのは、カテゴリーKから見ても異常だった。
「なっ、何よそれーっ!?」
言葉とは裏腹に、足柄は笑いが止まらなかった。こんな相手は見たことがない。特異点でもこんなことはしないだろう。それなのに、この普通にしか見えない艦娘は、それをやってのけた。
「まずは、ぶっ飛ばすっぽい!」
そうこうしているうちに、夕立は足柄に手が届きそうな間合いまで接近していた。それでもブレーキはかけない。止まる気なんてなく、その拳を振り抜こうとしていた。
だが、ここで邪魔をするのは速吸の艦載機。鉄壁のそれは、砲撃を受けてもその場から動かないくらいの強烈な壁。殴ろうが蹴ろうが、それはその場に居続けるだろう。
「邪魔!」
それを夕立は、一度殴る。しかし、これまで通り、それはビクともしない。まるで壁を殴っているような感覚。浮いているのに、根付いているのかというほどに頑丈。
「邪魔っぽい!」
ならばと、それを掴んでから飛び越えた。柵に手をついているようなもの、その艦載機はもう艦載機としても見ておらず、ただの邪魔な障害物なだけ。撃とうが爆発しようが夕立にはダメージがないのだから。
「全然止まらないわ! すごいすごい!」
興奮している足柄は、夕立に自分の艦載機も嗾ける。こちらは射撃も爆撃も可能な普通の艦載機。当然その突撃を止めるために射撃をする。至近距離だが、砲撃よりそちらの方が確実だと考えて。
だが、夕立はやはりおかしい。その射撃をまともに受けても、動きが少し遅くなるだけで一向に止まる気配がない。傷一つつかず、ただ制服が破れていくだけ。
「そんなもんじゃ、夕立は止まらないっぽーい!」
そして、ついに手が届いた。
「なっ」
「まずは、いっぱーつ!」
夕立の渾身の拳が、足柄の胸に炸裂する。咄嗟に残った方の腕でその拳をガードしようと、握った主砲をそのままぶつけるように繰り出したが、そこはやはり『ダメコン』、普通なら折れてもおかしくない夕立の腕は、鉄骨で殴りつけたかのような強靭な足柄の一撃を以てしても、止めることは出来なかった。
「かっは……!?」
しかし、やはり戦闘のセンスだけは異常な足柄、その拳が直撃する瞬間に、上体を後ろに下げていた。肋骨から何から砕かれてもおかしくない衝撃を、ただの打ち身程度に抑え込むという回避を、この後に及んで見せつけてきた。
わざと吹き飛ぶことで衝撃を緩和し、海面を転がる。その方が
「げっほ、けほっ、やって、くれるじゃなーい!」
「夕立は止まらないっぽい。アンタがどんな奴でも関係ないっぽい。黙るまで殴り続けるから、覚悟するっぽい」
夕立は止まらない。転がった足柄に飛びつくように追撃。マウントポジションを取りに行こうとするが、足柄はまだまだ終わらない。
ニィと笑うと、夕立の土手っ腹に砲撃を放った。上半身と下半身がお別れしてもおかしくない位置、タイミング。しかし、夕立は『ダメコン』により、ただ吹っ飛ばされるだけ。衝撃には弱くても、それを理解しているから立ち回りも出来ている。
身体が軽く浮いても、すぐに体勢を整えて、海面を蹴り突撃する。何処に砲撃を放っても関係ない。腕をやろうが、脚をやろうが、夕立は止まらない。速吸の艦載機すら押し除けるようになってきた時には、足柄のみならず速吸すら、コイツはヤバいと思わせる。
「あっはは、さすが特異点の仲間ね! こんなバケモノを飼ってるなんて、思いもよらなかったわ!」
足柄のテンションはさらに上がる。こんな戦いがここで楽しめるなんて思っていなかったと、砲撃も雷撃も艦載機も全て総動員して、夕立を止めることだけを考えていた。
叢雲と第三十号海防艦の攻撃は、速吸が艦載機によって完全にいなしている。足柄の全力を夕立に投入させることを支援していた。自分にもフレッチャーと磯風が来ているのに、今ここにいる最悪の脅威は、夕立ただ1人であると認識していた。
「バケモノ? 飼う? 夕立は別にそんな扱いでも構わないっぽい。それで勝てるなら別にいいし。好きに言ってればいいっぽい」
何を言われても、何をされても、夕立は動じることがなかった。静かな心で荒っぽく、激しい感情で冷静に、目の前の脅威を取り除くためだけに動きを止めない。
「でもね、深雪は夕立のこと、ちゃんと艦娘だって、仲間だって思ってくれてるよ。少なくとも、他人のことバケモノだなんて言う奴が目指す平和なんて、ちゃんちゃらおかしいっぽい」
ついには、足柄の艦載機を直接殴って破壊してしまった。爆炎に呑まれても、夕立は無傷。制服が少し燃えてしまったが、表情一つ変えない。
「アンタは敵。みんなの敵。だから、ここで終わらせるっぽい」
夕立の瞳が紅く揺らめく。もう、その目は足柄の命を見据えていた。