磯風の『空冷』により身動きが取れなくなり、海中に逃げる術すら抑え込まれた速吸に、叢雲はついに手が届くところまで接近することに成功した。艦載機を全て『標準型』により普通に変え、抵抗すら許さない状況に持っていった。
叢雲にもここの冷気はわかる。寒い、ひたすら寒い、磯風の起こす風がここまで冷やしている。速吸はこの中で動けなくなっている。しかし、これも戦い。こうしなければ、自分達がやられていたのだから、文句を言われる筋合いはない。ましてや、その責任を特異点に押し付けようだなんて巫山戯たこと、やらせるわけにはいかない。
「アンタも、普通になれ!」
叢雲は、凍えて蹲る速吸の頭を掴む。速吸はいきなり掴まれたことで大きく震えた。寒さで思考能力が低下していたため、近付かれていたことに気付かなかった。ついさっきも同じことがあったのに、頭が回らなかった。
「っ、は、放して……っ」
「断る! だったらアンタは艦載機をやめろと言ったらやめていたのか!」
予想するまでもない。自分の攻撃は正当、相手の攻撃は不当。これまでの敵と何も変わらない。自分には正義という免罪符があるから何をやってもいいとすら思っていそうだった。そんなわけがない。
戦場では皆平等。その場に立っているというだけで、お互いに命を懸けて同じ立ち位置にいる。ましてや、吹っかけてきた側がやりたい放題した後、自分がやられそうになったら文句を言うなど、子供かという話である。
「いいから黙って、普通に、なれぇ!」
掴んでしまえばこちらのもの。もう逃がさない。寒くて逃げることも出来ないだろう。身体がまともに動いていない。叢雲の手を引き剥がそうと腕を動かそうとしても、ガタガタと震えてままならず、腕を掴んだとしても掴んだだけ。遠退かせようとする力は、叢雲の腕力を超えることはなかった。
その力の奔流が、速吸を包み込む。ただ普通を求める者の、異常性を掻き消すその力が、速吸の身体を普通にしていく。
「な、何を、しているんですっ」
戸惑いは大きかった。自分が何をされているのかがわからない。だが、力が余計に抜けるような、確実にされてはいけないことをされている感覚。
叢雲も人型に対して実行しているため、消耗が激しくなるだろうと予想はしていた。しかし、目の前のこの敵だけは、絶対に止めなければ後から面倒なことになる。そう確信していた。
「アンタを、普通にしてるだけよ! 艦載機で暴れない、馬鹿みたいにに速く動かない、何より周りを補給するようなこともしない、ただの艦娘に!」
カテゴリーKを普通にする。その前代未聞の施術。叢雲だって結果はわからない。
カテゴリーKが元々死者であることは承知の上。普通にするという行為が、生ける屍を
深海棲艦、阿手の集積地棲姫に対して実行したときは、それが持つ特別な力が根こそぎ消滅している。それと同様なことになればいいのだが、存在そのものが普通ではない場合どうなるのか。
「っ、力が、抜ける……っ!? 嫌だ、嫌だ、みんなを補給出来ない、戦えなくなる、こんなの、こんなの……っ」
速吸もついに自分がどうなっていくのか理解したのだろう。カテゴリーKとして、無類の強さを誇っていた身体が、徐々に失われていく。ただでさえ力が入らないのに、より力が抜けていく。
艦載機のコントロールもままならない。深海棲艦の艦載機の操作は、本来の補給艦速吸の技術ではないのだから。潜水も出来ない。海上艦にそんなこと出来るわけがないのだから。残されたのは補給の技術のみだが、それも本来の洋上補給の力のみ。触れ合うだけで自己修復の力を活性化させるわけでもない。そして、速吸自身の自己修復も失われる。そんな力を持つ艦娘が、普通なわけがない。
「私の考える普通は、私の匙加減かもしれないわ。でも、アンタはただの艦娘になってもらう。アンタが見下していた、普通の艦娘によ。アンタ、カテゴリーCの仲間達のこと、仲間とも思ってないんでしょ。だったら、同じレベルにまで落ちろ」
図星をつかれたかのように速吸は目を見開く。カテゴリーKの特徴とも言える精神構造ではあるが、速吸は特にその気質は強めであった。
カテゴリーKのピンチは感知するが、カテゴリーCのピンチは無視。傷を負った足柄は救いに来たが、一緒にいた嵐と萩風については話題にすら出さない。他の戦場のことでもそうだ。あくまでもカテゴリーKだけが仲間。共に生活していたはずの艦娘達のことを、高次に至っていない者として見下している。
実際叢雲は、速吸がそうしているところを見たわけではない。だが、自らの意思で阿手のやり方に付き従っていた時期があるからこそ、敵の思想は手に取るようにわかる。
力を得た者は、得ていない者を下に見る。忌雷によって侵蝕されていても、元より改造されていても、それは全く同じであると。
「何が高次だ! 低い志しか持ってないクセに、人様のこと見下してんじゃないわよ! わかってんのよこっちは! アンタ達の平和について説明しろっつっても、話したところでわからないとか言うのは、自分でも何もわかってないからでしょうが! そんな薄っぺらい志でっ、私達を馬鹿にするなぁ!」
さらに強く力が注がれた。叢雲の怒りは、何処までも膨れ上がっていた。かつての自分を見ているようで、今すぐ消し去りたいとしか思えなかった。だが命は取らない。最後の理性が利いていた。
速吸から力が抜ける。そして、『標準型』が完了した瞬間、速吸は普通とは何かをすぐに実感することになる。
「っあ、あぁあああっ、寒い、寒い寒い寒いっ、痛い、痛い痛いっ」
凍りつこうとしている身体が、これまでは自己修復の力で保っていたことを知る。ジワジワ凍らされるのを、ジワジワ回復していたことで拮抗していた。痛みもカテゴリーKとして軽減されており、殴られてもダメージが殆どなかった強靭な身体もカテゴリーKである速吸の特徴だった。
その全てが無くなったことで、今、ここの冷気によるダメージは100%クリティカルに入る。耐えられない程の苦しみに、突如見舞われる。
「腕、脚、動かないっ、嫌だっ、寒いっ、こんなのっ」
「……哀れなモノね。力を失った途端にコレなんだもの。磯風、一度冷やすの止めてやんなさい」
「了解した。叢雲、身体の方は大丈夫か」
「ええ、消耗はしてるけど、そこまで大きくないわ。あの地下でやったときと同じね。まだ戦える」
磯風が『空冷』を止めてやる。これでこれ以上冷えることは無くなるだろう。だが、ここまでの結果は残る。凍りついて霜が降りている四肢、一瞬潜ろうとしたことで濡れ、そこからバリバリになるまで凍った服、奪われ続けた体温、その全てが、普通となった速吸に襲いかかっていた。
「殺されないだけマシだと思いなさいよ。いや、カテゴリーKとしてのアンタは、私が今殺してやったわ。ここからは普通の艦娘として、頼ってた力を全部無くした、ひたすら普通な艦娘として、罪を償いなさいよ。文句ある?」
速吸を睨みつける叢雲。その実、ここで上手く終わってくれてよかったと内心ホッとしている。
叢雲の願う普通は、速吸を何の力も持たない普通の艦娘にすることを選択した。特異点の力、特機の与える力は、さらに呼応して実現させた。死体に戻すようなこともなく、人間に戻すようなこともない。ただ、見た目はそのまま普通の艦娘になれと願っただけなのだから。
だが、ここで速吸の最後の普通でない部分が取り除かれる。それが、艤装。艦娘の艤装を使っているならまだしも、カテゴリーKは深海棲艦の艤装を改造して利用している部分がある。
自己修復も無くなった今、それが失われたことで、艤装そのものが、速吸の背中から剥がれ落ちた。
するとどうなるか。当然、速吸に与えられていた、海上移動の力が失われる。
「ひっ!?」
溺れる。そう思ったとき、速吸の身体を、フレッチャーが確保した。抱き締めるように、沈むのだけは阻止した。
そうなることを『未来視』で予測していたおかげで、最後の大惨事を未然に防ぐことが出来た。
「敵であっても殺しはしません。反省出来るならしてもらいます。考える時間はまだまだあるでしょうから」
速吸は力を失ったことで戦意も失っていた。もう勝てない、もう何も出来ない。それがただ悲しくて、怖くて、人の話も聞いていられないくらいに憔悴していた。
結局最後まで、特異点が罪という思想は変わらない。カテゴリーKである限り、この事態ですら、全て特異点のせいだと責任転嫁することだろう。