時はまた遡る。
この海域各所で行なわれている戦闘。カテゴリーK達を相手になるべく消耗しないように立ち回っている最中。
その中でも、最も異質な、しかし激戦を繰り広げているところがある。それが、特異点対特異点。白と黒の戦い。
「あたしはテメェをここでぶっ倒す。ここで食い止めて、他の連中はあたしの仲間が終わらせる。それだけで充分なんだよ」
「はっ、あたしの仲間がそんな簡単にやられるかよ。それはあたしも同じだ。おまえには負けねぇ」
「余裕ぶっていられるのと今のうちだ」
海中での徒手空拳は、殆ど互角と言ってもいい。膂力などは深雪に軍配が上がっているのだが、黒深雪はカテゴリーKとして肉体改造をされ、さらには黒の煙幕を自ら吸い込むことでブーストをかけている。強い殺意の分、深雪よりも拡張と増加率が高く、本来ある差を補うには充分なパワーアップを遂げていた。
そして精神的に大きな差がある。深雪にはまだ少しの迷いがあるが、黒深雪には全く迷いがない。矛盾に気付きつつも、今目指している平和を必ず成し遂げる……という気持ち以上に、オリジナルである深雪をここで斃したいという気持ちが、他の全てを凌駕している。
煙幕を纏った腕が交差し、煙幕が混ざり合いながら、海中で霧散していく。鋭い拳を払い除けながら、ひたすらに拳を打ち込むが、致命傷になり得る攻撃にはならない。
だが、殺意により鋭さが増している黒深雪の方が、一撃一撃の重さが上のようには感じられた。それに、狙いがことごとく急所。それを避けながらとなると、深雪もほんの少し、手が出るのが遅くなる。攻めより守りが多くなる。
「電、言ったわよね。あの戦いの邪魔をさせないって」
「っ……」
深雪を艦載機で援護しようとしても、雷の艦載機がそれを真っ向から否定する。お互いに射撃や爆撃をするでもなく、艦載機同士が激しくぶつかり合い、その進路を妨害し続ける。
「雷ちゃん……さっきも言いました。鳥籠の鳥は安全かもしれませんが、飼い主の気分次第でその安全はすぐに無くなるのです。そんなの平和とは言いません」
電はめげずに説得を続ける。雷の心を動かせると信じて。だが、一度覚悟を決めている雷は、何を言われても動じなかった。電を正面から見据え、ただ黒深雪の思いに応えるために、その邪魔をさせないように立ち回り続ける。
この戦いの矛盾はとうに気付いている。力尽くで抑えつける平和は、自由意志を奪い取ることで争いを無くした平和は、本来の平和とは違うと。
だが、ブロックワードを外され、自分の死因と向き合い、その上で今の出洲のやり方を考えた時、それくらいしなければ自分と同じような被害者がこの先まだまだ増えいくと思った。
あんな辛くて苦しくて惨めな死に方をする者が増えるだなんて、どうしても許せない。被害者が増えることも、加害者が増えることも。
ならば、力で抑えつけて管理運営することだってやむを得ない。人間とは何がどうあっても変わらないのだから。凄惨な事件が起きても、自分ならバレないと同じことをする、欲望に呑まれた人間が無くなることはない。だから、出洲の考える平和は、本当に争いが無くなる方法なのだと納得した。
一度死に、蘇ったことで外れたネジ。雷も同じことである。
「電の基準ではそうなのよね。でも、それじゃあ何も変わらない。世界は争いに満ちたまま。争いだけならまだマシ。弱者が一方的に淘汰されるだけの、不平等な世界しかない。私や深雪みたいな、辛い思いをして、絶望の中で死んでいく子供が、これから先まだまだ増えていく。それを未然に防ぐことが出来るのは、徹底した管理しかないのよ」
「それは思考の放棄なのです。極端な考え方すぎるのです。そして何より、それを押し付けるために人を傷付けているのが一番ダメなのです!」
艦載機を操作しながら、電はもう涙目だった。壊れている雷を見ていることが辛くて堪らない。だが、それは雷のせいではないこともわかっている。元凶は出洲でもなく、雷をそういうカタチにするきっかけ。蘇る前の雷を殺めた変態のせい。それがいなければこんなことにはならなかった。
だとしても、それはもう過ぎてしまった話だ。いくら願ったところで、過去は変えられない。その事件が起きた時点で、雷の運命は決まっていたようなモノだ。だから、辛い。人間のせいでそんなことが起きているのが、とても悔しい。
「雷ちゃんだって見たでしょう! あの軍港で、楽しそうに生きている人達を! それが、雷ちゃんの命を奪った人間と同じと言うのです!? 全員が全員、管理しないと周りに迷惑をかける人間に見えたのです!?」
「……そうね、あの人達は、私をこんなにした人間とは違うわね。でもね、電」
艦載機の動きが鋭くなる。電の艦載機を少しずつ押し返していく。
「それでも、何処かで綻びが生まれるモノよ。何がきっかけで足元が崩れるかはわからない。誰もが薄氷の上で立っているの。私は崩れた。深雪も。貴女達はまだ崩れていないだけ。それを未然に防ぐためにも、徹底した管理は必要なのよ」
雷は非情に電を追い詰めていく。この思いだけは変わらない。変えられないと。
「お前もアレと同じ気持ちなのかよ、別個体」
電と雷の口論を耳にし、深雪よりも黒深雪に問う。同じ平和論を持っているのか。こうまでしてまで人間を抑えつけたいのかと。
「テメェは知らねぇだろ、無様に命が消えていく瞬間を。いつも優しい人間だったと思っていたのに、それに力の差を思い知らされて、欲望のために命を奪われる苦しみを」
「ああ、知らねぇよ」
「だったらあたし達に口出しするんじゃねぇ。あの恐怖は、受けた奴にしかわからねぇ。テメェみたいな上っ面だけの同情じゃねぇ。全部知ってるから、あたしは今の道を選んだ。誰もあんな目に遭わないようにするには、管理しかねぇんだよ。平和が何かわかってないテメェには、何も言われる筋合いは無ぇんだよ!」
黒深雪の拳の鋭さが増した。思いがそのまま力になっているかの如く。それが歪んでいるとしても、その力は本気の力。深雪にとっては間違った正義であっても、黒深雪にとっては切実な思い。
自分の絶望があるからこそ、他者の平和を願う。それが歪んだモノであっても、その思いに嘘はない。矛盾に気付いていても、それと向かい合って、結果的にそれを受け入れた。その方が、人間達は平和になれると信じて。
「っざけんな……!」
だが、深雪も負けてはいない。黒深雪のその言葉を聞いたことで、強い怒りが湧き上がってくる。
「お前がどんな目に遭ってどんな思いをしたかなんて、あたしにはわからねぇよ。でもな、お前が今からやろうとしてんのは、お前に嫌な思いをさせた連中と同じことだぞ!」
「知ったような口利くんじゃねぇ!」
「知らなくてもわかるだろうが! 出洲のやり方は、自分に楯突いた奴全員が罪って言うようなヤツだぞ! 弱ぇ奴を、自分の思い通りにするために、力で捩じ伏せるやり方だ! お前がやられたのと、何が違うんだよ!」
黒深雪は思う。
悪を以て悪を制す。ただそれだけ、たったそれだけ。それが一番、平和に近付ける。そう思っていた。
思い込んでいた。
「お前はそんだけ平和のことを考えてんのに、出洲の野郎のせいで全部腐っちまった。全部おかしいのに、それをおかしいとわかってんのに、出洲の言いなりになっちまってる。お前もやっぱり、壊れてんだな」
黒深雪の拳を殴り飛ばすように払い除ける。深雪の眼光は、見た目通り深海棲艦のような怒りを灯していた。
「わかっててやってるなら、その方がタチが悪いぞ。それでも、お前には恩とかあるんだろ。知ってる。あたしにはそういう仲間もいる。お前とそいつが違うこともわかってる。でもな、やっぱお前はダメだ。今のお前はダメだ。取り返しのつかないことしかしてねぇ。なら、止めてやるしかねぇだろ……!」
手ではなく脚が出た。リーチの長い蹴りで、黒深雪の鳩尾を狙った。黒深雪は即座に対応し、その脚をしっかりとガードする。だが、ここは海中。その勢いを完全に止めることは出来ず、黒深雪の身体は少し浮上する。
つい先程まではびくともせずに止められたのに、深雪からの一撃の威力が間違いなく上がっている。
「同情される謂れはねぇぞ。テメェにそんなことされたら惨めで泣いちまう。生まれてまだそんなに時間も経ってないテメェに、人生諭されたくもねぇ」
「ああ、お前の方が長くて濃い時間を過ごしてるんだろうよ。でもな、悪いがあたしも、それなりに濃い時間を過ごさせてもらってんだわ。お前らのせいでな!」
さらに一撃。黒深雪の身体がさらに浮く。
「何が良くて何が悪いかくらい、ガキでバカなあたしにだってわかってんだよ!」
もう一撃。ついに黒深雪のガードが崩れる。
「お前は、まだ考え直せると思ったんだけどな」
そして、四度目の蹴りは、黒深雪の腹に深く食い込んだ。思いが初めて貫いた瞬間だった。