深雪の一撃が、黒深雪の鳩尾を抉った。深雪の思いが、黒深雪の覚悟を突き破った瞬間だった。
どれだけ説得しても、矛盾を抱えていることがわかっていても、その道を振り返らない黒深雪に、深雪からの強い思いのこもった一撃だった。
「っか……っ」
その衝撃で、黒深雪はそこから吹き飛ばされる。海中であることも相まって、より簡単に。ほぼ海底に近いところで戦っていたため、体勢を立て直すためにそこに足をつけた。
鳩尾がズキズキと痛む。しかし、まだそれだけ。骨も内臓もやられていない。カテゴリーKとなったことで強化されている身体が、それだけの一撃を喰らったとしてもまだ退場を拒ませた。
「やって、くれるな……特異点……っ」
「おう、やってやったぞ別個体。わからず屋はこんなもんじゃ目ェ覚めないかよ」
「とっくに覚めてんだよ。あたしは、悩んで悩んで、今の道を選んだんだ。テメェにとやかく言われる筋合いはねぇ!」
立て直した黒深雪は、より黒の煙幕を溢れさせて深雪に立ち向かう。何を言われたところで変わらない。考え抜いた末に今があるのだから。
平和とは何か、正義とは何か。襟帆提督に言われて軍港都市へと赴いた時にも、ずっと考えていたこと。特異点と顔を合わせ、言葉を交わし、そして最後の結論を出したこと。
その考えは、もう覆らない。迷わない。だから、甘い考えの特異点に腹が立って仕方がなかった。平和とは何ぞやという問いに、まともに答えが用意出来ない者に、長い時間をかけて考えてきた自分の信念をとやかく言われることが、あまりにも気に入らなかった。
「あたしは、テメェをここでぶっ潰す。特異点だろうが何だろうが関係無ぇ。人の道を邪魔する奴は、力尽くでも退かして通る!」
「……そうかよ。そんな選択しか出来ないくらい、お前は切羽詰まってたんだよな」
これまでも多くの辛く苦しい戦いに挑んできた深雪だったが、この黒深雪の悲痛な覚悟には、これまでに無い苦しさを感じた。
黒深雪にはそれしか無いのだ。縋る先が、他に用意されていないのだ。何もかもを奪われて、残されたのは出洲と歩む道。たったそれだけ。
かつて深雪は、自分の物語は自分で選び取ることに意味があると言われた。他の者の言葉が絶対に正しいとは限らない。どのような状況でも、自分の選択が全てを決める。その言葉は、ずっと染み付いている。
だが、それは正しく選択肢を与えられることが最低限の条件だ。黒深雪は、選択肢を全て取り除かれてしまっていた。襟帆提督はその選択肢を拡げるために軍港都市に向かわせたのだろうが、それでもダメだった。
黒深雪に与えられた選択肢は、出洲のために動くための一本道。振り返ることすら許されない、崖っぷちの一方通行。曲がりくねることもない、自分でその道を選んだと思い込まされる、悪意ある舗装路。
「なら、実力行使しか無ぇよな。お前は最初からそのつもりだったろうけどよ」
「何を今更。あたしはテメェのような甘ちゃんじゃねぇんだ。特異点はぶっ潰す。そうすりゃこの世界は平和になる。いや、もう別に関係ねぇ。あたしは、テメェに勝ちたい。生まれたばかりのクソガキに、ここまでさんざんいいように言われ続けてきたんだ。テメェが正しいと言わんばかりにな」
「あたしが正しいとは言わねぇ。でも、お前は間違ってる。それだけだ」
「同じことだ。少なくとも、あたし達の信念より、自分の方が正しいっつってんだろ。上から目線でよ」
歪んだ目でしか見えなくなっている。やはり黒深雪も蘇生の影響でネジが外れている。被害妄想と言ってもいいほどにネガティブ。
だから深雪が気に入らない。生まれてからずっとずっと、自分のやりたいことを楽しくやれている。これまでの戦いもあるだろうが、そこには目が行かない。深雪の幸せな部分しか見えていない。今受けている仕打ちが、目に入っていない。
「だから、あたしは絶対に、絶対に、テメェを……!」
歯を食いしばり、深雪を睨みつける。その瞬間、黒深雪の左腕──特異点の腕が、ドス黒く脈動した。痛みはない。心地よくもない。ただ、その歪んだ願いに呼応する。
「お前……」
「あたしはテメェのコピーみたいなもんだ。腕だけかもしれねぇけど、それでも特異点の力を使ってんだ。あたしの力が、あたしの思いに、答えないわけがねぇ……!」
ドクンと、左腕の煙幕が力強く溢れ出る。黒深雪の左腕を、左半身を包み込んでいく。
「やめろ。それはそういうモンじゃねぇ。あたしの、特異点の力は、優しい願いを叶えるモンだ。お前のそんな間違った願いを叶える力じゃねぇ!」
「間違った願いだ? お前には間違ってるかもしれねぇけどな、あたしには正しい願いなんだよ!」
カテゴリーKに無理矢理接続された特異点の左腕は、意図的か偶発的か、その力を変質させられていた。その煙幕の色が黒ずむように、叶える願いが利己的に。カテゴリーKの血液が浸透しているからこそ、特異点の力は歪み変質する。
「あたしの願いは、ここで特異点を始末すること! 人様の生きる道を否定する輩を、ぶちのめすことだ!」
左腕は黒く染まる。その侵蝕が肩から身体に、顔にまで伸びてくる。それは痛みも苦しみもない、ただその信念に呼応する力の鼓動。
深雪はこれまでに無いくらいに、苦しそうな、悔しそうな表情を見せた。話が通用しないのではない。理解した上で突っぱねて、ここまで敵意を剥き出しにされている。自分の意志で、真正面からの敵対を選択されている。
それが目に見えるカタチでそこにある上に、その根本的な部分は自分由来。自分の力があのようなカタチに染まっていることが、辛くて仕方なかった。
「第二ラウンドだ。これが最終ラウンドになるかもしれねぇけどな」
黒深雪が先に動き出す。黒の特異点の力が、見てわかるほどに溢れ出す。
それは、黒い閃光だった。
「ぐっ……!」
これまでとは比べ物にならない速さで深雪に突撃し、その左腕による一撃を打ち込んだ。自分が蹴られた鳩尾に、その拳を捩じ込んだ。
骨にも内臓にも影響はない。深雪は咄嗟にその腕を掴むように手を出しており、威力をギリギリまで減衰させていた。だが、触れたことで黒の煙幕が弾けるように噴き出した。
特異点である深雪に煙幕が効くようなことはない。深層心理を歪ませるその効果は、深雪には発揮されない。だが、本来の白い煙幕と反発はする。弾けるように煙幕同士が重なり合い、しかし混ざり合うこともなく互いを押し合う。白い煙幕の優しさを、黒い煙幕の拒絶が上回っている。
「テメェは絶対ここで終わらせてやる。それであたしが終わっても構わねぇ。特異点は、あたし達の平和を邪魔する奴は、消えちまえ!」
煙幕はより深く。黒の煙幕がさらに溢れ出る。海に溶けて消えていくとしても、その黒は嫌という程目に焼きついた。
「ふざけるなよ、お前らの勝手にはさせねぇ。だったら、あたしがお前をここで止めてやる。二度と戦えないようにしてやるよ、別個体!」
共鳴するかのように、深雪の白い煙幕も溢れ出た。輝かんばかりに、その力を見せつける。
光と闇が交錯するような、海の中とは思えない光景。力は拮抗してしまっている。オリジナルとコピーなんてモノでは、もう判別出来ない。
黒深雪は、命を注ぎ込むことで、真に特異点と成り果てた。自分の願いを叶えるだけの、本来の特異点の存在を真っ向から否定する存在へと。
そしてそれは、黒深雪だけではない。補助装置として調整されている雷もまた、その黒の覚醒の影響を受けていた。
「雷ちゃん……っ」
「なに? 私のことを心配してくれるの?」
雷の身体にも、黒の煙幕の影響が出始めていた。艦載機を操る手、指先が黒ずんでいた。壊死しているようにすら見える染まり方に、電は息を呑む。だが、雷は何も気にしている様子はない。
それはただ、黒の特異点への昇華を祝福し、自らの身をも黒深雪に捧げていることの証左。壊死などではない。ただ、染まっただけ。特異点の力に染められているだけ。
「私は深雪にこの身を捧げているの。深雪がそう願うのなら、私もそう願う。私には、深雪がいればいいんだもの。私の命は、深雪と共にあるの」
「っ……!?」
雷の操る艦載機の動きが激変する。深雪の願いを叶えるために、雷の力も格段に上がっていた。そもそもが電よりも経験があるために、ただ邪魔をするなという気持ちで食い止め続けてきたそれが、ここからは違う。電をねじ伏せるために、更なる力を発揮し出した。
黒深雪の願いは、特異点をぶっ潰すこと。そして、電も特異点である。その願いに染まった雷は、補助装置としてその願いを叶えるために、特異点たる電を潰しにかかった。
「ごめんねさいね、電。貴女が特異点じゃなければ、仲良く出来たかもしれない。でも、特異点なんだもの。ここで消えてもらわないとダメなの。深雪の目指す道の邪魔をするんだもの」
速く、そして強靭。黒の煙幕を纏いながら、艦載機が縦横無尽に動き回り、電を捕捉する。
これまでは、電を縫い止めておくために使われていた艦載機。しかし、今度は電を消すために使われる。容赦なく、攻撃を繰り出す。
「消えてちょうだい、特異点」
一斉に放たれる艦載機からの射撃。電に避けられる道は、残されていなかった。