調査隊の代表である響と白雪が潜水新棲姫がどういう存在かを確認することが出来たため、今日のところはこれで撤収。短時間ではあるものの、その存在を強く刻むことになった。
去り際に響が時雨にそっと鼻眼鏡を渡そうとしていたが、結構だと断固として受け取ろうとしなかったのは言うまでもない。
「なんつーか、不思議な奴だよな、響って」
「なのです。あんなこと、電には思い付かないのです」
「あたしもだよ。というか、思いついても出来ねぇ」
就寝時、ベッドの中で今日の出来事を反芻する深雪と電。話題はもっぱら響のことになる。
あんな手段なんて頭の隅にも思いつくことは無かったし、もし思いついたとしても、やってみようという気持ちは起きない。羞恥心なども多少はあるが、潜水新棲姫にそんなことをして、万が一その日で手に入れた信用を失うようなことがあったら困ってしまうからだ。安全を考えるのなら、突拍子もないことはやらないに限る。
そのため、あの手段は初見であるおかげでまだ潜水新棲姫内の好感度の値が上がっていない響くらいにしか出来ない手段だ。
「度胸があるなアイツ」
「怖いくらいなのです」
「だな」
ここで深雪は危なく余計なことを言いそうになった。カテゴリーCではなく、カテゴリーBやM、Wの響もあんな感じなのだろうかと聞いたところで、電にそれがわかるわけが無い。むしろ、それを意識させることで、あまりよろしくない感情が芽生えるかもしれない。
ここで踏みとどまれたのは、深雪もそれなりの時間をうみどりで生活出来ているが故の成長。思ったことを全部口に出すことは良くないということをキチンと理解している。
「でも、良かったよな。アイツが少しでも元気になれて」
「なのです。電はそれが一番嬉しいのです」
あの小さな笑みを浮かべた後から、潜水新棲姫はこれまでより少し元気をも取り戻しているかのようだった。昼食もそうだったが、夕食も美味しそうに食べている様子は、周りの心を温かくしてくれた。そして、その時にも笑みを浮かべていた。
一度出来てしまえば、別の幸せでも笑いは溢れるようになる。潜水新棲姫は、
「あとは、話せるようになれば……なのです」
「だな……。心因性だってのは聞いてるけど、次にどうなるかは……アイツ次第だ」
うみどりで行動出来るようになり、表情も少しずつ取り戻していた。ならば、後は言葉だけ。
ストレスで出せなくなってしまったというのであれば、このうみどりで生活していれば自ずと声が出てくるようになるはず。深雪も電もそう確信していた。
翌朝から、うみどりの航行が始まる。向かう先は決まっており、軍港。おおわしと共に入港することは事前に連絡済みであり、大型の特務艦が同時にそこに停泊することは無いわけではないが稀であるため、あちらとしても一種のイベントのようになってしまっているらしい。
実際、軍港の補給班は同時に2つの移動鎮守府の物資を積み込まなければならないので、仕事量が単純に倍。お祭りといえばお祭りである。あまり嬉しくないお祭りだが。
「電ちゃんと時雨ちゃんは初めてのことだから説明しておくけれど、今向かっているのは軍港よ。うみどりの物資補給と、これまでの後始末で溜め込んだ廃棄物の処理をしてもらうために向かうわ」
それが基本的な軍港を訪れる理由。おおわしも今回は補給がメインであるところがある。長々航海しているとどうしても物資が失われていくため、定期的に軍港で補給しないと仕事もまともに出来ない。流石にこればっかりは時雨も納得している。
「で、軍港はそれを統括する鎮守府と、それを中心とした都市で成立しているの。その都市は、言ってしまえば娯楽街。食べ歩きも出来れば、お買い物も出来るわ。艦娘達が戦いを忘れて羽を伸ばす場所としても使われているの」
「深雪ちゃんに聞いたのです。楽しい場所だって」
「ええ、丸一日使っても全部見て回ることは難しいくらい大きくて、欲しいものなら大概なんでも手に入る場所よ。前回は深雪ちゃんもすごく楽しんでくれたわ」
また来たいと本心から言えるくらいに楽しんでおり、軍港鎮守府の艦娘達とも交流しているため、今度はまた違った感覚で軍港都市に向かえるだろう。前回の睦月のように、軍港都市でしか会えない友人──所属艦娘の綾波と暁に会いに行くという目的も出来そうである。
「それは僕も行かなくちゃいけないのかな」
相変わらず食ってかかる時雨だが、伊豆提督は勿論と返す。
「人間を知ることが時雨ちゃんには今一番必要なことよ。それに、正直なところうみどりに残られてもアナタのことを見ていられないと思うの。だから、街に遊びに行くみんなと一緒にいてほしいのよね」
軍港都市の調査もあるため、今回は伊豆提督やイリスもずっとうみどりの艦内にいるわけではない。そのため、時雨に構っている余裕が無かったりする。
「いいじゃねぇかよ時雨。あたし達と一緒に遊びに行こうぜ」
「君達は少し緩すぎるんじゃないかい」
「たまに気を緩めないと爆発しちまうだろうがよ。息抜きは必要だぜ?」
ただでさえ時雨は気を抜くようなことをしない。まだ人間に対しての不信感が付き纏っているため、妙な緊張感を持ち続けている。そんな時雨が軍港都市に向かっても、緊張が強くなりすぎて逆におかしくなりそうではあるものの、そこには戦いというものは無いため、いきなり身体を張るようなことはない。
「安心しなさいな。時雨が行動する班には私がちゃんとついていてあげるから」
と言うのは神風。これでは逆に安心よりも緊張が強くなりそうではあるが、神風に苦手意識を持つ時雨は、その言葉に対してぐぅと息を詰まらせながらも、しぶしぶ了承した。この状況で行かないと言ったらもっと面倒臭いことになると察したというのもある。
「何かあったら、私がある程度はどうにかするわよ。だから安心して遊べばいいわ。貴女にも、この世界の楽しさを知ってもらいたいもの」
「……世界が楽しいわけないじゃないか」
「見てもいないのに断言出来るわけがないでしょ。憶測だけで語ってたら、程度が知れるわよ」
ここまで言われては、時雨も黙っていられない。捻くれているが故に、意地になる。自分は絶対に絆されないと思えば思うほど、神風の掌で踊らされているとも知らずに。
「だったら見せてもらおうか。その世界の楽しさってのを」
「ええ、覚悟しておきなさい」
とはいえ、翌日の軍港都市散策は、羽を伸ばすと同時に調査という名目もある。気を緩ませながらも、気を張る必要もあるのだ。
「まぁ時雨の注意力にも期待してるわよ。もしかしたら、軍港都市の中にも元凶に繋がる何者かがいるかもしれないもの。時雨にはそこを見てもらいたいわね」
「そういうことなら任せなよ。疑わしきは罰する」
「お前がそれ言うと、そこにいる全員を罰しようとするだろうが」
呆れながらも、時雨が軍港都市に向かうことに乗り気になったことは内心喜んでいた深雪。あの場所を知れば、人間のことも多少は信じられると思っているからだ。
裏側で何かが起きている可能性があるとしても、あの街で楽しめたことは嘘ではない。あの時に出会った人間は、自分達を騙そうと考えているものはいなかったと確信している。だからこそ、時雨にはあの人間達を知ってもらいたい。
「電は素直に楽しんでくれよな」
「な、なのです。深雪ちゃんと一緒なら楽しめると思うのです」
逆に電は軍港都市を娯楽の場として考えることにした。裏側で起きていることから一度目を逸らして、メンタルトレーニングで溜まりに溜まったストレスを、遊ぶことで発散する。それが本来の使い方であるのだが。
深雪が楽しむと言うのなら、電も楽しめる。人間不信はどうしても払拭出来ていないものの、深雪と一緒ならきっと大丈夫。そう信じて。
「それじゃあ、入港は今日の夕方頃。軍港で自由に過ごせるのはその翌日丸一日よ。それまではいつも通りでお願いね」
これで話はおしまい。今日という1日が始まる。ギリギリまでトレーニングをして、当日に挑むこととなる。
話が終わって解散となるのだが、伊26と潜水新棲姫だけはその場に残っていた。伊豆提督と翌日のことを相談するためである。
「この子は流石に軍港に降りることは出来ないかなって思ってるの」
伊26としては、潜水新棲姫にもいい人間の存在を知ってもらい、世界の楽しさをその目で見てもらいたいという気持ちはある。
しかし、その場所には潜水新棲姫が恐怖を感じる存在しかいない。特に怖がる人間の男性なんて、360度全てに存在すると言っても過言ではないだろう。いくら伊26がついていたとしても、その場で騒ぎを起こしてしまうのは間違いない。艤装を持っていないにしても、見た目だけは深海棲艦なのだから、そこから大惨事に発展してしまう可能性もあるのだ。
イリスはどうにか人間社会に溶け込めるようにコーディネートしようかと考えていたものの、精神的な問題は外見ではどうにも出来ない。
「だから、ニムと潜水ちゃんはお留守番ってことでいいかな」
「……仕方ないことかもしれないけれど、本当にいいのかしら」
「大丈夫大丈夫! みんなにお土産いっぱい買ってきてもらうから!」
伊26も潜水新棲姫を置いて何処かに行こうだなんて考えていない。一緒に行くか、一緒に残るかの二択。そして、潜水新棲姫が外に出られないというのなら、自分も外に出ない。懐かれた者──保護者として、それくらいの覚悟はしていた。
潜水新棲姫は伊26の顔を申し訳なさそうに見ていたが、伊26は大丈夫だからねと頭を撫でるのみ。
「潜水ちゃんに見てもらうというのも酷だものね。うん、わかったわ。でも、ニムちゃんと潜水ちゃんだけここに残るってことは無いようにするから安心してちょうだい。少なくともアタシかイリスはいるんだから、頼ってちょうだいね」
「いいの?」
「いいのいいの、遠慮しないでちょうだい。アタシはマークちゃんと調査の話がどうしても出てくるけど、いざという時はおおわしにも行けるようにしておくわ。あちらはあちらで留守番の子が出てくると思うしね」
うみどりを空っぽにすることはあり得ない。そのため、基本的には伊豆提督かイリスが残ることになっている。今回の場合は調査に出向くこともあるため、イリスがうみどりの管理のために留守番となるだろう。
伊26と潜水新棲姫は基本的にはイリスとまったり過ごすことになるだろう。そして、気晴らしがしたいならばおおわしにも入れるように取り繕ってくれる。その際に一瞬でもうみどりから出なくてはいけなくなるので、潜水新棲姫には重荷になるかもしれないが、伊26と一緒なら大丈夫だと考えた。人がいないタイミングなどを見計らう必要はあるとは思われるが。
「だとしても、その子には
「うんうん、ニムはいいと思う! 潜水ちゃんはどうかな? どんな服でも似合いそうなくらい可愛いから、ニムとしては見てみたいなって思う!」
おめかしの意味がわかっているかは何とも言えないが、伊26が乗り気なところを見て、自分に害が無いことだと思ったか、小さく笑みを浮かべて首を縦に振った。
そうすることで、うみどりのデッキに上がったりした際に軍港の住人に見られたとしても、深海棲艦がそこにいるだなんて思われないように出来るはずだ。
色白なのは仕方ないとしても、服装を替えるだけでもかなり印象が変わるはずだ。髪も染められれば最高だろうが、流石にそこまで強いることはしない。
「それじゃあ、明日はそんな感じでお願いね。何かあったら何でも言ってちょうだいね」
「うん、何でも言わせてね!」
潜水新棲姫の方針も決定した。留守番というのは残念ではあるのだが、今外に出るのはどうしても難しいため、こうなってしまうのは仕方ないことだった。
軍港に到着するまで、半日と少し。その裏側を知ることになるかは、今はまだわからない。
色白はもう仕方ないけど、顔以外の肌をなるべく見せないようにして、髪を白から別の色……例えば茶髪あたりに染めてしまえば、それはもう深海棲艦とは見えなくなるでしょう。あと、あんまり黒一色にするとまずいから、多少はカラフルに。