目を覚ました足柄は、夕立との戦いによって、これまでの行いが平和に何も繋がっていないことに気付き、その矛盾から深く反省するに至っていた。そして、これまでやってきたことは話せばみんなわかってくれると信じていたこともあり、どう話せば納得出来るのかを速吸に問うた。
だが、速吸から返ってきた言葉は、最もあってはならない言葉。『見て見ぬふり』という足柄のブロックワードである。
「見て、見ぬ……なん、で……私は、私は……」
その言葉がトリガーとなり、足柄の脳内では、命を落とした時のことが走馬灯のように一気に流れた。
足柄は元婦警であり、軽犯罪の取り締まりをしていた正義感の強い女性だったのだが、それがきっかけとなり、チンピラに目をつけられ、殺されるに至った。
その際に、市民に助けを求めたが、自分に害が及ぶことを拒む市民達は、まさにブロックワードである『見て見ぬふり』をした。
最後は誰の目にもつかないところで滅茶苦茶にして殺された。誰の目にも届かない場所で。最初に見て見ぬふりをされていなければ、死ぬこともなかったかもしれない。しかし、現実はこれである。
その時の痛みが、苦しみが、怒りが、封じていた記憶を解放されたことによって一気に溢れ出す。
「テメェ……ふざけるなよクソアマが!」
そのブロックワードのことを知っている昼目提督は、速吸を睨みつける。だが、何も悪びれることもなく、鼻で笑う速吸。明らかに故意に仲間を暴走させようとしているのにこの態度。鳥海も速吸には怒りを通り越して呆れてしまっていた。
「足柄、しっかりしろ! 自分を見失うんじゃねぇ!」
「私は、私は、助けてって言ったのに! 私はぁ!」
もう、足柄には目の前の光景が見えていなかった。あの時の、
助けを呼んでも誰も手を貸してくれない。チンピラを怖がって、自分が矛先にならないように、見て見ぬふりをして。助けてと叫んでも、誰も目を向けてくれない。薄情な人間達を思い出して、ますます怒りが増した。
あの時も抵抗した。しかし、複数の男に女の力では敵わなかった。ひたすらに蹂躙された。それでも、謝ることなどせずに、そのまま殺された。屈したくないから、痛かろうが辛かろうが、その心だけはチンピラ達の思い通りになりたくなかったから。
「っあああっ!」
足柄は片腕で凄まじい力を発揮し、昼目提督を殴りつける。艤装も今は装備していない。それなのに、艤装を装備した艦娘と同じか、それ以上の力で振り回された拳を、昼目提督は咄嗟にガードした。
昼目提督は伊豆提督ではないにしろ、かなり頑丈だ。それだけ身体を鍛え、表だけではなく裏でも動く調査隊のトップとして、艦娘にも引けを取らない力を以て、海の平和のためにその力を振るっている。
だが、そうであっても、その一撃はかなり厳しいモノだった。骨までは傷ついていないが、痛みはかなり酷い。もう一度同じ場所で受けたら、間違いなく折れる。何度もその攻撃を受けるわけにはいかない。
足柄の瞳は、光を映していない。虚ろな目で、感情のままに暴れるだけ。それはもう、獣と言ってもいい。
「ああっ、あああっ、何で、何で誰も助けてくれないのよ! 私はっ、街の平和のためにぃ!」
「クソがっ、アイツ何も見えてねぇ……ぶっ壊しやがったな!」
足柄は止まらない。昼目提督のことが、自分を殺したチンピラにしか見えていない。目の前の光景が、あの路地裏にしか見えていない。抵抗する、ただ抵抗する。怒りと憎しみが溢れ出し、それしか考えられなくなり、死因に対抗して叩き壊すことしか考えられない。
本当ならその時にそんなことは考えていなかったかもしれない。だがやはり、死んで蘇ったことで、そういうところは壊れてしまっている。理性が無くなり、リミッターも外れる。
「わかってたのにっ、わかってたのにみんな無視して! 私が、私が連れて行かれるのも無視してぇ! なんで、なんでぇ!」
「落ち着け足柄! テメェをどうこうする奴ぁここにはいねぇよ!」
「わたしがやります!」
暴れる足柄を押さえつけるために、速吸に構っていた鳥海が動く。こちらは艤装も装備しているため、凄まじい腕力で殴られたとしても、生身の人間である昼目提督よりは耐久力があるだろう。
拳を受け止め、すぐに取り押さえようとするのだが、腕を止めれば脚が出る。こちらもまた凄まじく、むしろ拳よりも威力がある。
「っく……でも、それだけではやられませんよ。ただ殴る蹴るだけで、この鳥海は屈するわけがありません」
ただし、足柄も艤装を装備していない、いわば生身みたいなモノだ。あまり強く攻撃すると、艤装のパワーアシストによって強くなった膂力で、足柄自身を破壊してしまいかねない。
ただでさえ片腕がない足柄を、これ以上痛めつけるのは気が引ける。そうしなくては止められないというのはあるかもしれないが、それでもだ。せっかく本当の平和とは何かを考えることが出来たというのに、明確な悪意によってそれを壊されそうになっているのは、見ていて苦しい。
これが悪意のままに暴れているなら、命を奪うまでしていただろう。しかし、足柄はもう違う。
「必ず止めますから!」
足柄の凶悪な蹴りも、鳥海は必死に受ける。それを喰らうのが辛いのではない。殺さずに制圧することが難しいのだ。
反撃にも力が入らない。入れたら足柄が壊れかねない。いや──
だが、今の足柄は自分の身体の痛みすら見えていない。身体が壊れても関係なしに暴れ回るだけ。目の前の全てを破壊するために。今は鳥海が目の前から離れないおかげで集中させることが出来ているが、そこが破られたら、完全に壊れるまで暴れ回るのみとなるだろう。
「この……っ」
「ふざけるな! ふざけるな! 悪いことを悪いと言ってっ、なんで私がこんな目に遭わないと行けないのよ!」
足柄のその叫びは、あまりにも悲痛だった。街で悪さをする者を、世界のルールで取り締まろうとしているのに、その者達の悪意ある我儘によって陵辱されるだなんて間違っている。足柄の訴えは、間違ってはいない。
だからこそ、ネジが外れた時に、悪意なき我儘を振り回して、自分の考えていることを押し付けていたとも言える。なんたる皮肉。嫌悪すべき行動を、まさに行なっていたと言ってもいい。
「おいクソアマ、テメェが落とし前つけろや!」
「何を言ってるんです。きっかけを作ったのはそちらですよ」
「行動を起こしたのはテメェだろうが! テメェはテメェで考えてテメェのクソみたいな自制心の無さのせいでこれを引き起こしてんだよ!」
暴走する足柄を見ても、速吸は素知らぬ顔。自分がやったのに、それすらも自分ではない、昼目提督達のせいだと言い張る。あまりの図々しさに、昼目提督は完全にキレていた。だが、そうしたところで速吸は変わらない。
「みぃむさん、そのままでは危ないですよ。そうしていたら、『自殺』する羽目になるかもしれませんよ」
ここでさらに邪悪な一言。心神喪失状態だった伊36に対して、何気なくかけた言葉は、さも当然のようにブロックワードが含まれていた。
「自さ……つ……やだ、やだやだやだ、みぃむはもう、あんな、あんな惨めな、あんなふざけたことで、死ぬの、嫌だぁ!?」
そして、暴走を引き起こす。
伊36のブラックワードは『自殺』。伊36の死因がまさにそれ。普通の学生だった彼女は、ふとしたきっかけで苛烈なイジメの対象になって、自ら死を選んだ過去がある。反撃をしようとしても敵わず、余計に苦しめられ、生きているのが嫌になった。
その怒りと憎しみが、ブロックワードによって増幅され、周囲にひたすら怨念を振り撒くだけの存在と化す。
「全部、全部壊して、壊してっ、ああああっ!?」
「このっ、クソ野郎が……!」
伊36の視線に入ったのは、やはり昼目提督である。目の前のモノを壊さなくては自分が危ないと考えている伊36は、リミッターを外して昼目提督に襲いかかる。
足柄よりは小柄であっても、足柄とは違い五体満足である。隙も何もなく、ひたすら目の前を破壊するだけに暴れ続ける。
「クソがぁ!」
伊36を止めるために昼目提督も必死だ。深海棲艦並みのパワーを艤装無しで発揮され、男の力を以てしても、生身の人間ではかなり厳しい。
「いい気味ですよ。人様の平和を邪魔するからこうなるんです」
「何を言ってるんでっすー?」
ほくそ笑む速吸の隣には、第四号海防艦が立っていた。珍しく、真顔で。
第四号だけではない。第二十二号も、第三十号も、一緒に速吸を囲んでいた。逃げられないが、逃げ出さないように。
「自分でやっておいていい気味とか、よく言えたもんでっす」
「ホントホント。くっそダサいよねー」
「カッコ悪い、です」
子供からの集中砲火を受けても、速吸は素知らぬ顔。自分が正しいとしか考えていない。それを、達観した子供が大人のような視線で見つめている。何とも無様な光景なのだが、速吸は気付いていない。
おおわしでの戦いは、非常に見ていても残念なモノとなりつつある。しかし、これを乗り越えて、被害者が報われる終わりへと向かいたい。