潜水艇を守る深雪達は、明らかに艦載機の動きが鈍くなったのがわかった。先行した仲間達が、この艦載機の使い手をどうにかしたのだろうと察する。まだ動いている辺り、完全に始末したわけではないのだろう。だが、煙幕やスキャンプの『スクリュー』でガードしなくても蹴散らせるくらいには攻撃が明確に緩くなっている。
これは艦載機の本体が心ここに在らずな状態になっているのではないかと察することが出来る。違うことを考えているから、やりたいことがまともに出来ていない。複数のことを同時にやることは出来ないということに他ならない。
「止めてくれてんのか……!」
「今なら前に進めるのです!」
この機を逃すわけにはいかないと、深雪と電は潜水艇の前を陣取り、その進行を確実なモノとする。
「スキャンプ、後ろから何か来ないか見ていてくれ!」
「無ぇと思うけど、あのクソ共は何をしてくるかわからねぇからな。テメェもヘマすんじゃねぇぞ!」
前に特異点2人、後ろにスキャンプとつけば、死角はおおよそ潰せる。前と後ろだけではなく、上と下もちゃんと見て、万が一の不意打ちが無いかを確認。
今でこそ艦載機がふわついているが、急にまた気持ちが入る可能性もある。そうなってもらったら困るため、警戒は厳に。
「今なら煙幕だけでも止められるな。スキャンプの『スクリュー』でも押し流せてる」
「なのです。まずは前に前に」
「おう、進まないと話にならねぇ」
潜水艇を拠点にまで持っていかねば、先には続かない。海中で手をこまねいては、勝ちも負けもないのだ。むしろ、負けが強くなる。
潜水艇が動き始めたことは、伊203も察していた。自分が五十鈴を止め、黒の特異点組が瑞鶴を翻弄したことで、止めるモノが無くなったと。
「貴女からの話は聞くつもりはない。でも、こちらからは提案がある」
「んな、自分勝手な……っ」
「これまで勝手なことしか言わなかった貴女には最大限の譲歩。提案というか、従ってもらわないと困る」
手に入れた曲解『リミッター』により、身体が壊れるほどの出力を発揮しても、無意識なセーブすら取り払っても、一切の支障が出なくなった伊203は、その圧倒的な力で五十鈴を攻撃しながらも、ほんの少しの情で1つの案を出す。
命懸けの力で無理矢理強力な力を得た五十鈴には、全く余裕がなくなっており、提案されたとしてもまともに聞いていられない。どれだけ攻撃してもびくともしない、砲撃や魚雷に至っては使わせてももらえない。そんな相手が出してくる案なんて、間違いなく自分に不利なこと。
「素直にそこを退いて。私達の道を塞がないで」
単純明快、潜水艇を止めるな、邪魔だから退けと言う。五十鈴はこれを、なめられていると感じるだろう。だが、それだけの力の差があるのも理解していた。
自分が命を懸けても、まるで届かない。最初からここまで差があった。
伊203が曲解を手に入れていなければこうもならなかっただろう。互角に戦えていただろうし、上手くいけばまた重傷を負わせるまで行っていたかもしれない。漣のように、相討ち覚悟であればまだ。
しかし、伊203とて学んでいる。全力が出せなければ手痛い反撃を喰らう、2人組ませたら自分でも隙は作られる。自分の身体を大切にしているうちは、命を張ってくる相手に後れを取る可能性もある。それを漣との戦いで嫌というほど理解させられた。
だからこそ、特機を所望した。確実な勝利のためには手を抜かない。相手を救わねばならない状況であっても、徹底的にやる。同格の力を持たれた場合、始末以外の選択肢が無くなるのだから。
「そんな言い分、聞けるわけないでしょ!」
「そう言うのはわかる。でも、もうそういう状況じゃない」
「なめてるわけ!?」
「そう取れるということは、貴女も私のことをなめていたということ。下に見ていた相手から反撃されて、勝ち目が無くなって、情けまでかけられて、実力差を思い知ったから、そんなことしか言えなくなってる。もっと考えて。今を。トロトロされると、私も気分が悪い」
伊203からしたら最大限の譲歩だ。速さを重視するなら、そんなことを聞くこともなく始末している。何せ、命を奪うのが最も早いのだ。
リミッターを外して全力で戦うことが出来るからこそ手加減が出来る。手加減をするというのは、戦いをズルズル先延ばしにしているだけ。速さ至上主義の伊203にとっては苦痛でしかない。
それでも、命は奪わない。これまでに何人も始末してきたが、この眼前の敵はそれを控えている。一度死を体験している者に、ハメられている可能性が非常に高い敵に、再びの死を与えるのは気が引けるというのもある。
これが自分から従っている速吸などだったら、おそらく何も言わずにやっている。問答も無く、迷いもなく、全て捥ぎ取っているだろう。
「この……ふざけないで! 五十鈴達の平和をぶち壊そうとして、何よその言い分は!」
「……何もわからなくされてる? 疑問に思わないように? ネジが外れてるなら、締め直してあげる。ちょっと、痛いよ」
伊203のちょっとがどの程度のちょっとなのかは理解が出来ない。100%の力を出しつつも、伊203が明確に加減をしているのがわかったのは、すぐのことだった。
五十鈴の目には、何も映らなかった。知らぬ間に、海底に叩き落とされていた。痛みは後からやってくるほどだった。
「え……?」
「何も知らないで懸けた命なんて、向きも定まっていないからただのモヤ。最たる目的も無い、先も見えていない平和のためだなんて、拳も、意志も、覚悟も、何もかもが軽い」
ガンガンと痛む頭。あの一瞬で近付き、壊さない程度の力で、しかしその場に止まっていられないくらいの絶妙な力で、ただ強くぶん殴った。それがまるで見えなかった。
「未来を見ているのに、具体的な構想がない。未来しか見てないから、今がまるで見えていない。
海底から見上げた時点で、もう伊203が眼前にいた。そして、二度目の殴打。今度はガードが間に合うが、あまりにも重すぎる一撃に、全身が悲鳴をあげる。折れないギリギリでやられたが、食い止めた腕も、衝撃を支える脚も、それを繋げる胴も、全てが断裂したかのような痛み。
「私達も、未来を完全に見ているわけじゃない。未来は変わるモノ。だから、より良い未来にするために、今を良くする。ただそれだけ」
「先を見ていない奴に、とやかく言われる筋合いは」
「今を見ていない奴に、とやかく言われる筋合いはない」
三度目の殴打は、より激しかった。拳ではなく、脚で放たれた。二度目の数倍の威力は、五十鈴の身体を壊すには充分すぎた。ミシリと、全身にヒビが入ったかのようだった。
「っぎ……!?」
「自己修復あるでしょ。治るまで、そこで待ってて」
五十鈴の持つ兵装という兵装を破壊して、本当に何も出来なくする。主砲は拳では使い物にならなくし、魚雷発射管は無理矢理引き剥がして反応しなくした。機銃も握り潰すし、電探らしきモノも確実に壊す。
今の五十鈴は、艤装の基部があるだけの棒立ち。軽すぎる覚悟を象徴するような、戦場にいる意味のない丸腰状態。
相手が悪かった。うみどりにいる超人の中で、最も容赦の無い者の相手は、いくら命を懸けたところで、その背中に手が届くことすらなかった。
覚悟の差は歴然。伊203の持つ辛く苦しい過去から生まれた、他者を救うために速さを求めた覚悟の前には、ろくに具体例が挙げられないぼやけた平和への道を求める思いは、遠く及ばないモノだった。
「何よ、それ……」
ここまでされて、五十鈴は思い出す。丁型海防艦との問答で、自分の傲慢さに気付いたあの時の感情を。それでも止まるわけにはいかないと力を振り絞っていた時の思いを。
矛盾に気付いていた時の思考が、戻ってきた。伊203からの度重なる攻撃で、戦えなくなって、身体も動かなくなって、ただ考えるしか出来なくなったことで、再洗脳が薄れた。ネジを締め直された。
「……どんな覚悟で、戦っていたの……?」
わからなくなった。自分の覚悟が軽いモノであると突きつけられ、それを思い知らされたことで、覚悟が完全にブレた。そして、ブレる程度の覚悟だったのだと思い知った。
平和とは何ぞや。伊203に夢現と言われ、今だけ真剣に考えた。明確な平和のビジョンがあるのか。考えて、考えて、それに気付いた。
何も無い。
目指す先には、何も無い。
ぼんやりとした平和、罪のない世界という、淡く具体性のない未来。それを目指して命まで投げ出した。それがいい、それが最善だと、本気で思ったから。
何故それでいいと思えた。それが、何も無い。それでいいと思えたからという、空っぽな堂々巡り。
「五十鈴には、覚悟が、思いが、何も無い……」
自覚した。してしまった。真面目だからこそ、心が折れた。何も出来なくなって初めて、自らの力でそこに辿り着いた。答えが見つからないから、答えに繋がった。何も無いという答えに。
その時、伊203と五十鈴の上を、潜水艇が駆け抜ける。塞いでいた、塞ごうとしていた道は、今まさに開放されていた。