出洲からはもう妨害は受けない。脅威度判定が誰よりも高い神風に構うしか無くなったのだから。
煙幕の心配もしなくてよくなった。子日によって換気扇は止められ、再びオンにされないように破壊されたから。
だから、深雪はそこに立てる。小柄の亡骸──今の状況を許すことの出来ない、形相を浮かべた生首の前に。
「待たせたな、クソガキ。お前の母ちゃんが、お前を救ってほしいって言ってたからな。ちゃんと、お前も眠らせてやる」
深雪はそっとその近くに膝をつき、生首に触れる。まずはせめて、その表情を変えてやる。目を瞑らせ、口を閉じさせ、眠っているような表情にするために。
だが、それは叶わなかった。強く、強く憎しみを抱き、固まった表情は、そう簡単には崩せない。歯を食いしばり、痛みに耐えるようにしている姿は、痛々しさまで感じる。
「……そりゃあそうだよな。お前には、これしかないようにされていたんだ。それを奪われちまったら、そんな顔にもなる」
表情を変えるのは今ではない。そう考えた深雪は、すぐにやり方を変える。優しく生首を持ち上げると、その手から煙幕を溢れさせる。中柄にも施した、もう解放されていい、安らかに眠れという優しい願い。
「でもな、もういいんだ。ガキなのに縛られて、やらなくてもいいことをやらされて、罪ばっかりおっ被って。そんなことは、もういい。穢れなんて垂れ流す必要は無ぇよ」
アレだけの傍若無人っぷりを見せていた小柄にも、それなりに事情があることは理解している。死の記憶を乗り越えることが出来ず、この世界をゲームだと思わなければ壊れてしまうこと。思ったことで別方向に歪み、他者の命すらも平気で捨てるようなモノになってしまったこと。その全てが、同情は出来ないし仕方ないと割り切ることも出来ないが、そうされたのだと理解は出来る。
『ユルサナイ』
やはり聞こえる、小柄の怨嗟の声。しかしそれら、中柄のような他者のための憎しみではない。自分のことのみを考えている、自分を殺したことに対しての憎しみ。
当然、母を目の前で殺されたことも憎んでいる。中柄はむしろそちらがメインであった。自分を殺されたことより、息子が殺されたことに対して憎しみを溢れさせていた。だが、小柄は違う。
「許せなんて言わねぇよ」
中柄の時と同じように返す。殺されて許せる者なんているわけがない。それに、殺した側から許せだなんて口が裂けても言えない。
この子供は殺されて当然だったわけではない。殺さなければ全員殺されていたから、そうしなければ止められなかったからだ。話し合いの場にも立とうとせずに、自分は勇者だからという妄言で、殺すことを正当化していたのだから、こうでもしないと終わらない。
『ユルサナイ』
「でも、お前はもう終わった。あたしが言えたことじゃあないかもしれないけどな、お前の物語は、ここで幕を閉じるんだ」
深雪にはゲームのことはよくわからない。だから、自分でもわかるような言葉で語りかける。それを理解してもらえるかはわからないが、伝わってほしいと願って。
「お前はよく頑張ったよ。父ちゃんと母ちゃんが目指してた平和を手に入れるために、お前も真っ直ぐ前向きに突き進んできたんだろ。やってたことは褒められないだろうけど、長いこと頑張ってきたんだよな」
生首を持ち上げるのではなく、抱えるように持ち直す。たとえそれが敵であっても、雑に扱うことはしない。こちらをいくら恨んでいても、こちらを雑に扱おうとしても、深雪は後始末屋として、その命に敬意を表する。
抱えたことで、煙幕の浸透がさらに深くなった。溢れているだけでなく、包み込むように。強張っていた表情が、僅かにだが緩んだようにも思えた。
「死んでも死にきれないと思えるのはわかってる。でもな、もうそこまでしなくていいんだ。お前の母ちゃんが、そう願ってる。苦しみながら世界に穢れを振り撒く必要なんて無ぇ。ゆっくりと眠れ」
中柄の願いを背に、息子が解放されることを心の底から願った、母の優しさを煙幕に込めて、より一層強く深く包み込む。
深雪や後始末屋の願いだけならば、小柄の憎しみの解放は難しかっただろう。いや、無理だったと言っても過言では無い。魔王に同情される勇者なんて屈辱でしかないから。
だが、母の願いが加わったら話が変わる。中柄の、紫亜の願いは、命を失い最後の魂となり、本能のままに優しい願いを特異点に込めたことで、小柄の魂に直接伝わる。
『ユルサ、ナイ……』
変化した。憎しみが揺らいだ。死の痛みを癒やされ、ただ母に抱かれているような温もりを感じるようになった。
深雪の煙幕に、母の願いが含まれていることから、そして深雪が生首を抱きかかえるようにしたことから、今の小柄の魂は、母の温もりに包まれているかのような安心感を得られた。
『ママ……ママ……』
憎しみを込めていた声が、母を追い求めるような声に変わる。そこもまた歪められていた小柄は、生きて戦っていた時は、母すらも利用するような考え方になっていたが、今はもうそれからも解放されている。
深雪の浄化は、小柄から穢れを失わせていく。歪みを無くしていく。出洲に縛られた駒ではなく、久しぶりにただの子供としての小柄、明日太へと昇華していく。
「お前の母ちゃんは、そこにいるぜ」
深雪の粋な計らい。煙幕を注ぐことで、その幻が見えるようになっていた。実際、煙幕の中にその姿が見えたのだから、この煙幕には今だけ
だから、そこに母がいるような思えた。憎しみの中、囚われたままの魂は、ここで母の魂と再会する。
『ママ……!』
生首の表情が柔らかくなった。深雪はそれを見逃さず、優しく、優しく目を閉じさせてやる。口も整えてやり、必死の形相は今、疲れ果てて眠りにつく優しい表情へと変化した。
こうして見れば、あどけない子供の顔。こんな子供にすら戦わせ、あまつさえ命まで注がせるようなやり方を肯定するような元凶に振り回され続けていたのだと、深雪は初めて同情の念を覚えた。
「お前は歪まされただけだ。この世界はそう簡単なモンじゃねぇよ。でも、あたし達は、お前のことをもう痛めつけるようなことはない。もう、ゆっくりと休めよ。母ちゃんと一緒に」
母の温もりを借りながら、深雪はその頭をゆっくりと撫でた。それがいいことなのかはわからなかったが、紫亜の魂がそうしてほしいと伝えてきたように思い、そうした。
『ア、アア……』
怒りと憎しみが浄化されていく。ただの子供に戻っていく。死してなお利用されていたその魂は、今ここに解放されていく。
『……ネムイヨ……』
「頑張ってきたからな。だから、ゆっくりと、ゆっくりと、眠れ」
穢れも呪いも何もかも消え去り、ただの子供に戻った小柄は、最後に深雪に残っていた疑問を投げかける。
『ボクハ……マチガッテタ、ノ……?』
深雪は即答する。
「ああ、間違ってた。でも、そうせざるを得ない状況にされてた。だから、全部お前が悪いわけじゃあない。だからあたしは、そこまで強くお前を責めない、死んでからも殴られるなんて嫌だろ」
そのやり方は間違っていた。しかし、そのように仕向けたのは、小柄ではなくその親だ。だから、この子供を責め続けるなんてことはしない。
「だから、お前はこれまでのことが間違ってたって気付けただけでいい。それに気付いてもらえたなら、あたし達もまだ、お前のことを許せるってもんだ。反省する時間なんてないけどな」
小さく微笑む深雪。すると、沸き立つ煙幕の中に、小さな子供の姿が浮かび上がった。本来の小柄──出洲 明日太の姿が。歪みが無くなり、カテゴリーKという楔からも解き放たれ、ようやくその姿を取り戻した。
『ゴメンナサイ』
そして、初めて謝った。自分のやってきたことが良くないことだったと、ここで認めたのだ。ゲームの世界に囚われていた小柄は、今ここで本当に解放された。母の願いは成就した。
「ああ、それが出来たなら上出来だ。じゃあな、ゆっくり休めよ」
煙幕がふわりと揺れ、その姿は掻き消える。その最後に、縛られ続けていた母と子が、魂で再会しているようにも見えた。
深雪の手には、母と子、どちらの血も付着していた。だが、その光景が消えると、その手の血は元から無かったかのように消えた。
「……可哀想な奴らだよ。結局、全部利用されてきただけだ。でも、これで終わりだ」
穢れを失った小柄の首は、この戦いが終わったらちゃんと弔おうと、なるべく傷つかないところに置かれる。中柄の亡骸のように動かすことも難しいわけではないなら、今はそうするしかない。
本当に子供のように眠る顔は、完全に解放されていると思わせる。深雪にはそれで充分だった。
これにより、穢れの問題も全て解決する。残すところ、出洲のみ。