夜の襲撃と防衛戦を終わらせた翌日の朝。ここでようやく全員の入渠が完了し、艦娘の中で消耗している者はいなくなった。
深雪も例に漏れず、この時点で疲れは無くなり、全身に負っていた傷は全て完治。入渠ドックの凄まじさを身を以て知ることとなった。
重傷な者から先にドックに入れられて、次々と入れ替わり立ち替わりで治療されていったものの、深雪はかなり早い段階から入ったにもかかわらず、目を覚ましたのは一番最後だった。治療が終わったら自室へと戻されるのだが、ドックが開いたら目を覚ます者が多い中、深雪はそれでも全く目を覚ます気配が無かったのだ。
怪我の度合いから言えば、治療に一番時間がかかったのは長門、その次に妙高といった具合なのだが、そこから目が覚めるまでに費やす時間は
深雪はあの時、特異点としての力を発揮したことで、本人に自覚なく大きな消耗をしていたようだった。煙幕の煙が港全体を包み込むほどになったので、それも原因ではないかと考えられる。妖精さんも首を傾げるほど。
「すげぇ、全然痛くねぇ」
自室で目を覚ました深雪は、身体をグリグリと動かした。かなり激しく動かしているのだが、傷を負ったことによる痛みは何処にもなかった。艦載機が食い込んだことによって間違いなく折れていたであろう骨も、血反吐を吐くほどにダメージを受けた内臓も、それこそ戦闘前、悩んでいた時よりも爽快。
「深雪ちゃん、大丈夫なのです!?」
そんな深雪の部屋に、電がノックもせずに飛び込んだ。流石にこんな時に添い寝とかは考えられず、電は自室で休んでいたのだが、朝になっても深雪が目を覚ます気配が無かったので、今か今かと待ち構えていたようだった。
「ああ、電。大丈夫だぜ、ほら!」
「良かったのです……このまま目を覚まさなかったらどうしようかと……」
元気にガッツポーズを見せる深雪を見て、ボロボロ涙を流す電。悲しいのではなく嬉しい涙であるため、深雪は苦笑しながら頭を撫でる。
「あたしは簡単にはくたばらねぇよ。電を置いてだなんて尚更だ。せっかくヒトのカタチでいるんだから、もっと楽しまないとな」
「はい、はい、一緒にいるのです……!」
少しすれば電も泣き止み、深雪の無事を改めて喜んだ。
そして、そんな2人の仲を見ながらも、いつも通りの皮肉たっぷりな笑顔で扉の向こうにいた時雨。
「目は覚めたかい。昨日はいろいろあったけど」
「おう、ピンピンしてるぜ。ドックってすげぇって実感してたところだ」
「それは良かった。何度も世話にはなりたくないけどね」
「違いねぇや」
時雨自身も多少は戦闘に参加していたため、疲労は見せていた。だが、一晩の休息でそれも全て無くなったようである。入渠せずとも疲労が取れたほどなので、ダメージも無かったようだ。
「ハルカちゃんはどうした」
「彼はまだ眠っているらしいよ。本来なら今日出港の予定だったけど、提督がそんな状態だから流石に取りやめで、今日1日も休みに当てるらしい。イリスがそう決めたってさ」
こればっかりは仕方ないこと。伊豆提督がそんな状態で出港というのは流石に考えられない。これはイリスの指示もあるが、うみどり所属の者達──妖精さんも含めた全員の総意である。深雪だってもう少し休んでくれと思えるほど。
そもそも今の時間が朝というには少々遅い時間。日も大分高くまで昇っている。生活のリズムが完璧である伊豆提督が今でも眠っているということ自体、消耗が激しかったという証明である。ならば、ゆっくりと休ませてあげたいというのが仲間達の心情。
「あたし達はドックでどうとでもなるけど、ハルカちゃんはそうもいかないんだよな……」
「でも彼は半分は艦娘なんだろう。どうにかならないものなのかな」
「ならないから今寝てんだろうな……心配だぜ」
戦闘中に知ることとなった伊豆提督の秘密。強靭な身体や戦闘力は艦娘由来のものであることが、出洲によって判明している。
半分が艦娘というのならば、深雪達と同じようにドックでどうにかならないものかと思うものの、今も人間と同じように眠っているということは、そういうことも出来ないのだろう。膂力や耐久性は艦娘であっても、それ以外は全て人間。そう考えるのが妥当。
「まぁまずは君もみんなの前に姿を出した方がいい。あの戦場にいた者は、みんな君に感謝してるみたいだからね」
「感謝……って、ああ、あの煙幕か。あたしにもよくわかんねぇんだけどさ」
「止まらないモクモクのおかげで、電達は助かったのです。だから、昨日どうにか出来たのは深雪ちゃんのおかげなのですよ」
時雨だけでなく、電からも言われれば、深雪もそうかと納得するしかない。あの時の深雪にはそんなつもりはなかったとしても、突然発現した制御も出来なかったあの力で仲間が救えたのならば、それはいい力だし嬉しい誤算だ。
とはいえ、あの時は全く制御出来なかったのだから、今やろうと思っても何も出来ないだろう。そもそも、何をどうしたらあんなことになったかも見当がつかない。ただ伊豆提督を死なせたくないと強く願っただけなのだから。
故に、深雪は自分の力が『願いを叶える力』であることに気付いていない。
部屋から出て食堂に入った途端、うみどりの面々から感謝の雨が降り注いだ。深雪がいなかったら、ここにいる誰かが、下手をしたら全員が欠けていたかもしれない。それを全てひっくり返したのが深雪の煙幕だ。
特に感謝の気持ちを見せたのは長門。小柄なカテゴリーKにこっ酷くやられ、まさに死に瀕していたところでのアレ。救いの煙となり、ギリギリのところで入渠も出来た。
「いや、あたしもアレは何が何だか。死なせたくないって思ったらいきなり出てきてさ」
「ふむ……やはり深雪には何か秘められた力があるのだろうな。我々が初めて発見したカテゴリーWなんだ。何かあっても不思議ではない」
「そんなもんなのかな……」
深雪自身、自分の力が半信半疑である。周りから見ても、それが『願いを叶える力』とは紐付かない。あの時の力がどうして発現したかもわからない。
しかし、それが功を奏する。本人がわからずに発現した力なのだから、それに驕ってしまうこともなく、周りの仲間達もそれに頼るようなことはない。どんな効果なのかもわからない力を信用するほど、深雪も仲間達も楽観的ではないのだ。
「とはいえ、あの時に我々を救ってくれたのは紛れもなく深雪だ。感謝している」
「い、いやぁ、それほどでも」
「どうすれば使いこなせるかは今は置いておけばいい。それに、あの発煙装置も今は工廠で解析中だそうだ」
そういえばと深雪は自分の腕を見た。腕時計のように現れた発煙装置も、今は取り外されている。
装備したままドックには入れられないため、外せるものは全て外すというのが基本なのだが、深雪の発煙装置もその例に漏れず普通に外すことが出来たようだ。
「まぁまずは腹拵えだ。深雪も今まで眠っていたなら腹くらい減っているだろう?」
「あ、そういえば」
指摘されるまで意識していなかったが、痛みと疲れは完璧に無くなっていても、空腹から免れることが出来るかと言えばそんなことはない。長門に言われた途端、食堂に響き渡るくらいの音量で腹の虫が鳴いた。
これは食堂の空気をより弛緩させることに繋がり、誰もが表情を柔らかくする。今やもう保護されたカテゴリーYとしてではなくうみどりの一員としてカウントされるようになった平瀬や、ここまであまり表情を変えることのなかった桜も、深雪のそれには笑顔を見せた。
そして、もう1人。
「……って、アンタ何者だ!?」
食堂の輪に溶け込んでいた1人、集積地棲姫。神風達が戻ってきた時には深雪は既に気を失っており、施設から保護されたことなんて知るわけがなかった。
その集積地棲姫は朝のうちにうみどりの面々に紹介されており、実は平瀬とも面識があることが判明。あれよあれよとこのメンバーの中に入ることとなっていた。
ちなみに施設から回収された集積地棲姫の艤装は、深雪の発煙装置と同様に解析中。平瀬の港湾棲姫の艤装や、桜の潜水新棲姫の艤装も同じ。
「わ、私は……その、救ってもらった。元々人間……」
「あ、ああ、平瀬さんと同じってことか。平瀬さんは自分から逃げてきてるけど」
「そう、そう。私は……
平瀬と同じような境遇で深海棲艦にされてしまった女性、手小野。平瀬と少し違うのは、軍の関係者とかではなく、廃棄物回収業者の従業員として就職したことによって実験台にされたということ。仕事としても事務員であったらしく、そんな危険な研究をしていただなんて知らなかったらしい。
結果として、平瀬と同様に
うみどりに運ばれたことで一応検査もされており、平瀬や桜と同じ身体であることは確認済み。イリスの目から見てもカテゴリーYであることは確定しているため、今のうみどりとしては保護対象。勿論、おおわしや軍港都市にも話は通してある。
問題は大本営に対しての話ではあるのだが、これに関しては伊豆提督が目を覚ましてからとなる。ここまで来たら流石に全てを話すようだ。しかし、手小野のことに関してはすぐさま連絡が行っているらしい。
「こ、今回……保護してもらった……。うみどりでお世話に……なります」
「そっか。助かってよかったな。じゃあ、これからよろしくな!」
すんなりと受け入れてもらえたことに、集積地棲姫──手小野は驚きながらもニヘラと笑顔を見せて頭を下げた。ようやく心落ち着く場所に帰ってこれたからか、施設で神風達に保護された時よりも、随分と表情は豊かになっているらしい。
「すぐに救えたのはこの人だけなんだけど、他にもあの瓦礫の向こう側に誰か閉じ込められていたりするかもしれないから、今は大本営の陸の艦娘達が調査に入っているわ」
ここで神風が補足説明。今朝方から施設跡には大本営の艦娘達が調査のために向かっているとのこと。
手小野について既に連絡が行っているのはこれが理由であり、施設で改造されたと証言する元人間の深海棲艦、カテゴリーYがいるという事実を知れば、大本営の調査隊も動き出す。熊野丸と山汐丸が証人となれるのも大きく、信用度は大きく跳ね上がっていた。
ちなみにこの調査には、うみどりからは那珂と秋月が、おおわしから襲撃に参加していた神通、響、白雪の3人が、軍港都市からは川内と暁が参加している。現場にいた者の目は多ければ多い方がいうことで、強制ではなく自主的に参加していた。それもあって、うみどりとおおわしは出港出来ないのだった。
「ともかく、これで一旦戦いは終わりよ。深雪もお疲れ様」
「ああ、お疲れさん」
伊豆提督が目を覚ませば本当にこの戦いは終わり。それも時間の問題だろう。
集積地棲姫の本名、手小野は平瀬の元ネタとしているペルセポネーの兄弟神であるデュオニソースから。名前の葉子はその別名、バッコスから。バッコス、またはバッカスと言えば有名なワインの神様ですね。