伊豆提督が目を覚ましたのは、夕方まで行かなかったくらい。出洲に抉られた肩には包帯が痛々しく巻かれており、血は止まったかもしれないものの動かすのも難しい状態。普通の人間ならば、完治には相当な時間がかかる上に後遺症も残りそうな傷。
深海棲艦との戦争を二度終わらせ、現在三回目をやらざるを得ない状況に陥っている人類は、過去まだ合意を得た状態での艦娘の調査で得た医療技術を持っているため、伊豆提督はそれを駆使して治療はされている。入渠は出来ずとも、ドックの妖精さんの技術を使ってある程度は適切な治療を施すことが出来ていた。
結果として、この傷は考えているよりも相当早く治るという。しばらくは安静にすることは勿論のこと、毎日妖精さんによる治療を続けることでどうにかなるという話ではあるのだが。
余談ではあるが、昼目提督や保前提督も同じように治療を受けているが、伊豆提督と違って全身に怪我があるのと、身体の造りの違いもあるため、伊豆提督よりは長い時間が必要になっている。
「心配をかけちゃってごめんなさいね。まだ痛みも残っているけど、動けないわけじゃないわ」
「現在進行形で心配かけてるわよ。ほら、車椅子にくらい座りなさい」
「もう、参っちゃうわねぇ。今はちょっと肩が上がらないのよ」
「肩の前に脚よ。トロトロ歩かれてる方が不安だわ」
心配するなと言っているものの、明らかに痛みを感じている表情である。血は止まったとしても痛みは無くならない。自分の足で歩いてきているものの、脚もダメージが大きいためあまり速く動けないでいる。イリスが車椅子を持ってくる始末なので、そこは素直に従ってもらいたいと艦娘達は溜息を吐いた。
伊豆提督に強く出られるのはイリスくらいなので、こういう時に艦娘達の気持ちを汲み取ってもらえるのはありがたかった。
「えぇと、まずはみんなお疲れ様。本当によくやってくれたわ。みんなが頑張ってくれたから、ここでの目的は達成出来たと思う」
渋々車椅子に座ると、提督らしくまずは艦娘達を労う。
廃棄物処理業者への襲撃は成功し、軍港都市から敵勢力は失われた。これによって1つの脅威は無くなったことで、軍港都市は改めて憩いの場として使えることとなる。住民達にも危害は無く終われたのもいいことである。
港での戦いは惜敗どころか惨敗。とはいえ、誰も欠けることなくここにいることは評価出来ることだ。負けたとしても、生きていればまだ次がある。勝つために命を懸けるよりは、負けてもいいから生き残った方が次に繋がるのだから。
「今日は……って言ってももうあまり時間はないけど、一日休んでちょうだい。かく言うアタシはみんなより休まなくちゃいけない身体になっちゃったけれど、明日にはまた後始末屋としての仕事に戻れるようにしたいと思っているわ」
この軍港で少し長居したことによって、後始末の仕事も少しずつ溜まってきている。依頼は受け付けていたモノの、元凶との戦いで本来の業務が滞ってしまっていたため、次からは休みなく後始末をしていくことになるだろう。
後始末自体には、怪我人である伊豆提督を駆り出すようなことはない。せいぜい、現場を見て指示を出すくらい。書類業務は今の身体でも出来ると自信満々に言うものの、イリスが完璧なサポートを見せることでどうにかなる程度であろう。
「それじゃあ、短いけど今日はこれで」
「ちょっと待った。他にもまだ話すことがあるんじゃないのかい?」
伊豆提督が言うことを言ったので締めようとした矢先に、時雨が真正面から言葉を放つ。
まともにその話を知っているのは、純粋種である3人。他の者達は自分の戦いに集中しており、さらにはそこで酷い敗北を喫していたので、出洲のその言葉を聞けている者は意外と少ない。そのため、伊豆提督としてもスルーしてもらえるならスルーしてもらいたかった。
しかし、こういう時に空気を読まずに切り込んでくるのが時雨である。人間達への感情を割り切ることが出来たとしても、伊豆提督のことが本当だった場合、
伊豆提督の出生のことを、『違うアプローチの研究』と出洲は話していた。となると、出洲とは違うにしても、艦娘を蔑ろにした研究をされていた可能性がないとは言えない。
「な、なんのことかしらねぇ」
「君はしらばっくれるのが下手くそだね。君が人間と艦娘の間から生まれたという話、詳しく聞かせてもらおうか」
初耳な者もいる中で暴露されたようなもの。知らない者からしたら、伊豆提督の出生の秘密は目を見開いてしまうほどに驚くべきことである。この場でそんなことを言われたらもう後戻りも出来ない。
時雨としても、信用に値する存在ならば隠し事は無しでお願いしたいという気持ちが大きい。せっかく憎しみの方向を1つに固定出来たのに、ここで実は伊豆提督も腹に一物持っているみたいなことがあったら、裏切られたと思ってしまうかもしれない。そうしたら最悪、この場でまた呪いが再発する。
それもあるから、逃げられない場所で真正面からぶつけた。時雨としても、伊豆提督をある程度信用した状態での質問である。
「……はぁ、わかったわ。出来ればこれは墓まで持っていきたかったけれど」
「疚しいことなのかい?」
「そんなことはないわ。でも、余計な混乱を招くでしょう。アタシが
そもそも少々不思議な雰囲気を持つ伊豆提督であったが、それを知ったらいろいろと面倒なことになりかねないと思い、基本的には隠し通していたとのこと。
この真実を知っている者は数限られており、うみどりの身近ならば、瀬石元帥と保前提督、そしてイリスくらいである。あの昼目提督ですら知らない事実。
「もう仕方ないわね。うん、時雨ちゃんの信用を勝ち取るためにも、全部話しましょうか。アタシの出生の秘密を」
小さく溜息を吐きつつ、少しだけ諦めたような笑みを浮かべて、伊豆提督は自分のことを話し始めた。
「まず最初に言っておくけれど、アタシの母は、もうこの世界にはいないわ」
「それはいいカタチでかい? それとも悪いカタチでかい?」
質問をしていくのは時雨。空気の読まなさがこういう時にもいい方向に働いている。
「アナタにとってのいい悪いが何になるかはわからないけど、少なくとも戦いで散ったとか、誰かに殺されたとか、そういうのではないわ。人間と同じように言うなら、そうね、天寿を全うしたと言ってもいいわね」
艦娘には老朽化というわかりやすい加齢の原理がある。伊豆提督の母は、その老朽化により、幸せな最期を迎えたと話す。
この老朽化は正しい整備を続けても艦娘ならば免れることが出来ず、タシュケントが属する秘密組織のボスは整備を受け続けることによって80年も生きているわけだが、それは伊豆提督にとってはとんでもないことだと言えるほどの長命。
伊豆提督の母は、子を成した後に人間として死ぬことを選んだ。それ故に、老朽化による死を天寿を全うしたと言い切ることが出来たらしい。
「アタシの母は、とある機関の研究の成果で、人間との子を成すことが出来るようになった最初で最後の個体なの」
「その研究というのは?」
「提督と艦娘の、
元来、艦娘は子を成すことは出来ない。兵器であるという側面がそこに影響を与えていると同時に、種族の壁は簡単には越えられないという証明。
今の艦娘──カテゴリーCならば、元々が人間であるため、研究など関係無しに子を成すことは可能ではある。しかし、カテゴリーBは言ってしまえば
だとしても、人間と同じように愛する者と子を成して、戦後穏やかに残された時間を過ごしたいと考えた艦娘がいた。それが、伊豆提督の母である。
「研究は言ってしまえばとても簡単。でも犠牲を出さないようにするのはとても難しかった。理論上でも難解だったものを、実現させるのは余計にリスクが高い。それでもやりきったのよ」
「それは艦娘を蔑ろにする研究では無かったわけだ」
「ええ、むしろ尊重した結果よ。それでもアタシを最初で最後の例にして、研究そのものは凍結されているけれど」
この研究がされなくなったのは、単純な話である。出洲達のせいで、艦娘が人間を信用出来なくなったから。そして、その罪を感じた研究員達が、自主的に研究を凍結した。自分達が犯した罪では無くてもだ。
あくまでも艦娘のことを考えて続けてきた研究だ。艦娘が人間を拒んだならば、研究する理由もない。
「アタシはそのあと、両親と過ごすことは出来たのよ。母は人間を見限ることなく、研究機関のみんなが支え合って、最期まで楽しく生きていくことが出来てる。だから、老朽化で天寿を全うした時も、笑いながら逝ったわ」
艦娘達が人間に愛想を尽かした中、その母だけは夫と子供のために何も変わらなかったようだ。外に出ることはままならなかっただろうが、だとしても愛すべき家族と共に最後までこの世界を満喫出来たようなので、それは安心出来た。
「それだけ幸せな生活が出来たなら、何故今まで隠していたんだい」
「余計な混乱を生まないため。出洲みたいな輩がいるとなったら、アタシも間違いなく狙われるでしょ。だから、後始末屋の仕事をスムーズにやっていくためにも、知る者は少ない方が良かったの。実際、今までアタシを狙って行動するような輩はいなかったわ」
特殊な人間というだけで研究したがる者というのは出てくるもの。伊豆提督はこの世界に1人しかいない、人間と艦娘のハーフであるため、知られてしまったらこぞって押し寄せてきそうである。最悪、実力行使まで考えられた。
故に、伊豆提督の武力はある。自らを守るため、万が一自分の存在が知られた時に、周囲の者を守るため、子供の頃から鍛え上げてきていた。
その教育を施したのは、やはり両親である。正義感の強い提督だった父、人類の平和のために戦ってきた母、その2人の混血ともなれば、疑いようのない程に正義のための存在となる。
結果として、今の伊豆提督がある。正義感に溢れ、人のために行動し、他者の罪であっても後始末を進んで行うほどの聖人君子。それを踏み躙られた時は、怒りにより鬼となったが、基本的には物腰柔らかなお
状況は複雑だが、間違いなく幸せにこの世界を過ごしてきたと言えるだろう。世界を恨むこともなく、むしろ生まれたことに感謝するほど。
「あの昼目提督がああなっているのも、その経過の結果かい?」
「まぁ……そうね。ちょっと正義感が溢れすぎちゃって。あの子が束ねてた学生のお馬鹿さん達を1人で壊滅させちゃったのよねぇ。更生したことはいいことなんだけれど、あそこまでになるとは思ってなかったわぁ」
簡単に言うが、やっていることはとんでもないことである。つまり、ヤンキー集団をたった1人でしばき上げ、そのトップであった昼目提督が真面目に調査隊の隊長をやれるほどにまで更生したわけである。
いくら正義感に溢れ、間違ったことが許せない気質の下で育ってきたとしても、少々やり過ぎたと伊豆提督は苦笑。父もその時ばかりは何も言えなかったらしい。
「母が生きていたら何と言っていたでしょうねぇ。よくやったって言うか、何してるんだって言うか」
「その君のお母さんというのは誰なんだい?」
ハッとした顔をする伊豆提督。昔話の間に、自分の母親が誰であるかをずっと話していなかった。艦娘であることはわかるが、どの艦娘であるかは割と重要である。
「ごめんなさいね。なるべく隠す癖があるから、あまり話さないようにしていたわ」
「それ、割と重要なことだと思うんだけれど」
「ええ、そうね。アタシの母は知っての通り艦娘、そして、
勿体ぶる伊豆提督。そして、その名を聞いて、驚く者も少なくはなかった。
「アタシの母は、軽空母鳳翔。第二次深海戦争においての、トップクラスの武勲艦よ」
母という言葉を聞いて、艦娘に結びつけようとすると、自分の中では真っ先に出るヒト。全ての空母の母は、ハルカちゃんの母でもあったのでした。