久しぶりの後始末作業が開始され、各々が持ち場へと向かう。時雨はケースとトングを手に、睦月と梅に連れていかれた。そして深雪と電は、酒匂と共に一度やっている濾過装置での海水の浄化を始めた。
今回の作業、この海水の浄化が非常に重要であり、穢れの流れている方向に関しては、この作業に使う穢れが確認出来る眼鏡によって調査することになっている。
「うわ、確かにおかしな方向に向かってるな」
「なのです。穢れが線を描いてるのは、前には無かったことなのです」
「ってことは、アイツらがここから残骸を引きずって持ってった方向は、この線を辿っていけばわかるってことか」
今この場では、海水の浄化を行なう3人にしかそれがわかっていない状態である。現場から遠く離れていくようならば、途中で追うのを断念して方向だけを示して調査隊に引き継ぐ方向。
ただ、今この現場からどの方向に向かっているかをしっかり知っておくためにも、潜水艦達の力も借りてどういう動きをしているか調べる。
「これ、間違いなく引きずってるよね。戦艦棲姫の艤装だもん。普通に持ち上げるのは結構しんどいし」
酒匂は一度チャレンジしたらしいが、戦艦棲姫の艤装が丸々残っていた場合、ちょっとやそっとでは持ち上げることは出来ない。それくらい重いし大きいのが、厄介極まりない艤装、通称『三連装砲さん』である。
愛らしい渾名とは裏腹に、やってくることは非常識そのもの。戦艦棲姫を守るための強靭な装甲と同時に、艦娘でもなかなか見ない火力を持つ大口径主砲を何本も装備しているため、相手をするのにはかなり苦労する強敵。
そして、後始末屋としては
それが自分から動いてくれるのならいいが、そんなわけが無いのだから、これを運ぶことが出来る長門ですら、1人で持ち上げるのはかなり厳しい。うみどりの中に入れるときくらいは艤装の力も借りてどうにか持ち上げるが、そうでない場合は穢れを散らす覚悟で引きずる。
「3人がかりで持ち上げたこともあるんだよ。しかも、長門さんと加賀さんと妙高さんで」
「うえ、ある意味主力全員ってことか」
「酒匂達だと、力を合わせることすら出来ないかなぁ。引きずるのは出来たけどね」
いくらカテゴリーKでも、三連装砲さんを軽々持ち上げるような者はいないと判断している。その結果が深雪達の前に見えている
まるで、自分の身体はここにあるんだと言わんばかり。侵略者としての最後の意地のようにすら見えた。
「とりあえず、穢れを追いながら海水を綺麗にしていこうね。もう黒くなりすぎてるところは、加賀さん達にやってもらうしかないから、酒匂達はいつも通りにね」
「うす。そうでなくても大分汚くなっちまってるし、まずは綺麗にしなくちゃな」
「なのです。綺麗な海にしていくのですー!」
戦艦棲姫の残骸の行方も重要だが、まずは目の前の脅威。丁寧に浄化しながら、この海域を綺麗にしていくのが仕事である。
基本的にはそちらが最優先。調査は後始末屋の仕事とは離れているのだから、本腰を入れるのはまだまだ先。やるべきことをやってからが本番である。
元々が中規模であり、作業前に発生した戦闘で残骸が増えているとしてもこの規模は少しだけしか大きくなっていないため、作業内容だけで言えばそこまで変化無し。
始まりが夜になり始めたくらいのタイミングであったため、元々予定されていた時間として、一晩かからない程度で予想されていた。日を跨ぐのはもう仕方ない。
ただ、規模はそれくらいでもそこに放置していたという事実があるせいで、汚れが簡単には落とせないくらいにこびりついている。海水そのものを入れ替える浄化をしているとしても、表面上だけでなく少し深いところにまで汚れがカビのように拡がっているため、簡単には終われない。
「放置するってこういうことなんだな……」
思わず深雪が呟いた。見えている場所に濾過装置を使っているのに、以前にやった時よりも長く使わないと海水が綺麗にならない。それだけそこに強く定着してしまっているということに他ならず、それだけ穢れが非常に厄介であるということがわかる。
ただの戦場ならばこんなことにはならない。事が済んだ後の残骸だからこそこうなってしまう。死に至ることで溢れ出る感情が強くなり、それが海を汚染してしまうのだ。それが体液や燃料にすら影響を与え、こんなことになってしまっている。
「効率よくってことが出来ないのです。焦らず騒がず丁寧にやれば、ちゃんと綺麗になってくれるのです」
「だな。面倒臭ぇって手早くやろうとしなきゃ、ちゃんと綺麗になってるもんな」
前回よりも1つの箇所に使う時間は増えてしまっているのだが、それだけやればちゃんと綺麗になるのだから、手を抜くことは許されない。妥協したら、またここに深海棲艦が生まれてしまうのだ。
「でも、この
深雪達の目に見えている穢れの道は、かなり遠くまで伸びている。それこそ、水平線の向こうまでありそうなため、このまま作業を続けていたら、綺麗にしながらも出洲達の拠点に辿り着けるのではと感じた。
それならそれで、撤退した出洲達を急襲することが出来るだろう。しかし、それには1つ、問題点があった。
ここにいる全員の力を注いで、出洲達を始末出来るかどうか。
軍港での戦いは、完全に敗北したと言っても過言ではない。あの時に深雪の力、謎の発煙装置が発動していなければ、間違いなく伊豆提督は死んでいた。その上で、仲間達も遊ばれていたからこそ命が潰えなかっただけで、出洲以外の2人にも手も足も出なかったのだ。
そんな相手が、今はホームにいるため、軍港の時よりも勝ち目が薄い。勿論うみどり側の戦力も、施設襲撃に向かっていた4人が加わっているため、その時よりは強化されているとは言える。しかし、それでも勝てるかがわからないのが今回の敵だ。
そんな相手の拠点がわかったとしても、完璧な準備をしていかない限り、ただ無駄死にに行くだけではないか。そんな嫌な予感が頭をよぎってしまう。
「まず拠点に繋がってるかどうかは潜水艦の2人に調べてもらうよ。もし拠点が見つかったとして、流石に酒匂達がこのまま乗り込んでも勝てない気がするし」
弱気かもしれないと思いつつも、酒匂は現状を取り繕わず話す。
あの時の敵の強さが最も身に染みているのは、戦場でやられた者達ではない。その者達を救うために奔走した救護隊である。傷ついた者達を命懸けで救う者ほど、敵の脅威がよくわかる。
その隊長である酒匂がそう言うのだから、このまま行っても無理。深雪も出洲の異次元の強さを受けているため、酒匂の断言も頷けてしまう。
「だから、場所だけは知っておこうってことだね」
「なるほどな。もっと作戦を立ててからいかないと、マジでヤバいってことだ」
「ヤバいですまないかも。うみどりが沈められる可能性すらあるよ」
酒匂は難なく言ったが、想像してゾクリとしてしまった。自分が手も足も出なかった相手。あの力でうみどりのような巨大な艦ですらも破壊出来てしまう可能性はある。
艦娘達ならばまだ海上に逃がれることは出来るだろう。しかし、そういう事が出来ない人間達はどうなるか。海に投げ出されて身動きが取れなくなり、救助が遅れたら何も出来ずに命を散らすことになる。
陸ではあれだけの力を発揮した伊豆提督も、海の上では完全に無力。陸でも海でも力を発揮する出洲相手には、その時点で勝ち目がない。
「そんなこと、絶対にさせねぇ。でも、あたし達じゃあまだ何も出来ねぇ」
「なのです……。もっと、もっと強くならないと、戦いにすらならないのです」
「だな。そのためには時間がいるけど……くそ、焦っちゃいけねぇのに焦っちまう」
話しながらも浄化の手は止めない。しかし、今の焦りがその作業にも影響してしまいそうになったため、電からの発案で一度大きく深呼吸をする。
「そういうの考えるのはあたしの仕事じゃねぇや。ハルカちゃんに全部任せる」
「なのです。電達、戦術とかに関しては素人の域にも辿り着けていないのですから」
「そもそも戦術練られるほど戦い方知らねぇ。そりゃあ今ハルカちゃんにいろいろ教えてもらってるけどさ」
未熟であることを自覚しているが故に、拠点が見つかったからと言って猪突猛進に突っ込んでいくことはしない。その時に最善の策を練ることができるであろう伊豆提督の指示を仰ぎ、最も勝率の高い手段を以て出洲達カテゴリーKとの戦いに挑みたい。
「うんうん、それがいいと思うよ。無駄死になんて以ての外、誰も死なないのが一番なんだから」
そんな2人を見て、少しだけ悲しそうな、しかし確固たる意志を持つ瞳を見せた酒匂。
それをチラリと見たことで、深雪は酒匂のことに少しだけ疑問のような興味を持つ。しかし、艦娘となった理由などを聞くのは御法度。酒匂は話しにくい理由でここに立っているかもしれないのだから。
「あたしもそんなカタチで死にたくはねぇな。というかどんなカタチでも死にたくはねぇ。まだまだやりたいことは沢山あるんだ」
「例えば?」
「みんなの趣味を一通りやらせてもらうとか。梅からは本を借りたから読書はしたことあるんだけど、秋月の手芸だっけ、あれはまだやったことないなって。それにほら、みんなハルカちゃんから料理習ってるんだろ。あれもやってみたいな。妙高さんや三隈さんとオセロやったんだけど、あれも面白かった。この世界にはもっと面白い事があるんだって思ったら、やりたいことは多分数えきれねぇよ」
この世界を心の底から楽しんでいる深雪を見ると、酒匂はただそれだけで心が穏やかになるような気分だった。電も深雪のそんな話を聞いていると、笑顔が絶えない。
「そうだね、酒匂も何か深雪ちゃんに教えてあげることが出来ればいいな」
「酒匂さんは何か趣味とか無いのか? この前の軍港都市とかでも、何か買い物に行ったりしていないのか?」
「うーん、酒匂は子日ちゃんみたいなタイプだからなぁ。軍港でも那珂ちゃんと一緒に食べ歩いたりショッピングに行ったりで楽しんでるけど、コレっていうのは無いかもしれない」
うーんと悩むものの、酒匂には趣味と呼べるものがあまり無いらしい。部屋にも気に入った小物とかを置いているくらいだそうだ。
「艦娘になる前から、酒匂はあまり趣味が無かったからなぁ。それに……」
「ん?」
「持ってたもの、
瞳の奥が一層悲しそうな色に染まった気がした。ここで深雪は、失礼を承知で聞くことにした。
「それ、どういう意味なんだ……?」
「あー、えっと……うん、そのままの意味。酒匂はね、自分の住んでたところ……港町だったんだけど、そこが深海棲艦に全部壊されちゃったの。酒匂自体は無傷だったんだけど、家族も友達も、通ってた学校も住んでた家も何もかも全部壊されちゃった」
酒匂はその時の唯一の生き残り。たまたま瓦礫の下の空間に身体がスッポリ嵌まってくれたおかげで、傷ひとつ無く救出されたという超強運の持ち主。しかし、それ以外の街の住民は1人残らず死亡しているという、悲しすぎる過去を持っていた。
「酒匂はね、もう誰も辛い思いをしないように出来ればって思って、艦娘になったんだよ。だから、戦いが好きじゃないんだ。一番辛いこと、知ってるから」
失ったものが大きすぎて、精神的に病んでいるというのもあったらしいが、艦娘となったことでその辺りは緩和されているとも自分で話す。重度の鬱にもなり、自分で動くことすら出来なかった過去。それを振り払ったのは、艦娘酒匂として生まれ変わったからだとも。
艦娘となれたことでその性質に引っ張られるカタチで前向きになっている酒匂は、自分のような人間を作り出さないようにするために、日々戦いを止めるために奮闘する。救護班になったのも、救える命があるならば自らの手で救いたいから。多すぎるくらいに救えなかった命を知っているから。
そういう意味では、伊豆提督の信念に強く賛同しているのは酒匂だと言える。戦いの外で、次の戦いを起こさないように努力するこの後始末屋としての戦いは、今の酒匂には最も魅力的で、命を懸けられる仕事でもあったのだ。
「そっか……。なら、あたしは酒匂さんのその気持ちに応えられるように頑張るよ。戦いを終わらせて、誰も傷付かないようにしていきたい」
「電もなのです。誰にも傷付いてほしくない気持ち、すっごくわかるのです。だから、頑張るのです!」
ガッツポーズまで見せる深雪と電に、酒匂は少しだけ泣きそうになりつつも、自分の気持ちを汲んでもらえたとわかり、笑顔で頷いた。
「うん、よろしくね。酒匂も頑張るから、2人も頑張ってね。応援してるし、手伝えることは手伝うからね」
「うす、この戦い、絶対に終わらせような!」
「なのです!」
酒匂の思いを知り、深雪と電はより一層強くなるための努力を決意する。
思いの力が願いを叶える力をより強く発揮させることを、本人はまだ知らない。
酒匂の艦娘となった理由は、自分と同じ苦しみを他人に知ってほしくないから。つまり、ハルカちゃんが話していたことそのままです。下手したら、最もうみどりに適性を持っている存在。