一方、深雪に喧嘩を売ろうとしたところで実の姉に割り込まれた夕立は、時雨からの一撃によってテンションが最高潮に達していた。目の前の姉は、自分を楽しませてくれる敵であると認識し、殺さずとも楽しく戦えると確信して襲い掛かる。
力比べでもしようとしてくる夕立の手を的確に払い除けながら、時雨は真正面から夕立を見据えた。その目は、純粋に戦いを楽しんでいるようなモノ。スキャンプのように、明確な恨みや憎しみが見えていないようにも見える。
ここで互いに手を取り合い、取っ組み合いに持っていかれた場合、時雨は勝てないと感じている。手を払い除ける時の重さからして、夕立の方が膂力は強いと判断した。そのため、掴まれたら終わりとも考えた。
「君も人間には恨み辛みがあるのかい」
正面から問いただす時雨だが、夕立はその問いに対して答えることはなく、拳の鋭さが即座に増した。
これはYESと答えたようなもの。言葉にせずとも、その話題には触れるなと言っている。
「そうかい。君にもそういうところがあって安心したよ」
相変わらず単調に掴みかかろうとする夕立の手を払い飛ばすと、逆側の手を握りしめて鋭く突き出す。顔面、特に鼻を狙った一撃。
電と違って、時雨は相手が実の妹であっても容赦はしない。顔面への攻撃にも躊躇なんてせず、極端に傷付く方法以外は避けることなく選択する。
「ぽっ……っ」
だが、その拳は当たり前のように避けられる。耳に掠めるくらいの紙一重の回避をされた途端に、その腕を強引に掴もうとしてきた。
先程まで深雪がスキャンプに対して放ったそれである。夕立は深雪の技をただ見ているだけ。しかし、その技を既に自分のモノとしている。
この流れを時雨はよく知っていた。それこそ、ここに来る前までのうみどりでの訓練でさんざん受けてきた投げ技。深雪からも電からも練習台のように喰らい、その都度抜け出そうと必死になり、時には伊豆提督から学んだりもしていた。
「悪いね。それは嫌というほど喰らってるんだ。だから、逃れ方も理解している」
投げられる直前に、時雨は先に距離を詰め、身体を密着させつつ体重を下にかける。すると、夕立の手から腕がスルリと抜けた。
見ただけで技を覚えたような才能を発揮したものの、初めてかける技だから隙が多すぎる。見様見真似で簡単にやれるようなことではない。そのため、体重のかけ方さえ変えてしまえば、掴んだままに出来ずに拘束から抜けることが出来た。
そして、そこからバックステップで少し間合いをとる。ストライカー気質の時雨は、掴まれると厄介であることを骨の髄まで染み込まされているため、手が届かない位置まで引くことを心掛けていた。
「むぅ、時雨はちょこまかと動きすぎっぽい!」
「当たり前だろう。君の得意な戦いに持っていって、僕に何の得があるんだい」
憤慨する夕立に対し、冷ややかに言い放つ時雨。今やっているのは喧嘩なのだから、まず自分が優位になるように立ち回るのが当然のこと。ルールも何もない戦いに文句を言われても困ると、時雨からも苦言を呈した。
「それで、君は人間にどんな恨みがあるんだい。やっぱり、過去の仲間が犠牲になったのかな」
「時雨、デリカシーが無さすぎっぽい。ノンデリってヤツっぽい」
「はは、そうかもしれないね」
こうやって話すのも、夕立の冷静さを奪うため。それに、純粋に気になってもいる。
「
「……なるほどね。それは確かに恨んでも仕方ないよ。でもね、僕も意外だとは思うんだけど、人間全部がそういう輩ではないんだ。知っておいた方がいいよ」
「……それはわかってるっぽい。でも、夕立はそんな人間知らないから」
この経験、時雨のように知識として知っているのではなく、物理的に人間に裏切られた経験があるからこそ、根深い恨みになっている。そのせいで、元々攻撃的な性格がより攻撃的になってしまって今に至るのだろう。
下手をしたら、夕立を裏切った人間すら手にかけているかもしれない。そこで箍が外れて問題児に成り果てたのかもしれない。ある意味被害者であり、心が壊れている1人。
「でももういいっぽい。今は時雨との戦いが優先だから。夕立、ここから勝つよ」
「やれるものならやってみなよ。何をするか知らないけど」
時雨は夕立のことを下に見ているわけではない。むしろ、長い時間を生きてきているのだから、それ相応の力を持っていると警戒している。立場は時雨の方が姉であっても、この世界で生を受けてからの年数で言ったら、夕立の方が圧倒的に長いのだから。
スキャンプが深雪に投げ飛ばされたからと言って、そのスキャンプを雑魚だとは思っていない。ある意味
夕立はその深雪を見ているのだから、もう引っかからない。深雪のことを
「ふぅぅ……」
時雨がすぐに前に出ないためか、より深く前傾姿勢に。もう両手が床につくほどであり、見方によってはクラウチングスタートのような体勢。
それを見て時雨はさらに警戒度を上げる。先程の行動からして、これは夕立の突撃姿勢。力を溜めて溜めて、一度のダッシュで一気に間合いを詰めて、自分のペースに持っていく。
「がる、がるる」
なんとも拍子抜けする声。だが、その表情は鋭く、狂犬の名に恥じぬ威嚇。そして、
「がるるー!」
地を蹴って突撃開始。一度動き始めたら、先程までの比ではなかった。艤装を装備していない今の状態で、まるで艤装を装備しているかのような素早さ。単純に夕立の身体能力がとんでもなく、艦娘ということを差し引いても、見た目とは不相応な動きを見せた。
この速さで突撃されたら、ただバックステップをするだけでは間合いから離れることは出来ない。故に、時雨は瞬時に迎撃を選択する。
「っ!」
夕立は前傾姿勢であるため、やってきたのは下半身への攻撃。そこから押し倒してマウントを取ろうという算段だと考えた。そのため、突撃をまず止める。
知ってか知らずか、夕立が繰り出したのはダブルレッグタックル。両脚に向かっての突撃は、そのスピードによって威力が跳ね上がる。
いくら下半身とバランス感覚を鍛えているとしても、身体そのものをぶつけられたら、うもすも無く押し倒されるだろう。時雨には既にその経験があるのだからわかっている。つまり、それを止める手段も。
「電には優しくやったけど、君には躊躇なんてないよ」
突撃する夕立の顔面に狙いを定め、めり込むように膝を繰り出す。前傾姿勢で突っ込んでくる夕立には、突如顔面に膝が現れたようにしか見えなかった。
直撃したら顔面が凹むとまで思った夕立は、ここで驚異的な反応速度を見せる。
「ぽい!?」
床に手をついたかと思いきや、強引に身体を横にずらすことで、膝の直撃を回避。さらには、ステップまで踏んで方向を変えてからタックルを再度繰り出してきた。
あくまでも時雨を押し倒すことを目的としているようにも見える。確実に相手を屈服させるためには、上から殴りつけることが重要であると思い込んでいるかの如く。
「ダメだよ」
しかし、時雨はそれも織り込み済み。タックルに対しては、それこそ
時雨が繰り出したのは、上から振り下ろしたチョップ。空手家が瓦を割るかのように、しかし強く踏み込むことで突撃を迎撃するだけでなく床に叩きつける一撃。
ステップにより進行方向を切り返したタイミングを狙われたことで、夕立も簡単には回避出来なかった。顔面に喰らうことだけは避けたが、それは肩に直撃する。
「ぽっ!?」
「タックルは僕には効かないからそのつもりでいる方がいいよ」
さらに、屈服させることを意識した強烈な踏みつけ。夕立の考えていることをそのままお返しするかのように、上から殴るために。
だが、反応速度がおかしい夕立は、その踏み付けも瞬時に床を転がることで回避。そのまま軽く離れて、身体を反らせて跳び起きる。
「効かないっぽい! そんなことで夕立が負けるわけがないっぽい!」
「それはよかった。これで終わったら拍子抜けすぎるからね」
ここで時雨は拳を突き出すように構える。握り拳は強くではなく弱く、まるで卵を割らずに掴むように、利き手の右手を前に出す。
夕立としては、タックルは膝を喰らうという前例から、違う戦い方をしないといけないという先入観に縛られていた。故に、次に見ているのは上半身。先程時雨が見せた蹴りなどが有効だと瞬時に判断して、さらに突撃する。
前傾姿勢からの跳躍、そして空中での回し蹴り。時雨の放った後ろ蹴りを倣ったか、リーチが長い上に威力が拳よりも強い蹴りを選択した。
「蹴りを見るとね、自分も君もまだまだ未熟だと思い知らされるんだ。だから、そんなものは効かないんだよ。……深雪への対策もあるからね」
その回し蹴りに対して時雨が繰り出したのは、むしろ拳である。狙いは蹴りを繰り出した夕立ではなく、振り回されている脚。しかも、鍛えることが出来ない急所である脛。
そこに置いてくるように拳を突き出した瞬間、夕立の脛にめり込むように入った。勿論時雨にもその衝撃が肩に入るため、気を抜いたら脱臼は免れないのだが、そこはこれまでの特訓の成果が出ており、踏み込みと同時に殴ったことで肩への衝撃は耐えられるようにしていた。
「い゛っ!?」
「動物のように飛びかかるのは悪いことじゃないけど、相手はちゃんと見た方がいいよ」
そして、怯んだところを狙って、その腹に対して強烈な前蹴り。爪先を立てた蹴りは流石に可哀想だと思ったようだが、やはり容赦はなく、鳩尾に食い込むかのようなサッカーボールキックを一発。
「っぶ!?」
「ごめんね夕立。獣は知性を持つヒトには勝てないんだ」
さらにそこで時雨は、素早く前宙を繰り出した挙句、鳩尾に喰らったことで前のめりになっていた夕立の後頭部に向かって踵落としを決めた。
本当だったら柔軟性を武器に踵落としをするテコンドースタイルをやりたかったのだが、時雨は致命的に身体が硬かったこともあり、前宙という手段でそれを再現するに至った。むしろ、身体全体を使った踵落としとなったため、威力は通常のモノよりも上がっていると言える。
それが綺麗に決まったことで、夕立は意識を手放すこととなる。それでも前に踏み出そうと脚を動かしたが、力が抜けて倒れ伏した。
「……ふぅ。これも深雪には効かなかったからね……もう少しキレよく動きたいものだよ。身体の硬さだけはどうにもならないね」
軽くかいた汗を拭い、倒れた夕立が息をしているかだけは確かめていた。
グレカーレは電が、夕立は時雨が終わらせた。あとは、スキャンプのみ。
最後に時雨が決めたのは、わかりやすく言えばクラックシュート。踵が全然上がらない時雨の苦肉の策。