昼食を終えた後も、うみどりの中を見て歩くことになる。丸一日を
今の時点で、スキャンプには酒匂と三隈という心に何かを刻む者が現れているものの、人間を信頼するというところまではまだ行っていない。しかし、最初に比べればまだ怒りや憎しみの感覚は薄れているのは確かである。
スキャンプが持っている人間や仲間に対する感情は、暗いものばかりである。慰み者にした提督に対する憎しみ、それを助けてくれなかった上に、穢らわしいモノを見るような視線で見てきた仲間達への怒り、その状況を打開出来なかった悔しさ。あらゆる負の感情を、たった1人で感じ続けていた。
だが、うみどりにいる今、そんな感情を向けられることもなければ、自分の中に生まれることもない。過酷なアイドルレッスンの時ですら、それを課してきた那珂に対して腹が立つ事はなかったし、捻挫を治療してくれた酒匂には、素直に信頼出来るかもしれないと感じることまであった。
これが本来の人間なのか、ここの人間が特別なのかはまだわかっていない。しかし、間違いなく当時の鎮守府よりは居心地がいい場所ではあった。
「昼間はデッキに誰かしらいることがあるな。うみどりを疾らせながらでも、哨戒とかしてるし」
現在うみどりは航行中。昼前に後始末の依頼が来たため、その現場に向かって突き進んでいる。到着は深夜の予定であり、翌朝から作業を開始する予定となっている。
この件については、海中に潜った丹陽達の潜水艦にもどうにか知らせた。こちらが動くとなれば、あちらはついてくると最初から言われている。そこに追加で連絡手段として、瀬石元帥が使っているモールス信号も追加していた。それをうみどりに伝えてくれたのはタシュケントである。
「電と深雪ちゃんは、ここでお昼寝をしたこともあるのです。お天気の時はお日様の光が気持ちいいのです」
「確かにそうっぽい! こんなところでゴロゴロしてたら、気持ちよさそうっぽい〜」
真昼間というのもあるが、本日は快晴。疾るうみどりのデッキの上だから風がそれなりにあるが、止まっていたら少々暑く感じるかと思えるほど。
早速夕立が見つけたベンチに駆け出すと、それをベッドにするように寝転がった。自分の使命を既に忘れていそうな行動ではあるものの、それをとやかく言うつもりはない。目的がここで達成出来そうだったからである。
「やっぱこの時間は加賀さんがいるよな」
「ええ、動き出しているんだもの。哨戒はしておかないと、何があるかわからないわ」
デッキでは、加賀が哨戒機を飛ばしていた。進行方向に危険がないかを調べ、安全で確実な航行を可能にするために。
うみどりが出来ないことをしっかりと補完するのが艦娘の役目だ。勿論うみどりにも電探やソナーはあるが、それと共に見ておくことで、より確実なモノとする。
「貴女達、うみどりを見て回っているのよね」
不意に加賀がスキャンプ達に声をかける。夕立は勝手に昼寝を始めているため、残りの2人に向けて。
「貴女達の目には、私達人間はどのように映っているのかしら。過去ではなく、今」
過去の因縁から考えれば、人間に対してはどうしてもネガティブなイメージが強い。特にスキャンプはいいイメージが1つも無い。故に、
「うーん、正直、思ってたのとは違うかも。人間って、あたし達艦娘を利用するだけ利用していらなくなったらすぐ捨てるって感じがすっごい強いんだけど、ここの人達はそういうの無いよね」
グレカーレの言葉に加賀は表情を変えずとも残念な気持ちを瞳に見せた。昔の艦娘、第二世代からは、人間はそう思われているのかと考えると、過去の
その感情を表情に出すことなく、そうと返す。たった一言でも、あらゆる感情が乗っているような声だった。
「なら、今だけでもここを楽しんでちょうだい。過ごしやすさは身に染みたと思うから」
加賀の境遇、艦娘となった理由からして、ここにいる第二世代には聞きたいこともあるだろうが、あえて触れない。自分の欲を満たすためには、彼女達に不要な不安は抱かせるわけにはいかないのだから。
だが、グレカーレはそういうのを察するような目敏さも持っている。加賀が何か躊躇ったと感じた瞬間に、そこを突きに行った。
「んー? お姉さん、あたし達に何か聞きたいことがあったりするぅ?」
ニンマリ笑いながら深いところに指を捩じ込むような突き方。だとしても、やはり加賀は表情を変えない。
「ええ。でも、貴女達の気分を害するかもしれないでしょう。だから、私は何も聞かないわ。知っても知らなくてもどちらでもいいことだもの」
「ふーん、ならいいけど。あたしもあんまり昔のことは思い出したくないしね。深掘りしないでくれるのは嬉しい、かな。そういうこと出来る人間もいるんだねぇ」
揶揄うような笑みだが、加賀は何も言わない。冷ややかでも無ければ、同情するようなこともない、ただ同等な相手と付き合う態度を崩さない。
そんな加賀に、グレカーレは少しつまらなそうに、だがその思いやりを察して楽しそうに、これまでとは違う笑顔を見せた。
「さっきの質問の答え、訂正しよっかな」
「ええ」
「ここの人間は、あたし達のことを艦娘じゃなく
加賀は無言で頷く。相手が純粋な艦娘であっても、だから上下関係があるというわけではない。長く生きているから先輩とか、実戦経験が少ないから後輩とか、そういった感覚もない。
平等、対等な仲間としてしか見ていない。故に、卑下することもなければ、ひけらかすこともない。嫌と思いそうなことはしないし、いいと思うことは躊躇わない。
「あたしさ、そうだと思ってた人間に裏切られたんだよね。その結果、お姉ちゃんの命が使われてんの。だから、人間って嫌いだった」
グレカーレの姉、マエストラーレは、鎮守府に利用されて殺されたのだと察する。命が使われたということは、やはり出洲の研究の犠牲になったと考えられる。鎮守府自体がそれに協力していたと考えるのが妥当。
境遇としてはタシュケントに近い。彼女の場合は、同郷の同志であったが、グレカーレの場合は実の姉。恨みは近いかそれ以上に根深いだろう。人間不信になるのも仕方ないこと。
その反動で、純粋種である者に
「でもさ、ここの人間はなんていうのかな、下心? そういうのが無いって感じたよ。まだ信用しきれてないけど」
「……そう。なら、信じてもらえるように私達は努力するわ。それを見守っていてちょうだい」
加賀に少しだけ笑みが浮かんだようにも見えたが、瞬きする間に表情は元に戻っていた。
デッキの後はレクリエーションルームに向かったものの、そこには誰もおらず。そうなると、うみどりの中で簡単に足が踏み入れられる大きめな場所は、あとはプールくらい。海上歩行訓練や泳ぎの訓練に使われるような場所であるため、誰かしらいることは多い。
行ってみれば案の定、泳ぎの訓練中。万が一の時に艤装を捨ててでも生き残る手段を持っておくことはいいことだし、長く泳いでいないと鈍って咄嗟の時に泳げなくなる可能性もあるため、定期的に水泳はしているようである。
「うーっす、神風」
「あら、ここにも来たのね。何やってるか知っておいた方がいいか」
プールサイドで休憩をしていたのは神風。ひとしきり泳いだようで、その長い髪を纏めた後、失った水分を補給するためにドリンクを飲んでいた。それを用意しているのは勿論補給艦である神威。その神威も競泳水着に身を包んでいる辺り、水泳訓練に参加しているようである。
プールの中では、長門、妙高、梅の3人が全力で泳いでいる真っ最中。高速で仲間と共に泳げることも、戦場で生き延びることには重要。当然、潜水艦に敵うような泳ぎは出来ないものの、外から見ている限りでは綺麗なフォームで素早く行動が出来ているように見えた。
泳いでいるみんなをひとしきり見た後、夕立が神風をチラリと見た瞬間に、目の色が変わった。
「ねぇ、貴女すごく強いよね」
那珂の時とは違い、見ただけでわかる強者。水着姿というのもあって身体の鍛えられ方が一目でわかったか、いきなり喧嘩を売りに行く夕立。
その表情は、闘争本能に満ち溢れていた。強者と戦いたい。ただそれだけの欲求が、抑えられないくらいにまで膨れ上がろうとしていた。
「夕立、やめておきなよ」
しかし、それを止めるのは時雨である。ズンズンと向かおうとした夕立の肩を掴むと、その場で押さえ込むように力を入れた。
夕立としては何で邪魔をするんだという気持ちでいっぱい。那珂のように条件を突きつけられてもいないのに、口出しされる謂れは無いだろうと時雨に対して訴えるような視線を送る。
「いいかい、喧嘩を売っていい相手と売っちゃいけない相手は、キチンと見定められるようにするんだ」
「えー、そんなのやってみなくちゃわからないっぽい」
「僕に負けただろう。そんな君が、僕が勝てた試しがない神風に立ち向かって勝てると思うかい?」
時雨に負けたというところを強調されて、夕立はぐっと息を呑んだ。
「ん、顔を合わせた途端に喧嘩を売ってくるなんて、とんでもない狂犬なのね。でも、それくらいやんちゃなのもいいことだと思うわよ」
クスクス笑いながら休憩を終え、夕立に近付いてくる神風。これまでと違って、圧倒的な強者感を出しながら。
艤装を身につけていない、水着だけの姿なのに、神風には勝てる気がしないと思わせる何かを感じ取る。夕立だけではない、スキャンプやグレカーレも、神風はレベルが違うと直感的に察していた。
「でも、これが私相手だからいいけれど、命を無駄にするような行為は好きじゃないわ。せっかくこうやってヒトのカタチになっているんだもの。もっと楽しく生きなさいな」
そして、軽くデコピン。真正面に立って、ただそれをしただけだというのに、夕立は動くことが出来ずに為すがままにされていた。
そのデコピンは全く痛くない。しかし、その一撃で夕立は何も出来なくなった。まるで、闘争心を砕かれたかのような感覚。
「貴女達が人間を恨む理由は納得しているわ。攻撃的になるのもわかる。失ったモノを取り返したくなるのは、感情を持つのなら当然のことだとも思うわ。でも、理性を持っているのも艦娘の特権だと思うの。感情的に動くだけでなく、考えを持って行動すれば、自ずといい答えがついてくるわよ」
子供に言い聞かせるような、親のような話し方。力で捩じ伏せるのではなく、窘めるような優しい声色。理由はわからないが、この神風には従っておいた方がいいのではと思わせるような、優しくも厳しい言葉。
相手が人間であり、不信感を抱かせる存在なのにもかかわらず、神風には何か別の感情が渦巻く。
「何か悩みがあるなら、私が聞いてあげるわ。ハルカちゃんには話しにくいことだってあるでしょ。なら、私が受け持ってあげるから」
そのまま夕立の頭を撫でた。身長としては神風の方が小さい。だが、人間的なところで言えば、神風の方が圧倒的に大きかった。夕立はもう素直に従う以外に道はなく、むしろ撫でられて完全に懐いてしまっていた。
「……テメェ、何者なんだ」
スキャンプがそんな言葉を口に出すと、神風は穏やかな笑みを浮かべるのみ。この時点で、神風には勝てないと心の底からわからされた。
「何者って、そんな大した者じゃないわ。艦娘神風。こうなる前のことは隠させてもらうわね。あ、それで私のこと信じられないってなるならごめんなさい。人間には話したいことと話したくないことがあるの。私の境遇が知りたかったら、貴女の境遇も包み隠さず話してちょうだいね。それでおあいこだから」
痛いところを突かれ、スキャンプは口籠った。自分の境遇を話すのはスキャンプにとって一番嫌なこと。深雪達には知られているが、他の者には極力知られたくない。
「でも、どうせそのうち知ることになると思うわ。その時までは我慢していてね」
「……Okay. 詮索は無用ってことだな」
「理解が早くて助かっちゃう。物分かりがいい子は好きよ。ねぇ、時雨?」
「何故僕に振るのかな」
茶目っ気もありながら、母性すら感じさせる神風には、スキャンプも素直に従うに至った。強者としての威圧感も兼ね備え、年長者としての包容力まで持っているとなれば、如何に問題児といえど、歯向かうことは出来ないようだった。
うみどりの人間達は、問題児の心を解きほぐす者達ばかり。潜水艦の中でも特に拗らせている者が真っ先に来たのは、大正解だったと言えるだろう。
神風の圧倒的強者感。スキャンプを黙らせ、夕立すらも手懐ける。下手したらグレカーレがママとか言い出すかもしれない。如何わしいことをするためにお悩み相談に向かって返り討ちに遭うのも想像に難しくない。