ドロップ艦、深雪が拾われた鎮守府は、深海棲艦との戦いの後始末をするという特殊な組織だった。
窓の外から見える仕事風景は、散らばった艤装の片付けや、汚された海水の浄化、放置された深海棲艦の亡骸の処理と、戦いとはかけ離れた海上の清掃作業である。
艦娘というのは、人間では撃破が難しい深海棲艦を人間に代わって撃破をするための手段という考え方が基本。むしろ、十中八九がその考え方になる。
深雪自身も、自分がどういう存在かと問われれば、侵略者から世界を守るために戦うモノだと答えるだろう。
それ故に、この現状を窓際で見たことで軽く混乱した。戦い以外でやることとなると、人間のように休息くらいだと思っていたが、そうではない別の仕事があるとは全く考えていなかった。生まれて間もない深雪とはいえ、これが普通の仕事ではないことは見てわかる。
「あの、さ。艦娘が掃除とかするの?」
「人間と艦娘が汚した海だもの。まぁ深海棲艦の尻拭いみたいになっちゃってるけども、ちゃんと元に戻してこそ、この戦いに勝利したということにならないかしら」
「……一理あるかもしれないけど」
まだ少し納得出来ていないようで、深雪は訝しげな表情を浮かべる。それを見た女性は、苦笑しながらも深雪をもう一度ベッドの方へと戻した。
「じゃあ、ちゃんと説明するわ。貴女も納得出来るように」
深雪がこういう反応をすることを予測していたのか、少し腰を据えて話し始めた。
「まずだけれど、戦った結果がその海に残り続けた場合、どうなると思う?」
非常に単純な質問。深雪は悩むことなく答える。
「海が汚れる」
「正解。それじゃあ、1つ条件を追加するわね。深海棲艦は何処からか無限に現れる。そこで戦った結果が残り続ける前提で」
すぐに察することは出来なかったが、少し考えることで、深雪は1つ思いつく。
「無限にゴミが出続ける……?」
「そう。片付けない限り、戦った結果が海を埋め尽くしていくの。海の広さと比べれば些細なモノかもしれないけど、積もり積もって海がダメになっていくわね」
それが艤装の破片だけでも積もっていけばそこを占拠し続けるというのに、そこに拡がっていく燃料や、深海棲艦の亡骸まで追加されていったら、間違いなくその海はまともではなくなる。その海の原生生物は死滅する上に、そのままでは永遠に戻ることはない。
そして困ったことに、戦いで残されたものは海中で消えていくことはなかった。分解する微生物なども死滅してしまい、亡骸なども何もかもがそこに残り続ける。浮かぶものもあれば沈むものもあるため、上から下から海が汚れていくのだ。
「それだけでも酷いのに、残してしまったモノからいろいろと
「漏れ出す? 海を汚すモノってなると……なんか汚いものか」
「いいえ、残すのは『思い』。その時の感情と言ってもいいわね」
ただの汚れだけならまだ許容出来るのだが、そこに漏れ出すのは汚れではなく
傷付いた時に湧き上がる感情は、怒りや恐れ、悲しみなど、負の感情である。それが艤装経由で増幅され、それが海にこぼれ落ちてしまう。艦娘でそれなら、元より負の感情が強い深海棲艦は尚更であるとも。
戦場に立つことが出来る代償のようなものなのだと女性は付け加えるが、深雪自身も戦場で傷ついた場合は僅かながらでもその場に穢れを落としてしまうと知ると、何とも嫌な気分になった。
「それがあると、どうなっちまうんだ?」
「ものすごく単純なことよ。そこから
それを聞いた途端に、深雪は血の気が引くような感覚に襲われた。深海棲艦を殲滅するために戦っているのに、その戦いが新たな深海棲艦を生み出しているというのは、あんまりである。そんなことになっているなら、戦いなんて一生終わらない。
海に放置された廃棄物が穢れを生み、その穢れが深海棲艦を生み、それを斃したとしても廃棄物が生まれる。最悪な輪廻だ。
これを断ち切るために、
「戦いを終わらせるためには、後片付けが必要ってこと。私達の鎮守府の必要性を理解してもらえたかしら」
「……うん、もう嫌ってくらいわかった。そりゃあ片付けなくちゃダメだよ。あたしでさえそう思えるんだ」
「納得してもらえてよかったわ」
片付けなければ無限の戦いが待っているとなれば、どれだけズボラな人間がいたとしても率先して片付けを始めるだろう。深雪もどちらかといえば大雑把な性格をしているものの、片付けの重要性は完璧に理解した。
「でもさ、それにはそれ専門の部隊ってのが必要なのか。戦った奴らが片付けるってのはダメなのかな」
ここで思い浮かんだ素朴な疑問。専門職の鎮守府を作る理由である。しかも、艦娘まで動員して。
戦場はここだけではないことくらい、生まれたばかりの艦娘でも察することが出来る。海というのは世界中にあるわけだし、陸よりも大きい。だったら、人員を割かずに戦っていた鎮守府が最初から最後までその戦場を受け持つのが道理では。
それに対して、女性はそういう考え方も当然だと頷く。そして、それでもと続けた。
「全部同じ鎮守府がやると、パンクしちゃうのよ。いろいろなところが」
「例えば?」
「そもそも戦いの後っていうのは大体誰でも消耗しているものよ。勿論、その戦いに参加していない艦娘達もいるでしょうけど、ワンオペでやらせてたら間違いなく何処かでミスが出るわ。だったら、私達みたいな迅速に動ける別働隊がいた方が確実じゃない?」
そういうものなのだろうかと深雪はあまり納得が行っていないような表情を見せるものの、女性はさらに追加する。
「それに、私達以外の鎮守府は、
鎮守府は基本的に陸に作られている防衛施設だ。深海棲艦の侵略は、そのまま陸まで攻め込んでくる可能性が非常に高いのだから、それから人類を守るという重要な使命がある。
それもしながら海の敵を殲滅し、さらに掃除までしろというのは酷かもしれない。やろうと思えばやれるかもしれないが、そうなると鎮守府内の艦娘の消耗が酷いことになるだろう。
「まぁ本当のことを言っちゃうと、海の清浄化って割とコストがかかるのよね。だから、それが出来る設備を全部の鎮守府に置くっていうのは大本営的にも厳しいみたい。だから、後始末屋を作って少しだけでも予算を減らそうって感じなのよね。結果的に、陸の鎮守府に休息が行き届いてるから悪いことじゃあなかったけど」
根幹は予算の問題であろうとも、役割分担という点で深雪は納得した。休む間もなく戦い続けていたら間違いなく負ける。
それこそ、戦いで消耗している身体で掃除をしつつ、陸まで守るのは無理があるとなれば、身体だけでなく心が擦り減りそうである。
ならば、後始末屋を作り、業務の1つを省くことが出来れば多少の平穏は約束される。戦時下であっても、休息は取れる。
「ん、納得したよ。この鎮守府は必要だし、やってることはものすごく重要だね。で、あたしはその仲間になればいいのかな」
「最終的には貴女の意思になるけれど、私としてはそうしてもらえると嬉しいわね」
戦うために艦娘に生まれ変わったのだと思うのなら、後始末屋は少々違う。戦いよりも片付けに専念する組織では、やりたいことがやれないかもしれない。
ただし、これも世界の平和を取り戻すために重要な仕事である。やらねば平和は訪れない。だからこそ、ここにいる者達は全力で片付けに取り組んでいる。
よっとベッドから立ち上がった深雪は、少しふらつきながらももう一度窓際に。
外ではまだ作業中であり、今は大物である深海棲艦の艤装をクレーンで吊り上げているところだった。あんなものが放置されていたら、瞬く間に穢れが溢れ出して戦場の再構成が為されてしまうだろう。
「あたし、戦うために生まれたのかなって思ってたけど、こういうのもすげぇって思ったよ。なんつーか、戦いの裏側ってヤツなんだよな」
「そうね。世の中にはあまり知られていないけれど、すごく重要な仕事よ。間違いなく、平和に貢献しているわね」
女性の声は穏やか。深雪の意思を尊重するために、無理強いをすることなく、その考えが纏まるのを待っている。とはいえ、望みは仲間になってほしいということ。それはハッキリと伝えている。
深雪自身、その光景を見た直後は悩んでいた。再び戦うためた生まれ変わったのに、やることが海の掃除だなんてと。
だが、その意味を知ったことで、考え方は変わった。この戦いの中では、掃除は何よりも重要で平和に続くための行為であると確信した。全てを知ってもう一度作業をする艦娘達を見た時、その信念がわかった気がした。
勿論、侵略者を斃すことだって重要だ。だが、実際はそれよりも先により重要な事柄があったということ。戦うだけでは終わらない。事後処理こそ、人類のために最も必要な行動だ。
「あたしも、一緒にやってみたい。こういうカタチで世界の平和に向かっていくって、カッコいいなってさ」
「そう思ってもらえるのはありがたいわね」
「だからあたし、ここの一員になるよ。手のひら返したみたいで悪いんだけどさ」
納得してしまえば、受け入れることもすぐだった。無意識に、この鎮守府に拾われたのは運命だと感じ取ることが出来た。
こうして、深雪は後始末屋──海上清掃艦『うみどり』の一員として、籍を置くことが決定した。
海の平和を取り戻す艦娘としての新しい
「そうと決まれば、この鎮守府の一員として提督に挨拶をしに行きましょうね」
深雪が本調子になったことがわかったため、着替えを用意しながら女性が言った。ここで深雪が妙な顔をする。
「あれ、この鎮守府の司令官って、アンタじゃないのか」
「誰もそんなこと言ってないわよ。私は事務員みたいなもの。でも立ち位置的には副司令ってところかしら」
着替えろと言わんばかりに制服を投げた。用意されたのは平々凡々なセーラー服であり、深雪にはとてもしっくり来るような制服。着替え方も噛み合った時点で理解しており、何の抵抗もなく袖に腕を通していく。
「ああ、そうか、まだ名乗ってなかったわね。ごめんなさいね。私はイリス。さっきも言った通り、海上清掃艦『うみどり』の事務員よ」
女性──イリスは名乗りながら手を差し出した。もうこれからは同じ屋根の下で暮らすのだから、友好の証として握手をしようと。
深雪もそれを察してその手を握る。目を覚ました時に手を合わせることをしているが、その時よりも温かく感じた。
「なるほどな、外人さんだったのか」
「あら、そう見える?」
「なんとなくね。あたしと生まれが違うみたいな感覚があったんだよね」
名前からしてもそうだが、イリスは雰囲気からして異国の人というイメージが強い。色白で整った見た目は、同性である深雪からも目を見張るような美しさがある。
「私のことはいいの。今はここの提督と話をすることよ。ちょっとクセが強い人だけど、悪い人では無いわ。この鎮守府のトップなんだもの」
クセが強いというところに引っかかるところはあるが、後始末屋を統括するような提督なのだから、イリスの言う通り悪い人間ではないだろう。
着替え終わったところでイリスについていき、海上清掃艦の中でも少し奥まったところにある執務室の前へとやってきた。
ここに来るまでに他の艦娘と顔を合わせることが無かったのは、おそらくここに所属する者達が全員作業に入っているからであろう。
「ハルカ、入るわよ」
『どうぞ』
イリスの声に反応して部屋の中から聞こえてきた声は、若い男のものだった。
「深雪が目を覚ましたわ。ある程度話もして、ここに所属してくれるって決めてくれたわよ」
扉を開けた向こう側。声から想像出来るような男性。深雪から見ても、整った顔立ちであると言えるその男性、イリスからはハルカと呼ばれていた提督が、深雪の姿を見て立ち上がる。
身体つきも見てわかる程度に程よく鍛えられており、まさに上に立つ者というイメージに、深雪は少し緊張した。
「ようこそ『うみどり』へ。アタシがこの後始末屋を管理する提督、
たった一言で、伊豆提督のクセの強さがわかった。
この話の深海棲艦は、命を失っても艦娘と同じようにその場に残り続けます。そこからさらに生まれてくるのだから、海はどんどん埋め尽くされていって、穢れも拡がって、掃除しなければ深海棲艦に埋め尽くされるという寸法です。