午後の時間も終わり、夕食後。清浄化率の維持が確認出来たことで、次の現場への移動が始まる。
次の現場は小規模。姫級はおらず、しかしイロハ級が相当数出現したらしい。なので、中規模に近い小規模と言ったところ。
作業をしている間にも依頼が入ってくるのが後始末屋であり、艦内は自由時間が多いものの、外から見れば忙しない組織である。夜のうちに移動を始めるというのだから、休みが無いようにすら思えるほどだ。
「到着は明るくなってからってことは、起きて朝飯食ったら仕事って感じだな」
「なのです。でも小規模ですし、明日中に終わると思うのです」
深雪の部屋。風呂に入る前に、長門から与えられた新筋トレプランを実行中の深雪。今回はそこに電も便乗しており、室内で出来る簡単なこと──腹筋や腕立て伏せで、汗を流している。
筋力だけでいえば、深雪の方が電よりも上。それもあってか、電は筋トレの方にも力を入れておこうと考えたようである。
それもこれも、より強くなるという決意のため。神風にあの悲しい力を使わせないためにも、自分達が強くなって、神風に面倒をかけないようにしようと2人で決めたからだ。
「ほい、タオル。風呂入る前だし、いい汗かけてるな。ビショビショじゃん」
「ありがとうなのです。深雪ちゃんも汗だくですよ。シャツが張りついちゃってるのです」
「結構頑張ったからな。長門さんにあたしの限界を測ってもらって、ギリギリの回数出してもらった」
深雪と電のトレーニング量は、長門によって決めてもらっているのだが、その回数や時間は変えられている。
電にいきなり深雪の量をやれと言っても厳しいというのが大半の理由。体型やこれまでの鍛錬などからして、筋力だけで言えば深雪に追いつくことは出来ないから。
残りの理由はその逆。深雪の鍛錬の量を落とすわけにもいかないからである。電の運動量に合わせていたら、深雪には効くものも効かない。
結局のところ、どちらかに合わせるなんてことをしないで、当人に合ったトレーニングプランを各々でやるというカタチが、最も効率がいい。
「電も最初に比べりゃ大分鍛えられてると思うぜ。ほら、脚とか結構鍛えられてると思うしさ」
「深雪ちゃんも、二の腕とか目に見えて鍛えられてるのです」
お互いに鍛えられていると思った場所を触れ合い、ニンマリと笑顔を見せた。ちゃんと身になっていることを実感出来れば、よりやっていこうという気持ちになれるからだ。
「よし、じゃあ今日のところはこれくらいにして、風呂入りに行くか」
「なのです。汗を流してさっぱりして、グッスリ眠って明日に備えるのです」
「ちょっと遅くなっちまったし、すぐに行こうぜ」
これで日課も終わりだと、2人して部屋から出ると、何やらあまり見ない影が見えた。
「スキャンプ……?」
夜のこの時間は、もう部屋に入っているスキャンプ。夕立やグレカーレのように、誰かと一緒に寝るなんてことは全く考えていないため、一度寝るとして部屋に篭ったら、朝まで出てくることは無い。少なくとも昨晩はそうだった。
それなのに、珍しく部屋から出てきて何処かに向かって歩いていた。明確な目的地があるような歩き方である。
表情は見えなかったが、後ろ姿からすると、少々深刻そうな雰囲気が感じ取れた。思い詰めているような、深く考え事をしているような。
「……追ってみるか?」
「なのです。心配ですし」
「だな」
跡をつけるというわけではないが、スキャンプが心配ではあるため、2人はその行き先を知るためにも追うことにした。
スキャンプの向かった先はデッキ。夜だからと言って立ち入り禁止区域になっているわけでは無いが、夜に海に落ちるような危険なことはするなというのは当然のこと。あまり推奨はされていない。
そのデッキに辿り着いたスキャンプは、真っ直ぐ先端まで歩いて行った。いつもなら伊203がお気に入りとしているその場所。そこに腰を下ろしていた。
今は次の現場に向かっている最中。デッキは強めの風を感じられるような場所だ。夜の海であるため、景色としては夜空になるわけだが、本日は少々曇り。月光が雲で朧げに見える程度。星はほぼ見えない。
「考え事か……?」
「だと思うのです」
コソコソとスキャンプの様子を見ている深雪と電。今のスキャンプに触れていいのかどうかはわからないため、付かず離れずの位置を保っている。今はデッキの入り口から首だけを覗かせているような状態。
「ここに大体2日いたわけだし、スキャンプもなんだかんだ思うところがあるんだろうな。夕立やグレカーレはちょっと変わってきたし」
「かもしれないのです。いい方向に行ってくれればいいのですけど」
「どうだろうな……スキャンプの場合はちょっと状況が違いすぎる」
深雪も電も、スキャンプの過去のことは本人の口から聞いている。想像出来ない程に過酷で地獄な鎮守府生活を送っており、それが終わっても周囲に対して敵意を振り撒き、潜水艦内でも孤立するようになるほど。それを長年続けてきたのだから、その不信感は非常に根深く、簡単にどうにか出来るようなモノでは無い。
だが、今のスキャンプは少し揺らいでいる。これまでに無かった、『常に優しくされる』という体験。一度突っぱねたらもう近づいてこないということばかりだろうが、酒匂はそれでも近付いてきた。どれだけ悪態をついても離れない。より優しくしてきた。そんな経験が無かった。
それ故に、スキャンプは混乱している。絆されて堪るかという気持ちもあるが、優しさに心揺らいでいる部分もあるため、その相反する感情に翻弄されている。
「……あたし達で何とか出来ねぇかな」
深雪とてスキャンプのことは気にかけている。グレカーレはさておき、夕立も今や心のゆとりを手に入れるために遊ぶということを経験しているのだ。スキャンプも同じように新たな経験で変われるのではないかとも考えた。
「電達に出来そうなのは、傍で支えることだけだと思うのです」
「だよなぁ……。下手に触れないよな」
しかし、無理に触れるとスキャンプは反発する。これまでそうしてきたのだから、これからもそうするだろう。そんな相手に、どう接していけばいいのかはわからない。
突っぱねられても笑顔を絶やさずに前を向いてさらに近付くことが出来る力を持っているのは、うみどりの中では酒匂くらいだろう。勿論全員が優しく、スキャンプを仲間として受け入れ、一緒に笑って過ごそうとするが、嫌味無く近付いてスキャンプを苛立たせずに手を取ることが出来るのはと言われれば、やはり酒匂がトップ。
「そっとしておくのが一番か」
「なのです。ああいうのは、自分で考えなくちゃいけないことだと思うのです」
「だな。あたし達もそうしてきたしな」
お互いに似たような経験──カテゴリーWとして出会った直後のいざこざ──があるからこそ、スキャンプには簡単には触れられないことは理解出来ている。
何か悩みがあれば相談に乗りたかったが、一人で解決しなくてはいけないこともある。深雪にも電にも、スキャンプがどちらを望んでいるのかはわからない。ならば、今は全力で近付くよりも、まずは自分の力で何かしらの答えを見つけてもらう。
三隈が何度も語っていた、最善の道を選択することを、スキャンプには知ってもらおうとしている。これまでは道を選択することも出来ず、道を見失ってもいた。だが、今は目の前が開けているのだ。いくらでも選択肢がある。
ただし、その選択肢がスキャンプにとっては多すぎる。自分では選べないくらいに、多種多様な道がある。それを選ぶという楽しみもあるのだが、スキャンプには苦しみになってしまっているのかもしれない。
「……よし、戻ろう。スキャンプにはスキャンプのやり方がある。自分で一番いい道を選んでもらおう」
「なのです。それじゃあ、お風呂に行くのです」
だとしても、今の2人に出来ることは無い。ここで区切りをつけ、スキャンプに考えてもらうためにその場を離れようとした。しかし、ここでアクシデントが発生する。
ずっと同じ姿勢でスキャンプを眺めていたからか、電が足をもつれさせてしまったのだ。
「はにゃあっ!?」
「電!?」
思い切りこけそうになったところを、深雪がしっかり支えてやるが、体重がかかったことで深雪諸共その場に転がることになってしまった。鍛えていたおかげで痛みはほとんど無かったものの、そこで大きな音を立てることになった。
私室の方にまで音がいくことはないだろうが、デッキにいるスキャンプには丸聞こえ。覗かれていたことに気付き、苛立ちを見せた表情でズンズンと歩いてくる。
「よ、よぉ、スキャンプ、奇遇だなぁ」
「こ、こんなところで、何してるのですぅ?」
「白々しいんだよテメェら」
大きな溜息を吐いたスキャンプだったが、これまでとは少し違う反応を見せた。悪い言い方をすれば
「まぁいい、ついでだ。ちょっと……話を聞いてくれよ」
ついにはそんなことまで。深雪も電も、これには内心大喜びである。
「ああ、いいぜ。いくらでも話してくれ。どんなことでも聞いてやっから」
「なのです。いいことから悪いことまで何でも聞くのです」
「暑苦しいんだよ! ちょっとこっち来い!」
腰を据えて話したいのか、2人をデッキに引き込んだ。
デッキのベンチに座り、小さく息を吐くスキャンプ。対する深雪と電は、ここでどんな話が飛び出してくるのかと、少しワクワクしていた。
悪い悩みでは無いとは信じている。ここで少しの間暮らしたことで、世界の素晴らしさに気付けたとか、そういうことのはず。うみどりの仲間を信用していいのかとか、楽しんでもいいのかとか、ポジティブな悩みならば、2人は明るく楽しく後押しをする気満々だ。
だが、それだけで済めばスキャンプはここまで悩むことは無さそうである。
「テメェらがTrainingしてるときに……ほら、いただろ。あたいに近付いてきた
「ああ、酒匂さんな」
「スキャンプちゃんが怪我をした時に手当てしてくれた人でもあるのです」
酒匂の名前を聞いて、スキャンプはサカワと名前を反芻している。
「……テメェらは嘘偽りなく言ってくれ。アイツは、サカワは、常にあんな感じなのか」
酒匂に握られた手を見ながら、深雪と電に問う。酒匂に裏が無いのかを知りたがっている。不信感からの疑心暗鬼がどうしても払拭出来ず、その優しさを信じられない。
2人に聞いたからと言って、口裏を合わせられているのではとも思ってしまう。嘘偽りなく言えとは言っても、それで本当に本心から語る者なんていないというのがスキャンプの考え。
「ああ、いつもだ。だからここでは救護班に入ってる」
「電と同じで、戦いは好きじゃないと自分でも言っているくらいなのです。だから、みんなに分け隔てなく優しいのです」
「あたしらも酒匂さんの優しさには救われてる。仕事も一緒にやっててやりやすいしな。気が利くし、手回しもいい。すげぇよあの人は」
2人とも完全に本心から話している。偽ることが無いのだから、こうとしか話しようがない。
深雪と電は人間よりはまだ信用してもいいような存在だ。だから、それを聞いたスキャンプは、不信感はあれどその言葉を信じることにした。
そうなると、スキャンプにとって酒匂は
「……あたいは、あんなに優しくされたことなんて無かった。
「そりゃあ、お前がいつも喧嘩腰だからだろ」
歯に衣着せぬ物言いをするからこそ、深雪の酒匂に対する言葉も信用できた。嫌味を言われたとしても、それに反応しないくらいに別のことを考えている。
「だからか知らねぇけど、なんつーか……初めての感覚なんだよ。あのサカワのことが頭から離れねぇ。テメェらのTraining中も、ずっと近くにいたろ。その時の、その、感覚とかいろんなもんが、どうしても忘れられねぇ」
初めて優しくされたという経験が、スキャンプには鮮烈だった。そのため、これでもかと言うほどに刻みつけられていた。過去の辛い経験を塗り潰すほどではなくとも、それを消してくれそうと思えるくらいに。
「この感覚は何なんだ。あたいにゃわからねぇ。何にもわからねぇ。変に苦しいのに、それが嫌な気分じゃねぇ。何なんだこの感覚。ここの連中の仕業か」
深雪にはそれがすぐには答えられなかった。だが、電にはすぐにわかった。深雪に救われたという思いから、スキャンプの感情の正体はそれと同種なのではと。
「スキャンプちゃん、多分ですけど……電はわかるのです」
「教えてくれ。この苦しさは何なんだ」
「それは悪いことじゃないのです。むしろ、大切にした方がいい感覚なのです」
ニコッと笑って、その言葉を告げる。
「スキャンプちゃんは、酒匂さんのことが、好きになったのですよ」
これまで長い間ずっとずっと拗らせ続け、世界が敵にしか見えなかったところで酒匂に優しくされたら……