翌朝。休暇の疲れも眠ったことで無くなり、やる気は無くなるどころか一層増していた深雪は、イリスによる総員起こしの艦内放送を聞くまでもなく目を覚ましていた。
自分の向かう先を自分で決めることが出来たこと、それに伴って目を逸らすことが出来ないトラウマを今のところは振り切れていることで、ポジティブが青天井になっている。
「うし、いい天気だ!」
カーテンをざっと開けて外を眺めると、朝陽が照らす軍港の姿がそこにあった。
今日でここを発つわけだが、たった1日でもいい思い出が出来ている。ここで出会った人達の顔や声は忘れないだろう。守るべき者をその心に焼き付けることが出来たのは、本当に大きい。
「さぁ、今日も元気に行くか!」
ぐっと伸びた後、クローゼットの制服を着込み、部屋の外へ。まだ誰も起きていないか、それとも部屋から出てきていないか、廊下にはまだ誰もいない。気合が空回りしているわけでもなく、足取り軽やかに食堂に向かった。
そこでは既に朝食を用意している伊豆提督とイリスの姿があった。こんなに早く起きてくる者はなかなかおらず、深雪が入ってきたことに驚く。
「あらあら、今日はとっても早いじゃない。どうかした? 眠れていないなんてことは無さそうだけど」
「いやぁ、なんかすごい目覚めが良くてさ。二度寝する気分でも無かったから起きてきちゃったよ」
「朝ご飯はもう少し待ってちょうだいね。まだ総員起こしもしてないんだもの」
「いいよいいよ。あたしが勝手に来ちゃっただけだし。ご飯が炊ける匂いとか、あたし好きだなー」
食卓の椅子に座って、目を瞑りながら匂いを嗅ぐ。朝食の匂いで腹が小さくなったのがわかった。
「ああ、そうだ。深雪ちゃん、お昼から少し時間を空けておいてもらえないかしら」
「昼から? いいよ、自由時間でしょ?」
「ええ、航行中だからみんなには自由にしてもらうわ。遠洋に出たらまた変わるんだけれど、ひとまず今日いっぱいは確実に。で、午後からちょっとお話があるのよ」
軽い口調で話しているが、伊豆提督からは少々真剣な空気が感じ取れた。深雪でも何か雰囲気が違うくらいは気付く。
「わかった。今のところ午後は予定無いから大丈夫。というか、予定があったとしてもハルカちゃんを優先するよ」
「ごめんなさいねぇ。割と大事な話だから、ゆっくり話しましょうね。お昼ご飯の後、執務室に来てちょうだい」
「了解。心しておくよ」
今はまだ、深雪はこの話の内容なんて見当がついていない。だが、伊豆提督がここまで言うのだから、余程のことが話されるのだろう。悪いことはしていないと確信しているので、うみどりで生活するにあたって知っておかねばならないことをより深く教えてもらえるのだろうと予想した。
現状ではポジティブが振り切れているので、悪いようには考えていない。どうなったら一人前と判定されるかとか、演習の日程を立ててくれるとか、そういう方向の想像ばかりが頭をよぎる。
「この世界の楽しさを知った深雪ちゃんなら、きっと受け入れられるわよね……うん」
その伊豆提督の呟きは、深雪に届くことはなかった。
「それじゃあイリス、総員起こしをお願いね」
「ええ、行ってくるわ。深雪はここにいていいわよ。手伝ってくれてもいいし」
「あ、そうだな。あたしがやれることあるなら手伝ってみっか」
ここから朝食の用意の手伝いに入った深雪は、四苦八苦しながらもちょっとした盛り付けなどを担当。ここから続々と食堂に現れる仲間達に驚かれつつも、また和みの時間となっていった。
その後、うみどりは無事に出港。入港の時とは違って、時間がある住民達がこぞって見送りに来ていたため、所属している艦娘達が全員デッキに上がり、敬礼して見送られることとなった。
またこの街に来ようと思わせる最後の贈り物に、深雪は俄然やる気を出していった。
航行が安定してきたくらいから、深雪は長門の教えにより筋トレを開始。深雪だけでなく、体幹トレーニングを欠かさない潜水艦2人も参加している。潜水艦組のトレーニングメニューは長門が組んでいるらしく、それがあまりにも的確であるため、潜水艦からも好評であるらしい。
「こ、これ、なかなかキツい、な」
「初めてではどうしてもな。だが、定期的に、いや、毎日繰り返せば、確実に身体は鍛えられるぞ」
今、深雪がやっているのは、体幹トレーニングの中では定番のプランク。初めての深雪は、数秒でプルプル震えてくる。
その隣で同じようにトレーニングしている伊26と伊203は、震えないどころか涼しい顔である。深雪に頑張れ頑張れと声援を送ってくれるレベル。
「こうしながら世間話が出来るくらいにまでは鍛えたいな」
「遠そうだなぁそれぇ……」
それが最後の言葉となり、ベチャリと崩れ落ちた。たった数分でもここまで消耗するということを考えると、そんな状態でまともに話が出来るとは到底思えない。
そもそも疲れてそれどころでは無い。息を整えるのも一苦労。身体を支えていた腕には、今まで感じたことがないくらいに疲労が溜まっている。
「いや凄いな二人とも」
「慣れてるから」
「毎日やってるからねぇ。こういうことも出来るんだよ」
片手を上げたり、足を上げたりと、より難易度が高いプランクを繰り出す伊26に、深雪は驚きを隠せない。
「あたしも早くこれくらいやれるようになりたいぜ……!」
「今日はやけにやる気満々じゃないか。昨日から昂っているのか?」
「かもしれない。今日も朝早く起きれちゃうくらいだったし。やっぱり昨日の休暇が最高だったからかな」
短めの休息中に、体験してきたことを語る深雪。トラウマを振り切るために得たものは、とても大きかった。それをイキイキと、笑顔で話し続ける。
聞いている長門も、深雪のやる気の理由を知って心が穏やかになっていき、そのために鍛えようと考えた深雪の強さに感心した。
だが同時に、
「だからさ、艦娘として早く一人前になりたいって思ったんだ。トレーニング、ガンガンやっていくぜ!」
「わかった。なら、確実に効くプランを立ててやろう。自分の部屋でも出来るような簡単なモノでも、積み重ねが大事だ」
「そっか、一気に鍛えるってことは出来ないもんな。了解、じゃあ頼んます」
気が急いてしまうのは仕方ないが、トレーニングは一朝一夕ではどうにもならないものだ。積み重ねて積み重ねて、徐々に身体に刻み込んでいくのが当然のこと。
「ゆっくりと、だが確実に続けていけば、深雪は間違いなく一人前になれる。それがいつになるかはわからないがな」
「なるべく早く一人前になりたいけど、焦っちゃいけないよな」
「その通りだ。筋トレで焦ると、身体を壊しかねないからな。そんなことで入渠ドックなんて使いたくないだろう」
身体を鍛え過ぎて休息が必要だなんて、伊豆提督が間違いなく許さないだろう。無理をせずに、限りある時間を有効に使って、一歩ずつ進んでいく。これがこの世界で生きていくコツ。長門も伊豆提督から学んだらしい。
実際、艦娘は入渠してしまえばあらゆる負傷が元に戻る。恐ろしいことに、切れた髪から千切れ飛んだ四肢まで、ありとあらゆるものが十全に戻せるのだから、多少無理も出来てしまう。しかし、それでは意味がない。治せるからといって、無理をしていいかと言われれば、それは間違っているのだ。
戦場で仕方なく負傷してしまったならまだしも、鍛えるために無茶をして身体を壊すだなんて言語道断。普通の人間なら元に戻せないのだから、艦娘だって同じようにしていくのが当たり前。これがうみどりのやり方。
「さぁ、体幹トレーニングも大切だが、次は背筋を重点的にやっていくぞ。今でこそ拾い集めるという作業がメインとなるかもしれないが、持ち上げる、引き揚げるという作業をする時が来るだろう。その時に必要になってくる筋肉だ。他にも必要な筋肉は多種多様だが、まずはここから行こう。昨日も話した通り、ラットプルダウンでやるのがいいだろう。いや、だが先に少し楽に出来るタオルプルダウンから始めてもいいか」
筋トレについて語り出したら止まらない長門に、深雪は笑みが溢れた。長門はこういうカタチでうみどりでの生活を楽しんでいるのだろう。
後始末屋としての仕事は辛く苦しいところもあるが、それ以外の時間をこうして自己鍛錬に使えて、さらにそれが自分のやりたいことに繋がるというのなら、今この時間が最も充実していると言える。
「うっし、じゃあどんどんやっていこう。鍛えて鍛えて、一人前になってやるぜ!」
「頑張れ頑張れ♪」
「頑張れー」
潜水艦からの応援もあり、深雪は限界まで筋トレを続けることになった。流石に気を失うほど無理をすることは長門が許さなかったが、それでも鍛えたと実感出来る程に身体には程良い疲労が蓄積されていた。
そして、午後。昼食を終えた後、約束通り執務室へとやってきた深雪。大切な話があると言われていたので、しっかり風呂で疲れも取り、万全の態勢で向かう。
筋トレのおかげで振り切れていたポジティブは一旦抑えられ、冷静になっていたのだが、よくよく考えてみればイリスがいたとはいえ一対一の状態で大事な話があると言われたら、いいことよりも悪いことの方が多いのではないかと、途端に緊張感が溢れ出してきた。
「何なんだろ……まだここに入って1週間も経ってないし、素行が悪いからもうお前は必要ない……ってことは無いと思うけど。なんかあったっけか……。昨日お土産も買ってきたし……うーん……」
一人唸りながらも執務室の扉をノック。伊豆提督も中で準備していたようで、少し軽い声色でどうぞと中に入れてくれた。
執務室にあるソファとテーブルにはティーポットと茶菓子が用意されており、少し本腰になって話をするという雰囲気がかなり強めに漂っていた。
「ごめんなさいね、時間を貰っちゃって。さ、立ち話もなんだから、座ってちょうだいね」
「あ、うん」
促されて座る深雪。その対面に伊豆提督が座り、イリスはティーポットからお茶を注いで深雪に差し出す。遠慮なくお茶を啜った後、小さく息を吐いて本題へ。
「まず1つ、謝らなくちゃいけないことがあるの」
「謝る? ハルカちゃんが?」
「ええ。この数日、深雪ちゃんのことを様子見していたの。ドロップ艦というだけで、アタシ達は少し警戒をしなくちゃいけないのよ」
当たり前だが初耳な情報。自分がドロップ艦だから、うみどりの仲間達は何処か遠目に深雪のことを
「勿論、アタシ達は深雪ちゃんには何も無いと信じていたわ。それに、結果として何も無かった。むしろ、
まだ深雪にはわからない。とにかく、ドロップ艦というものが艦隊運営に支障をきたす可能性があったわけだ。そういう意味では、自分がこの鎮守府の中では
だが、艦娘である深雪が他の艦娘ならともかく
「それって、どういうことなんだ。あたしは、他のみんなと違うってことか」
「ええ。少なくとも、ここにいる子達は、ドロップ艦じゃないの。深雪ちゃんだけ」
「だとしても、艦娘は艦娘なんだよな?」
ドロップ艦である艦娘と、そうじゃない艦娘の違い。これが最も重要な要素。それを語るのに、伊豆提督はどうしても躊躇いがあった。深雪にそれを知ってもらう必要があるかどうかで悩み続けた結果、昨晩に決心したわけだ。
「ええ、でも、
「根本的な部分?」
「そう。そもそも今の艦娘は」
語り始めようとした瞬間、うみどりに警報が鳴り響いた。
「な、何だ何だ!?」
「……最悪なタイミングね。これはアタシの落ち度か」
頭を抱えながらも一旦話を止める。警報が鳴るということは、うみどりに危機が迫っているということだろう。伊豆提督もそれをどうにかするためにすぐに動き始める。
「ごめんなさい深雪ちゃん、今は」
「わかってる。なんか異常事態なんだろ。すぐに対処しねぇと」
「ええ。イリス、状況を確認してちょうだい」
既にイリスは動き出しており、執務室から外に出ていた。そして、すぐにイリスからの放送が入る。
「ドロップ艦の存在を確認したわ。……
後始末屋の特異点、始まります。