戦艦棲姫改めセレスが、食の探求のためにうみどりに加わることとなった翌朝。昨日の後始末の事後処理のため、本日昼まではこの海域で待機。昼を回った時点でまた次の後始末現場へと向かうことになる。今度の現場はここから少し離れているようで、到着は昼から動き始めても翌日の昼。丸一日の航行が約束されている。
自由時間は朝からカウントすれば約1日半。やれることは多く、普段通りに自己鍛練の時間となるだろう。今は特別なことはなく、学んできたことをおさらいしながら、より強くなるために努力を続けるのみ。
「……よくもまぁ、いつも通りに過ごせるな」
朝食後、今日は何をしようかと考えている深雪達を眺めながら、スキャンプがボソリと呟いた。その表情は何処か眠そうであり、朝食中も大きなアクビを見せる時もあった。どう見ても寝不足のそれ。
「おう、スキャンプ、寝不足か? ダメだぞちゃんと寝ておかないと。今日を頑張る力が抜けちまう」
「もしかして、悪い夢を見てしまったのです?」
「テメェらの鈍感さに呆れてんだよ」
スキャンプが寝不足になっているのは、とても簡単なことである。深海棲艦と
深海棲艦、しかも姫級ともなれば、その力は一騎当千と言える程に強力なモノだ。スキャンプは潜水艦という艦種の都合上、戦場では怖くないのだが、今は同じ土俵に立っている。
セレスがその本能に目覚め、やっぱり侵略すると手のひらを返してしまった場合、真っ先に手にかかるのはうみどりの面々。この一晩でガラリと変わっている可能性だって否定出来ないはずだ。
別に深海棲艦が同じ空間にいることが怖いとかではなく、艦娘となってからこれまで30年以上敵と認識していた深海棲艦が、今自分達と同じ場所で同じように生活しているというのは、異質を通り越して狂気の沙汰。セレスだけでなく、うみどりの面々に対してもあまり感じたことのない不安を持ってしまった。
そのせいで眠れなくなってしまったのだとスキャンプは語る。最終的には、テメェらのせいで寝られなかったんだからなと吐き捨てる程に。
「言われてみりゃあそうかもしれねぇな。でもよぉスキャンプ、少なくとも今は何も出来ないだろ? 艤装も剥がされてるんだし」
セレスは確かに艦娘より遥かに高い力を持つ深海棲艦だ。だがそれは、艦娘よりも高性能な艤装を持っているからと言ってもいい。大きさや発揮される力、性能そのものが、異常なレベルで高度だからこそ、海戦では撃破に苦労させられる。
今のセレスは、当然ながら艤装を持っていない。戦艦棲姫として成立した状態で放置されているのなら、それは流石に深雪であっても気が気でないだろう。だが、それもないとなれば、抵抗する手段は非常に限られている。
「艤装が無くても敵わねぇかもしれねぇだろうが。少なくとも、ヤツはわかんねぇことばっかりの深海棲艦だぞ」
艤装が無い状態での武力も天下無双であり、ここにいる誰もが敵わないというくらいの達人ならば、強引に突破して艤装を奪還し、うみどり内で大暴れということも考えられるが、どう見積もってもそんなことは起きない。というのも、深雪は単純に
過度な信頼を置いていると言われればそうかもしれないが、そもそもセレス自身がそんな素振りを見せず、もし謀叛を起こそうとしてもそれを制圧することが出来る力を持つ者がここにいることを理解していれば、多少は落ち着けるモノである。
勿論、深雪は自分より戦闘力の高い者に任せ切ることをよしとしていないため、逆に自分がそちらの立場になれるように努力をしているわけだが。
「そこはお前、本当に緊急事態になったとしても、仲間となら全部乗り越えられるからな」
これにはスキャンプだけでなく、黙って話を聞いていた時雨も少々呆れ顔である。仲間を信用しすぎるのも楽観的すぎやしないかと。
とはいえ、時雨もセレスが野放しになっている不安から不眠症になるなんてことは無かったので、深雪と同じく、うみどりではそんなこと起きないと無意識に信じられていたのかもしれない。
「後付けかもなのですが、あのセレスさんを見たらそんなこと思えないのです」
そこに電が付け加える。あのセレスとは何かとそちらを見るスキャンプだが、その光景に目を丸くすることになる。
「ア、アー、カワッタカシラ」
「全くですねぇ。読み書きとかもしてみますか?」
「ソウネ。タシカ、タベモノノオミセニハイルトキニ、ナマエヲカクノヨネ」
「そうですね。だから、まず名前を書けるようにしてみるのは大事大事ですよ」
セレスは梅が先生役を受け持ちながら、食事中も人間の発音が出来るようにと努力していた。話し方もそうだが、文字の読み書きも出来るようにした方がいいと、梅が簡単な本を見せながら、文字というものを知ってもらうことにもなっている。
それも全て、食への探究のため。店を予約するにも、メニューを読み解くのにも、話すだけで無く文字の読み書きが必要になるのだから、知っておかなくてはならないことだとセレス自身も納得している。
「ムズカシイケレド、オイシイモノノタメニ、私ハドリョクスルワ」
「あ、今少し発音良かったですよ。やっぱり聞いていくことが成長の近道かもです。ここでみんなとお話しすることが大事大事かもですね」
「ソウナノネ。ナラ、ミンナニハナシアイテニナッテモラオウカシラネ」
それくらいならお安い御用だと、梅を筆頭に周囲の者達も同意。話していく内に、この世界の
そもそも、深海棲艦とは思えないくらいに穏やかな表情になっているのだから、その時点でパッと見で侵略者だとは思えないというのが今のセレスだ。少し変えれば、下手をしたら街中に解き放っても誰もそうだとは思わない可能性が高い。
そんなセレスは、既にイリスの着せ替え人形にもされていたようで、今はラフなブラウスとパンツ姿である。それだけでももう深海棲艦とは思えない。
「知っている深海棲艦は、あんな表情しないのです。あの時の、敵のカテゴリーYだって、あんな表情してなかったのです」
「だよな。船渠棲姫だっけ? アレもそうだったけど、あの出洲とかいうクソ野郎は、気分の悪い薄ら笑いをしていたぜ」
「電からしてみたら、セレスさんは知らない人間さんよりも信用出来るヒトなのです。本能のままに、ああやって努力出来ているのですから」
だからこそ信頼出来ると電は語った。一度人間不信に陥っている分、深雪以上に説得力のある言葉。真っ直ぐな心で言い放たれているため、スキャンプはそこから何も言えなくなってしまった。
午前中の自由時間は、深雪も電もいつも通りトレーニングに勤しむ。筋トレは毎晩欠かさず行なっているため、こういう時はスタミナトレーニングだと、アイドルレッスンの延長線上、プールでの水泳訓練を選択していた。
参加者は那珂と酒匂、救護班の面々、そして潜水艦達である。睦月や子日、秋月も、今は基礎の底上げを目標に、那珂から教わった立ち泳ぎなどで全身運動を繰り返す。
救護班が全員ここにいるというのもあり、仮編入となっているスキャンプもここに便乗させられることとなっている。救護班がどういうことをしているかを知るいい機会、そして潜水艦ということで泳ぎのサポートも出来るため、ある意味最も適した場所と言える。
ちなみに夕立は時雨を連れてトレーニングルーム。遊びだけだと身体が鈍るため、今は妙高や三隈と共に実戦も交えたトレーニングに。
グレカーレは相変わらず神風と共に行動しているらしい。今は精神統一で坐禅をしているらしく、煩悩にまみれたグレカーレにはもってこいの鍛錬かもしれない。
「酒匂達は、こうやって戦場でどんな状況になっていたとしても仲間が救えるように、毎日鍛えてるんだよ。基礎体力は大事、だからね」
にこやかに説明する酒匂の言葉を、スキャンプは目を合わせることなく聞いている。やはり酒匂を相手にすると少々違う感覚を持っているようで、深雪達に対する荒っぽさは鳴りを潜めていた。
「スキャンプちゃんは、救護班初の潜水艦娘だからね。酒匂達の出来ない救護が出来るはずだから、一緒に頑張ろうね」
笑顔でそんなことを言われたら、スキャンプは小さく頷くことしか出来ない。
「……なんでアンタはそこまで躍起になれるんだよ」
「前に言った通りだよ?」
それ以上は言わない。言う必要が無い。スキャンプもそれはわかっている。酒匂の信念は、簡単なことでは揺らがない。
「深海棲艦が仲間になってもか」
悩みの一つを打ち明けるような発言。セレスがうみどりの一員として仲間に加わったことを、酒匂がどう思っているかを知りたかった。
スキャンプには、酒匂はこれまでに見たことも聞いたこともないくらいの輝かしい存在。聖人君子と言っても過言ではないくらいの眩しすぎる存在である。おそらく深海棲艦が仲間になることも、笑顔で良しとしているのだろう。
しかし、どうして
「勿論、セレスさんが仲間になってくれたことは、すごく嬉しいよ。一番の平和の一歩だからね」
「……どうしてそこまで断言出来るんだ。アンタの頭ん中はどうなってんだ」
そこまで言われると、酒匂も流石に驚きの表情を見せた。頭の中と言われると、うーんと悩んでしまう。
「そうだねぇ、酒匂は一度全部無くしてるから、これ以上無くなるのが嫌なんだよ。繋いだ手を離したくないって言えばいいのかな」
「無くしてる……? どういうことだよ」
「言葉通りのことだよ。あんまり話したことはないんだけどね」
スキャンプには端的に自分の成り行きを話した。聞くたびにその表情が驚愕の色に変わるが、そう思ってくれてるだけでも嬉しいと、酒匂は笑顔を崩さない。
艦娘となる前に重度の鬱になっていることも、艦娘酒匂となったことで克服していることも伝えると、スキャンプは怒りなども交じった表情を見せた。
「なんでそんな顔出来るんだよ。そんな辛い目に遭って、深海棲艦が憎くねぇのかよ」
素直な気持ちが出た。酒匂のその笑顔が、過去の辛さを知っているのにもかかわらずヘラヘラしているように見えてしまった。
だが、酒匂の言葉は少し予想外だった。
「憎くないと言ったら嘘になるかな」
酒匂にそんな感情があるように見えなかったため、スキャンプはまた目を丸くする。
そこから酒匂は続ける。
「でもね、憎しみだけじゃ世界は変わらないよ。セレスさんは深海棲艦だけれど、変わろうとしている、むしろ変わっているヒトだもん。そのヒトを信じてあげないと、変われるものも変わらないよ」
聖人君子だとは思っていたが、ここまでとは思っていなかった。憎い相手でも許せるほどの寛容さ。優しいという言葉では言い表せないくらいの神聖さ。スキャンプの荒んだ心を明るく照らし出すほどの眩さ。
「……そうかい。一応、その言葉は心に刻んでおく。アンタみたいなヤツ、何処にでもいるわけじゃあねぇだろうからな」
少しだけ、本当に少しだけ、スキャンプの表情が柔らかくなったように見えた。それが見えたことで、酒匂はまた笑顔を見せた。
それを遠目に見ていた深雪と電は、自分のことのように喜ぶ。スキャンプが生きやすくなることは、2人にとっても嬉しいことなのだから。
酒匂は常に明日を向き続ける者。実艦の最期は悲惨なモノではありますが、それを未来のためと思える聖人さを持っているのが、この世界の酒匂です。