話はほんの少し前に遡る。深雪が深海千島棲姫と戦うため、戦意喪失状態の白雲から目を逸らさせるため、1人海面に降りた後。
本当は電も深雪と共に戦いに出向きたかった。しかし、どうしても白雲から離れられなかった。
万が一のことが起きた場合、今の白雲は何も出来ない。電が守らなければ、白雲は流れ弾すら避けられない可能性すらある。頭を抱えて震えている故に、電は深雪の戦いを見ているしか出来なかった。
「白雲ちゃん……大丈夫ですか?」
電が白雲に問う。しかし、反応は返ってこない。
理性なく本能で動く白雲であっても、実の姉の命が使われていると一目でわかる深海棲艦がそこにいるとなれば、それがカテゴリーYであっても嫌悪感と怒りと憎しみが湧き上がる。しかし、それ以上に実の姉とほぼ同じような存在があのような深雪を見下したような発言をしている事実に驚きが大きく、それゆえに戦意を失ってしまった。
だが、電はここで止まっていてはいけないと理解している。大きな括りで言えば姉になる薄雲の命を、あんなカタチで
そして何より、深雪が怒りをどうにか抑えながら戦っている。その隣にいなければ、また暴走をしかける。今回暴走したら、前とは違って死に近付くだけだ。それだけは避けなくてはならない。
「……白雲ちゃん、深雪ちゃんが大変です。ちゃんと、見てください」
電にしては希少な、少し言い聞かせるような強い語気の言葉に、白雲は頭を抱えることを止め、戦場に目を向けた。深雪という名前が聞こえたのも大きい。
すると、深雪がこれまでに一度だけ見たことがある表情をしていた。以前白雲に向けて見せた、相手を心底嫌悪している眼差し。屈託のない笑顔ではなく、怒りに歪む顔。深雪が精神的にも辛い思いをしているのがすぐにわかる。
「お姉様……」
「深雪ちゃんが苦しんでいるところを、電だって見たくないのです。だから、救いに行きましょう」
電に促される白雲。しかし、白雲には兵装がない。今回は顔見せに来ただけであり、万が一のことがあると最も
だが、電はそれでも白雲と共に深雪を救うのだと手を引く。白雲を独りでここに残すわけにもいかない。
「お姉様が、薄雲様に……そんなの、そんなの……」
「電も同じ気持ちなのです。あれが……あれが
電の手も強張っていることが白雲にも伝わる。電だって今の状況が許せない。辛くても、前に出なくてはいけないとき。
白雲の中でも変化が起きる。深雪に危害を加える薄雲は、どう見たって
深雪を心の底から愛しているからこそ、それを傷付ける者に対しては人間への憎しみ以上に怒りが芽生える。
「……許せませぬ。薄雲様の命を、あのような下衆の極みに使うなどと、笑止千万。あのような
白雲の目に光が宿る。それは深海棲艦特有の燐光でもあるのだが、喪失した戦意を取り戻したことの証明でもある。今の白雲ならば、戦える。容赦なく、薄雲の命を解放するために、下衆な元人間を手にかけることが出来るだろう。
深海千島棲姫の
そして今。深雪が雷撃の餌食になりかけたところを、電が魚雷を砲撃で破壊することで救い出した。白雲はどうしても温もりが必要であるため、電に手を引かれながらではあるが、深雪の傍に駆けつけることが出来た。
「お姉様! ご無事ですか!」
心配そうに駆け寄る白雲の姿を見て、深雪はニッと笑う。
「ああ、まだ大丈夫だ。左腕がイカれちまったけど、戦えないわけじゃあねぇよ。むしろお前の方が大丈夫か。武器も持たずにここまで来ちまって」
「お姉様が傷つく方が万倍大丈夫ではありません。ささ、白雲がお手を」
「悪い、助かる」
白雲に支えられて立ち上がる深雪。深海千島棲姫の主砲が直撃した左の二の腕は激痛が走り、まともに上げられないくらいになってしまっているが、今のところダメージはそれだけ。目も霞んではいないし、足もふらついてはいない。小破と言うには少々ダメージが大きいものの、中破までは行っていないくらい。艤装は無傷と言えるため、戦闘力はそこまで落ちていない。
「お姉様、白雲は理解いたしました。忌むべき人間の姿を、その目に焼き付け、慈しむべき人間を知るに至りました。我が敵は、薄雲様の命を、魂を冒涜するあの愚か者。延いては、それを生み出した元凶という根幹の人間なのですね」
「……ああ、そうだ。あいつも元凶の犠牲者なのかもしれねぇけど、ここまで来たらもう取り返しはつかないだろうな」
2人揃って深海千島棲姫を睨み付ける。そんな視線を受けても、深海千島棲姫は小さく溜息を吐くだけ。
「流石は魔王。自分を守る手駒を動かしましたか。ですが、私は知っていますよ。貴女の手駒は、貴女よりも練度が低い。貴女と同等かそれ以下が何人束になっても、私はそれを全て討ち倒しましょう。それがこの世界を平和に導く行動ですから」
深雪から見てもわかる。電はまだ震えているし、白雲も付き従ってくれているが非武装。そして、温もりがなければまともに動けない。この状態で戦うのは、かなり厳しい。
1人で戦うよりはまだマシになったかもしれないが、深海千島棲姫の先程の戦い方からして、あれは
深海千島棲姫が言うように、電は深雪よりも練度は低い。しかし、それは数値上の話である。技術だけで言えば、深雪とは違うベクトルで伸びている部分があるのだから、一概に深雪と同等ともそれ以下とも言えない。
深海千島棲姫はやはり、力を得たことで慢心しているとも言える。とはいえ、その慢心を打ち崩すことが出来る力を持っていないことを痛感させられるが。
「そう思うなら勝手にそう思ってろ」
「はい、そうさせてもらいますよ、
またも当てつけのように姉と呼ぶ。明確に精神を揺さぶる材料としているのがあまりにも気に入らない。自分の中にある命が、深雪から冷静さを失わせることが出来るのを理解し、だからこそ襲撃に加わったと言っても過言ではないのだろう。
当然ながら深雪はその言葉に苛立ちを覚える。しかし、あくまでも冷静に努めようとする心は失っていない。あちらが薄雲であることを活かしてくることくらい読めること。
「薄雲ちゃんでもないのに、薄雲ちゃんぶらないでほしいのです」
この言い分には、電も強い嫌悪感を示した。そんな言葉を口に出すくらいに。
「私には薄雲の命があります。ならば、私も薄雲としても問題はないでしょう。艦娘としてその命を使えば、それは薄雲となるのですから。何か問題でも?」
「その名前に誇りは無いのですか」
「ふふ、面白いことを言いますね」
深海千島棲姫は薄く微笑んで答える。
「誇りはありますとも。魔王に身を堕とした姉を救うための力になっているのですから。悪の頂点とも言える特異点を始末するために最も適した命となっているのならば、薄雲も喜んでいるでしょう。姉の間違いを正せるのですから」
プツンと聞こえたような気がした。これを本気で言っているのだとしたら、救いようの無い愚か者だと言い切れるほどである。命の冒涜では済まされない、亡き者の信念を踏み躙っているとしか言いようがない。
この
「もういい、黙れ」
深雪が白雲に支えられながら砲撃を放つ。同時に、無言で電も砲撃を放っていた。
この言種は、深雪だけでなく電もキレさせるには充分だった。おおわしの艦娘である自分の姉の命を使っていた白雪や響は、その名を使わせてもらっていることを誇りに思うと言っていた。そして、世界の平和を取り戻すために
しかし、この深海千島棲姫は違う。薄雲の命を使わせてもらっているのでは無い。いいように利用し、それを卑怯だとも思わず、最善の策として好き勝手に使う。誇りがあるとは口先だけ。艦娘の命も、それこそ深海棲艦の命をも、ただただ自分達の目的のために利用しているに過ぎない。尊重などしていない、自分のことしか考えていないやり方。
「練度が低いのが丸わかりですよ」
しかし、それも簡単に避けられてしまう。深雪も電も、何処かに
「思うツボすぎて笑えてしまいますよ」
お返しと言わんばかりに放たれた砲撃。その狙いは、最も動けないであろう深雪。そして、白雲である。
それと同時に雷撃も放たれていた。回避の仕方が変わるため、同時に放たれると一気に難易度が上がる。勿論、その方向は回避するであろう場所を予測した場所。
「やらせないのです」
雷撃は電が確実に撃ち抜いて被害を最小限にし、砲撃のみに重点を置いて回避に専念した。電は砲撃と雷撃を意識しなくてはならないが、怪我人の深雪にそれをさせるよりは、電が専任した方が確実。
しかし、そこまでも狙った攻撃。同時に放てば、砲撃はさておき魚雷は破壊することで回避するだろうと見越していた。そうした場合、魚雷の爆発で水柱が大きく立つ。それが深海千島棲姫の罠。
「っ、白雲、離れろ!」
わざと突き放すように、怪我をした腕で白雲を押し出す。白雲が驚愕の表情を浮かべたものの、次の瞬間、水柱の向こう側、その上から、鎖に繋がれた主砲が投擲されていた。真上から襲い掛かるそれは、そのままいたら白雲の脳天に直撃していただろうが、深雪が気付いたことによって、咄嗟に離れたのだ。激痛があっても、白雲がやられるよりはマシと瞬時に判断して。
しかし、押し出した腕に鎖が絡まると、締め上げるように引っ張られることになる。よりによって絡まった場所が怪我をしている二の腕。傷口を拡げるような攻撃に、深雪は思わず呻いてしまう。
「っが……!?」
「釣れましたね。では、
そんな言葉が聞こえた瞬間、深海千島棲姫の鎖が一気に熱を持ち始めた。白雲のボイラーの冷却システムを使った凍結能力とは別の、その燃焼を過剰に使った
「お姉様!?」
鎖が赤熱したことために、白雲がコントロール出来るようになった冷却を鎖に施そうとしたが、時既に遅し。
「くそっ……っあ!?」
肉の焼ける匂いと同時に、
通常の戦闘とは違う搦め手と、精神攻撃による無意識な力み、そして深海千島棲姫自身の練度の高さ。全てが絡み合ったことによって、絶体絶命のピンチとなっていく。
だが、そのタイミングから深雪のもう片方の手には煙が漂い始めていた。その願いは、